第16話

*☆*☆*

「門を閉めろっ!」

「早くしろっ、誰も入れるな!」

 とつぜん起こった反乱に、王都の民が逃げまどっていた。

 同じ甲冑をつけた者どもの戦いは、逃げ場を求める民衆を巻込んで広がって行く。

「こんな、なぜっ」

 無差別に殺される民を目前にして、若い兵士は立ちすくんだ。

「なぜ!」

 ふいに鉄拳が、彼の顔面を打つ。

「ばかやろう、死にたいかっ」

 いまにも白目をむきそうな同僚は、完全に自分を失っていた。

 暴徒は、すぐそこまで迫っている。

 アストライア神殿の警護軍は、反乱の巻き添えになるのを恐れ巨大な門を閉めようと、やっきになっていた。

 王都の他の神殿とは異なり、アストライア神殿は大門を閉めない。

 医療を司るこの神殿は、すべての時間を人々の救済に費やしているからだ。

 逃げ惑う人々にとって、ここはただひとつの避難場所だった。

『神よ!。わたしは、どうすればっ』

 蝶番がこすれあって、嫌な音をたてる。

 ようやく閉じはじめた大門は、それでもなお滑らかに動くのを拒んでいた。

『こんなことが、起こるなんて』

 つい数時間前まで、いったい誰が反乱など起こると思っただろう。

 聖王と王弟に、時間をたがわず男子が誕生し、盛大に祝砲がとどろいた瞬間。

 それが合図であったかのように、反乱ははじまった。

 祝福の時を待ちうけ、飾りつけられていた街並みが、一瞬にして破壊と殺戮の修羅場と化したのだ。

 この大門を閉め、アストライア神殿の警護軍は、力を持たぬ人々を見殺しにしようとしていた。

 暴動に巻き込まれ命を失う恐怖と、人として同胞を見捨てる卑怯さに、若い兵士はふるえあがった。

「門を閉めてはなりませんっ!」

 警護兵らの背後であがった女の声が、凛とあたりに響き渡る。

 混乱する兵士らの目に、純白の僧衣をまとった姿が映った。

「アフロ様!」

 二十代なかばの華奢な女性が、足早に大門の前へ立ちはだかる。

 聖王の妹君で、巫女王エレーナの姉。神官長のアフロ・デュマ、その人だ。

 エレーナと同等の霊力に恵まれていれば、巫女王となったはずの王女だ。

「門を閉めてはなりません。ここは、巫女王様の統治なさるアストライア神殿です。救いを求める人々を、決して見捨ててはならないのです」

 そう言い置いて、アフロは門から一歩踏み出した。

 そして、長い坂道を駆け登ってくる人々へ、両の腕を広げてみせた。

 傷つき追われる人々に、アフロの姿は、加護の翼を広げた慈母神さながらに見えたのだろう。恐怖に引き千切られる悲鳴が、どっと上がる歓喜の声に変わった。

 口々に感謝を叫び、神殿の庭へ駆け込んだ人々を、巫女たちが導いて行く。

 そこにはもう、恐怖も混乱もない。

 アフロの後ろ姿に手を合わせ、ひれ伏す群衆で埋めつくされていった。

『神よ。わたくしに、勇気をお与え下さい。わたくしの為ではない勇気を』

 坂道の途中で、立ち止まる者たちがいる。むきだしの髪が、一様に青い者。

 畜人(スラッジ)だ。

 背後に迫る暴徒と、神域を汚す畏れに怯え、絶望した顔ですくんでいる者たちに、アフロはきっぱりと呼びかける。

「おいでなさいっ、はやく!」

 息を飲んで上げた顔に、希望がさした。

 よろめく足取りで神殿をめざす者たちに暴徒が追いつき、雑草をなぎはらうがごとく剣をふるう。

「おやめっ!」

 アフロの制止に、彼らは血のしたたる剣を構えなおした。

「そなたたちは。  その紋章はっ」

 血に染まる剣をふりかざす者たちの胸に、王国軍の紋章を見つけ、アフロはくちびるを引き締めた。

 殺気をみなぎらせ流血に狂った者たちと、わずかな距離をおいて対峙するアフロ。

 その狭間で、血まみれの女が身体を起こした。

 肩口から腰にかけてザックリと切り裂かれた女が、アフロの足下へと這いよる。

 最後の気力をふりしぼり、女は赤ん坊を差し上げた。

 透きとおる、青い髪。

 ためらいもせず、アフロは返り血をあびた赤ん坊を抱き取り。

 崩れる女は、安堵の笑みを残して息絶えた。

「アストライア神殿の神官長。アフロ様」

 身動きせぬ王国軍の群れをぬって、騎馬の将校が前へ出た。

 血で汚れた甲冑の胸に、デュマ王家につながる者の紋章がある。

 摂政、ヒリア・エルドゥラ・デュマの弟、王国軍将校カイドだ。

「反乱を起こし、暴動に加わった者どもを、お引渡し願います」

 馬上のまま 剣を抜き放ったカイドの顔が、あでやかな炎華(ひのはな)のようにほころんだ。

 手をかけねば、すぐに枯れてしまう炎華イリス。

 そのイリスのように手のかかるわずらわしい男だと、アフロはいつも思う。

 華やかで優しげな顔の下に毒を含んだ野心がたぎっている事も、すでに承知していた。

「神殿内への立ち入りを、許可いただけますね。神官長  」

 いま、巫女王エレーナは浄化の間にいる。

 あとわずかで、摂政ヒリアとのあいだにもうけた御子が誕生する頃だ。

 この大事な時に、理由もわからず神殿への立ち入りなど許可できない。

 逃げ惑う民衆ならいざ知らず、カイドや配下の者など危険すぎる。 

 通常、アストライア神との婚姻を成立させるため、生涯を独身で過ごす巫女王だが、エルエア神殿の大神官を誕生させる時にのみ結婚が要求された。

 神の啓示により、巫女王の夫と指名された摂政ヒリア。

 ふたりの想いをよそに儀式はとり行われ、偶然にも聖太子誕生の日に、産みの兆しは現れた。

「アフロ様、ご返答を。我らは反乱に加わった者どもを、処罰せねばなりません」

 騎馬のカイドを囲み、ジリと詰め寄る兵士らを見渡して、アフロは顎を上げた。 

「そなたたちに引き渡すものなど、ただの一人もおりません。ここにいるのは、罪もない王都の民ばかり。そなたこそこの混乱の中、聖王陛下のもとを離れるとは何事ですか。ましてや王都の民に剣をふるうなど、許しがたい行為です。摂政の、ヒリア殿の命令ではありますまい」

 高笑いが、アフロをさえぎった。 

「カイド、気でも狂うたか」

 なおも笑いを含んだまま、カイドは剣先をアフロの喉元に構え、小首をかしげた。

「そなた、アストライア神殿の神官長を。わたくしを、切り捨てるおつもりか」 

「王都の治安は、わたくしが守るのだ。亡き摂政殿に代わってね」

 瞬間、アフロの面から血の気が引いた。

「ヒリアは聖王陛下と、王弟殿下を殺害した張本人。反乱の首謀者として、わたくしが成敗いたしました。かろうじて王弟殿下の御子だけは、このカイドがお守りしましたが。ただ、他の王家の方々は、ご無事かどうか」

 鮮やかに笑んだカイドを見上げ、アフロはおおきく息をついた。

『ヒリア殿が、反乱など起こすはずはない。この男っ』 

「わたくしに歯向かうなら、容赦できませんな。神官長」

 冷然と言い渡すカイドに対し、凛と顔を上げたアフロの身体から、誇り高い覇気が放たれた。

「神を畏れぬ痴れ者。さがれっ!」

 澄みわたる一喝に、カイドを乗せたまま 馬があとじさった。

 どれほど手綱を操ろうと、馬は乗り手に従わない。

 カイドのまわりをかためていた兵士らが、アフロに対しいっせいに低頭した。

「皆の者、心得違いをしてはなりません。そなたたちの役目は、王都の治安を守る事。皆すみやかに、民の安全をはかりなさい。これ以上、混乱が広がらぬよう尽力なさい。さぁ、お行きなさい」

 澄んだ面を上げ、兵の一団が 疾風をまいて散って行く。

 残されたカイドに目をやり、アフロの満面に厳しさが広がった。

 かぎりなく深い、意志の強さを秘めた眼差しが、カイドを威圧し躊躇させる。

「アストライア神殿は、聖王陛下と同等の地位におわす巫女王様の聖域。そなたごときが、立ち入る場所ではない。たとえ陛下ご自身の仰せでも、民を思う巫女王様の御心に背くなど許されぬ。すぐさま、ここを立ち去るがよい」

 恐れる様子もなく背を向けるアフロに、カイドはなすすべを失った。いや、アストライア神殿ぜんたいから立ち昇る人々の気迫に押され、引くことすらできずにいた。

 アフロに付き従い、畜人たちも女の遺体を運んで行く。   

 華奢なアフロの背中が門のうちに消え、はじめてカイドは、己を封じる力から解き放たれた。

『アフロめ、覚えているが良い。この屈辱は、けっして忘れぬ』

 しぶる馬の首をめぐらせ、カイドはいっさんに王城へと走らせた。

 胸のうちに膨れ上がる畏れと、怒りのすべてを振りきる勢いで。

 遠ざかる物音に、アフロは人知れず息をつき、天を仰ぐ。

 つま先まで、安堵の震えが突きぬけた。

『神よ、感謝いたします。  でも、なぜこのようなことが』

 抱きしめた赤ん坊が弱々しく泣き声を上げ、母を求める小さな手が空を探った。

 もっと早く声をかけていれば、救えたかもしれない。

 悔やむ思いに胸をふさがれ、アフロはうめいた。

「許してください。あなたのお母様を救えなかった、わたくしを」



 小鳥がさえずっていた。

 重い帳の隙間から、朝の光が差している。

 息をひいて目を覚まし、自分が涙していると気がついて。

「夢 ?   エレーナ」

 身体を起こし、アフロは両手で顔をおおった。

『なぜ、今になって、こんなにも遠い出来事を』

 あの日を境に、すべてが狂ってしまった。

 もう、後戻りはできないというのに。

「神よ 」

           


 陽が昇るよりさきに、ムナトは城門の前で屋台を開く。

 夜の砂漠を渡って来た旅人たちに、熱い煮野菜汁を売って生計を立てるムナト。

 夜間の冷気が残っている一,二時間が、かきいれ時だ。

 ルーヴィルが目を覚ましたのは、ひと仕事おえたムナトと、養女のアリナが帰ってきた頃だった。

 つかの間だけそよぐ朝の風が、中庭から厨房に吹き抜ける。

 あわただしく朝食をすませ、ムナトは夕方の屋台に出す仕込みに取りかかった。

「これ、着るといい。もし、あたいので 嫌じゃなかったら」

 アリナの差し出す長衣をかかえ、レイアは奥へ入っていった。

 畜人のアリナは娼婦館の生まれで、母親が奴隷として買われて行った時は五歳だった。

 痩せこけて病気持ちのように見えたアリナは、競売場で売れ残り、もしもムナトが買い取らなければ、処分されていただろう。

 ひと目でそれとわかる銀青色の髪は、父親が畜人ではない証拠だ。

 純粋の畜人の髪は、タレスの静海よりも碧い。

 光の具合で微妙に変わる髪の色は、高温の炉の炎に似ている。

 はっと目を引く、美しい髪。

 あまりにも目立つ色が、人ではないという烙印になる。

 ただ、ムナトはアリナを、養女として正式に登録していた。もし、ムナトに何かあっても、売り買いさせないためだ。

「出かけるのかい?」

 仕込みの手を休めずに、ムナトはルーヴィルに問いかけた。

 でっぷりした身体が、信じられない身軽さで動き回っている。

「どうしようか、迷ってる。あんまり人目につくのは、困るしね。どこかに、いい場所があれば出て行くよ。 これ以上 ムナトに、迷惑かけられないし」

 ふと立ち止まって、ムナトは怪訝な顔をした。

「噂が本当だとしても、あたしゃ迷惑だなんて思わないさ。世の中いろいろあるから、おもしろいんじゃないか。けど用心しなよ。あんたもそうだけど、あの娘も見事な黄金の髪をしてる。神々のお好きな色さね。この街の馬鹿どもにとっちゃぁ、金のなる木と同じで、とんでもない厄介事を呼ぶもんさ。だからね、どうにもならないと踏んだら、アストライア神殿へ逃げ込むんだよ。お救いくださるのは、巫女王様だけだと、覚えておおき」

 巫女王と聞いて、嫌な顔をするルーヴィルに、ムナトは真剣な表情をした。

「仲間たちが、巫女王様を悪く言ってるのは承知の上で、あたしゃ言うんだよ」

 疑り深そうに、口を歪めるルーヴィル。

 ムナトは、太い腰に手をやった。

 少ぅし反り返って、胸を張る様がおかしい。

「あんたは生まれちゃいなかっただろうけど、十七年前の反乱で、巫女王様のいらっしゃるアストライア神殿だけが、あたしたちを救ってくださった。いいかい、ルーヴィル。ほんとに守りたい者がいるなら、とことん誰かを信じるこった。自分はどうあれ、誰かだけは守りたい。そう思うなら、自分を捨てる覚悟で、助けてくれる人を信じるんだよ」

 言葉は荒いが、暖かな気遣いがこもっていた。

 確かに、レイアは人目を引く。

 地下住居区にもぐりこむ以外、身を守るすべがなかったのだろう。

「ありがとう、ムナト。よく覚えておくよ」

 アリナの呼ぶ声にふりかえり、ルーヴィルは長い口笛を吹いた。

 朝のやさしい陽をうけ、輝くようなレイアが立っている。

 まるで、女神レンヤーそのものの姿で。

「きれいだ。レイア」

 胸のまえで指を組み、レイアははにかんだ。

 こころなし青白いほほに、薄紅がさす。

「ルーヴィル、お願いがあるの。わたしを守ってくれると、言ったでしょう? あなたを、信じます。お願いだから、わたしを助けて」

心配げに見上げたレイアの瞳を覗いたら、なにも聞かないうちからうなずきたくなる。

 事実ルーヴィルは、何度もうなづいていた。

「サー・レインを。シークラーの老師さまを、知っている?」

 瞬間、空気が凍りついた。

 ムナトとアリナの顔に、警戒の色が走った。

「どうして、そんな事。 なぜ、老師さまを?」

 ほっと、レイアは嘆息した。

「知っているのね。よかった」

『レイアが、老師を?』

 まわりの反応をよそに、レイアは首にかけたペンダントをはずし、ルーヴィルへ差し出した。

「星界のレイアが、お目にかかりたいと伝えてほしいの。とても大切な言伝を預かってきましたと。老師さまがこれをご覧になられたら、わたしが誰かおわかりになるわ。素性も

判らないわたしを助けてくれた、ルーヴィル。あなたを信じます。だから、お願い」

 ルーヴィルは、煌くペンダントトップから ムナトに目を向けた。

 ふだんは穏やかなムナトの顔が、険しく曇っていた。

「ムナト」

 おもわず名を呼んで、ルーヴィルは口ごもる。

 シークラーにとって部外者でしかない自分に、なにが言えるのだろう。

 黙ったままペンダントを受け取り、ムナトはしげしげとあらためた。

 親指の爪ほどもある大粒のダイアが、精巧なプラチナの飾り台にはめ込まれていた。

 飾り台には、奇妙な紋章が刻印されている。

「あたしじゃ、なんとも言えないね。ヴァンキーに相談しよう。悪いけど、ふたりいっしょに、ついて来てもらおうかね」

 夕方からの仕込みをほうりだし、ムナトは頭衣をかぶった。

 アリナとレイアも、同じように頭からすっぽりと身体を包む。

「東通りから行こう。ついておいで」

 ムナトの後ろに続き、ルーヴィルは レイアをかばうように歩き出した。

 その後ろを、アリナがついて行く。

 真昼の酷暑がくるまえに 少しでも稼ごうと、大通りは人であふれていた。

「君が なに者であっても、おれは守るよ」

 人波にのみ込まれる寸前、ルーヴィルはレイアの耳元へ囁いた。

 東通りは、装身具の店が軒を並べている。

 偽石(にせいし)ばかりの安物ぞろいだから、高貴な人々や金持ちは来ない。

 それでも用心深く、ルーヴィルは辺りに目を走らせていた。

 いつもより混雑している通りの前方で、女たちが悲鳴をあげた。

 雑踏をせき止め、騎馬の一団が陣取っている。

 立ち止まっている人々に、後ろから押し寄せる者が怒鳴った。

 よく見ると、兵士らが手当たり次第に女たちの頭衣をはぎ取り、顔を調べている様子だ。

「レイア、こっちへ」

 路地へ逃れようとするルーヴィルたちの間に、押し合う人波が割り込んで、瞬く間にふたりを左右へ押し流した。

 さいわいルーヴィルは、すぐに雑踏をぬけだして手近な小路へ滑り込んだ。

 レイアを求めて通りを見渡した目に、騎馬の男が飛び込んでくる。

 ごく自然な身のこなしで、ルーヴィルは小路の奥へと身を翻した。

『くそっ、こんな時に!』

 ムナトやレイアが雑踏にもまれるのを、ルーヴィルは潜んだ小路から見つけ出した。

 人垣ごしにレイアを一瞥し、男へ視線を移したルーヴィルの顔が、暗殺者になっている。

 馬上の男。

 柔和な面差しに相反して、もっとも残忍な暗殺者集団の長老。

 ラドゥラ・アイン。

 酷薄で、ひとかけらの心も持たない、ルーヴィルの実父だ。

 身構えるルーヴィルの手の内に、薄刃の暗器が滑り出し、ピタリと収まる。

 砂漠の巨大獣。

 砂蛇(サンド・セム)の鱗を研ぎすました小剣だ。

 何としても、レイアだけは守りぬく。たとえ、己の命を賭しても。

 意を決して飛び出しかけたルーヴィルの肩を、分厚い手の平が押さえ込んだ。

 首筋にあてがった短剣が、ルーヴィルの動きを封じ、膝をつかせる。

 手の内に隠し持った暗器で、自分の肩越しに背後の眉間を狙った手首を、細くしなやかな指が止め、殺気をむき出しにしたルーヴィルの視界を、古びた外套が覆った。

「静かにおし、坊や」

『キャメル!』

「ここは、暗殺者でいっぱいなんだ。うかつに動くんじゃない。いいから、わたしたちにお任せよ」

 鋭い眼差しで見下ろすキャメルに、ルーヴィルは目でうなずいた。

 用心深く、背後から離れるヴァンキー。

 その気配に、ゾッと身体中から冷や汗が吹き出した。

「あんた、何者なんだ。後ろをとられたの、気づかなかった」

 父ラドゥラ・アイン以外、ルーヴィルの後ろを取った者はいない。

 いまさらながら、ヴァンキーという男の凄さに肝が冷えた。

「夜になったら、おれのところまで来てくれ。いいな」

 ルーヴィルの返事も待たず、ヴァンキーは籠いっぱいの潅木(ヴァンナ)の実を、混乱している通りへまき散らかした。

 途端に人々の間から、悲鳴とも歓声ともつかないどよめきが上がる。

 乾燥した潅木(ヴァンナ)の実は、一粒で銅貨七枚の値がつく。

 群がって拾い集める者たちにとっては、天からの贈り物だ。

 急に起こった騒動に気を取られ、振り向いたラドゥラ・アインの目に、一陣の風が砂を運んだ。

「いかがなさいました」

 片手で手綱を操り、顔を押さえた長老へ、いっせいに暗殺者の視線が集った瞬間。

 キャメルはレイアを、ルーヴィルのいる小路へ放り込んだ。

「ありがとう、キャメル」

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