2 新たな火種にならなければよいのですが
アリツェに促され、マリエはゆっくりと口を開いた。
と、その時――。
「ちょっと、いいかしら?」
今まで黙って推移を見守っていたクリスティーナが、突然横から口を挟んできた。
「興味深い話が続いてるところに、水を差すようで悪いんだけれども……」
クリスティーナは顎でくいっと窓を指し示めし、「そろそろ時間が、ね」 と、苦笑を浮かべている。
小屋の外は、だいぶ陽が傾いていた。あまりにも話に夢中になっていたために、指摘されるまでまったく気付かなかった。
よくよく見れば、部屋の中もだいぶ薄暗くなっている。このままでは、照明がないと足元がおぼつかなくなりそうだ。
「大司教一派のねぐらで夜を明かすのは、さすがに好ましくないよな」
ラディムは周囲をきょろきょろと見まわしている。
大司教本人や付きの精霊使いたちは、すでにいずこかへと逃走している。この場で彼奴等に襲われる危険性は、それほど高くないだろう。
だが、建物内になにがしかの罠が、仕掛けられていないとも限らない。万が一、暗闇の中でそのような物騒な仕掛けに引っかかりでもしたら、いったいどうなるだろうか……。あまり、面白い話にはならなそうだ。
アリツェはそのように考えて、ラディムに同意の頷きを返した。
「お兄様の近衛兵たちが待機している村まで、引きあげましょうか?」
大司教の捕縛作戦は、精霊術同士のぶつかり合いになる危険性があった。このため、霊素のないラディム直属の近衛兵たちは、近くの村に待機させている。
霊素には霊素でなければ、まともに対抗できない。
最初、近衛兵たちは渋った。皇帝ラディムの身を守るためについてきたのに、村に居残りでは何の役にも立てないと。だが、無駄に犠牲が増えては大変だと判断したラディムによって、アジトへの同行は一切認められなかった。
「無難なところか……」
アリツェの提案に、ラディムは首肯した。
「配下を安心させてやるのも、私の役目だしな」
日をまたげばそれだけ、村で待たされている近衛兵たちの不安も増すだろう。ラディムとしても、近衛兵たちに無事な姿を早く見せてやるべきだと考えたようだ。
「マリエ、あなたももう、これ以上私たちと対立するつもりは無いんでしょ?」
クリスティーナはマリエに向き直り、敵対しないかどうかの意思を確認する。
「無い無い! 君たちと喧嘩なんて、もうごめんだよ」
マリエは両手を胸の前でパタパタと振って、対立の意思がないと主張した。
「大司教に付き従っていたのは、あくまでも幼女マリエの人格の意思だ。僕には関係がない」
マリエは静かに腰を落とし、自らのナイフを床に置いた。もう戦う気はないと、口だけではなく態度でも示そうと考えたようだ。
「恩があるって、おっしゃっていたと記憶しているのですが」
幼女マリエは、大司教に恩があるから裏切るつもりはないと訴えていた。
「あんなの、幼児への単なる刷り込みだよ。このマリエの両親は、大司教と行動を共にしている精霊使いなんだけれども、彼らは霊素の修行で忙しくてねぇ。マリエを一切構っていなかった。そういったわけで、大司教がほぼ、マリエの親代わりになっていたのさ」
「あぁ、なるほど。それで……」
アリツェは得心し、うなずいた。
「この身体に眠る膨大な霊素を、せいぜい利用してやろうっていう大司教の下心が、今ならはっきりとわかるよ。ま、幼女の目からは、気の良い優しいおじいちゃんとしか、見えていなかったようだけれども」
マリエは苦笑を浮かべ、肩をすくめた。
「精神は年相応っておっしゃっていましたよね。でしたら、仕方がないですわ」
アリツェは脳裏に、自分の愛する子供たちの姿を思い描いた。
まだ六歳くらいの子供が、世話をしてくれる人間を果たして裏切れるだろうかと考えれば、幼女マリエの言葉もむべなるかな。
アリツェやラディムのような見ず知らずの大人たちと育ての親の大司教と。どちらの言葉を信じるかといえば、答えは自明だろう。
「というわけで、これからは僕も協力させてもらうから。っていうよりも、僕の転生目的を考えると、君たちが拒否をしたところで、無理やりついていくんだけれどもね」
マリエはくっくっと忍び笑いした。
「あとでその目的、きちんと説明してくださいね」
ヴァーツラフの転生目的について、このままうやむやにされても困ると思い、アリツェはくぎを刺す。
「ハイハイ、もちろんですよー」
マリエは片手をひらひらと振った。
いい加減に答えるマリエに、アリツェは一瞬むっとした。
だが、マリエ本人が協力すると言っているのだ。ごまかしたりはしないと思いたかった。
「それと、僕の使い魔たち。いい加減に、解放してくれないかなぁ?」
マリエはいまだに床で芋虫になっている、三匹の使い魔を指さした。
アリツェたちはため息をつきつつ、拘束を解いていった。
大司教一派のアジトから、近衛兵たちの待つ村への帰路。
アリツェたちは光の精霊術で周囲を照らしながら、林の中を貫く街道上を、横並びでゆっくりと歩いていた。
周囲はだいぶ薄暗くなっていたが、ペスとミアの放つ光源のおかげで、足元はしっかりと見える。
田舎ではあったが、リトア族領の主要な街道にもなっているので、道路上には馬車のわだちがあちこちにくっきりと残っている。
足を取られないよう慎重に避けながら、アリツェたちは一歩一歩確実に、目的地へと歩を進めていた。
「……なぜ、手を繋いでいるんだ?」
ラディムは苦笑を浮かべながら、ぴたりと傍に寄り添う幼女に声をかける。
「殿下、だめかい?」
幼女――マリエは、上目遣いにラディムを見つめた。
「いけなくはないが……。その、なんだ。キラキラした瞳で私を見つめないでほしいのだが」
ラディムは繋いでいない側の手で、頭をポリポリと掻き毟った。
「もしや、恥ずかしい?」
マリエは楽しそうな声を漏らしつつ、ぎゅっとラディムの腕にしがみつく。
「答えにくい質問をしてくれるな……。私をからかっているのか?」
ラディムのため息が漏れた。
「とんでもないよっ! 僕の今の想いはたった一つ。好きな人のそばにいたい。それだけなんだ」
マリエはぶんぶんと頭を振って、慌ててラディムの言葉を否定した。
「さきほども言ったが、私はエリシュカ一筋だぞ?」
「わかっているよ。……帝国に帰るまででいいんだ。少しばかり、甘えさせてはくれないかな」
少し突き放したようなラディムの声に、マリエはわずかに身を震わせた。だが、すぐに気を取り直したのだろう、猫なで声を上げる。
「はぁ……。勝手にしろ」
もう諦めたとばかりに、ラディムはがくりと頭を垂れた。
「ありがとう、殿下! 大好きっ!」
歓喜の声を上げたマリエは、そのまま勢いに任せてラディムの胸に飛び込んだ。
「……ついでに、僕を殿下の側室に――」
マリエはラディムの顔を注視しながら、うるうると目を潤わせている。
だが――
「子供が馬鹿なことを言うもんじゃない」
ラディムはぴしゃりとマリエの黒髪を叩いた。
「ちぇーっ」
マリエは唇を尖らせ、不満げな声を上げた。
「……ねえアリツェ、何あれ?」
クリスティーナは横目でラディムとマリエの痴態を盗み見つつ、呆れたような声でつぶやいた。
「見なかったことに、いたしましょう……。エリシュカ様に知られれば、大変ですわ」
おピンクなオーラを漂わせるマリエの態度に、アリツェも頭が痛かった。これで見た目が幼女だから、余計にたちが悪い。
ラディムにおかしな評判が付きやしないかと、なんだか心配になる。
「妙な火種にならなければいいけれど……」
ぼそりと口に出たクリスティーナの言葉が、アリツェの胸に妙に突っかかった。
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