2-2 ザハリアーシュの腕輪が何やら怪しいですわ~後編~
その日はその後も幾度か腕輪が震える現象が起こり、都度アリツェは研究室へと足を運んだ。だが、原因は相変わらず不明のままだった。調査担当の官僚も頭を抱えている。
「なんだか、気色が悪いですわね……」
鈍く光りながら振動する腕輪にザハリアーシュの怨念を感じるようで、アリツェは背筋がうすら寒くなる。
もしかしたら、ラディム側の調査でも同様の現象が現れているかもしれない。次回報告時にでも確認の必要がありそうだった。
「まったくだよ……。震える理由が不明なんだから、このまま放置っていう選択肢は、もう取れなくなったね」
ドミニクも顔をこわばらせていた。
領の責任者としては、この腕輪の振動が何らかの問題の前触れの恐れもあるため、見逃すわけにはいかない。継続的に監視する必要がある。
「身につけてみたら、案外震えも収まったりして」
ドミニクはそう口にすると、腕輪に手を伸ばした。
「ちょ、ちょっとお待ちになって、ドミニク! 危ないですわ!」
不用意に手を触れようとするドミニクに、アリツェは慌てて声をかけた。
「心配性だね、アリツェは。今までトマーシュ殿がつけていて問題もなかったんだ、気にしすぎさ」
軽口を叩きながら、ドミニクは震え続ける腕輪を手に取り、腕にはめた。
「……何も起こらないね。相変わらず振動したままで、なんだかくすぐったいな」
ドミニクは苦笑を浮かべながら腕輪を外し、元あった台の上へ静かに戻した。
腕輪は何らの変化も見せず、鈍い光を発しながら震えている。
「もうっ、ドミニクったら……。でも、無事でよかったですわ」
アリツェは胸をなでおろすと、ドミニクに微笑みかけた。
「ふふ、そんなに心配してくれたのかい? 嬉しいじゃないか」
ドミニクはにぱっと相好を崩し、アリツェの頭を撫でた。
久しぶりのドミニクの手の感触に、アリツェは思わずほおを緩める。だが――。
「まったくもう……。今は真面目なお話をしている最中ですのよ。わたくしもドミニクと触れ合えるのは嬉しいですけれど、時と場所を考えないと皆さまに示しが尽きませんわ!」
アリツェは自身の浮つきかけた心を静めるべく、わざと声を張り上げてドミニクをたしなめた。
この領の領主として、従えている官僚たちの前であまり痴態を見せるのはよくなかった。ただでさえ未成年で威厳がないのに、態度まで緩んでいては舐められる。けじめはつけねばならなかった。
「ごめんごめん。最近大司教一派への対策で忙しくて、アリツェ成分が不足していたからね、つい」
ぺろりと舌を出しながら笑うドミニクに、アリツェは「困った人ですわね」と苦笑した。
気分を切り替え、アリツェは改めて台の上に安置されている腕輪へと目を遣った。
なぜだか、妙に惹きこまれる気がする……。
気付いたときには、アリツェは腕輪を手に取っていた。
「何だ、結局アリツェも興味津々なんじゃないか」
ドミニクが少し呆れたように口にする。
「わ、わたくしはただ、領主として、責任者として、実際に自らも試してみるべきだと思っただけですわ! ドミニクのような興味本位では、決してありませんわ!」
アリツェも自分のしでかした行動に驚愕した。バツが悪く、慌ててドミニクに弁解をする。
完全に無意識だった。アリツェの感覚としては、ただ腕輪を見つめていただけだったはずなのだが……。
「ううう……。もしかしたら霊素持ちが身につけたら、また違う結果が出るかもしれないじゃないですか! そんな目でわたくしを見ないでくださいませ!」
ドミニクから向けられる冷たい視線に、アリツェは恥ずかしくて顔が熱くなる。
だが、ここでひとつ新たに気になる点ができた。アリツェの関心を異常に惹きよせた腕輪の力だ。ドミニクは何ともないようなので、霊素持ちにのみ反応しているのだろうか。
「はははっ、ごめんよ。まぁ、ボクが試して安全性は確かめられたんだ。安心してつけてごらん」
にやにやと笑うドミニクにアリツェはむっとしたが、気を取り直して腕輪を腕にはめようとした。
だが、そこで少し躊躇をした。ドミニクが安全だったのは、霊素を持たないから腕輪が反応を示さなかっただけ。そのように考えることもできるからだ。はたしてこのまま、不用心に腕輪を身につけてもよいだろうか……。
だが、霊素持ちにのみ反応する特殊な効果があるのであれば、アリツェが試さないわけにもいかない。シモンやガブリエラでは精霊使いとしては半人前なので、何かがあった時危険だ。だが、アリツェであれば、大概の事態には独力で対処できる。
意を決し、アリツェは左腕にゆっくりと腕輪をはめた。
「あ、あれっ!?」
アリツェは頓狂な声を上げた。
突然腕輪の明滅が激しくなり、熱を持ち始める。
「これは……。アリツェ、いけない! すぐに腕輪を外すんだ!」
ドミニクは慌てた様子でアリツェの手をつかみ、腕輪を外そうと手を伸ばした。だが――。
「ドミニク、お待ちになって! ……これは!?」
瞬く腕輪から、突然ラディムのものらしき声が発せられた。
「その声はお兄様!? いったいなぜ?」
遠くミュニホフにいるはずのラディム。この場でそのラディムの声が聞こえるのはどう考えてもおかしい。
「もしかして、アリツェか? いったいどうしたんだ、これは!」
ラディムの叫び声が研究室内に響き渡った。どうやらアリツェたちの声もラディム側に聞こえている様子だ。
「わたくしにもわかりませんわ! ただ、院長先生からお借りしている腕輪が震えていたので、何事かと思って腕にはめただけですわ!」
焦るアリツェは早口でまくし立てる。
「なんと……」
ラディムは声を詰まらせた。
ラディムも腕輪の秘密を探ろうと、あれこれ腕輪をいじくっていたらしい。霊素を注入しながら腕輪をつけたり外したりしていたようだ。そんなさなか、突然腕輪が瞬き出し、アリツェの声が漏れ聞こえてきたのだという。
「再現できるかどうかの実験は必要だが、これは、もしかしたら通信機の役割も持っているのかもしれないな……」
ラディムの推測に、アリツェはなるほどとうなずいた。
それから疑問点やら気付いた点やらをラディムとやり取りし、どうやらこの腕輪のもう一つの効果として、遠隔地の相手と腕輪を通じて交信ができる通信機能があるのは間違いないと、アリツェは確信した。
つけたり外したり、霊素を纏わせたり外したり、色々と実験をした結果、次のことが判明した。
一.通信のためには、精霊使いが互いに腕輪を身につけている必要がある。
二.通信開始には、どちらかが霊素を腕輪に纏わせる必要があり、霊素注入に反応して相手側の腕輪が震え出す仕組みになっている。
三.腕輪を身につけるのは必ず霊素を持った者でなければならないが、一度通信が開かれれば周囲にいる人間の声も拾えるので、遠隔地同士の会議も可能になる。
この事実は大きい。これまでの伝書鳩によるやり取りでは、あまりにも時間がかかりすぎていた。だが、今後は腕輪による通信で、容易にラディムとの相談事が可能になる。
ただの霊素感知器以上の重要な効果がわかった以上、ますます腕輪の秘密解明に対する重要性が増した。もはや捨て置けるようなものではない。この腕輪は国宝レベルの貴重品と言っても、過言ではないだろう。
であるならば、別の懸念も出てくる。万が一、同様の腕輪を大司教一派が複数隠し持っていたとすれば、彼らは容易に外部の協力者と連絡が取れることになる。山中での孤立無援を恐れる必要がなくなるのだ。
「大司教たちがこの腕輪を所持しているとしたら、ちょっと都合が悪いですわね……」
アリツェのつぶやきが聞こえたのか、ラディムも「どうやら大司教捕縛に、一刻の猶予もなさそうだな」と答えた。
この冬までに大司教一派をとらえられなければ、彼奴等は絶対にこの通信機で外部の協力者と連絡を取り、どこかへ身を隠すはずだ。そうなれば追跡は困難になる。エウロペ山中へ逃げ込んでいるのが確実な今を逃しては、長期戦に陥りかねなかった。外部とリアルタイムで連絡が取りあえるのであれば、山中へ籠城させてジリ貧を待つという手段がとりにくくなる。
こうしてラディムと気軽に会話ができるようになったのは僥倖だったが、それ以上の問題点も現れ、アリツェはしゃがみこんで頭を抱えた。正直、難題だらけで頭が痛かった。
「大司教一派が腕輪を持っているとは限らないんだ。今は不確定な問題に頭を悩ませるよりも、山中への精霊使い派遣について相談すべきだよ」
ドミニクは見かねたのか、座り込んだアリツェの肩に優しく腕を置き、頭を切り替えるように諭した。
ドミニクの言い分ももっともだった。今最優先にすべきことは、エウロペ山中へ進軍するためのラディムやクリスティーナとの打ち合わせだ。
「ありがとうございますわ、ドミニク。おかげで落ち着きましたわ……」
肩に触れるドミニクの腕の重みが、アリツェの乱れる思考をほぐしていく。
「クリスティーナをグリューンへ呼びましょう。ここで腕輪を使って、お兄様と三者会談ですわ!」
アリツェは立ち上がり、手に力を籠めぎゅっと握りしめた。
クリスティーナだけ伝書鳩でのやり取りをしていては、不都合が生じる。ここは多少無理を言ってでも、クリスティーナにグリューンへ赴いてもらうべきだとアリツェは判断した。
「なるほど妙案だ。確かにグリューンにクリスティーナがいれば、精霊使い三者での話し合いが容易にできるね」
ドミニクも得心がいったのか、首を縦に振った。
「そうと決まれば、さっそくクリスティーナへ伝言ですわね! ルゥ、お願いできますか?」
アリツェは窓際に移動し、遮光している暗幕をずらした。窓外には鳩のルゥが控えている。
『合点承知だっポ。クリスティーナにグリューンへ向かうように伝えるっポ』
アリツェが念話で指示を伝えるや、ルゥはワルス方面へと飛び立っていった。
使い魔のルゥの身体能力は非常に高い。通常使っている伝書鳩の二倍の速度で飛べるため、急使にはもってこいだ。普段は精神リンクを高めるため、また、アリツェの身辺警護のために、伝令役としては使っていないが、今回の事態は一刻を争っている。ルゥを使いに出すには十分な理由が立った。
「もうすぐ秋……。どうか間に合いますように……」
小さくなっていくルゥの後姿を眺めながら、アリツェはぽつりとつぶやいた。この季節にしては珍しく、上空は厚く垂れこめる黒い雲で覆われていた……。
ルゥをクリスティーナの元へ送ってから一週間が経過した。アリツェはクリスティーナの到着を、領館の執務室で首を長くしながら待っていた。
九月も下旬に差し掛かろうとしている。昼間はまだまだ残暑が厳しいが、朝晩はだいぶ涼しくなってきた。本格的な秋は、もう目前に迫っている。
『ご主人、間もなくグリューンに着くっポ。無事クリスティーナを連れて来れたっポ』
と、突然ルゥからの念話が脳裏に飛び込んできた。念話が通じるということは、もうルゥたちはだいぶ近い。
それから小一時間、クリスティーナがアリツェの執務室に顔を出した。
「お待たせしたわね、アリツェ! 話は聞いたわ!」
執務室に入るなり、クリスティーナはアリツェの元へと駆け寄り、アリツェをギュッと抱きしめた。
「もごもご……。ちょ、ちょっとクリスティーナ、苦しいですわ!」
同い年のはずなのに、アリツェと比較してはるかに育ったクリスティーナの胸元へ、アリツェは顔を押し付けられる形になった。ちんちくりんのアリツェと違い、クリスティーナは背も高い。まるで大人と子供だ。
「うふふ、いいじゃない。アリツェと私の仲でしょう?」
クリスティーナは声を弾ませながら、再びアリツェを強く抱きしめる。
「あー、あー。クリスティーナ様?」
背後から咳払いと一緒にドミニクの声が聞こえた。
「あら、ドミニク様。いらっしゃったんですね」
とぼけたような声でクリスティーナは応じた。
「アリツェをぎゅっとしていいのはボクだけです。さあ、離れてください!」
ドミニクは強い口調でクリスティーナに抗議した。
ドミニクがアリツェを溺愛し、大切にしてくれているのは嬉しかった。だが、今抱きしめてきているのは男性ではない。同い年の同性の友人、クリスティーナだ。そこまで目くじらを立てるような話でもない。
ただ、そんな話をドミニクに言ったところで、きっとドミニクは取り合わないだろう。「可愛いアリツェなら、女性から狙われたって不思議じゃない!」などと、ドミニクなら言いそうだとアリツェは思う。
愛されていると感じられて好ましいのだけれど、ただ、たまにドミニクの愛は重すぎる。
「もう、男のくせにケチ臭いわね。愛くるしくて魅力的なアリツェはみんなのもの。違いまして?」
こっぱずかしい形容詞でアリツェを飾るクリスティーナの言動に、アリツェは身体がむずがゆく感じた。
クリスティーナは本気で言っているのだろうか。抱きとめられたままなので、表情を窺えないのが悔しい。
「違いますっ! アリツェはボクの婚約者です!」
ドミニクにしては珍しく、冷静さを失っているような声で叫んだ。
「うふふっ、怒った顔もなかなか素敵よ、ドミニク様。……冗談だから、心配なさらないで」
ケラケラと笑いながら、クリスティーナはアリツェを解放した。どうやらクリスティーナなりの、再会を祝うお戯れだったようだ。
クリスティーナにいいようにからかわれて、傍でドミニクがぶすっとした表情を浮かべている。憮然としているドミニクの様子がおかしくてアリツェも思わず吹き出し、クリスティーナと一緒に笑い声をあげた。
ドミニクはますます不機嫌そうに顔を歪めたが、すぐに気持ちを切り替えたのか、話題を変えた。
「アリツェ、時間がないんだよね。ほら、さっさと研究室へ向かおう。ラディムも待っているはずだ」
普段はからかう側に回る場面の多いドミニクだ。からかわれるのは、どうやら不慣れなようだった。少し気恥ずかしそうに顔を赤くしていた。
「そうそう! 腕輪の面白い効果が見つかったんですって? 遠隔通信機器だなんて、素敵じゃない」
ドミニクをからかうのは終わりとばかりに,クリスティーナはパンっと軽く手を叩いた。
「早く見たいし、さっそく案内してくださいな」
クリスティーナは急かすようにアリツェの手を取ると、「さぁ、急ぎましょ」と引っ張った。
「い、今すぐ案内いたしますわ。そんなに引っ張らないでくださいませ」
嵐のようなクリスティーナの登場に、アリツェとドミニクはすっかりペースを握られていた。
だが、おかげでアリツェの心の内によどんでいた焦燥感が、一時的にでも消えたような気がした。軽くなった足取りで、アリツェはクリスティーナを先導する。
いよいよ遠隔通信機を用い、今後の方針を決めるための会議が始まろうとしていた。良い方向に話が進みますようにと、廊下を早足で歩きながらアリツェは精霊王に願った。
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