城下町現代奇譚
若生竜夜
緑陰に染む
ただそんなことがあったという話、そんなことを続けているというだけの、たあいのない話である。
その柳に彼女がいると知ったのは、夏の盛り。お城周りのお
人ではないのだろうということは、すぐにわかった。彼女の目も眉も長い髪も全て穏やかなみどり色をしていたし、何よりもあの細い枝の上に人一人が乗って無事であるわけがないのは瞭然としていたからだ。
怖い感じはしなかった。悲鳴を上げるようなものではない、とすぐさま頭の隅で思ったのも、古い城があるこの町では、そのようなものとすれ違い、隣り合わせることが、日常であるせいかもしれなかった。
見ていると彼女は、ただ私と同じく涼を求めるように、私が持つ溶けかけの氷菓へ、なよやかな腕を伸ばすのだった。
ああ、これが欲しいのかと思いはしたが、私は黙って氷菓を食べ続け――なにしろそれを与えてしまうにはあまりに暑く喉が渇いていたので――やがて私が溶けた氷菓の最後の一滴まで食べ終えてしまうと、彼女は、残念そうに静かに腕を引いていった。
次に彼女を見かけたのも、やはり暑い昼の盛りだった。柳の下の、お濠の柵にもたれたビジネスマンが持つコーヒーフラペチーノへ、彼女がうらやましげに腕を伸ばしていたのだ。
ビジネスマンはおそらくこの町の者ではないのだろう。伸ばされる腕にまるで気付いていないようすである。
彼女は、私と目が合うとしばしこちらを見て静止していたが、やがてふいと顔を逸らして緑の奥へ引っ込んでしまった。
三度目に彼女と出会ったのは、蝉の鳴く朝の時間帯だった。お濠の噴水からは水滴になりきれない弱々しい水流がちょろちょろと噴き上がっていて、生ぬるい空気を申し訳程度にかき回していた。
私の手には、ついそこのコンビニで買ったばかりの、冷たい水のペットボトルがあり、柳の木の下の手すりにもたれかかる私の方へと、れいのあのみどり色の彼女は、なよやかな腕を伸ばすのだった。
私はボトルの蓋を開け、ひと口ふた口喉を潤すと、そのままそれを手すりの柱にポンと置いて、去った。
特に何を考えての行動でもない。ただ、なんとなくそうしたというだけのことである。
物欲しげに腕を伸ばしていた彼女がどうしたかは確かめなかったが、夕方再び通りかかった際にはペットボトルは消えていたので、そういうことなのだろう。
あるいは、誰か掃除の者が片づけたに過ぎないのかもしれなかったが。
いずれであるのかはわからないままであるが、以後、私は時折柳の下の手すりの柱に飲みさしの水を忘れてくるようになり、習慣とでもいうものになったそれは、今でも続いているのである。
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