4 わたくしの手料理を皆様に振舞いますわ
王国軍の大勝後、数日が経過した。一方的な展開で終わったため、帝国軍側は態勢の立て直しが追い付いていないのだろうか、あれからまったく攻めてはこなかった。
アリツェは引き続き、周囲の霊素を探るための哨戒に出ていた。だが、それ以外の時間は手が空くことが多くなった。暇を持て余し、アリツェは自分の天幕でくつろぎながら、懸念だった器用さ向上のために簡単な編み物を始めた。
アリツェが編み棒を前に悪戦苦闘していると、ドミニクがやってきて面白い話を振ってきた。
「え? 料理当番ですの?」
アリツェは首をかしげた。
ドミニクが言うには、軍属の料理人の手が回りきっておらず、野菜を切るだけでもいいから助っ人が欲しいという話らしい。
「うん。アリツェ、料理を習いたがっていたよね。どうだい、参加してみないか?」
ドミニクはニコニコと笑みを浮かべている。
「でも、実はわたくし、相当な不器用者なんですの。いきなりで大丈夫でしょうか」
確かに料理は習いたいが、それが、よりにもよって、なぜ軍の料理当番に混ざって教わる話になるのか。もしアリツェが失敗をすれば、被害は甚大だ。さすがに気が引ける。
「ベテランが補佐で付くって言うから、しっかりと習ってくるといいよ」
アリツェの懸念を吹き飛ばすかのように、ドミニクは「心配しなくても大丈夫さ」と口にした。
「それに、君の手料理を食べてみたいしね」
ドミニクはアリツェの顔を見据え、パチッと片目をつむった。
そういえば以前、子爵領からの逃避行中にも同じことを言われたとアリツェは思い出す。その時から一年以上経つが、結局一度もドミニクに手料理を披露する機会はなかった。
「お腹を壊しても、責任はとれませんわよ」
忙しさにかまけ、料理の練習はまったく積んでいない。まともな料理が作れるとも思えなかったアリツェは、ドミニクが失望しないように先にくぎを刺した。
「大丈夫、アリツェの料理ならなんだって、おいしく食べられるさ」
ドミニクは少し大げさに両手を広げながらのたまった。
「もう、バカなことを言わないでくださいませ!」
おどけた様子のドミニクに、アリツェもほおを緩めつつ軽く咎めた。
その日の夕方、アリツェはさっそく調理を担当している部隊の天幕に顔を出した。
事前にドミニクから話は伝わっていたのか、すぐさま責任者が現れ、アリツェを歓迎する。
責任者から紹介された中年の小太りの調理人に案内され、アリツェは厨房へと足を踏み入れた。厨房になっている天幕内では、多数の調理人がせわしなく動き回っている。そんな中に素人の自分が入っていいものだろうかと、アリツェは一瞬躊躇した。だが、「周囲は気になさらず、どうぞ」と小太りの調理人に促され、中へと入り調理台の前に立った。
目の前にはいくつか野菜が置かれており、小太りの調理人はアリツェに下ごしらえのやり方を、実演を交えつつ懇切丁寧に説明する。それを見ながら、アリツェも見様見真似で野菜を切り始めた。だが――。
「あの、お嬢様? これはいったい……」
調理人は驚愕の表情を浮かべている。
「あらいやですわ。人参ですわよ」
この調理人は何を言っているのだろうかと、アリツェは首をひねりながら答えた。
「これが、人参……?」
調理人は、アリツェが生み出した原形をとどめていない赤い何かをつまみあげながら、茫然とつぶやいた。
「さあっ、次の具材は何かしら! どんどん切りますわよ!」
アリツェは気分が高揚してきた。今ならどんな野菜でも見事にさばいて見せると意気込む。
「あ、はい……」
隣で調理人が力なく返事をするが、アリツェは単に調理人が疲れているだけなのだろうと誤解した。
「うふふ、なんだか気分が乗ってきましたわ! これは、ものすごいごちそうができる予感がいたしますわ!」
アリツェは鼻息荒く、次々と元は野菜であったはずの、何やら得体のしれないものを作りだしていった。
「こ、こいつはとんでもない事態になった……」
調理人はなぜだかうずくまり、頭を抱えていた。
興が乗ったアリツェは調理人の制止の声にも耳を貸さず、司令部の面々の夕食のスープを作っていく。いつも世話になっているので、せめてもの心づくしの意味合いもあった。
出来上がったスープをひとくち口に含み、出来栄えに満足したアリツェは、器に次々とスープを注ぎ、他の調理人が作った副菜などと一緒に司令部の天幕まで運び込んだ。
そして今、司令部の天幕の中で地獄の宴が始まろうとしていた――。
「どうしてですの!?」
アリツェは目の前の惨状をにわかには信じられず、思わず叫び声をあげた。
「はは、まぁ、この料理ではなぁ……」
まさに死屍累々、テーブルに突っ伏し倒れる司令部の面々を見て、ラディムは苦笑した。
「おかしいですわ! こんなにおいしいじゃないですか!」
アリツェは自分のスープ皿からスプーンでスープをひと掬いし、口に運んだ。別におかしなところはない。普通においしいとアリツェは思う。
「ひどいってレベルじゃ……」
ラディムはため息をついた。
「ど、ドミニク! わたくしの手料理は何でもおいしく食べられるとおっしゃったではないですか!」
アリツェは椅子から立ち上がり、スプーンを口にくわえたまま動かなくなっているドミニクに視線を向け、声を張り上げた。
「あわあわあわ……」
意味不明なつぶやきを残し、ドミニクはそのまま椅子から転げ落ちた。
慌ててアリツェとラディムはドミニクの元に駆けつける。
「ダメだこれは。泡を噴いて倒れている」
ドミニクの様子を見て、ラディムはゆっくりと頭を振った。
「そんな……、こんなにおいしいのに、なぜですの……」
アリツェは現実を受け入れられなかった。きちんと味見をし、大丈夫だと判断して提供したのにこのありさまだ。いったいアリツェの味付けの、何がいけなかったのか。
「『健啖』持ちの味見を信じちゃいけないってことだな。結局、無事なのは『健啖』があるアリツェと私のみだぞ」
アリツェが料理を提供した二十人のうち、立っているのは作ったアリツェ本人とラディムだけだった。「これぞ飯テロ!」と呼ぶにふさわしい威力だ。――まさに言葉どおりに、ご飯で人を害する行為として――。
「あぁ、なんということでしょう……」
アリツェはがくりとうなだれた。意図せず司令部を壊滅させてしまった。今は落ち着いている時期だからよかったものの、下手したら利敵行為になるところだった。
「アリツェ、正直に言おう」
ラディムはポンッとアリツェの肩を叩いた。
「君は今後一切、料理はするな」
「はい……」
冷たく言い放たれたラディムの言葉に、アリツェは素直にうなずいた。アリツェとしても、自らの料理で味方を戦闘不能にするつもりはない。
アリツェはふと、以前王都のレストランでドミニクに手料理が食べたいと告げられた際に、今の実力では人死にが出かねないと躊躇したことを思い出した。あの時冗談交じりに脳裏に浮かべた考えが、まさかほぼ現実のものになるとは、アリツェは思いもよらなかった。
人をも殺しうるアリツェのスープ。一見した限りは普通のスープに見え、臭いも特におかしなところはなかった。まさに凶悪な兵器だった。ただ、アリツェは料理を禁止されたため、この恐ろしい兵器が日の目を見る事態は、もう二度とないだろう……。
「器用さの訓練は、裁縫や編み物だけにするんだな」
料理での修練は危険極まりないと、今回の一件でアリツェは自覚した。ラディムの言うとおり、裁縫や編み物で手先を動かす練習をしたほうがよさそうだった。
「皆さま、申し訳ございません……」
アリツェはラディムと協力し、気を失っている司令部の面々の介抱を始めた。
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