愛と憎しみのフライドチキン

庵字

第1章 師走の事件

 日曜日の午後十時も近い時刻。いかな商業施設が集中する新潟市中央区の万代ばんだいシティとはいえ、いつもであれば明日が月曜日ということで人足も少なくなる時間帯である。が、今現在、周辺の歩道は異例的に大勢の人間で埋められていた。その人たちは大きく二種に分類される。警察官と野次馬だ。

 現場脇の車道は警察車両や救急車で事実上の通行止め状態だから、そのまま自家用車で乗り付けてきてもよい、と言われたが、私たちは近隣のコインパーキングに車を入れて徒歩で現場まで向かうことにした。やはり多くの警察車両に紛れて、一般の赤い軽自動車が駐まっている光景は目立ちすぎる。その車から降りるのが二十代半ばの女性二人だとしたら、輪を掛けて野次馬たちの目を引いてしまうだろう。さらに、どう見ても捜査関係者ではない、その私服姿の女性二人が刑事に導かれて規制線の向こうに入っていく光景など、明らかに異常だ。もしかしたら野次馬の中に、二人のうち片方の女性の顔を知っている人がいないとも限らない。「どうして作家の安堂あんどう理真りまが殺人事件の現場に入っていくのか?」いらぬ疑問を与えてしまうに違いない。


 恋愛作家として少しは(本当に、ほんの少しは)知られている安堂理真が、正職とは別にもうひとつの顔を持っているということは、公表も喧伝けんでんもしていないため一般には知られていないはずだ。その顔とは、ずばり素人探偵。彼女は県警への協力という形で、居住する新潟県下で起きたいくつかの犯罪事件を解決に導いた実績を持っている。どうして一介の作家である理真が素人探偵になったのかを語るのは別の機会に譲るが、彼女が探偵として捜査に赴く際は、こうして私、江嶋えじま由宇ゆう助手ワトソンとして同行する場合がほとんどなのだ。


 現場であるバスセンターが見えてきた。近づくにつれ野次馬の数も多くなる。小声で何事があったのかを話し合い、また携帯電話カメラのレンズを現場方向に向ける彼ら、彼女らの間を縫うようにして、私と理真は速歩で歩く。

 吐く息が白く染まる。十二月に入った新潟市中心部は、積雪するには至っていないものの何度か降雪を経験し、平均気温もぐんぐん下降線を描き続けている。

 私と理真は足を止めた。現場に到着したからではない。野次馬が構築する人の壁に行く手を遮られてしまったためだ。

 強行突破する?

 私はそんな意味を込めた視線を眼鏡越しに理真に送る。理真は小さく首を横に振って携帯電話を取りだした。丸柴まるしば刑事に連絡して指示を仰ごうということか。私と理真は高校時代からの長い(卒業後、理真は進学、私は就職と進路が分かれ、少し疎遠になっていた時期はあるが)付き合いのせいか、もうすっかり目と目で通じ合うの仲になってしまっている。


「……丸姉まるねえ、現場に着いたんだけど」


 やはり理真が連絡を取った相手は、新潟県警捜査一課の紅一点、丸柴しおり刑事だった。


「……うん……うん、わかった」理真は通話を終えて、「信濃川向きのほうに野次馬が手薄な場所があるから、そこから入られるって」


 まるで内部の手引きで美術館に侵入する盗賊のようだ。私たちは〈侵入口〉に向かうべく、人の壁沿いに走り出した。

 明らかに運動慣れしていないこと丸わかりの不格好なフォーム(私も人のことは言えないが)で走る理真を見て、先生(作家)が走っている。まさに師走しわすだ。などというどうでもいいことを私は思った。


「理真、由宇ちゃん、こっち」


 電話で聞いていた信濃川向きの道路に出ると、グレーのスーツ姿の女性が私たちに声を掛けてきた。理真が電話で話していた丸柴刑事だ。話のとおりまばらになっている野次馬の視線をなるべく受けないようにしながら、私と理真は彼女に連れられて規制線をくぐった。

 現場に導いてくれた丸柴刑事は、私や理真よりも少し年上の二十代後半。電話口での理真のフランクな呼び方から分かるとおり、私たちと丸柴刑事は捜査を離れても付き合いのある親しい間柄だ。特に理真は自身の父親が県警捜査一課刑事であったという関係から、素人探偵として活動するよりも前からの友人同士でもある。


「事件発生からほとんど時間経ってないでしょ。こんなに早くから私が呼ばれるなんて珍しいね」

「そうなの」と丸柴刑事は白い息を吐きながら、「今のところ、事件自体にも主だって特異な点はないんだけどね」


 理真に出馬要請が掛かる場合、それは完全な密室で他殺体が発見されただの、死体に〈見立て〉などの異様な施しがされているだのといった、いわゆる不可能犯罪に分類される事件ケースが多い。理真の携帯電話に掛かってきた一報によると、今度のそれは密室も見立てもない、ごく普通の殺人事件であるように聞こえたが。


「でもね、現場に入った警部が、もしかしたら理真にお願いするような事件に発展するかもしれないから、暇だったら早いうちに現場を見てもらったほうがいいだろうって」


 丸柴刑事の話に出た〈警部〉とは、県警捜査一課の城島じょうしま警部のことだ。発生した事件が理真の力を借りるべき案件かどうかは、ほとんどの場合、城島警部が判断することになっている。


「刑事の勘が働いたのかな」

「かもね」


 理真と丸柴刑事は笑みを交わした。

 警部の指示を受けた丸柴刑事から理真に連絡が行き、幸いなことに暇で(本業の作家的には暇であることは全然幸いではないのだが)、現場も住んでいるアパートからそう遠くなかったことから、こうして探偵とワトソンの二人して現場に駆けつけたというわけだ。

 現場となったバスセンターは、名前のとおり一階がバスターミナルで、二階部分が広いイベントスペースになっている。二階部分は露天のため、二階というか屋上と表現するべきかもしれない。その周囲は多層階の商業ビルが隣接しているため、街の真ん中にぽっかりと空いた憩いの空間といった趣になっている。そのイベントスペースで事件は起きた。現場に向かう階段を上りながら、丸柴刑事は事件の概要を話してくれた。


 昨日から今日の土日にかけて、ここバスセンターでイベントが開催されていた。去る十一月に撤去が完了した、センターに併設されていた新潟市のシンボル的展望塔、レインボータワーのお別れ会イベントで、地元アイドルのミニライブやご当地ヒーローショーなどが催されたり、複数の飲食業者が屋台を出すなどして大いに盛り上がりを見せた。

 イベント開催期間は日曜日の午後八時までで、その終了時刻も迫っていた午後七時五十分頃、客足もまばらになりかけていた会場の一角に悲鳴が響いた。ある飲食店屋台のバックヤードで死体が発見されたのだった。

 その屋台は、新潟市中央区内に近く開店する予定のファストフード店〈トマホークチキン〉のもので、殺されていたのもその店舗の従業員である、営業部長の矢石やいし良三りょうぞうという男性だった。発見者は同店舗の事務員、上坂うえさかひろ。警察への通報は、上坂の悲鳴を聞いて駆けつけた同店舗の社長、とま鷹行たかゆきによって成された。通信記録によると午後七時五十二分のことだった。


「死因は頸動脈を強く圧迫されたことによる窒息死と見られているわ。検視の結果もそうだし、被害者の喉には絞められた手の跡が残っていたからね」

「ということは、扼殺やくさつね」

「そう。でも、手形から犯人を特定するのは難しいわね。犯人は被害者の着ていたコートの襟越しに首を絞めてるのよ。だから指の太さや手の大きさがぼやけてて、特徴が判別できなくなってしまってるの。コートの生地も指紋が残らないタイプのやつだったわ。多分、被害者はコートの襟を立てて着ていたんでしょうね」

「そこを襟ごと鷲掴みにされたと。絞められたのは背後から?」

「ううん。正面よ。それも、手形の向きから考えると、本当の真正面から両手で、しっかりと。さらに、発見されたのは死亡した直後だったみたい。現場検視の段階で死後一時間程度と判断されたの。通報を受けてから検視に入るまで……三十分くらいしか掛かっていないわ」

「ということは……通報時刻が七時五十二分だから、被害者の死亡推定時刻は、その三十分前。七時二十分前後ってことね」

「そういうこと――着いたわ」


 丸柴刑事と理真が話をするうち、私たちは階段を上がりきり、十数メートル歩いたところにある現場まで到着していた。死体発見という緊急事態のため、本来予定されていた後片付けなどは一切行われなかったのだろう。そこはまだ屋台などが建ち並び、イベントが行われていた痕跡はほぼ手付かずのまま残されていた。だから余計に捜査員や鑑識だけが静かに辺りを動き回っている光景は一種異様で、つい数時間前まで、ここで大勢のお客で賑わいを見せるイベントが行われていたとは信じられない思いがした。会場備え付けの照明だけでは薄暗くて捜査に支障をきたすためか、警察が持ち込んだ投光器が、夜中の屋外だというのに現場の隅々までを真昼のように照らしているのも、異様さに拍車を掛ける要因となっていた。


「通報がされたのはイベント終了間際だったし、お客全員を足止めして話を訊くのはさすがに無理だったけど、可能な限り身元を確認したうえで帰したわ。今現場に残ってもらってるのは、被害者と同じ店舗に務めている人たちだけよ。全員、屋台を出した業者さん用の控え室に待機してもらってるわ」


 丸柴刑事が手を向けた先には、小さなプレハブ小屋があった。出入り口には制服警官が歩哨しており、カーテンと窓の隙間からは明りが漏れている。


「これから聴取をするの。探偵とその助手が同席することも皆さんに伝えて、了解も貰ってるわ」


 さすが丸柴刑事。素人探偵との合同捜査歴が長いだけあって手際がよい。

 ノックをしてから丸柴刑事は、ゆっくりとプレハブ小屋のドアを開けた。漏れ出てきた温かい空気が私たちを通り抜ける。控え室ということで、暖房も完備されているようだ。パイプ椅子に座っていた数名――正確には男性三名、女性一名――の顔が一斉にこちらを向いた。室内には他に一名の制服警官が立っており、入室した私たちに敬礼してくれた。

 同じように敬礼を返した丸柴刑事の口から、理真と私のことが紹介されると、事前に告げられていたとはいえ、やはり物珍しさは隠せないのか、四人の興味深げな視線が理真と私に刺さった。

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