第二十三章 火口での攻防

1 世界崩壊が近そうですわ……

「陛下!」


 応接室の扉が乱暴に開かれ、一人の近衛兵が飛び込んできた。


「今は、大事な会議中だぞ」


 ラディムは顔を歪め、近衛兵を睨みつけた。


 近衛兵は肩で息をしている。よほど急いできたのだろう。


 アリツェはぎゅっと両手を掴み、ラディムに耳打ちをする近衛兵を見つめた。


「なんだって!?」


 ラディムは目を大きく見開いて、怒鳴り声を上げた。


「どうされました、お兄様」


 ラディムの様子から、これは何かただ事ではない事態が起こったのではないかと不安になる。


「帝国各地に、……今までにない規模で、魔獣の出現が確認された」


 ラディムは全身を震わせながら、ぐるっとアリツェたちの顔を見回した。


「それって、世界崩壊の兆し?」


 クリスティーナは口元に手を当てながら、ぼそりとつぶやいた。


 魔獣の大量出現があったとなれば、その原因は、おそらく帝国各地の霊素だまりの数の増加だ。霊素だまりの増加は、地中の余剰地核エネルギーの飽和を意味する。つまり、世界崩壊の兆候の可能性が高い。


「はっきりとはわからないねぇ。ただ、僕の見立てでは、一、二年でどうこうなるような状況じゃないんだけれど」


 マリエは肩をすくめながら、「少なくともあと五、六年は持つはずだよ」と持論を述べた。


 今ここにいる面々の中で、世界の状況を一番正確につかんでいるのがマリエだ。信じるしかない。


「わたくしたち無しでも、対処できる規模なんですの?」


 アリツェは首に下げた黄金のメダル――『精霊王の証』を、ぎゅっと握りしめた。


 大規模な魔獣の発生――。


 各地に出没した魔獣たちは、つい最近、霊素だまりによって生み出されたばかりのはずだ。個々の霊素量は、それほど多くはないだろう。単体であれば、ラディムお抱えの元導師部隊の面々でも、十分に対処できる。


 だが、報告に上がった大発生が、アリツェの予想をはるかに超える大規模なものであったら……。数に圧され、元導師部隊でも押しつぶされるに違いない。


「今の報告を聞く限り、おそらく大丈夫だとは思うのだが……」


 ラディムは相変わらず渋面を浮かべている。しかし、全身の震えは止まっていた。


 ラディムが大丈夫というのであれば、大丈夫なのだろう。根拠のない楽観論を述べるような人間ではないと、アリツェは知っている。


「どうするの? いったん魔獣討伐に専念する?」


「根本の霊素だまりをどうにかしなければ、効果は薄いだろう。まずは大司教をどうにかして、それから我々の全霊素をもって、地核エネルギーの消費に励んだほうがいいのでは?」


 クリスティーナの意見に対し、ラディムは即座に否を答えた。


 どっちつかずの対応を取っている間に、また大司教に良からぬ企みをされないとも限らない。アリツェもラディムに同感だった。


「魔獣の大軍は、どのあたりに出現しているんだい?」


 マリエはそう疑問を口にすると、応接室の壁に掛けられた帝国全図を指さした。


「帝国全域のようだが、特に南部……」


 ラディムは地図の掛けられた壁際に向かうと、ミュニホフの南方、帝国南部地方を示した。


 とその時、ラディムは何かに気づいたのだろうか、「あぁ、そうか……」とつぶやいた。


「お兄様?」


「私たちはこれから、エウロペ山脈に向かうために帝国南部に向かう。なら、ついでにその道中で魔獣狩りをするのもアリだなと」


 地図の最下部に描かれたエウロペ山脈を、ラディムは指でなぞった。


 ミュニホフとエウロペ山麓とを結ぶと、その線上に、今報告の上がっている魔獣の大量発生地帯がある。


 ドミニクはラディムの横まで歩いていき、並んで地図を見上げながら、「それが賢明だと、ボクも思うよ」とうなずいた。


「南部の魔獣を私たちが受け持てば、余剰兵力を他の地域にも振り分けられる。好都合だ」


 ラディムは報告に来ていた近衛兵を傍へ呼んだ。いくつか指示を送ったのか、近衛兵が何度もうなずいている。


 やがて、近衛兵は敬礼をすると、応接室の外へ走っていった。


「じゃあ、予定どおりにエウロペ山へ向かうってことで、いいんだね?」


 マリエの言葉に、ラディムは「あぁ」と答えた。


 そのままマリエは満足げにうなずくと、コホンと咳払いをした。


「話が中断しちゃったね。さて、僕からの提案なんだけれども……」


 マリエは一拍、間を置いた。


 アリツェはマリエの顔を注視する。いったい、どのような提案なのだろうか。


 話の流れを考えれば、大司教の捕縛に関するものか、もしくは、エウロペ山脈の探索に関するものか……。


「これからここに集まった四人で、『四属性陣しぞくせいじん』の練習をしたいんだ」


 マリエは右手の人差し指を突き立て、身体の前へと突き出した。


「『四属性陣』、ですか? 初めて聞きますわね」


 アリツェは小首をかしげた。


 聞き慣れない単語だった。横見悠太の記憶にも、それらしいものがない。


「当然さ。僕のオリジナルだからね」


 マリエはにんまりと笑った。


「でも、きちんと効果が発揮されれば、この世界の余剰地核エネルギーの消費に、ものすごーく貢献できる」


 マリエは自信満々に薄い胸を張った。


「詳しく聞かせて頂戴?」


 興味を引かれたようで、クリスティーナはテーブルに身を乗り出した。


 アリツェも胸の前で両手をぎゅっと握りしめると、マリエの次の言葉を待った。期待に心臓がドキドキする。


「もちろん」


 マリエはうなずき、突き出していた手を引っ込めると、テーブルの端に置かれた紙とペンに手を伸ばした。


「『四属性陣』っていうのはね、東西南北の四か所に精霊使いを立たせ、それぞれ異なった属性の精霊術を起動し――」


 マリエは口にしながら、サラサラッと紙に円を描き、円上の東西南北にあたる点へ『術者』とそれぞれ追記する。


「術者が発動した精霊術を、中心点に向かって一気に解き放つ精霊使いの奥義さ」


 そのまま、東西南北の『術者』から円の中心点に向かって矢印を引き、各矢印がぶつかる交点をぐりぐりと塗りつぶした。


「個人での四属性同時展開とは、何か違うんですか?」


 アリツェは首をかしげ、マリエに問うた。


 単に四属性を同時展開するだけなら、レベルの高い精霊使いなら可能だ。


 今なら、クリスティーナが使える。先日、精霊使いの熟練度レベルが七十六となったことにより、四匹目の使い魔を新たに使役できるようになったからだ。


「基本的にはおんなじさ。でも、規模が違う」


 マリエは顔を上げ、ニッと口角を上げた。


「どういうこと?」


「簡単な話だよ。個人で四属性同時展開をするってことは、その個人の霊素量を四分割して、それぞれの属性に振り分ける形になるだろう?」


 クリスティーナが疑問をさしはさむと、マリエは嬉しそうな表情で説明を加えた。


「ってことは……」


 クリスティーナは口元に手を当て、上目遣いに天井を見た。


「そう、『四属性陣』とは、各属性につき一人の精霊使いが、その全霊素を傾けることによって、総合して膨大な威力の四属性精霊術を発動させようっていう代物なんだ」


 マリエは手に持ったペンの先を円の中心点に押し付け、ぐっと力を込めた。ペン先が割れて、紙の上にインクがぼとりと落ちる。


「聞くだけで、なんだか凄まじそうですわ……」


 アリツェは広がるインクの染みを眺めつつ、脳裏に完成した『四属性陣』を思い浮かべた。


 ドキドキと幼い子供のように胸が高鳴る。精霊使いとして、ぜひともその完成形を見てみたい、と。


「理論はしっかりと立ててきた。ただ、実際に試したことがない」


 自信満々だったマリエの表情に、一瞬影が差した。


「そこで、これからエウロペ山脈に向かうにあたり、道中の魔獣討伐でこの『四属性陣』を試したいんだ」


 すぐさまマリエは笑顔に戻ると、「皆の協力がないと、実現できないしね」とつぶやいた。


「難しくはないのですか?」


 陣というからには、ただ精霊使いが四方に立つだけで済むとも、アリツェには思えなかった。


「決して難しくはない。君たちはただ、僕が描いた陣の指定した場所に立って、指定された属性の精霊術を、陣の中心に向かって全力で放ってくれればいい」


 マリエは頭を振った。


「ならば、別に練習なんかいらないんじゃないのか?」


「陣を描くのが面倒なんだ。なので、僕が陣を描く練習も兼ねている。加えて、君たちにはどういった陣が描かれるのかを知ってもらい、精霊術を放つ対象をうまいこと陣に誘導する練習も積んでもらいたい。あと、僕が無事に陣を描き終えられるよう、適切なサポートもよろしくね」


 ラディムが差し挟んだ疑問に対し、マリエは練習の必要性を早口で一気にまくし立てた。


「つまり、陣の練習をしつつ、私たち精霊使い四人の連携も、同時に高めましょうってわけね」


 クリスティーナは腕を組み、二、三度うなずいた。


「そういうこと。いきなり大司教相手に、ぶっつけ本番ってわけにもいかない。なるべく余裕を保てる状況で、何回か練習をしておいたほうがいいと思うんだよね」


 マリエはぐるっと全員の顔に目を遣った。


「わかりましたわ。わたくしは、まったく異論ございません」


 マリエの説明にアリツェは得心し、うなずいた。


「じゃあ、ボクはその間、みんなの身の安全を守ればいいのかな」


 ドミニクが横から口を挟み、「ボクだけ役割無しは、嫌だしね」と苦笑を浮かべた。


 アリツェは微笑みながら、「お願いいたしますわ」と口にし、ドミニクの手を握りしめる。


「ちょっと待て。『四属性陣』をやるのはいい。だが、私とアリツェは精霊使いとしてのレベルが、クリスティーナやマリエほど高くないぞ。足を引っ張らないか?」


 ラディムは渋面を浮かべながら、左の掌をマリエの前に突き出し、話を遮った。


「そこで、その腕輪だよ」


 マリエはニヤリと笑うと、アリツェとラディムが身につけている銀の腕輪を指さした。


 例の、遠隔通信ができ、霊素もため込めるザハリアーシュの遺産の腕輪だ。


「あぁ……。確かにこの腕輪の力を使えば、いけそうな気がするな」


 ラディムは自らの左腕にはめられた腕輪の表面を、何度か右手で撫でつけた。


 つまり、マリエはこう言いたいのだろう。精霊使いの熟練度不足のために足りていない霊素の分を、あらかじめ腕輪にため込んでおくことで、『四属性陣』発動時のラディムとアリツェの霊素の絶対量不足を補う作戦だと。


「いやぁ、ちょうど腕輪が二つあって助かったよ」


 マリエは笑いながら、両手をパンっと叩いた。


「では、今のような作戦で行こう。出発は準備が整い次第だ!」


 ラディムの号令で、会議はお開きとなった。いよいよ、大司教一派の再追討作戦が始まる。


 失敗は許されない。アリツェは身の引き締まる思いだった。







 ミュニホフを発ち、一日が経過した。


 エウロペ山脈方面に伸びる街道上を、アリツェたちはゆっくりと進んでいた。今回は魔獣討伐も兼ねているため、あえて高速馬車は使っていない。


 マリエ以外の全員が、通常の軍馬に乗って、周囲を警戒しながら南へと向かっている。ただ、マリエだけは、体格の問題でクリスティーナの馬に同乗させられていた。


「『四属性陣』、なんだかワクワクいたしますわ」


 アリツェは片手で手綱を持ちつつ、もう片方の手を自らの胸に軽く当て、静かに目を瞑った。


 精霊バカのアリツェにとっては、『四属性陣』による四属性精霊術の威力がどのようなものになるのかを、あれこれと想像するだけで至福の時となる。胸の高鳴りを抑えようがない。


「ほんとよね。どれほどの威力が出るのか、楽しみね」


 並走するクリスティーナも、アリツェと同じような気持ちなのだろう。なんだか鼻息が荒い。


 と、その時――。


「全員警戒! 前方に魔獣の姿あり!」


 先頭を歩くラディムの怒鳴り声が響き渡った。


「ついに来たわね!」


 クリスティーナは叫ぶと、すぐさま下馬をした。


「皆様、頑張りましょう!」


 アリツェも馬を降り、背負った槍を両手に持って構えた。


『四属性陣』の威力、とうとう試す瞬間がやって来た――。

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