第5章 事情聴取その4 威容の男


 「上坂うえさかさんが林山はやしやまさんを手伝うために、トマホーくんの〈中の人〉をやめて屋台に入ったのは、何時くらいでしたか?」


 丸柴まるしば刑事の聴取はまだ続く。彼女は死体の第一発見者であるため、他の関係者よりも訊くことが多いのだ。


「午後七時くらいでした。屋台に入るときに時間を確認したので、間違いはないと思います」

「それからは、二人でずっと屋台に?」

「はい。ただ、トイレに行くため、林山くんが二、三分くらい屋台から離れた時間が一度だけありました」

「その時間も憶えていますか?」

「私が入ってすぐでした」

「七時に入ってすぐ、ということは、七時二十分くらいでしたか?」

「いえいえ」それを聞くと上坂は顔の前で手を振って、「二十分なんて、すぐとは言わないじゃないですか。五分経っていないと思います。五分も、すぐとは言わないかもしれませんけれど、お客さんの流れがあって、すぐに屋台を離れられなかったので」

「そうですか」


 丸柴刑事、さりげなく正確な死亡推定時刻のアリバイを確かめにいったが、跳ね返されてしまった。同時に林山の証言の裏も取れた。


「ちなみに、その時間帯はとま社長と木出崎きでさき専務も屋台のそばにいましたか?」

「さあ……忙しかったので、そこまで確認はしていませんでした。こんな事件が起きるとは想像できませんでしたし」


 林山の答えと同じだ。


「では次に、矢石やいしさんの遺体を発見したときのことを聞かせてもらえますか」

「はい……」


 トマホーくんのことを語っていたときとは一変、その質問をされると、上坂は表情を暗くさせた。


「フライドチキンが完売したので、林山くんが、控え室で休んでていいよと言ってくれたんです。後片付けが残っていましたが、それは林山くんと社長が受け持ってくれることになりました。屋台のスペース自体が、二人も動き回ればもういっぱいという程度の狭さだったこともあって、私はありがたく抜けさせてもらうことにしました」

「それまではずっと着ぐるみに入りっぱなしだったのですから、お疲れだったでしょう」

「ええ。でも、休憩を挟みながらやっていましたから。それに、ああいった着ぐるみには、蒸れを防ぐためにメッシュ状になった通気孔がいくつか空いていますから、意外と着心地がいい、と言ったら変ですけれど、慣れれば大丈夫ですよ」

「そうなのですか。すみません、続きを」

「はい。それで、屋台を出て控え室に向かうためにバックヤードに入ったら……人が倒れているのが見えました。最初は酔っぱらってるのかと思ったのですが……ぴくりとも動かないし、目を見開いて苦しそうな表情をしているし、しかも、それが矢石さんだと気付いて……悲鳴を上げてその場に座り込んでしまいました……」

「それからどうされましたか」

「どうもこうも……私の悲鳴を聞きつけて、社長がすぐに走ってきました。で、矢石さんに近づいて様子を見たあとに、通報はしたのかと訊かれましたけれど、私、怖くて何も答えられなかったもので、社長が110番をしてくれました」


 苫の証言と食い違いはないようだ。丸柴刑事は、そうですか、と口にしてから、


理真りまは、何かある?」


 理真に顔を向けたが、探偵が首を横に振ったので、


「分かりました。とりあえず、今日はこのくらいで。ありがとうございました」


 丸柴刑事は上坂への聴取を打ち切った。残るひとり、木出崎を呼んでもらうよう頼むことも忘れなかった。

 例によって上坂の背中が見えなくなってから、丸柴刑事は姿勢を崩し、ストーブに足を向けて、


「林山さんも含めて、アリバイありみたいね。ま、当人たちの言葉を信じればだけど」


 理真に向かって述べた。探偵も背中を丸めてストーブに手をくべながら、


「確かに。時刻さえ誤魔化せば、トイレの振りをしてバックヤードに行って、矢石さんを殺害して戻って来るのは十分可能だよね」

「でしょ。まあ、動機が薄いっていうのはあるけど」

「いくら社内で嫌っていた人だからって、殺すかって話だよね」


 丸柴刑事と、そして私も頷いた。嫌いな同僚や上司というだけでいちいち殺害に及んでいたら、殺人事件など、どこの会社でも起きるありふれた日常になってしまうに違いない。


「特に」と理真はさらに、「扼殺というのは引っかかるね。確実に殺そうとするなら、凶器の用意は必須でしょ」

「ということは、今回の事件は突発的なもの?」

「そこまではまだ……丸姉、現場も見られる?」

「もちろん。当然保全してあるわよ」

「じゃあ、聴取が終わったら見に行こう」


 了解、と言って丸柴刑事はストーブにかかげた両手を擦り合わせる。露天の仮設取調室で行う聴取も、あとひとりで終わりだ。と、その最後のひとりが歩いてくるのが見えた。今度は丸柴刑事と理真もそれにいち早く気付いたらしく、余裕を持って毅然とした姿勢を取り戻す。歩いてきた五十がらみの男性は、私たちの前で足を止めると頭を下げて、


「トマホークチキン専務の木出崎いわおです」


 その、丁寧な中にも凄みを感じる声と物腰は、私たち三人を立ち上がらせて会釈させるに十分なものだった。



「社員からは、あまり好かれてはいなかったでしょうね」


 丸柴刑事から被害者について訊かれると、木出崎はそう答えた。


「その社員には、木出崎さんも含まれると考えてよいでしょうか」


 これにはゆっくりと頷いてから、


「もっとも、社長は矢石さんのことをそれなりに頼りにし、信頼もしていたとは思いますが」

「食材の発注で一悶着あったそうですね」

「あれは完全に矢石さんの先走りでしょう」

「木出崎さんも随分と憤慨されていたとか」

「私が怒ったのは、社長を通さずに伝票の処理をしようとしたことについてです」

「矢石さんの行動自体には問題はなかった?」

「大切な納品伝票に間違った価格を記載するなど、商売人としてはあってはならないミスでしょう」

「そこに付けこまれても仕方がないと」

「ただ、社長があの伝票に目を通したなら、必ず向こうに確認の連絡を入れて、約束した金額で伝票を送り直させていたでしょうね」


 丸柴刑事の質問に直接答えたわけではないが、商売に対する木出崎の考え方は分かった気がした。


「そうですか」と丸柴刑事もこの話題はそれ以上広げず、「他の社員お二人、林山さんと上坂さんは、木出崎さんの目から見てどのような人たちですか?」

「二人とも、よく働いてくれています。我が社に欠かせない人材です」

「お二人とも、矢石さんのことを良く思っていないことを隠しませんでした」


 それを聞くと木出崎は苦笑のような笑みを見せて、


「あの二人は正直ですからね。もしかしたら犯人の疑いをかけられているのかもしれませんが、それだけはあり得ないと進言しておきます。無論、社長も」

「木出崎さん自身も?」

「言うまでもありません。人となりはともかく、矢石さんも我が社の貴重な戦力です。殺すなどあり得ません」


 毅然とした物言いをした。どうもこの木出崎という男、ただのサラリーマンとは思えない、何だか一種異様な凄みを感じる。丸柴刑事の聴取は続き、


「矢石さんは、極度に他人を警戒する方だったそうですね」

「あの二人からお聞きになりましたか。ええ、そうです。常に自分の周りにいる他者の言動を注意して見ているような人でしたね。それは我々に対してだけでなく、外を歩くときなどもそうでした。すれ違う通行人や隣に立つ人まで、まるで自分が何者かに命を狙われているとでも言いたげなくらいに。異常でしたよ」

「何かそうなる理由でもあったのでしょうか?」

「分かりません。彼とは仕事の関係だけで、プライベートでは一切関わりを持たなかったので。私だけでなく、上坂さん、林山くん、社長に対してもそうでした」

「そうですか。質問を変えます。午後七時から七時半の間は、どちらにいましたか?」


 丸柴刑事は彼にも当然アリバイ確認の質問を入れる。


「屋台のそばにいたと思います。それまでは会場内を歩いて他店の視察や、取引先との電話対応などしていましたが、その時間帯は屋台のそばから離れなかったと思います」

「苫社長も一緒でしたか?」

「恐らく。なにぶん、イベント終了間際の駆け込みで、お客さんも多くいらしていましたから」

「そうですか」


 ここで丸柴刑事は理真を見る。何かあるかということだ。それに応じて理真は、


「私から、少しいいですか」と手を挙げ、「先ほど木出崎さんは、苫社長は矢石さんのことを頼りにしていたとおっしゃっていましたが、それは木出崎さんも同じなのではありませんか」

「ええ、まあ。私は社長とは付き合いが長いですから」

「長い? この会社の立ち上げで雇い入れられたのではないのですか?」

「はい。私は社長のことは幼い時分からよく知っています」

「それは、どういう?」


 木出崎は、すぐには答えず、僅かに逡巡したような表情をしてから、


「少々話が脱線することをお許し下さい。どうせ調べればすぐに分かることですから、ここで言ってしまいますが……私は暴力団の元構成員です」


 理真、丸柴刑事、当然私も表情を一瞬険しくした。


「どこの組でしょう?」

「関西なのでこちらの警察の方がご存じかは分かりませんが、虎哮会ここうかいでした」

「虎哮会……確か、二十年くらい前に看板を下ろしたと聞いたことがありますが」

「お耳に入っていたとは恐縮です。ええ、ちょうど二十年前です。看板を下ろしたと言えば聞こえはいいですが、警察の手入れを受けての壊滅が実際のところでした」

「その、関西の元構成員の方が、どうして新潟に?」

「さる事情がありまして。社長に関連することです」

「苫さんに?」

「はい。これも調べれば分かることですが……社長、苫鷹行たかゆきは、虎哮会会長と愛人との間に生まれた子供なんです」


 険しかった私たちの表情は、すぐに驚愕のそれに変わった。


「会長は何人も愛人を囲っていて、連絡係や身の回りの世話を任せるため、各愛人に構成員をひとり付けていました。社長の母親の担当を任されたのが私でした。苫というのは、その愛人の姓です。会長は愛人を囲ってはいましたが、本妻との間以外に子供をもうけることは決してしませんでした。跡目争いで悶着が起きるのを嫌っていたのです。先代がそれで結構な騒ぎを起こしてしまったそうで。ですが……いくら気をつけて行為に及んでいたとしても、過ちとは起きてしまうものです」


 神妙な顔で木出崎は話しだした。

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