両親はいなかった
妹ができたぞひゃっほおおおおおぉぉぉう!!
となるわけもなかった。いきなり見知らぬ他人にお兄ちゃんと呼ばれるのは、どうともし難い恐怖があった。陽香がそれを平然と受け容れていることも拍車をかけている。
「なあ陽香」
「なあに?」
「あの子は誰だ、という俺の質問はおかしいと思うか?」
「んー? なにその変な言い回し。あの子ってもしかして私の義理の妹でありあなたの実の妹である
「大丈夫だ」
「撫でてあげよっか?」
「大丈夫」
「けちっ」
あの子は誰だ、というのは「あたまだいじょうぶ?」と返されてしまう程度にはおかしな質問だったか。けれど思ってしまうのは仕方がない。あの子が誰なのか、俺には本当に皆目見当がつかないのだから。
「陽香」
「ん、今日はやけに名前呼んでくるわね」
「そうか?」
「ええ、でもだからって気にする必要はカイムよ。悪くない気分だから、むしろ大歓迎ってところ。ほらほら、もっと私の名を呼んでよ。私という存在を認識しなさいなっ」
「断る」
「どけちっ」
なにを聞こうとしたんだったか。ああ、そうだ。
「マイ、と言ったよな。あの子の、その、俺の妹とやらの名前は」
「妙な言い方をするわね。いつもみたいに舞と呼べばいーのに。どしたの? 今日のオーリ、ちょっとヘンよ?」
「もっとヘンなことを言おうか?」
「……? 別にいいけど?」
「俺は、あのマイって子が妹とは思えない」
「…………」
「…………」
陽香の時が止まった。彼女は真ん丸の眼をパチクリさせて、「はあ?」と言った風に眉を寄せた。
「……ということはなに? あなたは、あの子は妻だ、とか言い出すの? シスコン飛び越えちゃってない? さすがの私もそれはちょっとヒくかなぁ、オーリのやることなすことはまるっと許容できると自負してたけどそれはヒいちゃうなぁ……」
「そう捉えたか」
「オーリの好みは妹キャラだったかぁ、そっちだったのかぁ。くぅ、属性選択ミスっちゃったかなぁ、幼なじみ属性だけでなく妹属性まで欲張っとくべきだったかなぁ……くすん……」
どよん、と顔にマンガみたいな影を落とし、陽香は部屋の隅っこに体育座りを始めた。
割とガチな凹み方だ。内容はどうあれ、早々に誤解を解くこととする。
「……違うよ、陽香。俺はあの子の存在そのものを知らないんだ」
「……どゆことなの?」
「陽香はさ、ある日いきなり妹ができたらどう思う?」
「ん……オーリに恋しないように釘を刺しておこう、って思う。だって私の妹なら、好みも似通うだろうしぃ」
「そ、そう……」
思ってた答えと違う。
「もっと根本的なことだ。『なんで?』ってならないか? だってつい昨日まで一人っ子だったはずなのに、夜が明けたら妹がいるんだぞ?」
「一晩で産まれたかもしれないじゃない?」
「そうはならんだろ……」
「ジョーダンよ、ジョーダン。ま、今のオーリの問いでなんとなく理解したわ。あなたはまったく、その問いと同じ立場にいるのね」
陽香は分かってくれたようだ。よかった。
「その通りだ。さすがは俺の幼馴染、理解が早い」
「まーね。それでオーリ? あなたは舞ちゃんのことちっとも知らないんだよね?」
「ああ、俺はあの子について全くの無知だ」
「そしたら、昨日までの『舞ちゃんを知るオーリ』は消えちゃったってことになるのかな。オーリ、昨日までは普通に舞ちゃんと接してたから」
「……そう、なるかな」
言われて、気付いた。
俺にはなくとも、陽香には、俺以外にはこの状況での今日以前が存在するのだ。だから周囲が認識していたはずの『妹のいる久之木桜利』を俺が上塗りした、という解釈もできる。それは……なかなか、酷な話だ。主観では俺の現実が捻じ曲げられている。けれど客観では俺の認識だけが変わっているとも受け取れる。
世界か、俺か。どっちが変わった? 個人的な希望では、世界の方であってほしい。そうでなければ、俺は……
「オーリ?」
「あ、ああ……」
「そろそろご飯食べよっか。舞ちゃんが覗いてるし」
パタパタと、俺の背後のドアへと陽香が手を振っている。俺の背後に妹がいる。
「おはよー、陽香お姉ちゃん!」
「おはよう、舞ちゃん。ほら、オーリ。ボケっとしてないで立ち上がって。ほらほら起立起立」
陽香の手が、俺をベッドから立ち上がらせる。
「お姉ちゃんも朝ごはん食べてくー?」
「わ、用意してくれてたんだ。ありがとね、舞ちゃん」
「えへへぇ」
二人のやり取りは、そう、確かに一朝一夕ではない付き合いの人間同士の会話だ。
この場の異物は、やっぱり俺なのか。
「お兄ちゃん、またボーっとしちゃってる……今日はなんかヘン……」
「男の子の日なのよ」
「男の子の日?」
「お年頃の男の子にありがちなのよ、舞ちゃんにはまだ早いかもね」
「おにーちゃん、お年頃なんだー……」
陽香と会話しながら、心配そうに偽妹は俺を見つめている。不安げなその瞳はまるで、俺がおかしいと訴えかけているみたいだ。そんなわけがない。俺がおかしいだなんて。
「……なあ。ま、マイ?」
呼び慣れない、その名前。
「なにー?」
「きみ、お前が朝ごはんを作ってくれてるんだな?」
「うん、そだよ」
「父さんと母さんは?」
「え? いないよ?」
いない。
いないのか。父さんと母さんは。
昨日いたはずの、俺の両親は。普通に会話をしたはずの二人は……
「おとーさんとおかーさんはお仕事の都合で海外じゃんか。いきなりどしたのおにーちゃん?」
「……そう、そうなのか」
すると肩にポン、と手を置かれた。陽香だ。
「心配いらないわ、オーリ。あなたのご両親は健在だから。私と舞ちゃんの記憶では、お隣さんの私とあなたの実妹の舞ちゃんにオーリの面倒を頼んで、あなたのご両親は海外へ行った。そういう過去が、私たちにはあるの」
「俺の面倒を……」
俺に妹の面倒を、ではなく妹に俺の面倒を……か。となれば、俺よりも妹の方がしっかり者だと認識されているということだ。不甲斐ない兄なんだな、今の俺は。
「ええ。頼まれた。快諾したわ」
事実は、事実。これは夢じゃあないみたいだ。だって覚めないのだから。
事実として、現実として、目の前に異常があるのならば、
「……舞」
「え、なになにどしたのおにーちゃん。そんな改まった顔しちゃって」
「これから、よろしくな」
とりあえずは受け容れよう。特に害はない、はずだろうし。
「よ、よろしくー?」
妹はやはり、俺の態度が不思議でならないようだった。
変遷するのは世界か俺か。どうか、前者であってくれ。
「おにーちゃん、やっぱヘン。お年頃だからなの、おねーちゃん……?」
「大丈夫だからね、舞ちゃん。オーリは今、夢から覚めようとしているだけだから。きっといやらしい夢でも見てたのよ。だから夢に後ろ髪をひかれてボーっとしちゃってるの。ほんとスケベなんだから。昨日なんかね、初対面の美人さんに『君のパンツは桃色だ!』だなんて断言しちゃって、しかも当たってたし」
そう、陽香が愚痴る。
細かいところで脚色されているものの、昨日の出来事は俺の記憶にあるものと同一のようだ。
「舞ちゃんも気を付けないと……見透かされるわよ、パンツ」
「そ、そーなんだ、おにーちゃん……」
もじ、と妹は下腹部を服の上から両手で覆った。ガードされた。
「……俺にそんな能力、ないんだよ」
とりあえずはそう、弁解しておいた。
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