8-3 戻ってきた騒々しい日々
この時にわかったことは、俺に向けられていた視線と殺気の原因と、宮間と佐野が逃げていた訳と、下駄箱に入っていた手紙の意味と、大したことじゃない、という俺の判断が間違っていたことだけ。
この時にわかってなかったことは、フィルのファンが二つに分かれていたことと、女生徒達に告げた発言のせいで事態が悪化していたこと。
そして、矢鏡とフィルの二人が密かに行動していたことだ――
**
次の日の朝。
下駄箱を開けると、昨日と同じ内容の紙が再び置かれていた。昨日の女子達の反応を見る限り、この紙はフィルのファンの誰かが入れたもので間違いない。
俺は紙をくしゃっと握り潰し、靴を履き替え教室に向かった。どこからかなんらかの意が込められた視線と殺気が飛んでくるのは今日も同じ。二階に上がり、右手側のすぐ隣に位置する二年C組の教室前の廊下に一歩踏み出したところで、
「かくごぉぉぉぉぉぉっ!」
男の叫び声が真後ろから聞こえた。同時に、何かがこっちに向かって飛んできている気がして、俺は咄嗟に体を反転させつつ後ろに跳んだ。俺の勘は大正解で、すぐそこにいた体格の良い三年の男子生徒の殴りかかりを、すんで――いや、そこそこ余裕に避けることができた。
俺はもう一歩退って距離を取り、
「いきなり何すんだよ!」
言って、殴りかかってきたそいつを見据えた。
年上といえど、攻撃してきた奴に敬語などいらん。
廊下にいた十数人の生徒達が、何事かとこっちに視線を向ける。教室内にいた生徒達の何人かも、なんだなんだとドアから顔を覗かせた。
朝から目立つ行為をしやがったそいつは、皆の目が集まるのも気に留めず、空振った拳と坊主頭を小さく震わせ、ほっそい目で俺を見下ろして言う。
「悪いな転校生……こんなの駄目だって、意味が無いってわかってるんだ……
――だが、一発殴らないと気がすまん! 大人しく殴られてくれ!」
「はぁ!?」
くやしそーに顔を歪ませた男が、再び殴りかかってくる。
ここでこいつを沈めることは簡単だが、それやると社会的に色々まずいと思い、俺は逃げ出すことにした。当然、男は追ってきた。なかなか速い。
「観念するんだ!」
「やだよふざけんな!」
「俺は本気だ! 本気だったんだぁぁぁぁ!」
なんで過去形!?
いやその前に、なぜ殴られなければならないんだ。俺なにかしたか?
過去を振り返っている内に、自分の教室を通り過ぎる。その際一瞬だけ中を見て、窓際に宮間と佐野が申し訳ないという様な顔で立っていることに気付いた。今日も俺より早く来ていたようだ。だが、いつもいるはずの矢鏡はいなかった。
……ん? 待てよ、宮間……?
何かが引っ掛かった。西階段を駆け上がりつつ、それについて考える。
――はっ! そうかわかったぞ! こいつフィルのファンの一人だな!?
三年A組の教室前に差しかかったところで、ようやくそのことに気付いた。
今思うと察し悪すぎだな、俺。昨日の今日で、なんですぐに気付かなかったんだろう。女子達のおかげで、フィルのファンに妬まれ恨まれていることはわかったのに。自分でも不思議だ。
まぁしかし、そうとわかれば手の打ちようがある。いつもの"俺の見た目が気に入らない不良根暗集団"にからからまれたのなら、その場しのぎで授業が始まるまで逃げるか隠れるかしか出来ないが、この場合なら説得できる可能性がある。あくまで可能性だが。
最初は三階の長い廊下を使い、もうちょい本気を出して普通に撒こうと思っていたが、それは止めて、男との距離がこれ以上開かないように加減して走る。咄嗟に壁際に避ける三年生達の間を通り、東階段から一階に下りて、今度は一年の教室前の廊下を駆け抜ける。
そうすれば思った通り、
「あ! あいつは!」
「俺も混ぜろ!」
「私も用があったのよ!」
教室、もしくは廊下にいた何人かの生徒が男と一緒に追いかけてきた。
「まてやごらぁぁぁ! 昨日二年女子から聞いたぞニブ男がぁぁぁ!
あの方の想いに気付きもしないとは何様だわれぇぇぇぇ!」
……まるで鬼のような形相の女子も追いかけてきた。こわっ。
恋する乙女は綺麗だとどっかで聞いた気がするが、人によると心底思う。恋は人を狂わせる、の方が彼女には合っている。どうでもいいけど、昨日の女子達は同学年だったのか。
とりあえず、追ってきたフィルのファン総勢八名を引き連れ、西側から中庭に出たタイミングで肩越しに振り向き、やや大きめの声量で言う。
「まぁ待て聞いてくれ! 昨日の宮間の情報なら間違いだから! フィルが俺に惚れるわけねーから! 多分宮間、何かと勘違いしてんだよ!」
この場所を選んだ理由は二つ。
まず一つ、中庭なら校舎に挟まれて声が反響しやすい。上手くすれば今現在校内にいる生徒全員に聞こえるはずだ。そもそも宮間の間違い情報が原因なんだから、それを素直に信じた皆さんの誤解を解けばオーケー。そして、一人一人説得するよりは、こうして一気に片を付けた方が利口ってもんだ。我ながらナイスな考え。
因みに俺の予想はこれ。
デートの時、俺達と別れた後で佐藤先生がフィルに告白をした。困ったフィルは咄嗟に、俺が好きという嘘をついた。その方が確実に諦めてくれると考えたのだろう。ここで矢鏡ではなく俺の名を出したのは、相手が同居している矢鏡だと更に面倒になりそうだったからだな。ああいう金持ちの家って色々規律とかあって厳しいだろうし。
そして、その場面をたまたま宮間と佐野が目撃した。
どうだ、辻褄が合うだろ。正解な気しかしないだろ。
だからフィルのことを想うなら、嫉妬するフィルのファン達の誤解を解かずに、俺がてきとーに相手をしていた方がいい。俺に矛先を向かせたままの方が、フィルは楽になるだろう。
恐らく、フィルは恋愛事に慣れていない。どれだけ長く生きているのかはわからないが、色恋に無関心な主護者達に囲まれて、慣れるわけがないわな。いくら頭が良くても、色恋沙汰を想定出来なくて当然だ。
だが俺は、そんなフィルの代わりに恋愛脳達を相手にする気は全く無い。
なぜなら、俺もこういう事に慣れてないから。
ぶっちゃけた話、今こんなことになってんのは想定外だ。今まで色恋に関わったことなかったし。つーか、それどころじゃなかったし。
だからさー、自力でなんとかしてくれって思うのも仕方ないだろ。経験も知識も無くても、頭の良いフィルなら平和的に解決出来そうだし。……まぁ、フィルが本当に困って助けを求めてきたら、出来る限りのことはするけどさ。
――というわけで、理由の二つ目は保健室が近いから。
フィルは毎朝、矢鏡と一緒に登校しているらしい。さっき教室を見た時は矢鏡の姿は無かったが、この時間ならすでに保健室にいると思う。フィルは恐らく、この騒動に気付いてすらいなかっただろうが、今の説明的な言い方で気付いたはずだ。これで、フィルは自力で解決しようとするだろう。後はこの場を治めればいい。
俺の言葉を信じてくれれば簡単だったんだが、残念なことに、宮間はなかなか信頼度が高いらしい。彼らは完全に聞く耳持たずで、嘘付け、でたらめ言うな、んなこと関係ねぇ、うるせぇ殴らせろ、と追う足を止めようとはしない。あーめんどくせ。
俺は長いため息を吐き、東側の渡り廊下に接するドアから一号棟に戻ろうとして、
「あれ、華月。おはよう」
そこから出て来た矢鏡に気付き、慌ててブレーキをかける。
「おはよ――って矢鏡! なんでこんなところにいるんだ?」
「校長の頼みでフィルに書類を……」
途中で切って、矢鏡は俺の後ろに目を向けた。
つられて俺も後ろを見ると、追いかけてきていた八人全員が、一目散に逃げていく姿が確認できた。脱兎のごとく、とはこのことを言うのだろう。俺を追いかけていた時より速い気がするのは気のせいか。
静かに息を吐き、視線を矢鏡に戻すと、矢鏡は小さく首を傾げた。
「また部活の勧誘でもされてたの?」
…………
「そうなんだよ。今回は柔道とテニス。熱心なのはいいことだけど、しつこい勧誘は止めてほしいぜ」
俺は即座に嘘を返した。怪しまれないよう、にっこり笑顔を作って。
別に隠す必要は無いが、わざわざ教えることでもないだろう。この件は矢鏡には無関係だからな。……まぁ、超強力虫よけ並みの効果を持つ、矢鏡の圧力は魅力的だけど。つっても、一時しのぎになるだけで、根本的な解決にはならないけどな。
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