4 もう一度計画を立てますわ

「さて、当面の問題として、このグリューンからどう脱出するか、ですわね」


 プリンツ辺境伯領へ向かうにしても、まずはこの監獄――グリューンの街から抜け出さなければならない。


(今度はアリツェとペスだけでの行動だからなぁ。精霊教徒は全員街の外へ行ってしまったし、協力者がいない)


 昨日の作戦は精霊教グリューン支部数百人総出のものだった。だが、これからの脱出劇の役者は、アリツェとペスのみだ。


「かえって単独行動のほうがいいのではないですか? 自由に動けますし、何よりも、ペスの精霊術を生かせますわ」


 隠密なり、戦闘なり、足手まといになる人間のいない今回のほうがアリツェの思うように動けるから都合がいいのでは、と思った。


(それはそうなんだけれど、おそらく逃げ出すころには領館にオレたちが消えたことを知られているはずだ。数に任せて領兵に囲まれでもしたら、きついなぁ)


「あぁ、確かにそうですわね。陽動をする方がいらっしゃらない以上、敵の気を惹いてその隙にという作戦も、難しいですわね」


 アリツェ単独ということは、つまるところ、追っ手の目がすべてアリツェのみに集中するということだった。悠太はその点を、懸念しているようだ。


(さすがに街中で大ぴらに大規模精霊術を使う訳にも、いかないしな)


「『かまいたち』での足止めは、こんな狭い路地では危険極まりないですわね。かといって、威力を限定すれば多勢に無勢、数の暴力の前には逃げ切れそうにもありません」


 昨日のように味方を巻き込む心配をする必要はない。しかし、今度は無関係な街の住民の危険を考慮しなければならなかった。


 ここで一般市民に被害が出てしまえば、精霊術の評判は地に落ちかねない。ただでさえ禁教化で住民の反応は微妙なものになっているはずなのだ。将来グリューンの街で精霊教の禁教が解かれたとしても、誰も精霊教の言葉に耳を貸そうとする人はいなくなるだろう。


 精霊を愛するアリツェと悠太にとっては、絶対に避けたい事態だった。


 であるならば、どうするべきか……。


「困りましたわね……」


(参ったなぁ……)


 考えが、さっぱりまとまらなかった。


 と、そのとき、アリツェのおなかがかわいらしく鳴った。


「忘れておりましたけれど、今、お昼時でしたわよね」


(腹、減ったな……)


 夜に激しく動いたのに、朝食は抜いている。しかも、頭もフル回転でしっかりと使ったのだ。お腹が空くのも、あたりまえだった。脳はエネルギーの大飯食らいなのだから。


 何か保存食なり、食べるものがないかとアリツェは台所を探した。


 一緒に買い出しに行ったので、アリツェはエマが干し肉や乾物を買い占めていたことを知っている。きっと何か残されているだろうと思った。だが――。


「どうやら食料はすべて持ち出されているようですわ。食べられるものが何もありません」


 空振りだった。台所の棚は空っぽ、せいぜい少しの調味料が残されているだけだった。


(ここに戻るつもりもないんだ。当然持ち出せるものはすべて持ち出しているだろうさ。オレたちにとっては、不運な話だけれども)


 確かに、エマならばせっかく確保した食料を無駄にするような愚は冒さない。孤児院の子総出で、すべての食料を持ち出したのだろう。


「買い出しに、行きましょうか……」


(行くか……)


 これ以上家探しをしたところで食べ物は得られないと悟ったアリツェは、力ない足取りでエマの家を後にした。


 とりあえずは、裏通りの目立たない店で、簡単な食べ物だけでも手に入れたかった。







「嘘ですわよね……。もう、街中にわたくしの手配書がばらまかれておりますわ」


 街のあちこちの壁に貼られた指名手配のポスター。そこに、アリツェの人相書きがでかでかと書かれている。


 アリツェは卒倒しそうになった。


(参ったな、相手の行動が早いぞ。これじゃ、買い物は無理だ)


 それこそ、手当たり次第に貼ったのではないかと思うほど、そこかしこの壁にポスターが鎮座している。


 これではとても買い物どころではない。エマの家から出ることすら困難だった。


 アリツェは断腸の思いで食料の買い出しをあきらめた。まずは身の安全のほうが大切だった。


「食べ物が手に入れられない以上、やはり今夜脱出をしなければ干からびてしまいますわ。兵糧攻めは勘弁してほしいですわ」


 食料が手に入らないとわかり、余計に空腹感がこみあげてくる。あと数日は持つだろうが、体力、集中力の低下は避けられない。


 いよいよもって後がなくなってきた。


 幸いにもペスは手配書に記載されていなかったので、ペスに買い物を頼む手もあるにはあった。一匹で街中に出る分には問題は起きそうにない。ただ、果たしてペス一匹で買い物ができるものだろうか。


 人語は解せるものの、『精霊言語』を持ったアリツェ以外にはペスの言葉がわからない。コミュニケーションが取れなければ、買い物は難しいだろう。


(それなら、ペスに買いたい物のメモとお金を入れた手提げバッグを持たせて買い物に行ってもらうか? それなら、人語でのコミュニケーションが取れなくても買い物できるんじゃないか?)


 悠太が提案する。なんでも、横見悠太の世界で、そんな犬の話を聞いたことがあったらしい。


「それは妙案ですわね。ペス、申し訳ありませんが、お願いできるかしら」


『合点承知だワンッ!』


 アリツェの役に立てる、と、ペスはうれしそうにしっぽを振った。


(ただ、食べ物はなんとかなっても、取られたショートソードの代わりになる武器は、難しいよなぁ。さすがにペスに買ってきてもらうのは、無理がある)


 子犬が買い物に来た。どうやらメモを持っている。中を見てみると、『ショートソードを一本』……。これでは、いくらお金がバッグの中に入っていたとしても、売ってもらえるはずがない。かわいいペスに泥棒まがいのことをさせるわけにもいかない。


 武器に関しては、八方塞がりの状況に陥った。


 かといって、食料が確保できたからとエマの家で持久戦に及ぶのもジリ貧だ。いずれは発見され、捕らえられる。


 いつまでもペスに買い物に行ってもらうわけにもいかないだろう。犬のお使いなんて、どう考えても目立つ。


 妙案が浮かばなかった。







「――事ここに至りましては、闇夜に紛れて南門を強行突破いたしましょうか」


 妙案もなし、籠城もダメ。であれば、もう、打って出るしかない。バンザイ突撃というわけではないが、ある程度の危険は承知のうえで行動を起こす必要がある、とアリツェは思い始めていた。


 時間が経てば経つほど、取れる選択肢はどんどんなくなっていく。やがて、手足をもがれたアリツェたちは、敵のなすがままに捕らえられてしまうだろう。アリツェは恐れた。


(悪手だと思うぞー。昨日の今日だ、さすがに警備が厳しいだろう。それに、オレたちの手配書が出回っている以上、警戒は最高レベルになっているんじゃないか?)


 性急なアリツェの提案に、悠太は再考を促す。


「そう、ですわね……。慌てて手配書を作ったくらいですし、絶対に見つけ出す、というお父様の意志がひしひしと伝わるようですわ」


 住人すべてに周知されるよう執拗にあちこちに貼られた手配書。執念を感じた。


(マルティンの奴、あの場ではアリツェの命には興味がないような口ぶりだったはずだ。わざわざ手配書を作って生け捕ろうってことは、気が変わったのか?)


 悠太の言葉に、アリツェは、『愛情も何もないあの娘に、用はない』と言い放ったマルティンを思い出し、顔を歪めた。


「マリエさんは私を生け捕りたいようですし、お父様に精霊術の利用価値を説いたのではないでしょうか。生かしたままならいろいろと使い道がある、などと言って。なので、領兵に生きて捕らえるよう厳命している可能性はありますわ。今までは、ただ、どこかで死ぬか奴隷にでも落ちていれば、といった甘い追跡でした。ですが、今後はそれでは済まないでしょうね」


 たとえ街を脱出しても、子爵家のしつこい追手がくる可能性がでてきた。


 昨日までであれば、子爵領さえ出れば追っ手におびえることはないだろうと考えていたのだが、この一日でアリツェを取り巻く環境が大分悪化している。


(強行突破は最終手段だ。とはいっても、強行突破をするにも物資が足りないな。精霊術で派手に門を襲撃するにしても、どうしても術者のオレに敵さんが近接してくる可能性は捨てきれない。護身用の武器がなければ、ダメだ。もたついていたら、またあのマリエがやってきて妙な術で捕らえられてしまう)


 強行突破も難しいとなればもう策がないのでは、とアリツェは頭を抱えた。


(正攻法はダメだなー。少し、発想を変えるか)


 正面突破がだめならば搦手しかないか、と悠太はつぶやく。


「と申しますと?」


(光の精霊術で光学迷彩を施して、門をこっそり抜ける)


 護身用武器が手に入らない以上戦闘に巻き込まれる可能性は極力排除しなければならない、と悠太は言う。


 ここでアリツェは疑問をさしはさんだ。


「こうがくめいさい……? とは何ですの」


 アリツェの知らない単語だった。アリツェのものにできた悠太の記憶の知識にはない。『悪役令嬢』や『聖女』のような、記憶を引っ張り出すのに苦労を要する領域の知識だった。


 なので、本人に聞く方が早いのだが、もしかしてろくでもない知識なのでは、とアリツェは多少身構えた。


(あー、なんて言ったらいいのかな? 光を完全に透過させて、相手からこちらの姿を見えなくするんだけれど。ちなみに、こっちからも見えなくなるから、ペスの知覚が重要になる、ハズ? とにかく、身体を透明化して相手に悟らせないようにするんだ。オレもうまく説明できない、スマン)


「それ、うまくいくのですか?」


 別に、ろくでもない知識ではなかった。だが、相手にうまく説明できるような知識でもなかったようだ。


 こんな理屈で大丈夫なのだろうか、とアリツェは不安を感じた。


(わからん、やったことがない)


 アリツェはずっこけた。怪しい知識でぶっつけ本番は勘弁してほしかった。


 悠太が言うには、光の精霊術で保護色的なものを纏わせて背景に溶け込む、といった使い方はやったことがあるそうだ。領館脱出の際も、複数属性が使えるのならそうしたかった、と。


 今回もそうすればいいのではとアリツェは思ったが、どうやら人通りの激しい場所では、うまく背景に溶け込めないらしい。南門は多数の人でごった返す場所だ。悠太は無理だという。


「それでしたら、同じく光の精霊術でわたくしたちの見た目を商人風に変装はできませんか? 商人に紛れて脱出をするのですわ」


(同じ化けるなら、そちらの方が確実か……。変装程度なら、昔やったことがあるしな)


 変装はできるらしい。悠太の不確かな知識を頼りの怪しい策よりは、マシだとアリツェは思う。


「でしたら闇夜に紛れて、というわけにはいきませんね。早々に準備をして、街を出る商隊の中に潜り込みましょう」


(バレたらバレただ、その時、考えるかー)


 決まれば、あとは即行動に移すのみだった。

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