2-3 お母様が参列なさっていたなんて

 婚礼の儀式の翌朝、アリツェの元にラディムからの使いがやって来た。


 何やら話しておかなければならない件があるからと、アリツェ一人でラディムの滞在する宿まで来てほしいという。はてなとアリツェは思ったが、双子の兄からの呼び出しだ、断るつもりもなかった。


 アリツェはドミニクに事情を説明し、すぐさま外出着に着替えた。念のためペスを伴い、ラディムの寄こした使いとともに、滞在先の街外れの宿に向かった。


 ラディムとエリシュカ、ムシュカ侯爵らは、領館内ではなく、わざわざ街外れの宿を滞在先に選んでいた。ラディムのたっての希望という話だ。クリスティーナとアレシュの婚約の儀の際も同じ宿に泊まっており、宿側も手慣れたもののようで、滞在に大きな問題は起こっていないとの報告を、アリツェは受けていた。


 帝国一行がグリューンに到着した際、アリツェはラディムに、なぜ領館に泊まらないのかを尋ねた。ラディムはその時、この街外れの宿が、グリューンの街壁の外にある湖から、最も近い場所にあるためだ、とアリツェに説明をした。


 アリツェは湖と聞いて、何も言葉を返せなかった。なぜなら、その湖は、アリツェがマリエの命を奪った場所だから――。


 アリツェがぐっと押し黙るのを見て、ラディムは慌てたように、「違う、アリツェに対する批判の意図は、まったく無い」と弁明をした。少しでもマリエの傍にいたい。ただそれだけの理由だと。


 ラディムとのやり取りをぼんやりと思い出しつつ、アリツェは大きくため息をつく。そのまましばらく歩いていると、眼前に帝国一行の滞在する例の宿が見えてきた。







 アリツェは扉をノックし、ラディムのいる部屋に入った。ペスは部屋の外に待機させておく。


「お兄様、お呼びでしょうか……」


 部屋の奥で一人、こちらに背を向けながら立つラディムに、アリツェは静かに声をかけた。


「悪いな、わざわざ。本来は私から出向くべきなのだが、昨日の後始末のためか、領館内がだいぶごたついていたようだったので、な」


 ラディムは振り返り、にこりと微笑んだ。


 ラディムの言葉どおり、いま領館では、領の官僚や王室の役人などの多くの人間が、残務整理などのために走り回っていた。


 確かにこの宿のほうが、落ち着いた環境で話ができるだろう。


「いえ、とんでもないですわ。お兄様からのお呼び出しであれば、わたくし、どこにいようとも、すぐに駆け付けますわ」


 アリツェも微笑み返し、ラディムの傍に歩み寄った。


「はは、そいつは嬉しいな。……まずは、改めて結婚おめでとう、アリツェ」


 ラディムはくすくすと笑い声をあげると、一転して真面目な顔つきになり、アリツェに祝福の言葉を投げかけた。


「はい、ありがとうございますわ」


 アリツェはスカートの裾を掴みながら、丁寧に一礼した。


「昨日は申し訳なかった。本来は、親族として最前列で参列すべきだったのだが……」


「そういえば、確かにお兄様、お席にいらっしゃいませんでしたわね。エリシュカ様と侯爵様の姿は見えたのですが」


 言葉を濁すラディムに、アリツェはふと、昨日の婚礼の儀の様子を思い出した。


 最前列にはフェルディナントとクリスティーナ、アレシュ、フェイシア国王夫妻、そして、ムシュカ侯爵とエリシュカの姿があった。ラディムと母ユリナの為に設けられた席は、ぽっかりと空いていた。


 ユリナが参列しないだろうことは、アリツェも覚悟をしていた。だが、ラディムの姿までないのはいったいどういう訳なのだろうかと、その時アリツェは疑問に感じてはいた。だが、式の進行に支障をきたすわけにもいかないので、あの場での確認はできなかったが。


「実は、その件で、こうしてアリツェを呼んだのだ」


 ラディムは一層、表情を硬くした。


「まぁ……。いったい、どんなお話なんですの?」


 アリツェはラディムの表情の変化を窺いつつ、首を傾げた。


「実はな、私は二階で見守っていたんだ。……その、母上と一緒に、な」


 ラディムはぼそりと口にした。


「え!?」


 アリツェは頓狂な声を上げ、目を大きく見開いた。


 予想外のラディムの告白に、アリツェは心の内の動揺を隠しきれなかった。まさか、母ユリナがあの場に姿を見せていたとは。


「叔父上から話は聞いている。母上と口論になったそうだね」


 ラディムは少し、悲しそうな表情を浮かべる。


「えぇ……。どうにかお母さまと和解をして、心から結婚を祝福してもらえたならば、どれほど喜ばしいでしょうかと思いまして」


 アリツェはすこし顔をうつむかせ、ユリナとのやり取りを思い出す。


「だが、うまくいかなかった」


 ラディムの言葉に、アリツェは力なくうなずいた。胸がぎゅっと締め付けられる。


 ……皇宮で見えた時と変わらず、アリツェの存在がカレルの死を招いたと、ユリナはかたくなに信じていた。


 あの場ではアリツェも感情をあらわにし、つい声を荒げて反論をした。だが、冷静なまま諭したとしても、おそらくは無駄だったに違いないと、アリツェは思う。


 ユリナとわかりあうまでには、まだまだ時間が必要なのかもしれない……。


「その話を聞いて、私もいてもたってもいられなかった。今は難しくとも、いずれは母上と私たち三人、穏やかに笑い合いながら席を共にできるような関係になれればと、そう私も思っていた……」


 ラディムはわずかに顔を上げ、どこか遠くを見るかのようにぼんやりと天井に視線を向けた。そのまま少し、言葉をつぐむ。


 アリツェも押し黙り、ラディムの首から下げられた『精霊王』の金のメダルを注視する。窓から差し込む朝日に照らされ、メダルの表面は複雑に輝いていた。


「母上がアリツェの結婚を見届けなければ、お互いの関係の修復にとってよくないだろうと私は考えた。そこで、私から無理を言って、母上をどうにか式に参列させたのだ」


 ラディムは沈黙を破ると、視線をアリツェに戻し、目をわずかに細めた。


「そう、だったんですか……。お母さまが……」


 アリツェは胸元に手を置き、目を閉じた。


「もちろん、一階で皆と同じ席に座るのは、色々と問題が多いであろうと私も理解はしていた。母上は突然、気が動転することが多いからな」


「そこで、何かが起こった際、すぐに引っ込むことができるようにと、二階から参列なされたのですね」


 アリツェは再度目を開くと、小さくうなずいた。


 これで、なぜラディムが事前に指定されていた席に座っていなかったのか、理由が分かった。


 事前に伝えておいてほしかったとは思うものの、おそらくはラディムとしても、確実にユリナを教会まで引っ張ってこれるかどうかがわからない状況で、アリツェたちに前もって知らせを入れるのに、躊躇をしたのかもしれない。


「母上も、皇族としての務めは重々理解されている。元々責任感の強い皇女だったからな。しぶしぶではあるが、私の言葉にしたがってくれたよ」


 ラディムは肩をすくめ、苦笑を浮かべた。


 父カレルが亡くなるまでは、ユリナの精神状態には何らの異常もなかったと聞いている。もともとは、自らが犠牲となって、帝国の安寧のために宿敵の家へと輿入れをしたのだ。ラディムの言うとおり、ユリナは皇族としての立場、責任をわきまえられる人なのだろう。ただし、精神が落ち着いてさえいればとの条件は付くが。


「色々、ありがとうございますわ、お兄様」


 アリツェは深々と頭を垂れた。


 ラディムなりにアリツェを案じ、色々と手を尽くしてくれていた。そう思うと、胸の奥にじんわりと温かいものが沸き起こってくる。


「母上の精神が不安定なままなのは、皇室側の責任もあるからな。双子の兄としての想いももちろんあるが、今後、フェイシア王国と仲良くしていきたい帝国皇帝としての思惑も、もちろんあるさ。アリツェが気に病むことはない」


 ラディムはアリツェの肩に手を置き、にこりと微笑んだ。


「形はどうあれ、わたくしの晴れ姿をお母様に見届けていただけた。それだけで、今のわたくしは満足です。……本当に、本当にありがとうございました。お兄様」


 アリツェは満面の笑みをラディムに返し、感謝の言葉を口にした。


 ラディムは帝国皇帝の立場として、などと口にした。だが、アリツェは気付いていた。その言葉は、ラディムの単なる照れ隠しであると。あくまで、双子の妹を大切に思っての行動だと、きちんと理解をした。


 やはり、兄ラディムとは深いところでつながっている。血のつながった、大切な、大切な片割れの兄……。今回の件で、アリツェは深く実感ができた。


「次は、私とエリシュカの結婚だ。近々正式にアリツェの元に招待状を送る。ドミニクともども、ぜひ来てくれ。今の帝国の精いっぱいのもてなしを、させてもらうよ」


 ラディムは少し照れ臭そうに頬を掻いている。


「もちろんですわ、お兄様!」


 アリツェはラディムに抱き付くと、元気よく答えた。

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