6-4 - Shikyou Ⅱ-

 六月中旬。早朝。

 いつものように学校に行き、いつものように自分の席に座る。

 退屈なのはいつものことで、それは今日も変わらない。


 ただ、昨日と今日は少しだけ違う。


 今日、このクラスに転校生が加わる。他のクラスメイト達には知らされていないが、教室内に一つずつ増えた机とイス、位置が変わった俺の席を見て、ほぼ全員が感付いている。因みに俺は、昨日担任に、雑用ついでに言われたから知っている。


 ……だが、そんなことはどうでもいい。俺には何の関係も無いことだ。周りの人間が一人増えたところで何も変わりはしない。あいつが現れるわけでもない。


 探し始めて十年経った。あいつと会えずに十年経った。

 だからきっと、今日も現れない。


 多分もう……あいつは……


「気付いてると思うが、今日は転校生を紹介するぞ!」


 そんなことを考えている間に、教室に入ってきた担任が言った。

 次いで、教室の前方のドアが開く。

 なんとなくそっちに目をやって、一瞬で頭が真っ白になった。


 教室に入ってきたのは、空色の髪と蒼い目を持つ見慣れた人間。

 ――ずっと探していた"あいつ"だった。


「俺は華月京」


 冷めた目をした"あいつ"が、冷めた声音でそう名乗った。


 ………………

 …………………………

 ………………………………え?

 …………いや…………待って。ちょっと待って…………


 最悪の事態を免れた喜びも手伝って、俺の頭は完全に混乱した。

 感情が表に出にくい性質だったのは幸いだった。でなければ、周りの人間達にも"あいつ"にも不審に思われたことだろう。


 自己紹介を終えた"あいつ"が、俺の隣の席に座った。凝視して不審に思われたら面倒なので、俺は迷わず視線を逸らした。だが、すぐに『よろしく』と挨拶され、反射的に見たから意味が無かった。混乱したままだったが、なんとか返事は出来た。その後再び視線を逸らしたから、多分怪しまれてはいない。


 別の人格が生まれていることは一目でわかった。偶然外見が似ているだけで別人だという可能性も、エルナの記憶が一時的に無くなっただけの可能性もあるが、何故か確信を持ってそう思った。


 なんでこうなっているのかは全くわからないが、とりあえず、今すべきことは決まった。


 朝のホームルームが終わり、クラスメイト達が一斉に席を立った。そいつらは隣の席の周りに集まり始め、俺はその隙に教室を出た。まだ廊下にいた担任に『具合が悪いから早退する』と告げ、家ではなく学校裏にある山の一つに向かった。登山道を早足で進み、木々の少ない頂上で足を止めた。ここからなら学校を一望できるし、滅多に人が来ないからここに来た。


 俺は学校を眺めながら通信機を取り出し、シンを呼ぶ。数秒経たずにシンは出た。


『ディルス? 珍しいね、どうし――』

「シン……シン頼む、来てくれ……」


 なりふり構ってはいられず、シンの言葉を遮って言った。

 ただならぬ雰囲気を察したからか、シンはやや間を開けた後、


『……わかった。すぐ行くよ』


 と言って通信を切った。

 今いる場所を伝えていないが、通信機を使った直後ならシンにはわかるらしい。

 俺が通信機を消し、振り向いたところで正面に現れた。いつも通り青年姿だ。


「何かあった?」


 心配そうな顔をしたシンが言った。


「よくわからないけど何故か転生していてエルナがいなくて人格が変わってた」


 未だに整理がついてないから変な説明になった。

 シンは瞬きを繰り返した後、やんわり微笑み、


「……落ち着いて、ディルス。落ち着いてからでいいから、もう一度話してくれる?」


 言い聞かせるようにゆっくり言った。

 俺は小さく頷いて、少々時間をかけて平静に戻ってから、今度は詳しく説明した。



 **



「んー……」


 シンが唸った。

 俺達は今、高校の正門あたりの上空にいる。丁度、二年B組の教室内がよく見える高さだ。


 風使いであっても空を飛ぶことは出来ないが、シンとリンさんだけは宙に透明な足場を作ることで一時的に停滞出来る。作成するにはいくつか条件があるようだが、俺が知っているのは限界高度は三十メートルで、最低三人しか乗れない程度の大きさしか作れない――ということだけ。


 因みに、シンは実体化を不完全にし、俺はそれと同等の効果が得られる銀の指輪(シンから貰った)を付けることで、一般人の目には映らないようになっている。もちろん、余計な面倒を避けるためだ。ただ、これだけだと通力を持っている"あいつ"には見えてしまうから、視界に入らないよう気をつけなければならない。


 といっても、今あの教室では三限目の授業をしていて、"あいつ"の視線は机上の教科書に集中しているから、しばらくは気付かれないと思うが。


「どうだ? 見えるか?」


 隣に立つシンを横目で見やり、訪ねた。

 シンは"あいつ"を見たまま小さく頷き、


「うん。少し遠いけど……魂までちゃんと見えるよ」

「……そうか」


 相槌を打ち、俺も"あいつ"に視線を戻した。

 神であるシンは魂を見ることが出来る。人の姿を取る霊体も、肉体に宿ったものも、仮初の肉体を持つ実体化をしたものでも――中に在る青い炎を、その目に映すことが可能だ。この力があるからこそ、魂の選別と浄化が出来るらしい。但し、長時間見える状態が続くとかなり疲労するため、普段は見えないようにしているそうだ。


 しばらくして――


「んー……確かに、貴方の言った通りだね。あれはエルナの魂だし、別の精神が出来てる」


 シンが言った。次いで、不思議そうな目を俺に向け、


「でも、よくわかったね。誰の魂かはともかく、精神が変わったかどうかは魂を見なければわからないはずなのに」

「……自分でも不思議だと思う。何故か確信してたし……」

「混乱したことで勘が鋭くなったのかもね」


 からかうように言って、シンはふふっと笑った。だがすぐに、困ったような表情になり、


「んー……それにしても、複雑な気分だね……

 嘆くべきか、喜ぶべきか……わからない」

「まぁ、記憶喪失のようなものだからな……」


 その言葉の意味を理解して、俺は応えた。


 もし、精神と記憶だけでなく、情報までもが失われていたのなら――

 もし、魂ごと消えていたのなら――


 俺達はひどく悲しんだことだろう。


 だが、幸いにもあの魂は無事だし、情報も残っている。精神も共にあるのが最良だが、俺達の身に何が起こったのかがわからない今、それだけでも良かったと考えるべきだ。


 情報が残っていれば、外見や遺伝子などは以前と全く同じになるし、性格の基礎的なところは変わらない。育つ環境によって多少の違いは出るが、全くの別人にはならない。


 だから、精神が代わったとはいえ、"あいつ"がエルナで、エルナが"あいつ"なのは変わらないし、魂が無事ならエルナが"死んだ"とは言えない。


 そのことを素直に受け入れられる人間は、そう多くもないと思う。あのシンでさえ戸惑っているようだし。俺はこれで二回目だから平気だけど。


 あぁでも、一方的に忘れられるのは…………少し、つらいな……


「――ねぇ、ディルス。……ディルス?」


 いつの間にか、シンが俺の顔を覗き込んでいた。心配そうな様子で。

 俺は一言、すまない。考え事をしていた、と詫びて、それから要件を聞いた。


 シンはいつものように微笑み、


「貴方、これからどうしたい?」

「どうって……」


 一瞬、何のことかわからなかったが、すぐに思い至った。

 主力である主護者には、必ず固定の相方がいる。そして、俺の相方はエルナだった。そのエルナがいない今、以前と同じままではいられない。


 だから、選ばなければならない。


 別の誰かと組み、このまま主力として行動するか。

 誰とも組まず、補佐になるか。

 それとも、主護者を止めるか――


 どれを選んでも、シンは快く受け入れるだろう。絶対的存在のはずなのに、他人に強制することを嫌っているからな。良い意味で、変わった奴だ。


「別に今すぐ決めなくてもいいよ。私、しばらくここにいるから」


 悩んでいる間に、シンが言った。

 俺は少し驚いて、


「天界にいなくていいのか?」

「それは大丈夫。私は分身だから」

「……なるほど」


 そう返したところで、三限目終了のチャイムが鳴った。

 "あいつ"に見られる可能性が高くなったため、場所を移すことにする。


 俺とシンは素早くその場を離れ、とりあえず俺の家に向かった。別に裏山でも良かったが、自室に招いた方が周りを警戒する必要がないからそうした。もちろん、帰宅する前に指輪は外した。他の人間達に余計な疑念を与えないよう、シンは不完全な実体化のままだったが。


 シンは室内を見回して、執務室みたいな部屋だね、と言った。

 俺は机の前で足を止め、振り向いてシンと対峙する。


「しばらくいるのはいいが……珍しいな。この世界には妖魔もいないのに」

「今は急ぎの用も無いし、あの子が気になるからね……少し様子を見ようと思って」


 そう言って、シンはにっこり微笑んだ。

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