デジャヴ -déjà vu- 【2018.9.9改】
デジャヴ――実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる現象(ウィキペディアより引用)
みなさんの中でも、デジャヴという言葉を耳にしたことがある方は多いのではないでしょうか。
「あれっ、この景色――どこかで見たことがある気が……」
こんな体験をデジャヴといいますが、体験というからには視覚だけでなく、聴覚や触覚なども含まれるようです。
しかし、私が経験してきたデジャヴは視覚のみ。
ある一瞬を切り取った映像として脳裏に現れます。
具体的な現れ方としては、まさに「あっ! この映像を見たことがある!」といった感覚です。
その場にいたことがある、という記憶に関することではなく、アングルや光量も含めて今見た映像と全く同じものを以前に見たことがある、という思いが生じるのです。
初めて体験した頃は、まだデジャヴという言葉も知らず「何だ、今のは!?」という不思議な感覚と共に、独特な不安感が生じていました。
何かモヤモヤした思いが喉の奥に引っ掛かっていて、言葉に出来そうで出来ない、もどかしい思い。
誰かに話しても理解してもらえないだろうと、自分の中で処理するようにしてきました。
色々な不可思議体験をしてきましたが、デジャヴは最も頻度も高く、数としても覚えていないくらいの現象です。
特に子どもの頃が多くて、小学校高学年から中学生に掛けてがピークでした。もしかしたら、もっと幼い頃にも経験していたのかもしれませんが、それがデジャヴだという認識がないことと記憶が定かでないため分かりません。
数多く経験するようになり、何か意味があるのでは……そう思って、どんな内容か記憶しておこうとしたのですが――これが、印象に残らないことばかりなんです。
人生の節目だったり、何かイベントに関連していたり、と言うことであれば印象付けて記憶しやすいのですが、私が見るデジャヴはごくありふれた日常の一瞬ばかり。
中学校の昼休みに校庭で遊んでいた時とか、観光地のお土産屋で品物を選んでいた時とか、知人と会話をしていた時とか。
一説では「短期記憶と長期記憶の重なり合いが原因」と考えられていて、デジャヴが起きたときの状況の記憶はほとんど残らないそうです。
でも、本当は何か意味することがあり、私がそれに気づく能力を持たないだけなのかもしれません。
特定の現象が意味すること、それを事前に知っていたという思い。
これらの関連性に気づく能力こそが、予知と呼ばれるのかも……。
理由が解明されない不可思議なことって、ある種の魅力がありますね。
デジャヴについては年齢と共に見る機会が減りました。
特に三十代を超えたあたりからは、年に数回程度しか遭遇しません。
これには、ある理由が関係しているのかもしれませんが……そのお話もいずれまたの機会に。
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