お嬢様は魔法が得意

灰色 洋鳥

魔法の国編

プロローグ

 ここ国立魔法学園東京校は十校ある姉妹校の中でも一番歴史が古い。

 魔法学園の設立は魔法物理学の歴史でもあった。


 近代の終わり、近代的産業とそれを支える科学・技術が社会の変革を求めた時代。古い価値観は新しい価値観に敗北し、伝説はお話しのなかに閉じ込められようとしていた時代。科学の学徒にとって『魔法』を語ることは想像以前の話だった。いや、文明的を自認している人々にとって、『魔法』は伝説とともに子供向けのお話のなかのものだと信じられていた。


 数学的に記述された物理の法則は、大宇宙の構造と自然の奥底の微細な世界を語る。実験で実証された事実に矛盾などあってはならず。もしあるならば、それは数式に人間の不明さが入り込んだものであり、さらなる真実への道標になるものだと考えられていた。


 そんなとき、彼ら魔法使いは現れたのである。時代の変化のなかで食い詰めたのかもしれない。いや、ギルドの封鎖的世界のなかで閉塞へいそくに絶望し、自分の魔法ちからの理解を深める道として科学を求め、希望に燃えていたのかもしれない。近代以前ならば、迫害を逃れるための厳格げんかく戒律かいりつにより命の危険があったが、それも時代の流れから効力をなくしていたこともあったのだろう。いずれにせよ『魔法』は確かに物理的世界に干渉していた。


 ヨーロッパから起きた嵐は、世界の科学界を巻き込み、信じるものと大多数の罵倒ばとうするものとの大論争がおきた。何度も何度も精密実験が繰り返された。確かに『魔法』の効果の実在が証明されると科学界は絶望した。自然の、科学の現象に人が物理的手段以外で直接干渉する。物理法則の普遍性ふへんせいが揺らいだのだ。

 十七世紀に始まる近代科学、魔術的なものを排除し合理性と人間の理性を指標としてきた歴史を持つ科学者にとっては世界の崩壊を意味していた。


 次に、社会をマスコミを政府を巻き込んだ混乱が巻き起こったのだ。『魔法』という言葉がひとり歩きし、憶測おくそくを呼ぶ。株は大暴落し、先物取引は乱高下し、キャンブル業界は破綻はたんした。

 古い価値を信奉するものはロビーイングにうつつを抜かし、新しい価値観についていけなかったものはデモをあおった。神の真実を説きテロを起こすものもあった。『魔法』があったからと言って現実の生活はほどんど変わらないという事実を置き去りにして。


 しかし、科学の学徒は敗北を認めたわけではなかった。人間の理性を信じ、人間の才を信じ『魔法』に科学の言葉で果敢かかんに戦いを挑んだのだった。数学界に援軍を頼み、敗戦に敗戦を重ね死屍累々ししるいるいのなか、半世紀以上の時をかけ幾つかの戦果をあげた。些細しさいな手がかりから、勝利とは言い切れないものの、『魔法』を科学の言葉で記述する方法を見つけた。


 真実であるかわからない。なぜそうなるかもわからない。ただ、発見された方程式は、確かに『魔法』の効果を記述し、物理世界を矛盾なく記述することができた。ただ、その複雑さはより深い真実を予感させるものがあった。だがいまの科学はそれを理解するところまで進歩していなかった。でも、いまはそれで十分だった。理論に従った『魔法』による物理現象の改変が観測されると、蓄積されていた実験結果と相俟あいまって、研究は飛躍的に進んだ。いまや、『魔法』は物語のなかの「不思議な力」ではなく、現実な力を持つようになっていた。


 だが、大多数の人間にとって、『魔法』はえんのないものであった。話の向こうの世界の出来事だがマスコミの興味本位の半端はんぱな報道によって、かなりゆがんだ形で理解されていた。

 生活の上で『魔法』に関わる人々は当然そんなことはないが、関わることのない大多数の人々にとって『魔法』は得体の知れないものとして忌避きひの念を持たれていた。ただ、科学によって説明できるということは広く喧伝けんでんされていたので、前時代のように迫害されるようなことはなかった。魔法使いはちょっと特別な人、なんだか怖い人と思われながらも『魔法』は徐々に社会に受け入れられていった。『魔法』があったとしても一部の人以外、大多数の人々の現実は変わらないのだから。


 やがて『魔法』は衆口しゅうこうに上がることもなくなっていく。人々の関心はそれどころではなかった。地球は、人間の活動による影響で、温暖化に向かっており、報道は毎日のように災害を映し出していた。

 災害は食料とエネルギー供給を不安定にし、政情が不安定になった国々からの難民が国境に押しよせた。最初は難民を受け入れていた国々も、さらに不安定になった食料供給に連鎖的に政情不安が広がり世界はより暴力的になっていった。


 各国政府は、疑心暗鬼ぎしんあんきおちいりり暗黙のうちに、国によっては明示的に軍備を拡張していった。軍事に関係する技術開発が奨励しょうれいされた。最初のうちは『魔法』が軍事において利用されることはなかった。軍人は『魔法』のような属人的で不安定な力は信用しない。いざというときに確実に使えるものでなければ信用できないからだ。


 しかるに、高度に発達した軍事技術は、開発には膨大な費用と時間がかかる。そのような費用を用意することのできない小国が軍事に『魔法』を利用するのにそれほど時間はかからなかった。その結果は劇的だった。従軍した魔術師(魔法を行使することを職業にしている人々はこう呼ばれた)の技量次第ではあるが、高価なドローンや高高度衛星カメラ、遠隔操作攻撃システムがあげる効果に等しいものを戦闘の現場で上げたのだ。これは正規軍よりもむしろテロを仕掛ける側にとって有利だった。


 それまでも『魔法』は得体の知れないものではあった。そして、一般市民にとって縁のないものだった。しかし、この事件は世間に対して現実の暴力としての『魔法』を強く印象付けるものだった。


 各国政府は対テロの必要性からも色々な理由をつけ魔法研究に力を入れるようになった。

 理由の如何いかんによらず、魔法研究そのものは国家が後ろ盾になり、予算と人的資源をつぎ込むようになっていく。産業的理由からも、稀有けうな才能を伸ばすことは、『魔法』に限らずだが、国力につながるというのは真実であった。


 この国も例に漏れず、そのような経緯けいいで国立魔法学園が作られることになった。魔法物理研究室が魔法物理研究所となり、『魔法』の理論的研究、収集と記録、分析、応用を行っていた研究の応用として、まず東京に付属学校が作られた。

 『魔法』の才能と適性の検査法がわかったことで稀有な才能を社会に還元すると言う表向きの国策のもと、才能の収集を行っていた部門を母体に魔法学園が創立された。そこには建前と、怖れからの管理という本音もあったのだろう。


 いまでは、魔法物理学研究所は移転して敷地内にはないが、その当時の建物は本館としてそのまま使用しており、歴史に重みを与えていた。

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