約束をしていたのだった
放課後のことだった。
変わらず、霜月先生が生徒たちの帰宅状況を記述している。誰一人として漏れがないように、皆がみんな、無事に帰宅できるように。
「久之木くん」
名を呼ばれる。
見ると、尾瀬だった。尾瀬静香。屋上でサンドイッチを食べながら親友を想い泣いていたクラスメイトは、疲れたような表情で、顔に影を落としている。後頭部に結い上げている髪も、この頃の彼女の心を映し出すかのようにしょんぼりとしている。
「明日はお休みだから……明日ぐらいに、お墓参りをね。その、いっしょに……」
「そうだね、行こうか」
二つ返事で了承する。
屋上で彼女が言っていた、園田桜子の墓参り。
きっと、俺は行くべきなのだ。なんとなくだが、そう思う。
「ほんとっ!?」
ぱああ、と尾瀬の表情が明るくなる。
「じゃ、じゃあ明日のね、朝ぐらいでいい?」
「うん。いつでも大丈夫」
「そなの。なら朝、ちょっとお花も買いたいし、早めの時間にするね。また今日の夜ぐらいに、電話するからっ」
尾瀬さんは「お母さんが迎えに来てるから」と帰って行った。「い、いっしょにおくろっか?」という善意の申し出には、感謝しつつも首を横に振った。ありがたいが、遠慮しておこうと思った。「そっかぁ」と尾瀬は残念そうな表情を浮かべると、「それじゃあね」と俺と、俺の前でずっと椅子に座っている夕陽にさよならの挨拶を交わした。
尾瀬の厚意に背いたことは心に痛むが、仕方なかった。
目の前の席で、無言で座って読書をしている夕陽から、なんだか圧が発せられているように感じたためだとか、教室の入り口から見える廊下の窓の桟に体重を預け、「ふーん」と言うような表情で俺を見ている陽香のことを気にかけたわけじゃない。決してない。
「あわっ!? ひ、陽香ちゃん」
尾瀬もまた、廊下の窓に背を預けてふんぞり返っている陽香を発見したようだ。無言で廊下にいられたら、まあそりゃビビる。教室内は夕暮れの光が差し込んでいるが、廊下の方は薄暗くてちょうど陰になっているのでなおさらである。
「びっくりしたぁ……どうしたの陽香ちゃん、そんな廊下の、暗いのに」
「教室に結界が張られていて入れないのよ」
「え、え~? 陽香ちゃん吸血鬼かなにかだったっけ」
「シズカがひとこと、入ってもいいよと言ってくれれば入れるようになる」
「そうなんだ。それならどんどん入っちゃっていいよ」
「さんくす。さすがはシズカ、優しいわね。ナイスおっぱいガール」
「む、胸のことはやめてよう。気にしてるんだから」
「あら、そうなの。ごめんね」
「もう。それじゃあね、陽香ちゃん」
「ええ、また」
そして尾瀬は帰宅し、教室内にはいつもの如くに俺と夕陽の二人だけ。プラス、廊下に陽香の三人が残ることとなった。
「久之木、一乃下、それに未知戸……もう、定番の面子だな」
はははっ、と笑い笑い、霜月先生がパタンと名簿を閉じ、立ち上がって、「霜月タクシーが送って差し上げようか」と言った。
「料金はタダなんですか」
廊下から、陽香が尋ねる。
「タダだ。存分に利用しなさい。お前たちの命を危険にさらさない為なら、当然の料金設定だと自負している」
「でもタダより高いものはないって言いますよ」
「ハハハッ。安心しなさい、未知戸。それに久之木と一乃下もな。見返りなんて求めていないし、不要だ。もらっても戸惑うだけだろうしね、僕は」
そしてよれた白衣を翻し、「職員室に用があるから、ちょっと待っててくれな」と霜月先生は一旦いなくなった。
「尾瀬さんと、お墓参りに行くの?」
先生がいなくなった途端、夕陽が振り向き、そう言った。
「ああ。行くよ」
「へえ。そう。頑張って」
淡々と無関心に言うと、夕陽はまた読書に戻った。
暮れの日差しを受ける彼女の背中が行儀よく背筋を伸ばしている。姿勢がいいなあ、とかそんなことを思った。
「シズカ、嬉しそうな表情をしていたわ」
廊下の暗がりから、陽香が言う。顔に影が落ちているため表情がよく見えない。
「廊下、暗くないか」
「へーきよ。ご心配ありがとう、ヘンリー」
今の俺にヘンリー要素はなかったはず。
「視線、シズカの胸元に言ってたわよ。コンマ4秒ぐらい」
「……そうか」
「もう開き直ってまじまじと見てもいいんじゃないの? シズカも喜ぶと思うんだけど」
「それは少し……恥ずかしいな」
すると、暗がりの陽香の顔がゆっくりと左右に触れる。やれやれ、という感じの振り方だった。
「変態が羞恥心を持つのはおすすめしない。中途半端になるだけだから。オーリもまだまだね。一流の変態への道は遠いわ」
「お前は俺に何になってほしいんだよ……」
「決まってる。私の旦那様」
陰る表情の最中に、陽香の微笑みが見えた……気がした。
「わるいわるい。待たせたな」
霜月先生が車のカギ──ストラップ付き──を片手に持ってチャリチャリと鳴らしながら戻ってきた。ストラップは銃を構えた男、太陽の精だった。あの暑そうな表情の中に、なにか俺が感じ取れないような不思議な魅力でもあるのだろうか。あるのだからレモンしかり霜月先生しかり、集めているのだろうが。
そうして俺たちは、いつものように霜月先生に送ってもらい、帰宅した。
「おにーちゃん電話だよー。静香おねーちゃんから」
風呂上りのタイミングで、舞がにやにやと受話器を手に言う。静香おねーちゃんと云うからには、この我が妹は尾瀬とも面識があるようだ。
尾瀬との電話の内容は、明日の墓参りの時間についてだった。
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