7-2 超大金持ち、矢鏡財閥の家

「やあ華月、今帰りかい?」


 帰りのショートホームルーム後、颯爽と帰宅しようとしたら、校門を抜ける前に後ろからフィルに話しかけられた。反射的に振り向くと、爽やかに微笑む白衣姿のフィルと珍しく不満そうな顔をした矢鏡が、肩を並べて歩み来ていた。何故かは知らんが、フィルの追っかけ達の姿はどこにもない。


 因みに矢鏡は俺と同じ学校指定のカバンを、フィルは小さめの黒いトランクを持っている。


 俺の前で足を止めた二人に、うん、と頷いて返すと、


「じゃあ一緒に行こうよ。僕達も帰るところなんだ」


 明るい口調でフィルが言った。

 俺は軽く首を傾げ、


「俺、保険医の仕事とかよく知らないけど……もう帰っていいもんなの?」

「今日の分の仕事が終わればいいんだって」

「ふーん……」


 相槌を打ち、なんとなく矢鏡を見やると目が合った。

 矢鏡は小さくため息を吐き、ジト目をフィルに向け、


「こいつ、普通は放課後に一時間以上かけてやる事務仕事を、たった五分で片付けたんだ。だからこんなに早いんだよ」

「え……」


 どこか投げやりな補足説明に、自然と引きつる俺の頬。

 フィルはきょとんとした顔を矢鏡に向け、矢鏡は呆れた口調で言葉を続けた。


「学校のことも仕事内容も、昨日簡単に教えただけで完璧に理解したし……本当にどうなってるんだお前の頭は」

「ディルスは人のこと言えないだろ。学年主席を取るの、難しいって聞いたよ?」

「そんなのは努力すればどうにでもなる。俺はお前と違って、教科書を流し読みしただけで全て覚えるような天才型じゃない」

「そうかな? あまり変わらないと思うけど」


 …………なんだこのむかつく会話…………

 のーみそ平均以下レベルの俺への嫌味? もしくは新種のいじめか?


「……頭の良さ自慢なら、俺がいないところでやってくんねぇかな?

 地味に腹立つんだけど……」


 思わずぼそっと呟くと、フィルは『ごめん、そういうつもりじゃ……』と誤魔化し笑いを浮かべて言って、矢鏡は無言でそっぽを向いた。


 ……ふむ。


 俺は空いてる右手を腰に当て、


「矢鏡、機嫌悪いみたいだな。何かあったのか?」

「おや、よくわかったね。さすが華月♪」


 フィルはにっこり笑って答えた。


「まぁ大した理由じゃないんだけど――

 彼、僕がいると不安で眠れないらしくてね。ここ二、三日まともに寝てなかったんだよ。

 そのせいで今日少しふらついていたから、昼休みに教室から出た瞬間を狙って捕まえた後に、睡眠薬を無理矢理飲ませて眠らせたのが気に入らなかったみたい」

「あ、あぁ……そう……なんだ」


 なんだその鮮やかな誘拐の手口みたいなのは。

 やっぱ恐ろしい人物だ、フィル。

 つーか、五限が始まっても矢鏡が帰って来ないと思ったら、そういうことだったんだな……


 ――ん? っと待てよ……


「フィルがいると不安って――どういうこと?」

「あぁ……そういえば言ってなかったな」


 もう機嫌が直ったのか、無表情に戻った矢鏡が言った。


「フィルは今、俺の家に住んでるんだよ」

「えっ!? そうなの!?」

「一緒にいた方が地球のルールとか学校のことを教えやすいからな。

 ――ただ、こいつはすぐに人を実験体にするような油断出来ない奴だから、常に警戒してないといけないんだ」

「あー……不安ってそういうことか」


 なるほど納得。マッドサイエンティストだもんな。

 んー……でも、一つ屋根の下か……

 フィル様ファンクラブの奴らが聞いたら、凄い事になりそうだな。


「確かに実験は好きだけど、睡眠中の人間に手出しはしないよ」


 ややムッとした様子でフィルが言った。

 矢鏡はジト目でそれを見て、そしてまた言い争いが始まった。


「許可なく人に睡眠薬を飲ませるお前に説得力は無い」

「……悪かったね。でも寝ない君が悪いんだよ」

「人のこと言えるか。お前なんて地球に来てから一睡もしてないだろうが」

「僕はいいんだよ。睡眠は七日に一時間程取れば十分だから。

 でも君は今十代半ばで、一番肉体が成長する時期だ。最低でも六時間は必要だよ」


 ………………

 すっげー仲良いって思ってたけど、割とくだらないことでケンカすんだな……

 二人の新たな一面を見た気がする。



 **



 二人の口喧嘩(主に矢鏡が文句言ってただけ)は思ったよりもあっさり終わり、その後フィルに学校には慣れたかどうか聞きながら土手を歩いて、俺の家がある住宅地を通り過ぎ、そして俺達三人が今いるのはここ、矢鏡とフィルの住処である矢鏡家の鉄門前。矢鏡に『お前の家見てみたい』と言ったら案内してくれた。


 俺達の並び方は横一列で、真ん中が矢鏡、左手側に俺、右にフィル。また、二枚でアーチ型を描くスライド式の鉄門は、人一人が通れるように左側だけ半開きになっている。


 人生初の"友達のお宅訪問"だが、素直に喜ぶことは出来そうにない。

 その理由は言わなくてもわかると思うが――


 俺。一般的な大きさの家に住む一般庶民。

 フィル。実家(と言っていいのか?)は俺の家の十倍くらいの大きさ。

 矢鏡。他国にも名が知られている矢鏡財閥の御曹司。


 そして、その家がどんなかというと――


 高さ三メートルはある鉄柵が左右にずーっと続き、正面には鉄門と同じ幅の太い道が真っ直ぐ伸びて、ここからだと小さく見える左右対称西洋風三階建て(三角屋根に小窓が付いてるから、屋根裏部屋もあるようだ)のめっちゃでかい屋敷の屋根付き玄関に繋がっている。道の左右には整えられたすっげー綺麗な庭があり、鉄柵に沿うように細い広葉樹が並んでいる。


 ここからは矢鏡から聞いた話だが、屋敷の裏には日本風の家(別館)や、池、ヘリポートなどもあるらしい。


 あっはっは。この差を見て素直に喜べる奴がいたら尊敬するよ。


「――で、両親には友人であり有能な医者だと紹介したら、俺専属の医者も兼任するなら同居していいって許可が……聞いてる華月?」


 げんなり項垂れている俺を見て、矢鏡が言った。

 俺は視線を逸らしたまま『あー聞いてる聞いてる』とてきとーに返し、ブレイクされたメンタルを修復する作業に戻った。


 いや別に金持ちが羨ましいとかそういうことじゃないんだけどでも初めて親しくなった二人がどっちも顔良し頭良しでどうしても劣等感じゃないけど似たような感情が込み上げてくるわけで悔しいとか不公平だとかは思ってないけど強いて言うなら豪邸住まいが羨ましいとかなんでこんなに差があるのかって思っただけで別に不満があるわけじゃないんだよそもそも俺が見たいって言ったからだしでもここまで予想外の凄さだとちょっとやっぱ……あ」


 そこまで考えてようやく気付いた。いつの間にか、心の声が口に出てた。

 ゆっくり視線を動かし隣を確認すると、二人はきょとんとした顔でじっと俺を見つめていた。

 俺は誤魔化すために慌てて笑って、


「あぁいやなんでもない。えーっとそれで……何の話だったっけ?」

『…………』


 二人は一度顔を見合わせてから俺に向き直り、


「……俺も最初見た時凄いと思ったよ。俺が生まれた村には窓ガラスなんて無かったし」

「僕が生まれた国も似たようなものかな。今は偶然恵まれているだけだよ」


 淡々と矢鏡が言った後に、にこやかにフィルが言った。


「……ごめん。贅沢な不満だった」


 俺が素直に謝ると、フィルはふふっと笑った。

 それから矢鏡に『折角来たし、お茶でも飲んでく?』と誘われたので、暇だし屋敷の中も見てみたいし聞きたいこともあるからちょっと寄ってくことにした。


 矢鏡の誘導で敷地に入り、四角い観音開きのドアを引き開け屋敷の中に入った。玄関ホールは広々としていて、緩く弧を描く階段が左右にあり、ベランダみたいな二階の廊下に繋がっていた。ダズさんの家もそうだったが、人が歩くところには高級そうな赤い絨毯が敷かれている。もちろん頭上にはシャンデリア。そして、


『お帰りなさいませ、若様』


 恭しく頭を下げる執事服を着た人が二人、正面左右に立っていた。

 驚くことにどちらも二十代後半くらい(美形に近い)で、俺から見て右にいる人は黒目黒髪の日本人女性、左の人は茶目赤毛の外国人男性(どこの国かはわからない)だ。


 矢鏡はこっちを向いて一歩横にずれ、


「この家というか……俺に仕えてくれている執事達だよ。右が草加くさか、左がクラウス」


 名を呼ばれると同時に会釈する執事二人。

 次に矢鏡は執事達を見て、右手で俺を差し、


「彼は華月京。友達になったんだ。髪と目の色が変わってるけど気にしなくていい」


 と言った途端、二人はぶわっと目に涙を浮かべ、


「おぉ! 若様に新たなお友達が!」

「二人目ですね! おめでとうございます!」


 クラウスさん、草加さんの順で、なんかすっげー嬉しそうに言った。

 俺は同類を見る目で矢鏡を見た。

 矢鏡は執事二人に、うるさいよ、と言った後、


「談話室にいるから、何かあったら呼んで」

「かしこまりました」

「では、後程お茶をお持ちします」


 今度は草加さん、クラウスさんの順に言って、矢鏡はスタスタと左の階段を上がった。その後に続くフィルと俺。


 二階に上がってすぐ、廊下は丁字になっていて、正面の廊下には計四つのドアが、左の廊下には計六つのドアが、それぞれかなり間を開けて対面していた。尚、左の廊下の左側の一番奥にはもう一つドアがあり、その向かい側は右に折れた廊下となっている。


 矢鏡は左の廊下を進み、左側一番奥の部屋に入った。角部屋であるそこは、扇形の弧をもっと外に広げた感じの部屋で、外に面している弧の部分は全て窓になっていた。超日当たり良い。部屋の中心辺りに、薄緑のテーブルクロスがかかった大きな丸テーブルと、それを囲むように背もたれのある椅子が四つあり、ドアから見て左に矢鏡、右にフィル、手前に俺が座った。


 カバンを横に置いたところで、ドアが三回ノックされた。矢鏡が『どうぞ』と返事をして、丸いトレイを片手で持ったクラウスさんが入ってきた。俺達三人の前に、紅茶の入った綺麗なティーカップと、シフォンケーキ生クリーム添えが乗った皿と、銀のフォーク一本をそれぞれ並べて、


「本日はミントティーとココアのシフォンケーキです。

 ――では、私はこれで失礼致します」


 と言って出ていった。

 俺はドアが完全に閉まるまで見てから、二人の方を向いた。


「……やっぱ羨ましいなぁ、こういう暮らし。いつもここでおやつ食ってんの?」

「いや、普段は食べない。甘いもの好きじゃないし。客が来た時だけ出してもらってるんだ」

「ふーん……」

 

 矢鏡の言葉にてきとーに相槌を打ち、俺はフォークを手に取った。シフォンケーキを小さく切って、口に入れる。お、甘さ控えめで美味い。

 矢鏡はケーキを眺めながらフォークを右手で持ち、フィルは上品に紅茶を飲んでいた。


 うーむ、話題が無い…………あ。そうだ。


「なぁフィル」

「何?」

「好きな人いるんだってな。やっぱ主護者の誰か?」


 俺がそう尋ねると、矢鏡がフォークをテーブルの上に落とした。カチャンと音が鳴った。

 フィルはカップをソーサーの上に戻し、俺に向かってにっこり笑う。


「昼の話、聞いてたんだね」

「人からだけどな」

「……そう」

「で、誰? 矢鏡とか?」

『それは無い』


 何故か矢鏡も一緒にきっぱり否定した。そんだけ息ピッタリなのに……無いんだ。

 フィルは小さく息を吐き、


「期待を裏切って悪いけど、好きと言っても恋心ではないよ。ディルスと同じで、僕にもそういう気持ちは理解できないから。あくまで他の人より少し特別ってだけ」

「なんだ、そうなのか」


 ちょっと残念。同志だと思ったのに……


「言っただろ? 恋心を抱く主護者は稀だって」


 矢鏡が言った。


「お前さっき動揺したよな? フォーク落としたし」

「それは別の意味で驚いたからだ。動揺したわけじゃない」


 淡々と言う矢鏡に、俺は、ふーん、と返し、


「別の意味って?」

「……フィルはあまり自分の事を話さないんだよ。

 だから、そういうことを地球で言うとは思わなかった」

「色恋沙汰には出来るだけ関わりたくないからね。

 諦めさせるには一番手っ取り早いだろ?」


 言ってフィルは紅茶を一口。

 確かにそうだな、と言いつつ頷く俺。


「そんなことより華月、地球のことを教えてくれない?

 来たばかりだからよく知らないんだ」

「あぁ、わかった」


 フィルの頼みにそう返し、俺はどれから教えようか考えた。


 日本が島国で、この世界には妖魔がいないことは聞いたというので、日本には俺みたいな髪色の奴がたまにいることと、染色する技術があることから話し始めた。


 フィルはにこにこしながら聞いていて、矢鏡は無言で紅茶を飲んでた。


 他にも和食とか、普段は着ないけど和服もあるとか、アイドルとかモデルみたいな仕事もあるとか、そういうことを色々話した。ついでに小説とか漫画の話もして、俺の好きなファンタジー小説の内容を語っているうちに夕方になった。


「――あ、ごめん。俺そろそろ帰るよ」


 途中で話を切り上げて、カバンを持って立ち上がる。もちろんおやつは完食済み。


「送っていこうか?」


 矢鏡が言った。

 俺は首を横に振って、


「いいよ、近いし」

「そう。――あぁそれと、いつでも来ていいからね」

「マジでやった! じゃあ暇な時に来るよ。またな!」


 手を上げながら言って、俺は部屋を出た。広い廊下を一人歩き、階段を下りたところで、右の階段端にある台座に乗った高そうなツボを磨いている草加さんに一声かけてから矢鏡家を後にした。

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