07

 反射的に閉めようとしたドアは、その動作より速く挟まれた足に遮られた。肩で私を押し除け、無言のまま勝手に上がり込んだ俊輔は、ソファに仕事鞄とスーツのジャケットを放り出し、どっかりと腰を下ろし長い足を組んだ。


「やっと自分から連絡してきたと思ったら、キャンセルってなんだよ? せっかく人が週末時間作ってやったのに」

「誰も頼んでないし。急ぎの仕事入っちゃったんだから、仕方ないでしょう?」

「飯は? 食ったのか?」

「へ? まだだけど……それがなに?」

「飯作ってやる。おまえは仕事してろ」


 俊輔はそう言うとすくっと立ち上がり、目の前を素通りしてキッチンへ行き、冷蔵庫の中を物色しだした。


 こいつはいったいここへ何をしに来たのだろうと、頭の中は疑問でいっぱいだが、俊輔の思いつくことなんてどうせろくなことではないだろう、考えるだけ時間の無駄と、雑念を振り払い仕事に集中することにした。


::


 食欲を唆る出汁の香りに誘われて食卓代りにしているローテーブルの方に顔を向けると、両肘をついて座っている俊輔がこちらに向かって微笑んでいた。


「冷めないうちに食っちゃえよ」


 ローテーブルの上には、美味しそうに湯気を立てているうどんの丼がひとつ。どこから引っ張り出してきたのか、ランチョンマットに箸置きまで使い、綺麗にセッティングされている。感心しながら床に放り出してあるクッションをひとつお尻の下に敷いて座り込んだ。


「あんたのは?」

「俺はいい。食ってきた」


 促されるままに出汁をひと口啜ると、芳醇な香りが口いっぱいに広がり鼻腔を駆け抜けていく。麺の茹で具合もバッチリ。不思議だ。どこが違うのかわからないが、自分で作るより美味しい。


「美味いだろ?」

「うん。あんたが料理できるなんてびっくり」

「冷凍うどんだぞ、誰が作っても一緒」

「まあそうだけど……」


 出汁を飲みうどんを啜っているだけで、悔しいけれどほっこりとして疲れが癒される。でも、誰が面と向かって賛辞を口に出したりするものか。そんなことをしたら図に乗るだけなのだからと、笑顔になりそうな自分を抑え、素知らぬ顔をしてうどんを啜った。


 そんな私の態度を見て、俊輔は不満そうにぷっと頬を膨らませている。


「ここん家の冷蔵庫、ドリンク剤と水と酒と冷凍うどん以外、なんにも入ってねえのな。いつも飯、どうしてんだよ? ちゃんと食ってるのか?」

「食べてるよー。普段はコンビニとかスーパーの惣菜とかインスタントとか色々かな。うどんは緊急用」

「ろくなもん食ってねえな。早死にするぞ」

「大丈夫よ。外で食べるときは栄養のバランスとかちゃんと考えてるし、忙しくないときはちゃんと家に帰ってお母さんの作るご飯食べてるもん」

「ほとんど毎日、ここに籠もりきりのくせによく言うよ」

「そんなことないよ」

「それに……なんだよ。その格好は。いくら外へ出ないからって、気ぃ抜き過ぎじゃねえの?」

「……ほっといて」


 上から下まで嫌らしい笑いを浮かべた目でジロジロと眺められ、私は咄嗟に箸を放り出し、腕を抱いた。


 スッピンで髪はボサボサのまま邪魔な前髪だけピンで止め、着ている服は何年着ているかわからないよれよれのTシャツにジャージパンツ。裸足にスリッパを引っ掛けただけのこのスタイルは、完全に女を捨てていると言われたとしても仕方がない。


「この部屋だって見てみろよ? 荒れ放題じゃね?」

「煩いわね。忙しいときは仕方ないのよ。時間があるときはちゃんと片付けてるんだから放っといて。だいたい勝手に入ってきたのはあんたでしょう? 気に入らないなら帰ればいいじゃない」


 帰れと言われたのが不愉快だったのか、私を無視ししれっと立ち上がった俊輔は、部屋を見回している。


「ちょっと! やだ! 勝手にうろつかないでよ!」


 制止なんてどこ吹く風。俊輔は仕事場にしているリビングから出て行った。


 本当なら追いかけて一戦交えたいところだが、月曜朝イチ期限の仕事を目の前にした今は、一分一秒でも惜しい。こちらが構い建しなければそのうちに帰るだろうと高を括り、うどんを慌ただしく胃袋に流し込んで仕事を再開した。


::


 深夜のひとり仕事は、邪魔されるものもなく集中できて非常に捗る。元々は、夜型人間ではなかったが、この仕事を始めてから、すっかりこのスタイルが定着してしまった。


 ふと手を止めて窓の外を眺めると、空が少しだけ白み出している。もうじき朝か、どうりで肩が凝り腰も痛いはずだと、首を左右に傾け、肩を揉み、立ち上がって伸びをした。


 どうしたことか、いつの間にか俊輔の姿も無い。こんな時間だ。もうとっくに帰ったにきまっていると、何気なくソファに目を向けると、そこには奴の鞄とジャケットが放置されたまま。


 不思議に思い、リビングを出た。廊下の明かりは消えていて静まり返っている。バスルームやトイレにいる気配も無い。そのまま暗い廊下を進み、突き当たりの寝室のドアをそっと開け中を覗くと、テーブルランプの薄明かりの中、ベッドに俯せている人影が見える。


「ったく。勝手に人のベッドで寝ないでよ……」


 音を立てないよう足を忍ばせて近寄り、ベッドの脇へ座った。相当疲れているのだろう。ぐっすりと寝込んでいるようで、目を覚ます気配はまったく無い。


 こいつの仕事も大概忙しいはず。毎日残業休日出勤続けて、週末の時間を空けようときっと頑張っていたに違いない。それなのに、せっかく作った時間はふいになり、残業帰りにわざわざ訪ねて来て人の食事の世話までしている。


 このふわふわと乱れた髪に触りたい。


 私は一瞬頭に過った考えを頭の中から追い払い、自嘲気味に首をゆっくり左右に振って、立ち上がった。


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