2 母上の過去をうかがった

 日差しが焼き付けてくる好天の昼下がり、ラディムはミュニホフの世界再生教会の前にいた。


 教会の入口には、日よけの白く薄いマントに身を包んだマリエの姿があった。マリエの他には、三人の神官の姿も見える。彼らも同様のマントを着用していた。


「マリエ……。しばらく会えなくなるが、元気でな」


 旅装に身を包んだマリエ一行を見て、ラディムは身を切られるような感覚に襲われた。はっきり言って、寂しかった。


「殿下も、ご無事で……」


 マリエもまた、哀愁を帯びた色を顔に浮かべている。


 ラディムはマリエと別れがたいと感じる気持ちを、容易には押しとどめられなくなっていた。この一か月、毎日のようにマリエと魔術の研究をしたことで、二人の関係は大きく変わってきていたからだ。


「また、ミュニホフで再会できた時は、一緒に魔術談義をしよう」


 寂しさをどうにか押しとどめ、ラディムは微笑んだ。


「もちろんです、殿下!」


 マリエは元気よく答えた。だが、カラ元気なのはラディムから見てもすぐわかった。


 二人で落ち着いて魔術の研究ができるようになる時は、果たしていつになるのだろうか……。


 マリエの王都派遣は、最大三年間と聞いている。だが、ラディムの遠征軍は、期間がわからない。ベルナルドからは、辺境伯領攻略以降の予定を聞かされていない。ミュニホフに戻らず、そのまま王都方面に進軍する可能性もあるのだ。そうなれば、三年で帰れるとは限らないし、王都攻略となれば、マリエの身が心配だ。


 今後のマリエとの行く末に、不安を感じる点が多かった。


「もし、王国内で出会うことがありましたら、その時もぜひ、魔術のお話をしましょう!」


 別れを悲しいものにしたくないのか、けなげにもマリエは前向きな話題を出す。


「そうだな……。同じ王国内にいるのだ。もしかしたら出会う可能性も、あるやもしれぬしな」


 ラディムも、次々と浮かんできた先への懸念を押しとどめて、微笑した。


 確かに、ここで泣き顔で別れるのも心が痛む。笑って別れるべきだと、ラディムも思った。


「では、殿下……」


「ああ……」


 再会を約し、軽く抱き合う。


 その時ふっとマリエの前髪が顔にかかったかと思うと、ラディムは頬に温かい感触を覚えた。


「ふふ、殿下。絶対に、絶対に私のことを忘れないでくださいねっ!」


 マリエはさっとラディムから離れると、待っている他の神官の元へ駆けて行った。


 ラディムは口づけられた頬に手を当て、茫然とマリエの後姿を見つめた。


(マリエ……。私は……)


 ラディムは強く胸を締め付けられる思いだった。







 マリエが帝都を発ってから一月半、出征を三日後に控えた昼下がりに、ラディムは母の元へ挨拶に行った。


 先触れを出していたため、宮殿の離れに着くや、母付きの侍女が待っていた。侍女に先導され、ラディムは母の私室へと入った。


「ラディム、いらっしゃい。歓迎するわ」


 母は立ち上がり、ラディムをそっと抱きしめた。すうっと柑橘系の香りが鼻腔をくすぐった。母愛用の香水の香りだ。


 母は機嫌がよいときにしかこの香水をつけない。なので、ラディムにとって柑橘の香りは優しい母を思い起こさせる。ここ最近の母は、以前と比べて格段に精神が安定していた。マリエの治療が大分功を奏しているようだ。


「母上、出征前の挨拶に参りました」


 抱きしめられていたため、母の服に口元が当たり、声がわずかにくぐもった。


「三日後でしたね、出立は……。ラディム、わかっていますね?」


 母は抱きとめていた腕をほどき、ラディムの肩をつかんだ。ラディムを見つめる瞳は、鋭く変化した。


「憎き精霊教を、そして、精霊教や異能を保護する辺境伯家の者たちを、根絶するのです!」


 語気を強め、母はぐっとラディムの肩をつかむ手に力を込めた。食い込む指に、ラディムはわずかに痛みを覚える。


 だが、おそらくはマリエの薬のおかげか、以前のような手が付けられなくなる激昂はしなかった。話はきちんと通じそうだ。


「わかっております。私はプリンツ辺境伯家の人間ではありません。ギーゼブレヒトの名に懸けて、帝国の安寧を護るためにも、私は躊躇ない行動をとります」


「頼みましたよ、ラディム」


 ラディムが胸に手を当てて決意の表明を示すと、母は満足げに首を縦に振った。


「最後に、少し母上の過去を……。辺境伯家に輿入れした頃の状況を、お話しいただけませんか? これから辺境伯家へ乗り込む前に、母上の口から当時の様子をうかがいたいのです」


 半年前に聞いたときは、精神的に不安定だった母が怒りだしたため断念した。だが、今日の母なら、話してくれそうな予感がした。


「……いいでしょう。少し、思い返すのもつらいのですが、かわいい息子の頼みですから」


 母はぽつりぽつり、と当時の状況について語りだした――。







 母はバウアー帝国前皇帝の娘、第三皇女だった。


 母が結婚適齢期を迎える十八歳の頃には、年の離れた二人の姉はすでに他国の王族へ嫁いでいた。外交関係、国内情勢を鑑み、母はこのままであれば国内の有力貴族家へ降嫁するはずだった。そして母も、降嫁予定の貴族家の嫡男とは幼いころからの知り合いで、関係も良好だったため、結婚に乗り気であった。


 だが、母の運命を変える出来事が帝国に発生する。帝国内で、それも帝都を中心として大規模な伝染病が流行したのだ。不幸にも皇帝本人、皇太子を含めた二人の兄が病に倒れた。結果、残された皇族は、母と母の弟ベルナルドの二人のみという危機的状況に陥っていた。


「新皇帝には、弟のベルナルドが就きました。まだ十二歳で、帝王教育もろくに受けていない状況での即位でした。かわいそうではありましたが、所詮は私もただの一皇女、どうすることもできなかったのです」


 母は寂しげな表情を浮かべている。


「今の陛下を見ていて、そのような過去があっただなんて想像もできませんね。名君と呼んでも差し支えないですよ」


「本当に、あの子は頑張りました」


 ラディムの言葉に、母は少しうれしそうに微笑んだ。今でも、ベルナルドは母にとってかわいい弟なのだろう。


 今のベルナルドは、民衆から愛されていた。失政らしい失政もなく、帝都ミュニホフの治安も良好だ。帝国臣民の人気もすこぶる高い。母が心配していた頃の面影は、もうどこにもないだろう。


「私も、国内の侯爵家へ降嫁する予定が延期になりました。……嫁ぐ予定だった侯爵とは、親友といってよいほど仲が良かったので、私は泣きました。これからどうなるのだろう、と」


 結局、結婚は延期ではなく中止となった。代わりに示されたのが、よりにもよって敵国フェイシア王国の、それも国境を接する関係で特に険悪であったプリンツ辺境伯との政略結婚だった。


「私は絶望しました。いったいなぜ、と」


 思い出したのか、母は顔をゆがませた。


「プリンツ辺境伯家といえば、ある意味でフェイシア王家以上とも言える帝国の最大の敵。伝染病でギーゼブレヒト家が弱体化し、周囲との融和策を取らざるを得なかったのは、私でもわかります。でも、それでもやはり、いったいなぜ私がという思いは捨てきれませんでした」


 母の嘆きは、プリンツ辺境伯領へ出発するその日まで続いた。見送りに出た弟ベルナルドも、姉につらい役目を強いた負い目からか、大分落ち込んでいたと母は話す。


 何事もなく辺境伯家へ着いたものの、出迎えは簡素。母は歓迎されていないという空気をひしひしと感じたようだ。


「あのままかの地で、疎まれつつ一生を終えるのかと思うと、私はただ悲しかったのです……」


 翌日、婚姻の儀を上げた母とカレル辺境伯は夫婦となった。その婚姻の儀が、母と父カレルとの初対面でもあった。


「初めてあの方を見た時、私は戸惑いました」


 突然惚けたように母は目を閉じた。


「なぜだか、この方しかいない。私はこの方と結ばれる運命だったのだ、と感じたのです。もしかしたら、一目ぼれというものだったのかもしれません」


 悲しんだ様子から一転、鼻にかかるような甘い声を上げる。


 絶望の始まりと思われた婚姻生活。だが、幸か不幸か、母はカレル・プリンツ辺境伯の虜になった。夫以外の辺境伯家の人間の態度は、しばらくはそっけないものだった。だが、睦まじい夫婦関係を見ているうちに、辺境伯家も皆、結婚を祝福するようになっていった。


「ラディム、これを見なさい」


 母は傍の机の引き出しから、布に包まれた『何か』を出した。


 ゆっくりとほどかれていく包みを、ラディムは凝視した。やがて、中から黄金色に輝くメダルが出てきた。


「このメダルは、父から成人を迎えた際に送られたものです。意匠には、あの忌まわしい『龍』が刻み込まれています」


 母の言葉に、ラディムはぎょっとした。龍といえば、世界再生教にとっては邪悪の象徴だ。


 母がメダルを贈られた当時は、まだ精霊教が存在していなかったので、ギーゼブレヒト家の人間が持っていても何ら問題はない。龍が邪悪の象徴と呼ばれるようになったのも、ここ七、八年だ。だが、今は状況が違う。率先して精霊教を否定しようとしている皇家の、それも皇女が持っていていいものではないはずだ。


「は、母上……。それはいったい……」


 ラディムは動揺を隠せなかった。おそらくはギーゼブレヒト家中で最も精霊を嫌っている母。なのに、精霊教の象徴ともいえる『龍』を彫り込んだメダルを、後生大事に保管している。この矛盾は何だ。


「私も何度、このメダルを捨てようとしたか。でも、捨てられなかったのです」


 母は大きくため息をついた。


「なぜなら、同じメダルを旦那様もお持ちだったからです」


 母が言うには、まったく同じ意匠の金のメダルを、カレル辺境伯も持っていたという話だ。なので、夫の形見のように感じてしまい、捨てることができなかったらしい。


「ラディム、このメダルをあなたに贈ります。あなたのお父様が、きっとあなたを守ってくださるでしょう……」


 母はメダルを再び布に包みなおすと、「大切にしなさい」と言って、布ごとラディムに握らせた。


「旦那様はとてもお優しい方でした」


 母は父カレルについて語りだした。


 当初、何かにつけて嫌がらせをしてくる辺境伯家の人間から、父は母を必死で守った。母が早く家に溶け込めるよう、根回しも必死に行った。


 辺境伯家に受け入れられたのちも、父は母優先で行動をしていた。


 その中でも、母にとって一番印象に残っていた出来事は、母が流産をしそうな時に父がとった行動だった。


 父は母の枕もとで必死に祈りをささげた。父は異能を持っていたが、その異能は、祈りによってもたらされるものらしく、祈った言葉が、時にそのとおりに実現するといったものだった。


「旦那様の祈りで、私はあなたを流産せずに済みました。ただ……」


 母は目を伏せた。


 そこから先は、母もあまり思い出したくない内容だったらしい。父カレルの突然の死――。


 父の死以来、頭の中に何か靄がかかったようになり、それ以後の記憶があいまいになったと母は言った。この時に精神を病んでしまったのだろう。


「辺境伯家とあなたのお父様について、私から話せる内容は以上です」


 疲れた表情で、母はうなだれていた。もう話を続けられそうもない。ラディムはそれ以上、父についての詳しい話は聞けなかった。


「母上、ありがとうございました。思い出したくもない過去を思い出させてしまい、申し訳ございません」


「いえ、いいんです、ラディム……。無事に、帰ってきなさい」


 母は顔を上げ、泣きそうな表情を浮かべている。


 ラディムは静かに肯定の返事を返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る