その3(2)
次の日もカミルはレイナスの傍に付き添い、時々話しかけたり、体をゆすってみたりした。しかし、レイナスが目を覚ます兆しは全くない。そのうちにカミルは疲れて、椅子に座ったまま、ベッドに頭を乗せてうとうとし始めた。しかし、突然背後に人の気配を感じ、慌てて顔を上げて振り返った。サラディンかと思ったが、そこに立っていたのはゼントだった。
「え!」
カミルは思わず立ち上がって後ずさった。襲われた時の記憶が鮮明に蘇ってくる。こういう記憶こそ消えてしまえば良かったのにとカミルは思った。
「大丈夫だ。もう何もしない」
ゼントはカミルに笑いかけた。
「何しに来たんだ?」
カミルは警戒しつつ尋ねた。
「カミルが元に戻って、レイナスが倒れたって聞いたから、これはチャンスだと思って」
「…………」
カミルはさらに後ずさった。すると、ゼントが面白そうに笑った。
「冗談だ」
冗談にならない冗談だとカミルは思った。
ゼントはレイナスの顔を覗き込んだ。
「ほんとに眠ってるんだな。寝てるとかわいいのに」
「レイには何もするなよ」
カミルは、レイナスを守るように腕を伸ばした。
「大丈夫。レイナスは全然好みじゃないから」
ゼントの軽すぎる言葉に、カミルは呆れてため息をついた。
「……本当に、何しに来たんだよ」
「どんな状態か、気になって見に来た。サラディンが何か方法はないかって俺に訊いてきたから」
色々意外だった。まず、サラディンが人に相談をすることもあるのだということ。そして、その相手がゼントだということ。さらに、サラディンが、人に相談するぐらい、レイナスを心配しているということだ。
「サラディンは、どうしてレイに味方するんだろう?」
カミルはゼントに尋ねた。ゼントは、ちょっと考える素振りを見せたが、「絶対に誰にも言うなよ」という前置きをしてから語りだした。
「十六年前、レイナスの母親のエリスは、レイナスの育児を放棄したんだ。レイナスがどんなに泣いても放置して、何もしてやらなかった。驚いたことに、ディーク様もレイナスについては見て見ぬふりだった。サラディンは……、あいつ自身が子供の頃結構苦労していて、多分レイナスの事を放っておけなかったんだろう。見るに見かねて、レイナスの面倒を見始めたんだ。エリスがレイナスを連れて姿を消すまでの数か月の間だったけど、その間にすっかり情が移ったんだと思う。エリスが姿を消した時、あの女はレイナスを殺したと、俺もサラディンも思った。だから、サラディンは怒り狂って、エリスを探したんだ。サラディンは、ディーク様ではなく、レイナスの仇を取るためにエリスを探していた。だから、レイナスが生きていて、サラディンは心底うれしかったと思う。あいつにとってレイナスは、今でも『赤ん坊』の時のままなんだ」
カミルは驚いた。今までサラディンは、ノーマン神父の仇で、強い魔力を持つ恐ろしい敵だと思っていた。しかし、今の話が本当なら、その考えは違っていたのかもしれない。では、どうしてサラディンはノーマン神父をあんな風に殺したのだろう?
「サラディンがノーマン神父様を殺した理由も知ってる?」
「ああ。それは、兄弟子のカサハの仇だったからだ。カサハはいいやつだったんだ。いいやつ過ぎて、魔物を作り出してしまった責任を感じて、魔物になった人を助けていた。それで、ノーマンと対立することになって、負けてノーマンに殺されたんだ。だから、サラディンは、カサハの仇のノーマンを殺した」
「そうだったんだ」
カミルは胸が痛んだ。魔物になってしまった人は元々普通の人間だ。それを助けようと思うカサハという人の気持ちは分かる。そして、魔物に襲われる人を助けようとするノーマン神父の気持ちも分かる。そんな二人が殺し合ってしまったのは、悲しいことだ。
カミルが沈痛な面持ちでいると、ゼントがカミルをじっと見つめてきた。
「カミルは、本当にかわいいな」
「え?」
気が付くと、ゼントはカミルからかなり近い距離にいた。
「なあ、キスぐらいいいだろ?」
ゼントがカミルに迫り、顔を寄せてきた。
「さっき、『何もしない』って言っただろ!」
カミルが声を荒げると、ふいに何か見えない力がゼントを押しのけた。
カミルは驚いた。これは自分がやったのだろうか? とまどうカミルを見て、ゼントが笑った。
「カミルには不老不死の秘術が掛かってるから、神通力が備わってるんだよ」
「そう、なんだ」
カミルは自分の両手を見つめた。
「カミルはいちいちかわいいな」
「うるさい!」
なんていう軽い男なんだと、カミルはゼントに対し、苛立ちを隠せなかった。
「カミル、もし気が変わって、俺としてもいかなって思ったらいつでも言ってくれよ」
「言うわけないだろ!」
カミルが言った時、部屋のドアが開いた。そこにサラディンが立っていた。
「ゼント! おまえ、なぜここに?」
「あ、面倒くさいのが来た。それじゃ、俺帰るわ」
ゼントはそう言うと、忽然と姿を消した。
サラディンはため息をついて、部屋に入ってきた。
「あいつは何をしに来たんだ?」
「レイの様子を見に来たって」
「『カミルの』じゃないのか?」
「それは、冗談だって」
「ゼントの冗談は、大体が冗談ではない」
「やっぱりそう? 俺もそう思ったんだけど」
「前にああいうことがあったのだから、おまえも少しは警戒したらどうだ」
「確かに、そうだね」
何となくサラディンの人となりが分かってきた今、サラディンの言葉にはすべて愛があるように感じた。感情をあまり顔に出さないから誤解されやすいけど、人一倍他人の感情に敏感で、その分人を思いやれる人なのではないかと思えて来た。
「でも、サラディンがゼントにレイの事を相談してるのはちょっと意外だった」
「ゼントはあれでも四大術師の一人だ。人格に問題はあるが、魔術師としての実力はある」
「そうなんだ。人は見かけによらないね」
「おまえは以前、ゼントの魔術で危ない目に遭ったのだから、身をもって分かるだろう?」
「その事は、あまり言うなよ……」
カミルが落ち込んだように言うと、サラディンが一瞬、本当にほんの一瞬、笑ったような気がした。すぐに真顔に戻ってしまったから、見間違いかと思うほどだったが、カミルは不思議とうれしくなった。
「でも、弟子同士だから、ゼントと仲はいいんだろ?」
カミルが言うと、サラディンは首を振った。
「仲は全く良くない。むしろ性が合わないぐらいだ」
「どういうところが合わない?」
「ゼントは、言うことすべてが軽くて、いい加減で、下品で、女癖も男癖も悪くて、嘘も平気でつくし、生活も不規則でだらしがなくて、責任感もない」
「いや、悪口言い過ぎだろ……」
カミルは苦笑いするしかなかった。「じゃあ、良いところは?」と尋ねてみた。
「小賢しい知略に長けているところか……」
「なんか、それも褒めてはいないような……」
「私たちは、同じ弟子同士でもお前たちとは違う」
「そっか。俺とレイナスは昔から仲良いからな」
「カミルは、レイナス様のことをどう思っている?」
「俺より年下なのにしっかりしてて頭も良いし、誰にでも親切で、甘えん坊に見えて実は芯が強いし、すごいなっていつも思ってるよ」
「そうか……。では、悪いところは?」
「うーん、何だろう。ちょっと潔癖症で、あと、意外と頑固なところかな」
「前にも訊いたかもしれないが、レイナス様を怖いと思ったことはないか?」
「それは……」
以前、サラディンに同じ質問をされた時はおそらく「ない」と答えた。だけど、本当は、魔物を躊躇なく殺したり、ゼントを容赦なく攻撃したりする姿を少し怖いと感じていた。今なら、正直に言っても良いような気がした。
「本当は、怖いと思ったこと、少しあるよ」
「どんな時にだ?」
「魔物を殺す時やゼントを攻撃した時」
「そうか。それでも、カミルがレイナス様と一緒にいようと思うのはなぜだ?」
「それは、レイが大事な友だちだからだよ」
「カミルにとって、レイナス様は友だちか?」
「友だちだよ。ああ、でも、もっと何ていうか、大事な家族っていうか、友だちよりも、もっと近い感じかもね」
「そうか……」
サラディンは、考え込むような様子でしばらく沈黙した。
「俺が言ったこと、変だった?」
「いや、変ではない」
「なんか、気になるじゃないか。思ってることがあるなら言ってくれよ」
「気にするな。それより一つ、おまえに伝えておきたい重要な事がある」
「何?」
何となくはぐらかされたような気もするが、その重要な話の内容も気になり、カミルはサラディンの言葉に耳を傾けた。
「おまえは、不老不死の秘術を使ったことによって、闇に属する者となった。だから、聖なる力に守られているナレ村には、入ることはおろか、近づくこともできない」
「え!」
カミルは言葉を失った。自分は二度とナレ村に帰れないということか。にわかには信じられない話だが、もしそれが本当なら、この上なく悲しい。
「おまえがそんな風に悲しむと思ったんだろう。レイナス様は、おまえをなんとかナレ村に帰そうとしていた。そのために、かなり無茶なことをしようとしていた……」
「レイが? 一体何を?」
「説明は省くが、あまり良くないことだ。カミルは、レイナス様に無茶をさせてでも、ナレ村に帰りたいと思うか?」
カミルは首を振った。
「それは、絶対に思わないよ」
「だったら、レイナス様が目を覚ましたら、それをきちんと伝えた方がいい」
「分かった。そうする」
故郷に帰れないのは悲しいことだが、それはレイナスに無理をさせてまで叶えるべきことではない。
「それからもう一つ。おまえには不老不死の秘術を掛けたから、神通力が備わっている」
「あ、それ、さっきゼントが言ってた」
「空を飛んだり、瞬間移動したりするぐらいはできるはずだ」
「俺、そんなことができるようになってるの?」
「試しにあそこに移動してみろ」
サラディンが、窓の外を指さした。
「どうやればいい?」
「あの場所に行きたいと念じるだけでいい。なるべく強く念じろ」
カミルは、言われた通り、サラディンの指さした先に移動したいと強く念じた。すると、目の前の景色が歪み、気が付くと家の外に出ていた。目の前に、先ほどまで自分がいた部屋の窓が見える。
「すごい……」
カミルが感動していると、サラディンが隣に突然現れた。
「わ!」
思わず、カミルは驚いて飛びのいたが、サラディンは平然としていた。
「簡単だろう?」
「う、うん。簡単だった」
「知っている場所なら、どこにでも行くことができる。ただ、ナレ村には間違っても行くな。行ったら全身を火傷したような痛みに襲われることになる」
「そうなんだ……」
「魔術も、簡単なものだったら使えるだろう。後で魔術書を見て試してみるといい」
「別に、それはいいや。使ってみたいとも思わないし」
「そうか? 掃除も楽になるし、おまえの得意なジャガイモのスープも簡単に作れるようになるかもしれないぞ」
「え? 俺、そんなの作ってた?」
「ほぼ毎日作っていた」
「そうなんだ」
「レイナス様はあれが好きみたいだな」
「教会にいた時、毎日交代で作ってたんだ」
「そうか。だから作り方が身についていたのか」
「今度、作り方教えてやろうか?」
「何を言っている」
サラディンがジャガイモを剥いている姿を想像し、カミルは思わず笑ってしまった。そんなカミルを、サラディンは怪訝そうに見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます