第18話 レクドラムの戦い 3

 ダナがレフの方に視線を移して、


「で、帝国軍はいつ攻めてくるんだい?」

「今晩だな」


 即答だった。


「今晩?!」


 ダナと、シエンヌ、アニエスの声が揃った。


「帝国軍には、王国軍が疲れをとったり、頑丈な陣を敷いたりする時間を与える義理はないからな。着いたばかりでいろいろと準備不足の間に来るに決まっている。帝国軍の準備は充分だろうから」


 ダナが頷いた。


「確かに、言われてみればその通りだね。本当にせわしない」

「どう逃げるか、どのタイミングで逃げるかよく考えておくんだな」


 ダナが口を引き結んで二~三度軽く首を振りながら、


「そうするよ、逃げ出すのが早すぎると後々面倒が持ち上がりそうだし、遅すぎると帝国軍に追いつかれっちまう。今晩襲撃があるという前提で準備しておくよ。まったく、戦があるなら奴隷を仕入れる機会もあるんじゃないかと思ってエガリオ様の命令に従ったけれど、とんだ貧乏くじになりそうだね」


 ダナが知っているこれまでの戦――王国内で起こった貴族同士の諍い――は奴隷のいい供給源だった。捕虜になって身代金を払えない兵士は奴隷に売られる、戦で家を焼かれたり、田畑を荒らされたりして生活が成り立たなくなった平民も、場合によっては戦によって没落した貴族も身売りして奴隷になることがあった。機会があればそうした奴隷を仕入れてやろうという目論みもダナは持っていたのだ。


「どうも外国相手の戦ってのは勝手が違うね」


 ダナは軽くレフに挨拶して離れていった。ダナが充分に離れたことを確認して、


「シエンヌ」


 レフがシエンヌに呼びかけた。


「なんでしょうか?」

「アドル領からの兵達は確認できたか?」


 シエンヌが息をのんだ。


「えっ?いっ、いえ、分かりませんでした。8万の兵がいる中では見分けられませんでした」


 レフが不審そうな顔になった。


「見つけられなかった?」

「はい、人数が多すぎて……」


 嘘だった。エンセンテの領軍の中に10人前後だがアドル領からの兵を見つけていた。知っている気配がそれだけかたまっていれば、鋭敏になったシエンヌの探知に引っかかる。エンセンテ領軍の端の方にいるだろうという見当もあった。思わず否定したのは、今更知っている人たちの所へ顔を出せる訳がないからだった。王宮親衛隊の訓練中に死んだという連絡が行っているはずだった。生きて奴隷になっているなど言えるはずもなかった。


「そうか……」


 レフはそれ以上追求せずにその話を終わらせた。


―――――――――――――――――――――――――――


 日付が変わって半刻ほど過ぎた頃、東から王国軍の司令部に忍び寄る影があった。篝火が盛大に焚かれ、不寝番の兵が何重にも警護していたが、篝火で照らされた所とその明かりの届かない所の差は大きく、篝火の明かりに慣れた警備兵の眼は巧みに暗がりを拾っていく影を見つけることが出来なかった。


 帝国軍の門護ゲートキーパーだった。


 1ヶ月の間、帝国軍はレクドラムの南側の平地で演習を繰り返した。王国軍の布陣と司令部の位置をいくつも想定して、それに対する襲撃法を練り上げた。そして今、帝国軍が想定していた陣立ての一つがそのまま王国軍の布陣になっていた。勿論小部隊の配置など細かい違いはいくつもあるが。

 門護の足が止まったのは司令部から100ファルほど離れたちょっとした草原くさはらだった。小さな藪越しのすぐむこうに、そこまでの経路より遙かに密度濃く配備された篝火と護衛兵に囲まれた陣幕が見えた。陣幕越しに、中に建てられた天幕の天辺が見えていた。

 門護は懐から魔器を取り出した。迎門の魔器だった。魔力を通して起動させた魔器を地面に置く。魔器の上に迎門が現れた。すぐに迎門を通って帝国兵が出てきた。最初に出てきたのはカンジェッロ上級百人長だった。その後から次々に兵が出てくる。訓練されたとおり、無言のまま隊列を作った。最後に出てきたのは闇の烏大隊の大隊長、アエドス・ゲミリアヌス上級千人長だった。出てきてすぐ、側に控えている魔法士に、


「揃ったな。本隊に通心をつなげ、タイミングを合わせて攻めかかるぞ!」


 繰り返し、繰り返し演習したとおりだった。ここまでその手順は計画通りに進んでいた。闇の烏大隊はこの前の砦の攻防戦で100人弱を失っていた。900人余の規模では主攻と合わせなければ奇襲の利が失われた後ではじり貧になる。タイミングについて最も神経質に訓練した所以だった。半分の兵力で王国軍を蹂躙しようという作戦だった。隊列を揃えた兵達の多くがゴクリと生唾を飲み込んだ。



――――――――――――――――――――――――――――――



 レフはふと目を覚ました。レフの感覚に引っかかってくるものがあった。レフの左側にくっつくように寝ていたアニエスも目を覚ました。レフの気配の変化を感じたからだ。


「始まった」

 

 これだけで意味が通じた。


「魔器の作動を感じた」


 しかも転移の魔器だった。そして間違いなく母の作った魔器だった。予想通りと言って良かった。


「シエンヌを起こせ、ダナに報せろ」


 アニエスは素早く身を起こすとシエンヌとダナを起こしに行った。起きてすぐ動けるように服は着たまま、靴は履いたままだった。

士官は天幕で寝るが、一般の兵士や輸送隊の隊員は頭の上にいくらか防水性のある布を渡しただけの地面に薄い毛布にくるまって寝る。回りで寝ている輸送隊のザラバティー直属の兵達が、誰かが動き出した気配を感じて身を起こし始めた。彼らもすぐ動ける格好をしていた。

 すぐにシエンヌとダナがレフの側に来た。二人ともややうつむきがちに視線を固定して遠くの気配を探っている。


「司令部の方だね、乱戦になっているじゃないか」

「レアード殿下の護衛として付いてきた親衛隊が闘っていますが圧倒的に押されています」

「でも周りから王国軍が集まってきてるわね、すぐに押し返しそうよ」


 そうダナが言ったとき、二人同時に息をのみ、視線をレクドラムの街と対峙している王国軍の前線の方に向けた。気配察知の能力を持たない者にも喚声が聞こえてきた。


「……来たか」


 レフが呟いた。

 

 後方の司令部が急襲され、王国軍の意識がそちらへ向き、救援に駆けつけようとしたまさにその時、密かに王国軍の前線近くまで忍び寄っていた帝国軍が攻撃を開始した。相手に知られないように陣を出、起伏を巧みに利用して、王国軍から見えにくいように近づくための経路を作っていた。そこを明かりもつけず移動して敵陣の前に布陣する。帝国軍が最も力を入れた演習の一つだった。


 総攻撃だった。


 王国軍も警戒はしていた。ほとんどの兵は武装を解かずに寝んでいたし、不寝番も常より多く置いていた。しかし、やはり準備不足だった。


 帝国軍は先ず、中央に厚く布陣している第一軍に襲いかかった。司令部近辺での戦いに意識が行っていた第一軍は言わば背後から襲いかかられた格好になった。先頭に特殊な強化部隊を配置した帝国軍はバターをバターナイフで切り裂くように王国軍の中央を分断していった。


 一気に攻勢に出た帝国軍の気配を窺っていたシエンヌが驚愕の表情を浮かべた。


「これは!」

「気がついたか?」


 レフの問いに


「帝国軍の先頭の百人?くらいの兵は魔纏をしています!」

「そうだ、それに魔纏を魔器で強化しているようだ」


 ダナとアニエス、それに周りにいた輸送兵が――そのほとんどがエガリオの手下達だったが――真剣な表情で、低い声で交わされるレフとシエンヌのやりとりを聞いていた。


「これが帝国の2つめの手品の種だな」


 喚声と悲鳴、武器がぶつかり合う音がますます近くなってきた。








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