その3(4)

 カミルは、家に帰るとすぐにレイナスの部屋に向かった。部屋のドアを開けて中の光景を見たカミルは、息を飲んだ。レイナスが、ベッドの上で体を起こそうとしていたからだ。

「レイ!」

 カミルはレイナスに駆け寄った。レイナスは、ベッドに手をついて起き上がろうとしているようだが、体がふらつくのか、うまく起き上がれない様子だ。カミルは、両手でレイナスの体を支え、体を起こしてやった。

「レイ、大丈夫?」

 カミルがレイナスの顔を覗き込むと、レイナスは、

「カミル、僕が分かるの?」

と言った。

 カミルはうなずいた。

「分かるよ、レイ」

「カミル!」

 レイナスがカミルに抱きついた。カミルもそれに応えるようにレイナスを抱きしめた。

「レイナス様、目が覚めたのですね」

 サラディンも部屋に入ってきた。カミルはサラディンを振り返った。

「ほら、効いたじゃないか」

「まあ、そうだな」

 サラディンはまだ納得がいっていない様子だった。しかし、カミルは、このタイミングなら絶対にあの花の効果だと確信した。

「僕、どれぐらい寝てた?」

 レイナスがカミルに尋ねた。

「六日だよ」

「そんなに?」

「うん。具合はどう?」

「大丈夫。ちょっと体に力が入らないけど」

「そっか。ずっと寝てたから仕方ないよな。でも、目が覚めて本当に良かったよ」

「カミルは? 全部思い出したの?」

「ちょっと曖昧なところもあるけど、大体」

「良かった」

「心配かけてごめん」

 レイナスがカミルを抱く力は確かに弱い。本当に力が入らないのだろう。二人はしばらくそのまま抱きしめ合っていた。

 しばらくして、レイナスが顔を上げてカミルを見た。

 そして。

 レイナスの顔が近づいたかと思うと、レイナスの唇が、カミルの唇に押し当てられた。唇はすぐに離れたから、それはほんの短い時間だった。

 レイナスは微笑みを浮かべたまま、カミルを見つめている。

《え? 今の何?》

 カミルは混乱しつつも、レイナスが何か言うかと思って少し待った。しかし、レイナスはただカミルを見つめるだけで何も言わない。

 あまりに短い時間だったし、幻か自分の勘違いだろうかとも思えた。

 カミルは、はっとして後ろを振り返った。いつの間にかサラディンはいなくなっていて、部屋のドアも閉められている。

 カミルはその場の気まずい空気に耐えられず、立ち上がった。

 そして、

「ご飯作るから、待ってて」

と言って部屋を出てしまった。

 部屋を出たカミルは、居間のテーブルの周りをぐるぐると歩き出した。

《さっきのは何? どう言う事?》

《夢? いや》

 カミルは自分の唇に触れた。さっきの感触がまだ残っている。

《いや、いや、いや》

 カミルは首を振った。

《キス、されたよな?》

 カミルは立ち止まって、レイナスの部屋のドアを見た。

《何であんなこと? いや、何で俺、出てきちゃったんだ? ちゃんと訊けば良かった。もう訊けないじゃないか》

 カミルは再び、テーブルの周りを歩き始めた。何周かして、カミルは再び立ち止まった。そして、サラディンの部屋のドアをノックし、ドアを開けた。

 サラディンは窓際に立っていて、振り返ってカミルを見た。

「どうした? レイナス様との話はもういいのか?」

「いつの間にいなくなってたんだよ?」

「二人の方がいいと思ってな」

「そんな気、使うなよ」

「それで、私に何か用か?」

「え? あ、えっと」

 カミルは、部屋に入ってきたものの、一体何を話せばいいのかと思った。頭が混乱して、とにかく誰かに相談したいと思ったが、いざとなるとどう話していいのか全く分からない。

「あの、俺これから食事の用意するから、レイのこと見ててくれないか? ほら、レイ何も食べてないだろ? 早く食べさせないとって思って。いつものジャガイモのスープだけどさ」

 意に反して、なぜか関係ないことを話してしまった。

「分かった」

 サラディンはうなずいた。

 カミルは炊事場に行き、ジャガイモを剥き始めた。そして、剥きながら考えた。

《もしかして、レイ、寝ぼけてたのかな?》

 六日も眠っていたのだから、それは大いに有り得る。

《もしくは魔術の影響? それもあるかも》

 カミルはうなずいた。

《そうだよ。今のレイは普通の状態じゃないんだ。だからきっとあんなことしたんだ》

 カミルは、一応の結論に達し、少し安心した。

《きっと、色々混乱してたんだな。それにしても……》

《人の唇って、あんな柔らかいんだな》

 カミルは、自分の顔は見えないが、頬が赤くなるのを感じた。

《うわー。俺は何考えてるんだ》

 カミルは首を振り、料理に集中することにした。

 スープができると、カミルは木の器によそい、レイナスの部屋に運んだ。部屋に入ると、レイナスはベッドの上でヘッドボードに背中を預けて座り、サラディンは、ベッド脇の椅子に座っていた。

 カミルの姿を見て、サラディンが立ちあがった。部屋を出ようとするサラディンにカミルは、「サラディンも食べてて」と声を掛けた。サラディンはうなずいて部屋を出て行った。

 カミルは、先ほどまでサラディンが座っていた椅子に座った。

「まだちょっと熱いかも」

 カミルは、スープをスプーンですくうと、自分の息を吹きかけて冷ました。そして、スプーンをレイナスに差し出そうとしたが、距離が少し遠い。カミルは、レイナスのいるベッドの上に座り直すと、スプーンをレイナスの口に近づけた。レイナスは口を開けてスープを飲んだ。

「どう? 食べられそう?」

「うん。おいしい」

「そっか。良かった」

 カミルは、再びスプーンでスープをすくうと、ふうふうと言って冷ます。カミルはそれをレイナスの口に運んだ。

「カミルの味がする」

 ふいにレイナスがそんな事を言った。

「え?」

「スープ、カミルが作った味がする」

「いや、こんなの誰が作っても同じ味だろ?大体、俺もレイもノーマン神父様から教わったんだから、レイが作ったって同じ味だよ」

「ううん。違うよ。ちゃんとカミルが作った味がするよ」

「ええ? そうか?」

「食べてみなよ」

 カミルは、スープを一口飲んでみた。いつもと変わらない味だ。

「いや、分かんないけど」

 レイナスがフフと笑った。

「分からないならいいよ。カミル、もっと食べたい」

「ああ、分かったよ」

 カミルは再び、スプーンをレイナスの口に運んだ。

 レイナスは、スープを完食した。

 カミルは、元の椅子に戻ろうとした。すると、レイナスがカミルの手を掴んで、

「このままでいいよ」

と言った。

 カミルは、先刻のキスのこともあってか、心臓が大きく一つ脈を打ったのを感じた。

《何動揺してるんだ、俺》

 カミルはなるべく平静を装って「うん」と答え、手に持っていた器を椅子の上に置き、自分はベッドの上に留まった。

「カミルとまた、こういう風に話せるなんて、夢みたいだ」

 レイナスがしみじみと言った。

「俺、サラディンのしもべになってたんだろ?」

「うん。自分の事も僕の事も分からなくなってた。その時の記憶は全くないの?」

「全くないよ」

「もう、サラディンの言うこときかなきゃとか思わない?」

「全く思わないよ」

「そっか。本当に成功したんだ」

 レイナスは、本当にうれしそうだった。

「レイは、俺を戻すために危ない術を使ったって聞いたけど、平気だった?」

「かなり苦しかったよ。だけど、なんとか耐えた。絶対に、カミルを元に戻したかったから」

「ありがとう……。本当に、無事でよかった」

「うん。本当に。不老不死のくせに、死ぬかもしれないって思ったもん。カミルは、この六日間大丈夫だった?」

「そうだね。気付いたら知らない場所にいて、俺は一度死んだっていうし、レイは寝たままだし、俺もレイも不老不死になってるっていうし、とにかく色々びっくりしたよ。サラディンが側にいたのもびっくりした。今まで、怖いやつなのかと思ってたから。けど、サラディンはいいやつだよな。レイもそう思うだろ?」

「うん。僕もそう思うよ」

「レイも全部聞いてる? ノーマン神父様を殺めた理由とか」

「うん」

「正直、今でもやったことは許せることとは思わないけど、事情を聞いて、そうしてしまった気持ちも分かる気がして。サラディンは、レイが倒れた時もすごく心配してたんだ。俺のこともいつも助けてくれるし、助言してくれて……。あ、そういえば」

「何?」

「サラディンは詳しくは言わなかったけど、レイが俺をナレ村に帰すために無茶しようとしてるって言ってたんだ」

「そんなことを……」

「それ、本当?」

「うん」

「俺、帰れるならナレ村にもちろん帰りたいけど、今の状況はちゃんと受け入れてるし、無理してまで帰りたいとは思ってないから。だから、もう、何かしようとしてくれてたなら、やめて欲しいんだ」

「そっか……。本当にそれでいいの?」

「うん。俺さ、外の洞窟に祭壇を造ったんだ」

「祭壇?」

「うん。気分だけでもって思って。そこで毎日お祈りしてさ、ナレ村のこと思い出そうかなって。今はそれだけで十分だと思ってるから」

「そうか」

「後でレイも見に来いよ。我ながら、結構よくできたと思うんだ」

「そうなんだ。それは楽しみだね」

 レイナスが笑った。

「そういえば……」

 カミルはふと、思い出し笑いをした。

「どうしたの?」

「祭壇を造った時、俺うっかり聖書に触っちゃって」

「そうなんだ。痛かったでしょ?」

「うん。そしたらサラディンが、教会も十字架も聖書も聖水もロザリオも全部ダメだって。俺が間違って触らないように細かく言ってくれたんだ」

「へえ……」

「多分さ、全部言っておかないと、俺がまたうっかりダメな物に触ると思ったんだよな」

「カミル」

「何?」

「本当にもう、カミルはサラディンのしもべじゃないんだよね?」

「え? うん。違うよ」

「なら、いいけど」

 レイナスの顔から笑顔が消えている。カミルは、レイナスはなぜそんなことを訊くのだろうと思ったが、よく考えたら、レイナスが倒れる前まで自分はサラディンの言いなりになっていたのだから、本当に元に戻ったのか心配になるのは無理もないと思った。

「俺はもう大丈夫だよ。ちゃんとレイのことも分かるし、自分の意志もちゃんと戻ってるから」

「そうだよね……」

「あとは、レイがちゃんと元気になったら完璧だな」

「うん。そうだね」

 レイナスがほほ笑んでうなずいたので、カミルはほっと胸を撫でおろした。

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