2 わたくしとうとう……

「なぜここが、お分かりになりまして?」


 悠太たちの地下水路を伝っての脱走劇は、誰にも知られてはいないはず。


 地下水路に侵入する際も、誰にも見られないようにエマの家から最短コースで、しかも、闇に紛れて移動した。


 悠太はさっぱりわからなかった。


 ペスも、誰かにつけられた感覚はないと言う。


「簡単な話さ。あんたは気づいていないみたいだけれど、拘束させてもらったときに、あんたのローブに追跡用の目印をつけさせてもらった」


「!? なんてことでしょう。わたくしとしたことが!」


 領館で目覚めた時、着ていた旅装がそのままだったことを安堵したアリツェ――あの時は昼だったのでアリツェが主だ――だが、まさか、そこに罠が仕込んであるとは。


 動きにくい服に換えられていなくてよかったとしか思わなかったが、あの時きちんと装備品一式を確認しておくべきだった。


 完全な注意力散漫、アリツェのミスだった。


(アリツェのおバカーー! ちゃんと確認しろよー!)


 アリツェの人格のミスだ、悠太はきっちりとアリツェをたしなめる。


(そうは言いますが、わたくしも気が動転しておりました。そもそも、悠太様がマリエさんに捕まったのが、問題の発端ですわっ! わたくし、気が付いたらいきなり子爵邸の自室にいて、何が何やらといった感じでしたもの。それに、お互い、何か失念をしていたら助言しあうとのお話でしたわ。悠太様が気付いて、わたくしにお伝えいただければ済んだ問題では?)


(ムムッ、いわれてみればそのとおりか。確かに、アリツェを非難するのは筋違いだな。悪い)


 アリツェの反論に、悠太は返す言葉がなかった。アリツェの言うとおり、悠太の側の責任もかなりあったからだ。


(お判りいただけたのでしたら、それで結構ですわ。それよりも、今をどうするか、ですわ!)


 言い争っている場合ではなかった。前回一度、敗れているマリエが相手だ。不可思議な拘束術の謎はまだわかっていないし、他にも何か能力を隠している可能性もある。注意をそらすわけにはいかない。


「あんたの大好きな、『霊素』っていうやつを使わせてもらったよ。私もちょっとだけ、『霊素』を持っているんでね」


 マリエは悠太の間抜けさを鼻で笑うと、「まぁ、私らの間では、『霊素』だなんて呼ばないけどね」とつぶやいた。


 確かにマリエは、悠太と比べればほんのわずかではあったが『霊素』を持っていた。


 ただ、使い魔も連れていなかったし、精霊教を邪教扱いしている世界再生教の関係者だ。まさか『霊素』を使って何かをしてこようとは、思ってもいなかった。


『精霊たちの憂鬱』でも、物に霊素を込め、『精霊の加護』を与えることはあった。飛び切り優秀な精霊使いが、多くの時間をかけて武器や防具に霊素を注入すると、『精霊の加護』を永続的に持つマジックアイテムが出来上がる。ゲイルの持っていた、炎を吹き出す片手斧のように。そこまでしなくても、簡単な効果を短時間だけ発揮させるのであれば、正しい手順とそれなりの霊素操作の力量があれば、少し霊素を纏わせるだけでも実現できる。


 マリエも、小さな石か何かに霊素を注入して一時的なマジックアイテムを作り、追跡用の信号を出させていたのだろう。その程度なら、やり方さえわかればマリエ程度の霊素量でも実現はできるだろう。


 ただ、精霊教の中でも、まだまだ物体への一時的な霊素によるマジックアイテム化は研究段階だ。詳しい手順を知るのは、この世界ではまだ悠太だけのはずである。マリエはいったいどこで、この知識を得たのだろうか。


(『聖女』か? いや、ありえない。聖女も精霊教関係者だ。世界再生教に手を貸すはずがない。では、いったい誰?)


 悠太の疑問は尽きなかった。だが、今はこれ以上考えている時間はない。


「迂闊でしたわ! まさかこのわたくしが、まんまと精霊術にしてやられるだなんて!」


「『精霊術』? 違うねぇ。あんな邪悪な術と一緒にしてほしくないね。これは、『魔術』というんだよ!」


 よりにもよって自分の得意な精霊術ではめられた。悠太の心中は、穏やかではいられない。


「オーッホッホッホ! 魔術ですって? 名前を変えたところで、精霊は精霊。精霊を否定したいがために、そのような戯言をおっしゃっているのでしょうが、精霊の存在を認められないだなんて、おかわいそうな方ですこと!」


 だが、ここで動揺を強く見せてはマリエに舐められる。気持ちを切り替えなければならなかった。


 それに、精霊術を魔術だなどと全く別の言葉を使って語るマリエに、無性に腹が立つ。アリツェが「はしたない」と嫌がるのであまりやりたくはなかったが、悠太は相手を嘲る言葉を投げつけた。


「うるさいわねっ!」


 マリエは悠太の投げた嘲りに、強く反応した。


 ただ、おかげで、精霊術にはめられたという悠太の動揺を、マリエに悟られずに済んだようだ。


「……まぁ、いいわ。とにかく、あんたをもう一度生け捕って、魔術研究の贄にでもさせてもらうよ」


 わずかにイライラしたような色を顔に浮かべながら、マリエは手にナイフを出した。


「残念ながら、みすみす捕まるつもりはございませんの。わたくし、なさねばならないことがありますので」


 悠太も背負った槍を下ろし、手に構えた。


 槍での初実戦になる。どこまでやれるか。


「ドミニク様! あの少女はわたくしが相手をいたしますわ。ドミニク様は、後ろの追っ手をお願いいたします!」


 悠太はドミニクの前に立ち、自分が相手にすると主張した。


 マリエは少量とはいえ霊素を持っている。であれば、同じ霊素持ちの悠太が戦うのが筋だった。


「了解だ! 追っ手は、任されたよ!」


 悠太の精霊術の腕前を信頼しているのか、ドミニクは素直に従い、アリツェから離れて後続の追っ手へと向かった。


「うぉぉぉぉぉぉっ!」


 ドミニクの気合の叫び声が響き渡った。


 まもなく、悠太の後方から剣戟の音がし始めた。ドミニクが追っ手と戦闘に入った証だ。


 悠太は、今度は自分の番と、鋭く眼前のマリエを睨んだ。


「昨日は油断して、お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたわ。今日は、本気ですわよ!」


 槍を握る掌に、ジワリと汗がにじみ出た。


「ふんっ、強がりはやめな!」


 対峙するマリエも、腰を落としナイフを構える。


「強がりかどうかは、すぐにお分かりになりますわ」


 昨晩とは違い今日はペスが傍にいる。精霊術の攻撃をマリエ一人に向けられる。


 このアドバンテージがあって、負けるはずがない。いや、負けてはいけないのだ。世界一の精霊使いを名乗るためには。


 そして、昨晩以上の特殊能力がマリエにない限り、即座にケリがつけられる程度には自分が優位であると、悠太は睨んでいた。悠太とマリエのステータスと経験の差は、かなり大きい。


「ペスッ! いきますわよ!」


 悠太はペスに火属性の精霊具現化を施した。完全に攻撃重視だ。


 ペスも悠太の意図を理解したのか、『精霊たちの憂鬱』時代同様、爪に炎を纏わせて接近戦を挑む構えを取った。


 明らかに接近戦に不慣れに見えるマリエだ。炎の玉や炎のブレスで遠距離、中距離攻撃をするよりも、懐に飛び込む方が効果的に、かつ、早く決着がつけられると考えた。


『わたくしが槍で牽制します。ペスは背後に回って一気に炎の爪で決着を!』


『合点承知だワンッ!』


 作戦を決めると、すぐさま悠太は動いた。


 槍を構え、一気に突撃する。狙いはマリエの胸。自身の不器用さを自覚しているので、無理に心臓をピンポイントで狙うことは避けた。


 別に、悠太が大ダメージを与える必要はないのだ。あくまで主力はペス、悠太は牽制で十分だった。


「そんなへなちょこな槍にやられるほど、私は間抜けじゃないよ!」


 ナイフではさすがに槍の穂先を買わせないと悟ったのか、マリエは今回は最初から避けに入った。


 悠太の突撃は簡単に交わされた。マリエは右に飛び、懐から何かを取り出そうとした。


「こいつを、食らいなっ!」


 マリエは叫びながら、得体のしれない物体を悠太に投げつけてきた。


 突撃で態勢の崩れていた悠太は、投げつけられたその物体――小さな毛糸球のようだった――を避けられなかった。


「それっ、拘束だ!」


 マリエの叫びとともに、昨晩のような目に見えない不思議な腕が、悠太の体を這いまわり、そのままぐるぐるに縛り付けた。


「しまったですわ!」


 悠太は叫んだ。


 だが――。


『ペス、今ですわ。マリエさんは油断しています。今なら、狙って急所を突く隙もあるはずです』


 悠太の囮作戦だった。


 わざと大げさな攻撃を放ってマリエの気を惹き、マリエに何らかの攻撃をさせる。悠太はそのまま抵抗せずに攻撃を受ける。


 悠太が無防備な姿をさらすことで、マリエの油断を誘ったのだ。


 マリエは、悠太の術中に完全にはまった。


 所詮は十二歳の小娘だと、悠太は心中でほくそ笑む。『精霊たちの憂鬱』で数々の激戦を経験した悠太の敵ではない、と。


 背後に回ったペスが、爪に灼熱の炎を纏わせ、マリエの背中を一気に襲った。


「キャアアアアアアッ!」


 マリエの叫び声が響き渡った。


 今度は避ける間もなく、きれいに決まった。


 マリエはその場に崩れ落ちる。その背は服が裂け、皮膚が裂かれて焼けただれていた。


 マリエの意識はすでにもうろうとしていた。悠太にかかっていた拘束が解ける。


 悠太は立ち上がり、ゆっくりとマリエの傍に近づいた。


「く、くそぅ……。こんなところで……」


 弱弱しく、マリエは喘いでいる。


「本気のわたくしの精霊術のお味は、いかがでしたかしら? あなた程度の実力では、どうにもならないと実感できましたかしら?」


 悪役令嬢モードらしく、悠太は少し高圧的に言葉を放った。


「な、何が、精霊術、だ……。こんな危険なもの、世界を滅ぼすだけ、だ……」


 かたくなに精霊術を邪悪なもの、危険なものだと決めつけるマリエ。


「まだそんなことをおっしゃるのですね。わたくし、悲しいですわ」


 悠太は天を見上げ、頭を振った。


 この少女をこうまで洗脳した世界再生教。精霊を否定し続ける少女。


(悠太様、どうにかなりませんか? わたくし、マリエさんが哀れで……)


 今まで襲われていたことも忘れ、アリツェが悲しげにつぶやいた。


(まぁ、降伏勧告? みたいなものはやってみるか。無駄に終わりそうな気もするけれど……)


 アリツェの顔を立てようと、悠太はしゃがみこみマリエの顔を見つめた。そして、先ほどの高圧的態度とははうってかわり、やさしく話しかけた。


「あなたが心を入れ替え、世界再生教と子爵家から手を引くというのであれば、治療をして差し上げるのも吝かではございませんわ」


 今後悠太に害を及ぼそうとしないのであれば、アリツェの望み通り命まで奪うことはないだろう、と悠太は思った。


「バ、バカなことを言うな……。大恩あるあの方を、裏切るくらいなら、私は死を選ぶ……」


 だが、マリエは拒否した。


『大恩あるあの方』が誰なのか、気になりはしたが、追及したところでマリエが吐くとも思えない。


 ここまでマリエがかたくなであるのならば、アリツェには悪いが、悠太の取る対処は一つだ。


 悠太も、身の危険をさらし続ける気はない。危険分子は、少しでも減らさねばならない。


「くっ、殺せ……!」


 マリエは悠太を鋭くにらみつけた。殺るならはやく殺れ、と。


 生け捕りにしたところで、これから辺境伯領への長い旅が待っている。拘束したまま連れていくこともできない。


 かといって、説得して同行できるとは、とても思えなかった。世界再生教を裏切る気配は、まったくない。


 このまま解放して領館に返すわけにもいかない。今日のような襲撃が再び繰り返される。


 マリエの意志どおりの結果に、するしかなかった。断腸の思いではあったが……。


『ご主人、どうするかワンッ』


「……後顧の憂いを断ちましょう。ペス、とどめを」


 悠太の意図を受けたペスは、倒れているマリエの首筋にかみつき、喉笛を噛み切った。


 ――マリエは、物言わぬ肉の塊になり下がった。

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