2 どのように対処いたしましょうか?

 帝国内に侵入し六回目の野営を終えた翌日、アリツェたちは目的地のムシュカ伯爵領に接する、小さな男爵領に到達していた。何事もなければ、夕方までには伯爵領内に入れそうだった。


 いつまでムシュカ伯爵領軍が持ちこたえられるかがわからない以上、一刻も早くたどり着かねばならない。アリツェはひたすら身体強化の精霊術を馬にかけ、街道を疾走する。


 日が傾きかけた頃合いに、アリツェは前方で何やらざわめき立っているのに気付いた。


「あそこを御覧なさって。伯爵領軍と帝国軍が、にらみ合いをしておりますわ!」


 アリツェは目を凝らして見遣った。どうやらムシュカ伯爵領軍と帝国軍が、伯爵領の領境付近で対峙しているようだ。


 一見したところ、大きな動きがないように認められた。だが、よくよく注視すれば、伯爵領軍はじりじりと帝国軍に包囲されていっているようにも感じられる。


「ちょっとまずいね、伯爵側が押され気味だ。やはり、導師部隊のせいかな?」


 伯爵領軍の側面の陣形は大分乱されていた。導師部隊の奇襲でも受けたのだろうか。


「急ぎ合流いたしましょう。……会戦のど真ん中を突っ切るわけにも参りませんし、帝国領内に侵入した時のように、上空から迂回が最善でしょうか」


 たった二人で、大軍が対峙している平原に突っ込むのは自殺行為だ。辺境伯領から帝国領内に侵入した時のように、遠回りでも上空から伯爵領に入るのが最も安全だと、アリツェはすかさず判断する。


 アリツェはルゥとペスに風の精霊具現化を施し、今回はアリツェとドミニクの騎乗している馬に翼を纏わせた。馬を捨て置いていくわけにもいかなかったので、騎乗したままの空の旅だ。


 素早く精霊感応のスキルを用い、馬たちと意思疎通を図った。馬はアリツェの指示どおりに翼を動かし、徐々に浮上した。一週間行動を共にしたおかげか、馬もアリツェの指示に素直に従っている。


「こうして精霊術で空を駆ければ、まるで悠太様の記憶にある天馬のようですわ。……栗毛色なのが、少々興ざめでございますが」


 アリツェの興ざめ発言に、馬たちからの抗議のいななきが起こる。アリツェは慌てて首筋を撫で、機嫌を取った。


 飛行が安定したところで、アリツェは遠目で会戦の様子を観察した。やはり、伯爵領軍側はあちこちで陣形が崩され、混乱しているようだ。このままでは敗走もあり得る。……急がなければならないと、アリツェはルゥ経由で改めて馬たちに霊素を込め、速度を上げた。







 日が落ちて薄暗くなったころ、アリツェは伯爵領軍が陣を張る林の中へと降り立った。情勢の不利もあって、陣内は重苦しい雰囲気に支配されている。


 突如上空から舞い降りたアリツェたちに、最初は大きなざわめきが起こった。だが、アリツェが身分を示し、フェルディナントから預かったムシュカ伯爵への書状を見せると、すぐさま伯爵の待つ司令部の天幕へと案内された。


 司令部の天幕に入ると、なお一層の陰鬱な気配に包まれている。表で見てきた以上に、状況はひっ迫しているのだろうか。


「伯爵様! ご無事ですか?」


 アリツェは沈んだ空気を打ち壊そうと、声を張り上げた。


「アリツェ殿! それに、ドミニク殿まで! どうしてこちらに? ……もしかして、援軍でしょうか?」


 伯爵はアリツェとドミニク以外に同行者がいないことを訝しがっている様子だ。


 伯爵領軍への援軍にしては、アリツェたちはまったく兵を連れてきていない。伯爵が首をかしげるのも当然だろう。


 だが、すぐにアリツェが精霊使いだと思い出したのか、一転して表情を緩め、「なるほど、対魔術の秘密兵器というわけですな」と口にし、納得顔でポンッと手を叩いた。


「はい、こちらにザハリアーシュ率いる導師部隊が現れたと聞き、急ぎ駆け付けましたわ」


 アリツェは努めて明るく振舞った。とにかく場の空気を換えねば、落ち着いて話ができない。


「助かる。魔術によるマジックアイテムで前線が翻弄され、我らの方が兵数が多いのに、大分押されているのだ」


 ほっと安堵の表情を伯爵は浮かべた。


 アリツェは昼間見た会戦の様子を脳裏に浮かべ、そういえばマジックアイテムの爆薬らしき煙が、あちこちで上がっていたと思い出した。


「導師部隊はわたくしの精霊術で何とかいたしますわ。どのような形で支援をいたしましょうか」


 アリツェの判断ですぐに対処に入ってもよかった。だが、ここは王国軍ではない。伯爵領軍の正規部隊との連携も必要だと考え、伯爵に確認を取った。


「今のところ、ザハリアーシュらは爆薬……だったか、小石くらいの大きさのマジックアイテムを大量に用意し、側面や背後から奇襲を仕掛けてきておる」


 上がっていた煙は、やはり爆薬の硝煙だった。確かに一か所ではなく、あちらこちらから煙が上がっていたので、あれでは陣形も維持できないはずだと納得する。


「何らかの手段で姿を隠しているうえに、こちらからの感知が非常に困難でな。どうにも手を焼いておるのだ……」


 厄介な話だが、導師部隊は爆薬以外に、視覚を遮断する何らかのマジックアイテムも身につけているようだ。視覚に頼れないとなれば、霊素を感知できない人間では、なんとも対処のしようがない。大軍がひしめく戦場では、音やにおいに頼って探すわけにもいかないだろう。


「わかりましたわ。でしたら、わたくしと使い魔とで周囲を、特に側面と背後を重点的に警戒いたしますわ。『生命力』持ちの感知なら、問題なくできますのでお任せくださいませ」


 とりあえずは潜んでいる導師部隊の発見が先決だと考えた。伯爵領軍側に隠密行動を見破れる者がいるとわかれば、導師部隊も好き勝手な行動はできなくなるだろう。抑止力的な観点からも、アリツェの存在は知らしめたほうがいい。


「そいつはありがたい。存在さえ事前に掴めれば、爆薬自体はそこまで殺傷能力はないので、なんとかできるだろう。相手も魔術が使えるだけで、軍事の訓練をほとんど受けておらん子供の集まりだしな」


 どうやら手を焼いているのはマジックアイテムの存在のみのようだ。それさえ封じれば、あとは正規兵にとっては取るに足らない相手と化す、と伯爵は断言した。


「できれば、殺さないで捕らえていただけると……」


 皇宮に忍び込んだ時に遭遇した導師部隊の様子を、アリツェは思い浮かべる。同い年の子供で、貴重な霊素持ち。これから世界の余剰地核エネルギーを消費するためにも、霊素持ちの子をむやみやたらに殺めたくはない。


「私もできればそうしたい。彼らの能力は、将来の帝国に必要になるだろうしな。ただ、そのためにいたずらに兵を損耗するわけにもいかない。そこはわかってほしい」


 苦虫をかみつぶしたような表情を伯爵は浮かべた。


「はい、それはもちろんですわ……」


 指揮官としての伯爵の立場もわかる。戦場に出ている兵士も、家に帰れば家族がいる。大切なひとつの命には変わりがない。


「ではすまないが、さっそく哨戒に入ってもらえるかな?」


 アリツェに対魔術のすべてを託す結果となり、伯爵は気が咎める気持ちがあるのだろう、その表情は少し暗い。


「わかりましたわ!」


 だが、こと対魔術に関してはアリツェにしかできない役割だ。指揮官として命じるのは当然だと、アリツェも納得をしている。なので、気に病んでほしくはないと思い、あえて元気よく答えた。


「あ、あと伯爵様、これを」


 アリツェは背嚢を下ろし、中に手を入れてゴソゴソと漁る。丁寧に紙包みを取り出し、伯爵に手渡した。


「ん? なんだい、この奇妙な木彫りのアクセサリーは」


 伯爵は包みを剥がし中身を確認するや、小首をかしげた。中身は色彩豊かに彩られた木彫りの馬だ。


「エリシュカ様から伯爵様にと。ヤゲル王国伝統のお守りだそうですわ。出征する兵に、家族が無事を祈って渡すものらしいですの」


 託された時にエリシュカから聞いた由来を伯爵に伝えると、伯爵はお守りを顔に近づけ、じっと見つめた。


「そうか、エリシュカが……。アリツェ殿、ありがとう」


 胸にぐっとくるものがあるのか、伯爵はやや言葉を詰まらせ、礼を述べた。


「いえいえ、わたくしはただのメッセンジャーですわ」


 お守りを大事そうに手に取る伯爵を見て、アリツェは相好を崩した。







 アリツェたちは伯爵との話を終えると、司令部を離れ、与えられた自分たちの天幕に向かった。今後の行動計画を、手早くドミニクと相談しなければならない。


「周辺の地理は大分頭に入りましたわ。このようなコースで巡回をしたいと思うのですが、いかがかしら、ドミニク」


 伯爵から預かった地図を机に広げ、アリツェは考えた道順を指し示す。


 上空から見た硝煙の位置を考慮に入れ、アリツェなりに効率的なコースを選び取った。


「うん、悪くないと思う。今回はミアもラースもいないけれど、一日中ボクたちが廻るわけにもいかないよね。どうする?」


 問題はそこだった。辺境伯領では、深夜の巡回はミアとラースに任せていた。だが、今は連れていない。ドミニクと二人で分担するにしても、一人十二時間は無理がある。だが――。


「すでに戦闘に入っておりますし、何度か奇襲も受けているのであれば、わたくしたちが頑張るしかないですわ。日中はわたくしとルゥ、夜はドミニクとペスにお任せする形でいかがでしょうか?」


 負担を考えるとかなり無理があるが、二交代にせざるを得ない。


 王国軍とは違い、世界再生教の信者だった者の多い伯爵領軍内で、使い魔の単独巡回はさすがに不味いだろう。伯爵領内では誤解が解け、霊素や精霊が悪ではないと知れ渡っている。とはいえ、かつての使い魔に対する帝国国民の敵意は、そう簡単に捨て去りきれるとは思えない。


 一週間程度ならドミニクと二人での分担で、どうにか哨戒を維持できる。だが、それ以上はさすがに体力的に厳しくなってくる可能性がある。なので、対導師部隊に関しては、この一週間が勝負だ。早々にどうにかしなければ、アリツェたちが先にへばってしまう。


「うーん、アリツェと別行動は不安だなぁ」


 ドミニクは眉を寄せた。


「しかし、伯爵領軍は使い魔を見たことがない方ばかりのはずですし、何よりかつては、その使い魔に憎しみをも抱いていたのでしょう? 何かあった際に、わたくしかドミニクが使い魔の元に一緒にいなければ、大問題になりかねませんわ」


「……そうだね、その点は妥協するか」


 しぶしぶといった様子でドミニクはうなずいた。


「本当は、ショートスリーパーもありますし、暗視の精霊術も使えるので、わたくしが夜を廻るべきなのですが……。さすがに十三歳の小娘が、真夜中に戦地をうろつくのは間違いなく止められますわ」


 事情を知らない一般兵から見れば、アリツェはただの良家のお嬢様にしか見えないはずだ。戦場で歩き回っていてよい存在ではない。しかもそれが夜中であればなおさらだ。


「ま、そうだよねぇ」


 ドミニクは苦笑している。


「とにかく! ルゥが一緒ですし、わたくしの身はご心配なさらなくても大丈夫ですわ!」


 ドミニクを安心させるように、アリツェはグッと体をそらし、ポンッと胸を叩いた。


「わかったよ、アリツェ」


 ドミニクは苦笑いを浮かべつつ、首肯した。

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