第十九章 説得

1 大司教を野放しにはできませんわ

 帝都ミュニホフでの残務整理を終え、アリツェとドミニクは領地のグリューンへと戻った。


 新生バイアー帝国の始動を見届け一息つきたいところではあったが、まだ大きな懸念が残っている。世界再生教大陸中央支部の大司教一派が野放しのままだ。


 アリツェは領館の自身の執務室にこもり、補佐役のドミニクとともに逃走中の大司教たちへの対策に頭を悩ませていた。


「このままではいけませんわっ!」


 アリツェは執務机を叩きながら、声を張り上げた。


「真の黒幕っぽいからねぇ。大司教を野放しにしていたら、また、別の国で同じ企みをされる危険性がある」


 ドミニクはアリツェを見遣り、苦笑を浮かべた。


「やはり、わたくしたちが何とかするしかないですわっ!」


 再度、アリツェは机を叩く。


 大司教一派は、精霊教を不当に貶めた元凶だ。精霊を心から愛しているアリツェにとって、決して許せる相手ではなかった。


 そもそも彼奴等が陰謀を企てさえしなければ、帝国の混乱はなかった。名君ベルナルドの下、帝国国民は安定した治世を享受できたはずなのだ。それを壊した大司教一派が、裁きも受けずにのうのうと逃げ回るだなんて、許されるはずがない。


 最後には自ら死を受け入れたベルナルドだが、無念の思いは強かったはずだ。アリツェにとっては絡みが薄かったとはいえ、叔父であり血縁者だ。それに、自ら大恩ある叔父に手を下す形になったラディムの悲痛な思いをも目にしている。なんとしても、ベルナルドの敵を討ちたかった。


「報告では、エウロペ山脈のほうへ逃げて行ったんだよね。ちょっとマズいな」


 ドミニクは渋面を浮かべ、壁にかかる周辺地図に視線を移した。


 グリューンの南方、大陸中央部を東はヤゲル王国の東端から、西はバイアー帝国を貫き、バルデル公国内の海岸線に至るまでの超長距離を横切る急峻な山々。それが、エウロペ山脈だ。


「ですわね。……もう季節は秋に差し掛かっています。早めに行動をしないと、追えなくなってしまいますわ」


 険しい山に分け入るには、時機を十分に考えなければならなかった。晩秋にもなれば、雪で身動きが取れなくなる。急ぎ行動に移さねばならない。


「さっそく明日から、追跡のための準備を始めようか」


 ドミニクの言葉に、アリツェは首を縦に振った。







 翌日、アリツェはエウロペ山脈関連の資料やら領軍の整備状況報告書やらを、領政府の官僚たちに依頼し集めさせた。ざっと内容を確認し、さっそくドミニクと打ち合わせに入った。


「さて、大司教の追跡ですけれど、いかがいたしましょうか」


 ドミニクも手元の資料を読み終えたのか、アリツェの問いに顔を上げた。


「確か、ラディムやクリスティーナもエウロペ山脈へ行こうって、考えているんだよね?」


「はい。伝書鳩による報告では、そう伺っておりますわ」


 個人的な強いつながりのできたラディムとクリスティーナとは、定期的にやり取りを交わしていた。


 やはり、二人とも大司教は放置できないと考え、アリツェ同様に討伐隊の派遣を考えているようだった。


「それぞれ、バイアー帝国やヤゲル王国の近衛部隊辺りを使うつもりなのかな?」


「どうでしょうか……。お兄様も、クリスティーナも、個人的に動かせるのはやはり近衛だとは思うのですが」


 アリツェとは違い、ラディムもクリスティーナも皇(王)室の人間だ。専属の近衛を持っている。


 先だっての対帝国戦、アリツェも自身の目で、二人の近衛部隊の実力をしかと確認していた。会戦で帝国軍を圧倒したヤゲルの近衛弓兵隊と、ミュニホフ皇宮でベルナルドの近衛部隊と対峙したラディムの近衛隊……。いずれも精強と言っても過言ではない。


「ボクも王族だけれど、伝道師として動いているせいで、個人的な近衛部隊は持っていないんだよね」


 ドミニクは頭を掻きながら、少々バツが悪そうにため息をついた。


「私たちは子爵領の領軍から、選りすぐりを連れて行きましょう」


 アリツェは王家直轄の近衛部隊を扱える身分ではない。だが、地方領地の領主ではある。自らの領軍を持っているのだ。そこから選抜し、部隊を編成すればよいだけだ。


「山岳行動になる可能性もあるし、そのあたりに強そうな兵を、うまいこと見つけられればいいんだけれど……」


 言葉を濁すドミニクに、アリツェはハッとし、肩を落とした。


「ちょっと、難しいですわね。プリンツ子爵領は平地ですし、一番近い山でも、相当に遠いですわ。山登りの経験のある兵は、さすがに皆無でしょうか……」


 ドミニクの言うとおり、今回は山岳戦を想定せざるを得ない。平地しかない地方領地の領軍に、登山経験者がいるはずもなく……。


「うーん……。屈強そうな者を連れていくしかないか」


 ドミニクはつぶやくと、執務机から離れ、窓際へ移動した。庭先では領軍所属の警備隊が、巡回をしている。その様子を眺めているようだった。







 さらに翌日、アリツェとドミニクは領軍の様子を直に確認すべく、軍の訓練場へと足を運んだ。


 訓練場の中へ入れば、熱く湿った空気が肌にまとわりついてきた。……正直言って、汗臭かった。だが、この臭いも、領軍がきちんと訓練を積んでいることの証左でもある。そう思えば、決して悪い臭いでもなかった。


 アリツェの登場に、周囲に響き渡る剣戟の音もより激しさを増していく。模擬戦に励む新兵たちのはつらつとした表情に、頼もしさを感じる。


 だが――。


「ボクたちが前線に行っている間も、新兵の訓練はきちんと進められていたようだけれど……」


 訓練の様子を眺めながら、ドミニクは沈んだ声を上げる。


「最前線の王国近衛部隊やら、ヤゲルの近衛弓兵隊やらを見ているせいか、さすがに見劣りいたしますわね」


 ぱっと見の体裁は整えられたと言える。だが、こまごまとした部分に注意を向ければ、どうしても粗が気になる。


「どうしよう、彼らを連れて行ったところで、かえって足手まといにならないか?」


 口元に手を当てながら、ドミニクは唸り声をあげた。


 新兵たちが努力している様子は、確かにアリツェにも感じられた。だが、訓練期間の少なさはいかんともしがたい。まだまだ困難な作戦へ従事させるには、経験が足りないように見受けられた。


「山に分け入る可能性が高い点を鑑みますと、今回の作戦、そもそも軍隊行動が不向きでしょうか……。精鋭をそろえて一気呵成に、といきたいところでしたが、現実は厳しいですわね」


 今の状態でも平地での戦いならば、問題なく遂行できそうではあった。だが、山岳戦となれば話はまったく別だ。この練度で連れていくには、あまりにもリスクが大きすぎる。


 また、山の中ではゲリラ的な戦い方が主になるだろう。軍隊としての集団行動が、果たして向いているのかどうか、そこから考え直す必要があるかもしれなかった。


「シモンとガブリエラの精霊術の修練がもう少し進んでいたら、また選択肢は増えたのかもしれないけれど」


 ドミニクは、今アリツェが指導をしている二人の見習い精霊使いの名を挙げた。


「まだまだとても、戦いの場に出せる水準ではないですわ。二人が一人前になっていれば、軍は連れずに精霊使いだけで乗り込んだほうが話は早いのですが、ちょっと無理ですわね」


 アリツェは頭を振った。


 ドミニクの言うように、シモンとガブリエラが一人前に育ってさえいたならば、精霊術を前提にした様々な手段を採れたかもしれない。


 だが、ないものねだりをしたところで、益はない。今できる方法を模索するしかなかった。


「ボクとアリツェだけで行くってわけにもいかないしねぇ、さすがに」


「大司教側がどれだけの戦力を持っているかがわかりませんもの。二人旅は危険ですわね。ドミニクはともかく、わたくしはまったく軍事訓練を受けた経験がございませんし」


 二人旅はアリツェもちらっと考えた。対帝国戦中は、頻繁にドミニクと二人での行動をしていたのだから。


 だが、あの時は二人でも危険はないと確信できたから、周囲もとやかくは言ってこなかっただけだ。


 今回は見通しのきかない、足場の悪い山中での作戦になり得る。敵側の戦力の規模もわからない。いくら使い魔がいるとはいえ、状況を考えれば、危険度は戦争中の比ではなかった。


「さて、困ったぞ……」


 新兵たちの掛け声がこだまする訓練場の壁際で、アリツェとドミニクは頭を抱えて座り込んだ。







「アリツェ、悪いね。今忙しいんだろ?」


 課題の爆薬小石を作りながら、シモンはすまなそうに口にした。


「ふふ、構いませんわ。教師役も、良い気分転換ですし」


 アリツェはシモンに微笑みかける。


 こうして定期的にシモンとガブリエラに精霊術の手ほどきをしているが、教え好きの性格もあって、格好の息抜きにもなっていた。


 対大司教討伐隊の編成に苦慮している今、数少ない安らぎの時でもある。


「そういってもらえると、私たちも助かるわね。っとと、難しいな、これ」


 ガブリエラはアリツェに謝辞を述べつつ、小石に霊素を注入しようとあれこれ試していた。


 シモンとガブリエラは並んで座り、正対して座るアリツェの手元の動きを注視していた。アリツェは二人がわかりやすいようにと、あえてゆっくりと作業風景を見せる。瞬く間に積みあがる爆薬小石の山に、二人の歓声が漏れた。


「でしたら、意識をこの辺りに集中して……。そうそう、そんな感じですわ」


 何度も試みては、霊素の注入のし過ぎで小石を破壊するガブリエラに、アリツェは後ろから手を添えて、細かく霊素の注入タイミングを指示する。


「ほぇー、すごいわ……。いくら自習していてもさっぱりだったのに」


 できあがった爆薬小石を指でつまんで掲げ、ガブリエラはしげしげと眺めた。漏れ出るため息も、喜色に染まっていく。


「うまい人に直接教えてもらうのが、やっぱ一番なんだね」


 シモンはけらけらと笑いながら、次々と爆薬小石を作っていく。


 どうやらコツを掴めた様子だ。滑らかに動かす手つきに、アリツェは感心した。シモンはマジックアイテムの作成に適性がありそうだった。


「情勢がもう少し落ち着けば、わたくしが常時、手ずからお教えいたしますのに……。口惜しいですわっ!」


 アリツェは胸の前で両手を組み、目をつむって天を仰いだ。


 アリツェの人生の大きな目的の一つである、精霊術の普及。こうして人に教えていると、アリツェの視界に映る世界は、彩度も鮮やかな美しいものに変化する。心も満たされ、幸福感に包まれる。


 常日頃から精霊術の普及教育に携わり続けられたなら、どれほどの多幸感を得られるであろうか。


「アリツェはホント、精霊術が大好きだな!」


 感心しつつも、しかし、どこか呆れたようにシモンが笑った。


「当然ですわ!」


 精霊バカと笑われてもいい。いや、むしろそう言われることこそ、本望ではないか。アリツェは真に、精霊を愛していた。


 愛くるしい使い魔たちを通じて感じる精霊たちのエネルギー。世界中に適切に満たされれば、この世界に多くの幸をもたらすはずだ。過剰になりすぎてもいけないし、欠けてもいけない。その霊素とも言われる精霊たちのエネルギーを、バランスよく維持し続けることこそが、精霊使いのなすべき役割だ。


「アリツェ様!」


 一人自分の世界に浸っていると、不意にアリツェを呼ぶ声が耳に飛び込んできた。


 アリツェは組んでいた手をほどき、目を開いた。部屋の入口に、領館の官僚の姿があった。


「あら、どうされました? 急用ですの?」


「定期便以外の伝書鳩が届きましたので、念のため早めにお知らせしておこうかと」


 アリツェが投げかけた言葉に、官僚は要件を口にしつつ部屋の中へと入り、伝書鳩で送られてきたものと思われる文書をアリツェに手渡した。


「あら、助かりますわ。お兄様と……あら、クリスティーナからもありますわね。何でしょうか?」


 渡された書類は、帝国のラディムからと、ヤゲルのクリスティーナからのもの、二通あった。


 すぐさま書類の封を開き、中身に目をとおす。


「これは……。願ってもいなかったお誘いですわね」


 アリツェは急に視界が開けたような気分を抱いた。ここ数日悩んでいた件が、解決したかもしれない。


「シモン、ガブリエラ、ごめんなさい。少々急ぎの用ができてしまいましたの。続きはまた」


 アリツェはいてもたってもいられなくなった。少々後ろ髪を引かれる想いはあったが、すぐさまドミニクにも報告したかった。


 アリツェはシモンとガブリエラに謝罪の言葉を伝えると、立ち上がり、急ぎドミニクの私室へと向かった。


「頑張ってね、アリツェ!」


「こっちはこっちで、自習を進めておくよ!」


 部屋を出ようとしたところで、背にガブリエラとシモンの言葉がかけられる。


 アリツェはぱっと振り返り、笑顔で返した。







「ドミニクっ!」


 ドミニクの部屋に飛び込むや、開口一番、アリツェは愛しの婚約者の名を呼んだ。


「ど、どうしたんだい、アリツェ」


 アリツェの剣幕に、ドミニクは目をむいている。


 ティーカップを片手に、ドミニクは窓際に立っていた。どうやら外の様子を眺めていたようだ。だが、アリツェのただならない様子に、慌ててカップを取り落としそうになっていた。


 カップをカチャカチャと鳴らしながらも、ドミニクはどうにか中身をこぼさずに持ち直し、改めてアリツェの姿を見遣る。


「……なんだか、吹っ切れたような顔をしているね」


 少し意外そうに、ドミニクはほうっと息を吐いた。


「朗報ですわ! お兄様とクリスティーナからこんな知らせが」


 アリツェは窓際に向かってずんずんと歩き、右手に持つ報告書をひらひらと振った。


「どれどれ……」


 面食らいながらもドミニクは書類を受け取り、目をとおす。


「――ほほぅ、こいつはいいね」


 ドミニクはつぶやき、何度かうなずいた。


「では、この方向で話を進めてもよろしいかしら?」


 アリツェは鼻息荒く、ドミニクに詰め寄った。


 手づまりな現状を打破するには、ラディムやクリスティーナの提案は願ってもないものだった。ドミニクに反対はしてほしくない。


「もちろんさ!」


 ドミニクは笑顔で応え、アリツェの頭にポンっと手を載せた。


 アリツェは相好を崩し、ホッと胸をなでおろした。これで一歩前進だ、と。

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