11話ー③『願い』
「ホントにここに、コノハが……?」
目の前に建つ廃墟を見上げる蘭李。門に立てられた落ちかけの看板には、『病院』とだけかろうじて読める文字が書いてあった。おそるおそるその門をくぐる。敷地内は草花が無造作に伸びており、建物まで行くのにも一苦労だった。
やっと入り口に着くと、ガラス張りの自動ドアは粉々に割れていた。蘭李は一瞬躊躇ったが、ガラスに当たらないよう慎重にくぐった。
「うわ……暗いなあ……」
灯りの全くない廃墟に侵入するのは気が引けた。しかも昼間だというのに、ここだけ日が当たらないかのように真っ暗だった。不気味以外の何者でもない。
だが、ここにコノハがいるなら進むしかない。悪魔のことを簡単に信用など出来ないが、今は彼の言ったことしか手がかりがないのだ―――蘭李はそう思い、手探りで必死に歩みを進めた。
「コノハー……どこー……?」
不意に伸ばした手に何かが当たる。冷たく固いそれは、縦に伸びる細長い棒だった。端まで伝っていくと、真正面の壁から生えているらしかった。
「扉……?」
棒を押しても引いても、びくともしなかった。横へ引いてみると、ゆっくりと動いた。その感触に、扉だと確信した蘭李は、そのまま歩みを進める。
「コノハー……どこだよー……やっぱり騙された……?」
「ここだよ」
聞き慣れた声に、蘭李は顔を上げた。目の前に浮かぶ二つの目玉。緑色の光を放っていた。姿自体はハッキリと確認出来ないが、彼女は即座に理解した。
「コノハ⁈」
蘭李は駆け出す。手を伸ばすと、柔らかな肌に触れた。下へ伸ばすと、布の感触が広がる。
「コノハだよね⁈」
「そうだよ」
「よかった……! 本当にいた……!」
ぽろぽろと、黄色い瞳に涙が溢れる。コノハの手をぎゅっと握りしめ、真っ直ぐに視線を合わせた。
「コノハ、とりあえず帰ろう? 話はそれから―――」
「ダメ。ここでする。一人で来てくれたよね?」
「そうだけど……なんで? こんな真っ暗な所じゃ……」
ぐっと手を引かれる蘭李。そのままコノハに連れられるように歩き始めた。蘭李は不安な目で、暗闇に浮かぶ背中を眺める。
「コノハ? どこ行くの?」
「明るい所」
蘭李に積もる不安と疑念。しかし、直後に視界が光に包まれ、それらを一気に消し去った。
「ここは……?」
慣れてきた目が映したのは、二つに分断されたベッドの周りに、様々な物が散乱した部屋だった。注射器やビリビリに裂かれた白い布、壊れた機械や機器類など、多種多様だった。だがそれらから、ここが手術室だったことが窺える。
「ここで話そう」
「なんでここだけ電気が……」
「たまたまだよ」
くるりと振り向くコノハ。緑の視線と黄色い視線が絡まった。
沈黙が流れる。蘭李には訊きたいことが山程あった。だが、なかなか口を開こうとはしなかった。
「………蘭李はさ」
最初に沈黙を破ったのは、コノハだった。コノハは睨み付けるように蘭李を見て、一呼吸置いてから二言目を綴った。
「僕を何だと思ってるの?」
「え………?」
想像もしなかった問いかけに、蘭李はたじろぐ。蛇に睨まれた蛙のように、体が動かない。
「人なのか、武器なのか」
「あ……そこ?」
「僕は武器なの? それとも人として扱ってる?」
――――――魔具は奴隷。主の為に戦って死ぬ。それが課せられた宿命なのじゃから。
先程の蜜柑の言葉を思い出した蘭李。しかしそれを忘れるように頭を横に振り、力強くコノハを見据えた。
「コノハはたしかに魔具だ。だけど、同時に人だとも思ってる」
「………半々ってこと?」
「まあ……そんな感じ。でも、ちゃんと命のあるものだと思ってるよ」
「………命あるもの、かぁ」
少し目を伏せ、悲しそうに呟くコノハ。蘭李にはその反応の意味が分からなかった。おそるおそる近付き、彼の肩に手を置く。
「ねえコノハ。ホントにどうしたの? 何があったの?」
「別に。特に変わりないよ」
「うそだ。じゃあなんであたしのこと殺そうとしたの?」
「今に始まったことじゃないし」
ピタリと体が硬直した。蘭李の顔がみるみる青ざめていく。
「う、うそだよね……? それじゃ、ずっと殺したかったってこと……?」
「蘭李って僕のこと全く分かってないよね。本気で気付かなかったの?」
「そっ……そんなことないっ! コノハのことはよく分かってたはず!」
「じゃあなんで僕が蘭李を殺したいか分かる?」
「ッ………」
一瞬口をつぐむ蘭李。しかしすぐに声を上げた。
「一度……殺しかけたから。まだあのクセ、直りきってないし……」
「――――――ホント、何も分かってないね」
自身の肩に置かれた手の手首を掴むコノハ。キリキリと力を込め、再び蘭李を睨み付けた。
「そんなことで殺したくなるわけないじゃん」
「でも………じゃあ一体なんで……」
「話したら、分かってくれる?」
緑色の瞳に、戸惑ったような表現を浮かべる蘭李が映る。
「僕の願い、聞いてくれる?」
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