5 この霊素の気配はいったい!?

「あの一見廃屋に見える建物ですか? お兄様」


 アリツェは木々の間から覗く、今にも壁が崩れ落ちそうなほど朽ち果てた粗末な小屋を目にし、不安げに声を上げた。


 土台になっている木材も、腐り果てている様子がうかがえる。とても、人が住んでいるようには見えない。


「間違い、ないはずだ。報告によれば、外見はボロボロでも、内部はきちんと整備されていると言っていたのだが……」


 ラディムも実際に小屋を見て、心配になったのだろう。わずかに目を伏せた。


 リトア族領に入り数日、アリツェたちはラディムの配下の者が発見したという、大司教一派の隠れアジトへとやって来た。街道から外れた林の中で、薄暗く、見通しはかなり悪い。使い魔の支援もあり行動に支障はないが、あまり長居はしたくない場所だった。


「さて、これからどういたしましょうか? 無策で突入だなんて、さすがにあり得ませんわ」


 アリツェは目線を小屋から外し、傍に立つラディムを見つめる。


「もちろんだ。……とりあえずは、使い魔たちに内部を探ってもらうのがいいか?」


 アリツェの問いに、ラディムは腕を組みながら応じた。


「ま、無難なところね。今も確かに廃屋内に大司教一派がいることと、精霊使いがどの程度の人数いるのか。最低限その程度は把握しておかないと、危険ね」


 クリスティーナも注視していた小屋から視線を外して、アリツェたちに向き直る。


「周囲はルゥ、内部はペスかお兄様のミアあたりに探らせるのが、よろしいでしょうか」


 偵察は、動物の見た目を持つ使い魔たちに任せたほうが、敵方からの発見のリスクを軽減できる。空を飛べるルゥは周囲の警戒にもってこいだし、子猫のミアや子犬のペスは、野良の振りをして小屋周辺をうろついてれば、万が一見とがめられたとしても、アリツェたちによる偵察だと悟られにくいだろう。


「私のイェチュカ、ドチュカ、トゥチュカでも、大丈夫よ?」


 自らの使い魔の名前が出なかったためか、クリスティーナがやや憮然とした表情で口を挟む。


「いや、クリスティーナの使い魔の猫たちは、少々見た目に特徴がありすぎる。目立つぞ? その点ミアは、本人には悪いが、見た目どこにでもいるただの雑種猫だからな」


 ラディムは頭を振りながら、アリツェがなぜクリスティーナの使い魔の名を挙げなかったのか、理由を口にした。アリツェとしても、ラディムの説明のとおりだったので、静かに首肯をする。


「なるほど、ね」


 クリスティーナも納得がいったのか、「それなら仕方がないわね」とつぶやき、表情を和らげた。


 実際、クリスティーナの使い魔である三匹の子猫は、揃いもそろって特徴的な柄をしていた。特徴的過ぎて不自然に目立つのは、間違いがない。全身白なのにしっぽだけに派手な柄が集中しており、道端をうろついていれば、周囲の注目を集めるだろう。


 このような目立つ猫が、ただの野良猫としてうろついているとは、なかなか考えにくい。珍しい柄の猫は、希少価値を求める貴族たちに大変な人気があったので、たとえ野良でいたとしても、誰かがすぐに捕まえて売り払うはずだと容易に想像がつく。だから、不自然なのだ。


「ペスも同様ですわ。野良犬と言われても、それほど違和感はないかと。……多少毛並みを乱しておいたほうが、よいかもしれませんが」


 アリツェたち精霊使いが、愛情をもって接している使い魔だ。当然に、ブラッシングも欠かしてはいない。毛並みはどう見ても大切にされている飼い犬、飼い猫のそれだ。野良に見せるには、あえて毛を乱す必要がありそうだった。


「じゃ、うちの子たちは私たちの護衛、ルゥが上空から周囲の警戒、ペスとミアで廃屋の調査と。こんな感じかしら?」


 アリツェとラディムに交互に目線をやりながら、クリスティーナは使い魔たちの役割分担についてまとめた。


 異論もないので、アリツェは首肯する。ラディムも同様だった。


「ミア、すまないがよろしく頼むぞ」


 ラディムはミアを傍に呼び、頭を撫でながらつぶやいた。ミアは嬉しげに鳴きながら、気持ちよさそうに目を瞑っている。


「情報が欲しいとはいえ、決して無茶はなさらないでね、ペス」


 アリツェもペスを脇に呼ぶと、ジッと目を見つめながら声をかけた。


 使い魔はある意味でアリツェの分身ともいえる。確かに情報は欲しいが、その身に何かがあっては困る。無理を押してまでの偵察は、求めていなかった。







 使い魔による偵察が始まり数刻後、林の中で待機しているアリツェたちの元に、ルゥ、ペス、ミアが戻ってきた。三匹とも特にけがなどはしておらず、アリツェはほっと胸をなでおろす。


「あの小屋の中に大司教本人がいるのは、どうやら間違いがなさそうだね」


 ミアからの報告を受け、ラディムはしきりに頷いている。


 アリツェたちの中で、大司教一派への想いが一番強いのがラディムだ。今回の遠征が無駄足ではなかったとわかり、安堵する気持ちが大きいのだろうとアリツェは思う。


『霊素も複数感じたワンッ! そのうちの一つが、かなり大きいので要注意だワンッ!』


 気になる報告をペスが続けた。霊素量豊富な精霊使いの存在の示唆……。好ましいとは言えない事態だ。


「ペスたちから見て、どの程度の霊素量だと見積もりました?」


 霊素量は精霊使いの実力を探るうえで、重要な指標の一つとなる。もちろん、霊素を適切に扱う技量も伴わなければ、意味はないが。


 ただ、霊素量を知れれば、相手をどの程度まで警戒をすればよいかの見込みは立つ。


『大きい一つ以外の霊素量は、旧導師部隊と大差ないニャ。ご主人たちならまったく問題にならないと、断言できるニャ。ただ……』


 口ごもるミアの声は暗い。アリツェは胸に、ちくりと突き刺すような痛みを感じた。


『大きい霊素が問題だワンッ。信じがたい話だけれども、感じた霊素量はご主人たちに匹敵するワンッ!』


 ペスがミアの後を受けて、言葉をつづけた。突飛な内容に、アリツェたちはお互いの顔を見合わせた。


「本当か? さすがにあり得ないだろう?」


 ラディムは苦笑を浮かべ、ペスの頭を軽くポンっと叩いた。


『この点、ミアと見解は一致しているワンッ!』


 ペスは不満げに首を振りつつ、隣に座るミアに視線をくれた。


「使い魔二匹ともが、そのように感じているとなると……。少々まずいわね」


 ペスの言葉を聞くや、クリスティーナは一転して肩をこわばらせ、低い声でささやく。


 使い魔がアリツェたちにうその報告をするはずがない。加えて、一匹だけではなく、二匹がともに同じ見解に達していた。であるならば、勘違いとも言い難い。


 間違いなく、望ましくない事態になると容易に想像がつく。


「しかし、これ以上の転生者はいないはずだ。いったいどういった……」


 それでもラディムは納得がいかないのだろう。顔をこわばらせ、自身の髪を片手でクシャっと掻き毟る。


 ラディムの言うとおり、確かにこれ以上の転生者の可能性はあり得ない。クリスティーナが世界の管理者ヴァーツラフから聞いた情報を、そのまま素直に信じたとしたら、ではあるが。


「悩んでいたところで、現時点でのわたくしたちの把握している情報だけでは、結論は出そうにありませんわ。わたくしたちと同格の精霊使いがいるものと思って、行動するしかないのでは?」


 だが、今のアリツェたちの現状を鑑みれば、これ以上の議論は無駄でもあった。ヴァーツラフとは直接コンタクトが取れない以上、さらなる転生者の可能性についてあれこれと議論を重ねたところで、正解を導き出せるはずもない。であるならば、今採れる最善の手段を、採るまでだった。


「それしかないか」


 ラディムも納得したのか、うなずいた。


「転生者の可能性は皆無。であるならば、その精霊使いは、いったい何者なのかしらね……」


 クリスティーナはブツブツと考えつく可能性を口にしている。突然変異的な霊素持ちの存在、大司教一派の霊素教育に何らかのブレイクスルーがあった可能性、などなど。


 だが、いずれも今は確かめようがない。いざ小屋に乗り込んで、実際に件の相手と対峙してみないと、これ以上の詳しい情報は得られないだろう。


「本当にミアたちの言うとおり、私たちと同格の精霊使いがいたとしたら、私が引き受ける。アリツェとクリスティーナは大司教捕縛に専念してほしい」


 ラディムは床に置いた自身の剣の柄に手を置きながら、アリツェたちに鋭い視線を送った。


「まぁ、誰かが足止めしないとダメでしょうね。ラディムがそういうのであれば、任せるわ。アリツェもそれでいいでしょ?」


 クリスティーナは特に異を唱えず、ちらりとアリツェに目線をくれる。


「精霊術で拮抗して、最終的に肉弾戦になった時のことを考えれば、確かにお兄様がいいかもしれませんわね。わたくしといたしましても、異論はございませんわ」


 アリツェもラディムの提案が一番だと考えたので、静かに首肯した。


 件の精霊使いの素性がわからない以上、様々な可能性を考慮に入れておいたほうがよい。相手が物理的な攻撃手段――剣技や格闘技など――もしっかりと修練を積んでいたとしたならば、現状のアリツェたちの中で最も身体能力の高いラディムが相手をするのが、一番合理的だった。


 妊娠出産で一時身動きがまったく取れなかったアリツェと違い、ラディムは器用さ向上の訓練をかなり集中的に行っていたらしい。すでに人並みの水準まで向上をさせているとは、ラディム本人の談だ。


 ステータスを覗いてみても、確かにラディムの言うとおり、器用さの値が五十近くまで向上していた。成人の平均値が五十なので、もはや不器用とは言えない。アリツェとラディムの器用さの最大値は五十五なので、ほぼ上限近くまで成長している形になる。双子の片割れのアリツェが、いまだに二十台をさまよっているにもかかわらず。


 器用さ以外の肉体的能力は、常人以上の数値を誇るラディムである。弱点の器用さが克服されたのであれば、肉弾戦でも早々後れを取る相手はいないはずだ。安心して後ろを任せられる。


「よし、では準備を済ませ、乗り込むとしよう」


 全員の意見が一致したところで、アリツェたちは行動を開始した。







 大司教一派の隠れアジトの内部へ、アリツェたちは音を立てずに侵入した。使い魔による、風と光の精霊術の賜物だ。抜き足差し足忍び足……。


 意識して大きな音を立てようとしない限りは、風の精霊術で遮音できる。よほど派手に動かなければ、その姿は光の精霊術でカモフラージュできる。相手方に侵入がばれてさえいなければ、早々看破はされないはずだった。


『こっちだワンッ!』


 ペスの念話での誘導に従い、アリツェたちは慎重に歩を進めた。


『首を洗って待っていなさい、大司教!』


 声を出すわけにはいかないので、クリスティーナは念話で気合を入れる。


 アリツェも念話にまでは出さないが、同じ気持ちだった。ぐっとお腹に力を入れた。


『この通路の先の部屋に、潜んでいるはずだニャ!』


 ミアが立ち止まり、前方の暗く細い廊下を睨みつけた。


 明かりがないために、ぽっかりと黒い口を開けているように見える。鋭く奥を見据えていると、このまま暗く深い深淵へと引きずり込まれるのではないかと思うほど、異様な感覚が襲い掛かってくる。背筋が、ぞわぞわする……。


『よし、いくぞ!』


 ラディムの号令に、アリツェは何度か頭を振って、気合を入れなおす。ふっと息を吐きだして、闇に覆われた廊下へと足を一歩踏み出した。


 だが――


「おやぁ、不法侵入ですか?」


 突然、後方から甲高い声が響き渡った。


「チッ! 誰だ!?」


 ラディムは声を張り上げ、後方を振り返った。アリツェもすぐさま背後に向き直り、声の主を探す。


「異なことを言いますね。もちろん、この小屋の所有者の関係者ですよ」


 声はすれども、相手の姿が見えない。アリツェたち同様に、精霊術で身を隠しているのだろうか。


 相手は少なくとも精霊使いなのは間違いない。何しろ、今アリツェたちは使い魔たちの精霊術でその身を隠して行動しているのだから。ただの人間に、見破られるはずがない。


「この霊素量……! 件の精霊使いだな!」


 びりびりと感じる霊素は、間違いなく強大だった。ペスやミアの言っていた件の精霊使いに違いなかった。


 と同時に、アリツェは悟った。ペスたちの言葉が決して誇張ではなかったと。確かに、アリツェたちに匹敵するだけの霊素量を感じた。


 だが、ここでひるむわけにもいかない。今回の作戦の目的は、大司教の確保だ。精霊使い一人にかかりっきりになってはダメだった。


 事前の打ち合わせどおりに、アリツェたちはさっそく行動を開始した。


「お兄様、あとはお任せいたしますわ!」


「無茶しないでね、ラディム!」


「まかせろ!」


 アリツェはクリスティーナとともに、黒一色に塗りつぶされた廊下へと足を踏み入れようとした。


「まったく、二手に分かれるだなんて、面倒くさいことをしてくれますね……」


 背後から響く声は、どこか幼さも感じられる女性の声だった。わずかに舌ったらずな感じも受け、もしかしたら声の主が小さな子供なのではないかと、アリツェは疑った。


 現状で、霊素持ちはアリツェと同い年の二十歳のはず。それがどうだ。声はまるで幼女だ。


 となると、考えられるのは、霊素持ちたちの子供……。だが、子供にしては話し方がまったくらしくない。どう考えても大人の語り口調だ。


 アリツェはどうしても気になり、足を止めて振り返った。


「さっさとあなたを倒して、残りの二人も始末しましょうか」


 行動を起こそうとした声の主が、とうとうその身を周囲にさらした。とそこで、アリツェは驚愕した。


「お、おまえは!?」


 先手を取ろうと抜身の剣を振りかぶろうとしたラディムも、信じられないといった声を上げ、得物を手から取り落した。


「あら、私の顔に何かついているのかしら? それとも、私に一目ぼれ? だとしたら、大した幼女趣味ねぇ、お、に、い、ちゃ、ん」


 件の精霊使いは、ニタニタと嫌な笑みを浮かべている。


 アリツェは目の前の光景が、幻術で作られた幻か何かではないかと、目を何度もしばたたいた。


 姿は声のとおりの幼女だった。六歳くらいだろうか。だが、その顔が問題だった。


「ま、マリエ……か?」


 ラディムがかすれた声を出した。その両手は、わずかに震えて見える。


「!? どこでその名を!」


 ラディムのつぶやきに、今度は一転して幼女が目を見開き、大声を上げた。


 だが、すぐに気を取り直したのか、懐から鈍く光るナイフを一振り取り出した。と同時に、両脇に使い魔らしき獣が二頭、姿を現した。イタチか何かだろうか。


「ま、待ってくれ!」


 激しい殺気を放つ幼女に対し、ラディムは慌てて制止の声を上げる。


 状況を見て、アリツェはまずいと思い、ラディムの元へと駆け戻ろうとした。


 あの幼女が本物のマリエだとは思えない。かつて、確かにアリツェが自らの手で、息の根を止めたのだから。


 だが、このままあの精霊使いがマリエそっくりの見た目で攻撃をしてきたとして、はたしてラディムが冷静に反撃できるだろうか。


 ……アリツェは無理だろうと考えた。なぜなら、マリエはラディムの初恋の相手だったのだから。


「問答無用よ! さぁ、死んでちょうだい!」


 幼女はナイフを構えながら、従える使い魔たちに何やら指示を送りはじめた。


「待ってくれ! 君はマリエではないのか!?」


 ラディムはなおも食い下がり、幼女に大声で問いかける。


「なんで見ず知らずのあんたが、私の名前を知っているのよ!」


 幼女は顔を真っ赤にし、不快感もあらわに怒鳴り声を上げた。


 どうやら、偶然か何かわからないが、幼女も「マリエ」と名乗るようだ。……本当に、偶然なのだろうか。


「どうして大司教一派に? それに、君は死んだはずじゃ?」


 何が何やらわからないといった風で、ラディムは戸惑い、頭を振った。


「何をわけのわからない話を!」


 突然、名乗ってもいないはずの自身の名前を言い当てられたためか、幼女にも狼狽の色がうかがえる。金切り声を上げ、ラディムの言葉を打ち消そうとしている。


「……ははーん。さては、ただの時間稼ぎね? いい性格しているじゃない!」


 やがて、少し冷静になったのか、幼女は一転してラディムを馬鹿にするような目で睨み始めた。


「ま、待て!」


 再び殺気をまき散らし始めた幼女に、ラディムは再度制止の言葉をかけた。だが――

 

「うるさいね!」


 問答無用とばかりに幼女は右手を大きく横なぎに払うと、使い魔たちに攻撃の指示を送った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る