17話―⑩『幻術使い』
彼は驚いていた。幻術は、かけた相手の特性に左右されるものの、概ね術者の望む方へと展開させる。例えその特性を知らなかったとしてもだ。
失敗した―――彼がそう悟ったのは、陰児の全身に手裏剣が刺さった頃のことだった。流血はするものの、陰児は何事もなかったかのように手裏剣を抜いていた。一つひとつ、しっかりと握って。
「まさか貴方……毒が効かないのですか?」
「さあのう。そうじゃったらどうする?」
そうだ。例え効かないとしても、それならば別の方法を実行すれば良いだけの話―――卯申はにこりと笑った。
「それでも殺します」
卯申が駆け出す。隠し持っていたフォールディングナイフを取り出すと、それを陰児へ振り下ろした。しかし、刃は虚空を斬る。卯申は瞬時に辺りを見回した。陰児は、先程彼のいた場所にいた。
「そんなもんか? 遅いのお」
「………チッ」
術中において、魔法道具の恩恵はあり得ない―――ならばこいつ、どうやって避けた? 影に潜ったか、あるいは……。
「……面倒な老人だ」
「老害は嫌いか?」
「ええ。未来ある若者に悪影響しかありませんからね」
「ワシかてそう思うがのう。影縫のくそ野郎が勝手にここに飛ばしおった。さしずめ、相打ちになればいいとでも思っておるのじゃろう」
「貴方と私がですか? ご冗談を」
「本気じゃよ。奴は」
陰児はちらりと背後に視線をやった。視界に映ったのは、黄色い髪の少女―――。
「ワシは、幻術使いに対しては最強じゃからのう」
蘭李は、その言葉に息を飲んだ。
陰児と向き合っている卯申は、棒立ちのまま動かない。まるで幻術にかけられているようだ―――蘭李のその思考を読んだかのように陰児は続けた。
「幻術返しじゃよ。ワシにかけてきた幻術を相手に返す。ただそれだけじゃ」
「そんなことが……出来るんですか」
「物事は奥深いということじゃ」
ちょうどその時、蘭李を追って悪魔がやって来た。陰児と卯申を順に見て、ヒューと口を鳴らす。
「じーさんやるじゃん。オレ達がやる手間省けたな」
「見知らぬ他人を喜ばせても嬉しくないのう」
「そんなこと言うなって。蘭李くんのことくらいは知ってるだろ?」
陰児が蘭李を睨むように捉えた。
「そうか。お前さんが華城蘭李か。可愛げのない娘じゃのう」
「……いきなりディスるのやめてください」
「くくっ……可愛げないって」
「笑うな悪魔」
クツクツ笑う悪魔を鋭く睨む蘭李。くだらないという目で二人を一瞥し、陰児は卯申へと近付いた。
「お前さん、戦えるじゃろう? なら、もう一人も捕まえてくれ」
「もう一人?」
「恐らく、気配を消してこちらを窺っているのじゃろう。ワシは幻術使いが相手でなければただの老人じゃ」
「ただの老人なのに、よく一人でのこのこやって来たな」
「いつもは護衛をつけているのじゃがのう」
「それにすら人員を割けられないって?」
「ま、優先順位じゃな」
懐刀を取り出し、陰児は卯申に向かって振り下ろした。が、その腕に手裏剣が突き刺さり、刀は卯申を掠っただけだった。陰児が怪訝そうな顔で後方を向く。その視線の先から歩いてきたのは、コノハを持っている辰巳だった。
「おじーさん。ぼーにいからはなれて。じゃないとコノハくん、ころしちゃうよ?」
「コノハ!」
蘭李の声に答えるように、鞘の中のコノハが震える。辰巳は薄く笑い、しかし次の瞬間には表情が凍り付いた。彼の全身に影の手が掴みかかり、行動不能になったからだ。
「悪いなあ。オレにとってはそこの魔具とかどうでもいいんだよ。殺すなら勝手に殺しやがれ」
にたりと笑う悪魔。その躊躇ない行為を、蘭李と辰巳は鋭く睨んだ。
「勝手な行動やめてくれる? 本当にコノハが殺されたら……」
「知るか。こういうのは躊躇ったら終わりなんだよ」
悪魔は辰巳からコノハを取り上げると、それを蘭李に渡した。コノハを鞘から出してみるも、コノハは剣のままで変化することはなかった。蓄積ダメージが結構多いのか―――蘭李はコノハを鞘に戻し、辰巳に視線を移した。
「光軍の幻術使いって卯申だけ?」
「………よにんかごにん、ほかにもいるよ。でも、しゅうげきにいってるから、ここにはいないよ」
「随分素直に白状するんだな」
「ぼーにいだけはころさないで」
震えるその声に、蘭李は耳を澄ませた。
「ぼーにいがいたから、ぼくらはいきていられたんだ。ぼーにいがぼくらをたすけてくれた。だから、ころすならぼくだけにしてよ。ぼーにいさえいれば、ろくしちゅうはなくならないんだから……」
切実なその思いに、蘭李は胸が苦しくなった。
例え敵だとしても、その敵にも家族や大切な人がいるんだ。もし殺してしまったら、その人達はこちらを恨むだろう。それこそ、光や闇など関係なく。
誰も殺さずにこの戦いを終わらせたい。誰かを殺して生き残るのはつらい。それはもう、シルマ学園で思い知らされたから。
「辰巳―――」
そう言いかけた蘭李の手から、コノハが離れた。反射的に目で追うと、二本の影の手がコノハを鞘から抜き、その腕を突き出していた。
その先には、棒立ちする卯申がいる。
「――――――っ……」
人形のように、卯申が力なく倒れる。コノハは卯申の胸に刺さっている。一拍遅れて、辰巳の悲痛な叫び声が木霊した。
「ああああああああああああああああああッ!」
泣き叫び、拘束を解こうと暴れる辰巳。そんな彼を、悪魔はゲラゲラと笑って見下した。
「ははははははッ! その顔最高だッ! もっと泣け! もっと暴れろ! もっと絶望しろォ!」
悲しみと喜びが辺りを包む。蘭李の目の前で、弱者が強者に絶望を叩きつけられていた。それは、彼女の小さな正義心を奮い起こした。
―――こいつは正真正銘、悪魔なんだ。
どうしてあたしは、こいつと組んだりなんかしたのだろう。
蘭李は自然に、左腕を上げていた。その手が握るのは、小さな鉄の殺意。照準は悪魔に向けられ、躊躇うことなくトリガーが引かれた。
その間、約0.1秒。
「ッ―――!」
殺意は悪魔の頭に着弾した。咄嗟に避けたおかげで即死には至らなかったが、悪魔は撃たれた場所を苦しそうに押さえた。
「容赦ねぇなあ……蘭李くん」
蘭李は二発目を放つ。ほぼ同時に悪魔は全身を影で包まれた。銃弾は影の中へ飛んでいく。
影は地面に溶けるように消えていった。そこに悪魔の姿はなかった。
「くっそ……」
そう吐き捨て、蘭李は卯申に近付いた。拘束の解けた辰巳も駆け寄り、彼の肩を揺すった。
「ぼーにい! しっかりしてよ! ぼーにい!」
卯申からゆっくりとコノハを抜き、蘭李は陰児に振り向いた。
「戦闘不能ですし、殺すのは勘弁してくれませんか?」
「おぬしのう……」
「あなたさえいれば、卯申は無力同然なんでしょ?」
「こやつはどうするんだ?」
陰児の視線が辰巳に向く。辰巳は未だ泣き叫んでいた。何度も何度も卯申を呼んでいる。しかし、卯申はそれに答えなかった。
「………辰巳」
蘭李が呼ぶと、辰巳は泣き顔で振り向いた。一瞬、彼女の頭に苦しむ朱兎が思い出される。その張本人が今、目の前で隙だらけだ。
今なら、復讐することが出来るかもしれない―――腹の奥底から沸く憎悪を押し潰すように、蘭李は唇を噛み締めた。
「……卯申を連れて、行って」
「え……?」
「分かるでしょ。このままだと、二人とも殺されるよ」
辰巳は、蘭李の険しい表情を見つめた。黄色い瞳は、憎しみを必死に押し殺すように揺れ動いている。卯申のことでいっぱいだった彼の頭に、僅かな危機が沸き起こった。
「………これ、あげる」
スーツのポケットから、辰巳は小さな注射器を取り出した。中に入っている紫色の液体を凝視しながら、蘭李はそれを受け取る。
「それ、コノハくんにうってあげて。じかんはかかるけど、どくはなくなるから」
「……ありがとう」
「ぼくは、ぼーにいをびょういんにつれていくから」
自分よりも大きな卯申を背負い、辰巳はよろよろと歩き出す。それについていく陰児。二人を一瞥しながら、辰巳からもらった解毒剤をコノハに打ち、蘭李は屋内に入った。彼女は天神家を訪れたことはあるが、それもたった数回のことである。見慣れない部屋、廊下を抜けていき、蘭李は気味の悪さを感じ始めていた。
まるで生活感の無い家だ。家具も服も何もない。本当に雷達はここに住んでいるのか?
他の部屋と変わりない和室に、蘭李はたどり着いた。部屋には何もなかったが、唯一、部屋の中央にサッカーボール程の水晶が置かれていた。
「何あれ……」
おそるおそる水晶に近付く蘭李。それを覗き込むが、自身の不安そうな顔しか映っていない。
「なんでこんな物が……」
「あ! お前、蘭李だよな!」
静かな空間に木霊した少年声。蘭李が驚いて振り向くと、少女を抱えた拓夜が駆けてきていた。
「拓夜!」
「お前までいたのか! よく無事だったな」
「何とか……」
「あ、いや、今はそんなことを言ってる場合じゃないんだ」
「何かあったの?」
「ああ。今、おれ、困ってるんだ」
光軍に追われているのだろうか―――蘭李の安直な予想は、すぐに否定された。
「おれ、帰れないんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます