第53話 渉外と障害。

「……すごい人ですわね」

「こんな大勢を相手にすんのかよ……」


 選挙戦四日目。

 一年A組の教室の前に張り出されたポスターの前には、人だかりができていた。


 本来であれば、冬馬が出てきて公約をアピールする絶好の期会なのだが、あいにくと今は新聞部のインタビューを受けに出ていて不在だ。

 ここは渉外担当の仁乃さん、嬉一の出番である。


「嬉一くん、どうぞお先に」

「うへぇ……」


 しぶしぶ、といった様子で嬉一が集団に近づく。

 見ていると、一つ深呼吸をして、覚悟を決めたようだった。


 パン、パン!


 と嬉一が二回手を叩くと、集団の注目が一斉に嬉一に集まった。


「えー。おほん。お集まりの皆様、ポスターをお読み下さって、その……なんだ……ありがとうございます」


 慣れない口調で話すのが違和感なのか、どうも調子が出ないようだ。


「東城 和馬の公約は見て頂けたで――」

「このトランプの奴、どうなってんのー?」


 嬉一の言葉を遮って、集団から声が上がった。


「あ。あんたもそれ気になった?」

「俺も俺も」

「ねえ、どうなってんのー?」


 口々におまけについての質問が上がる。

 これは――おまけは失敗だったかな。


「えー。おほん。トランプはあくまでおまけのようなものです。ぜひ公約の方にも目を通して頂けれ――」

「えー! いいじゃん! 教えてよー!」

「そうだ! そうだ!」


 騒ぎは大きくなるばかりで、一向に収まる気配がない。


「皆さん、ちょっと落ち着いてくださいまし!」

「冷静に! 冷静に!」


 仁乃さんと嬉一が声を張り上げるが、ヒートアップした群衆は聞く耳を持たないようだった。

 騒ぎを聞きつけて、教室からA組の学生たちも顔を出した。

 集団がどんどん大きくなる。


 いけない。

 これでは事態は悪化する一方だ。


 そんな時――。


 ドン!


 と、大きく壁を蹴る音が響いた。

 群衆が一瞬で静まり返る。


「おい、嬉一」

「あ……」


 進み出てきた上級生と思しき人影の呼びかけに、嬉一が固まった。


弥彦やひこ先輩……」


 誰だろう?

 どこかで見たことがあるような気がするのだけれど……。


「嬉一君の部活――水泳部の先輩ですわ」


 仁乃さんにこっそり尋ねた所、そんな返答が返ってきた。

 弥彦様……ああ、交友禁止リストにあった矢追(やおい) 弥彦様か。


「俺は一年坊主の選挙公約なんて興味ねーんだよ。冴子のシンパだしな。それよりこの人をおちょくったトリックの説明をしろ」

「いえ、これは別におちょくっている訳ではなく――」

「ごちゃごちゃうるせぇ! お前、舐めてんのか」


 この人――弥彦様は本当に百合ケ丘生なのだろうか。

 言動がチンピラじみている。


 両家の子女には三種類いる。

 幼い頃から帝王学を学んだ冬馬タイプ。

 世間知らずのお坊ちゃんタイプ。

 そしてワガママな放蕩息子である。

 弥彦様はどうやら三番目らしい。


 先生を呼んだ方がいいかな、などと思っていると――。


「弥彦先輩、と仰っいましたか。東城 冬馬の公約にご興味がないのでしたら、お引取り願いますわ」


 仁乃さんが嬉一をかばうように前へ出た。


「……二条の嬢ちゃんか。俺はこいつと話しをしてるんだ。引っ込んでな」

「私と嬉一君はともに渉外担当ですわ。ここは東城 冬馬の公約を知って頂く場。冷やかしならお断りでしてよ」

「てめぇ……」


 弥彦――こんな奴に様づけはもういらないだろう――の目が危険な色を帯びた。

 危ない、と思ったのは、既に弥彦の拳が振りかぶられた後だった。


 バシッと大きな音がした。


「……女子に手を上げるのは……どうかと思うんすがねぇ?」


 殴られそうになった仁乃さんを、嬉一が体を張ってかばっていた。

 弥彦の拳は、嬉一の顔に触れる寸前で嬉一の手に掴まれている。


「ポスターも公約も、大将――冬馬たちが精一杯頑張って作ったもんなんすよ。そこんとこ、くんじゃくれませんかね?」

「ぐっ……! 嬉一……てめぇ……!」


 拳を逆に握り返して動きをとれなくする嬉一。

 瞳が強い意志の光を放っている。


「この野郎……!」


 弥彦がもう片方の拳を振りかざそうとすると、その拳を掴む別の手があった。


「とっとっと。暴力はんたーい」

「お前……神楽……!」


 弥彦の動きを止めたのは、神楽様だった。


「騒ぎがするから何事かと思って来てみれば、ずいぶん物騒なことになってるね」

「邪魔すんなよ、神楽」

「ハハハ。ごめんごめん。でも、こんなちゃちなトリックにそう熱くならなくても」

「んだと? じゃあ、お前分かんのかよ」

「もちろん。あ、でもばらしちゃっていいのかな?」


 神楽様が困ったように嬉一の方を向いた。

 嬉一は一瞬迷ったようだけれど、首を縦に振った。


 正しい判断だと思う。

 この騒ぎを収めるには、もう種明かしをするしか無い。


 神楽様にその役を奪われるのは若干悔しいが。


「このポスターのトランプにはね? 他のポスターに書いてあったトランプは1枚も入っていないんだよ。同じ絵札だから紛らわしく見えるけどね」

「あー! なるほどー!」

「そっかー」

「なーんだ、拍子抜け」


 納得の声よりも落胆の声の方が多い。


 マジシャンの鉄則の一つに「種明かしをしない」というものがある理由がこれである。

 種明かしされた人は、二度とそのマジックの不思議さを楽しむことが出来ない。

 むしろ、不思議さが消えてがっかり、ということの方が多いのだ。

 マジックの裏側にある、精緻な技巧や計算しつくされたトリックに感心する人もいるけれど、それはどちらかというと少数派なのである。

 まして今回は本当にちゃちなトリックだ。


「ちっ、なんだよ、だせーな」

「ハハハ。所詮、一年生の浅知恵さ。もう気が済ん――」

「そいつはちょっと聞き捨てならねーよ、神楽先輩」


 嬉一が口を挟んだ。

 ああ、もう。

 せっかくまとまりかけていたところなのに。


「俺の知る限り、冬馬もそのスタッフもアンタたちなんかよりずっと優秀だ。この選挙、絶対に負けねーよ」

「嬉一君、だっけ? ごめんごめん。気を悪くしたなら謝るよ」

「なんだよ、神楽。引き下がるのかよ。てめぇ、嬉一! 調子こいてんじゃねぇぞ!」

「喧嘩売ってんなら、後でいくらでも買いますけれど――先輩だからって、てめぇこそ調子くれてんなよ?」


 嬉一の目つきががらりと変わった。


 そう。

 最近なりを潜めていたけれど、もともと嬉一はあまりガラのよろしくないタイプだった。

 百合ケ丘の学生にしては珍しく、荒事の匂いをまとった奴なのだ。


 明らかに雰囲気の変わった嬉一に、弥彦はうっと一瞬尻込みした。

 その隙をついて、神楽様が弥彦の腕を引っ張った。


「はいはい。邪魔者は退散しようね。みなさーん! お騒がせしましたー! ついでに加藤 神楽もよろしくー!」

「おい、神楽! 離せ! 離せよ!――」


 ぎゃーぎゃーうるさい弥彦を引っ張りつつ、宣伝までしながら神楽様はこの場を去っていった。


「皆様、お見苦しい姿をお見せして申し訳ございませんでした! でも、東城 冬馬の公約は浅知恵なんかじゃありません!」


 嬉一は先程までの危険な雰囲気から新規一変。

 体育会系のノリで声高らかにそう言って腰を深く折った。


「きっとみなさんの学園生活を変えます。どうか一度、ご精読お願いします!」


 その声に合わせて、A組の学生が全員腰を折った。

 もちろん、仁乃さんや私も。


 口裏合わせをしていた訳ではない。

 ただ、嬉一の声と姿勢につられて自然とそうするべきだと思ったのだ。


 パチ……パチパチ……。


 最初、小さく聞こえてきたそれは拍手だった。

 拍手は次第に大きくなり、気がつけば、集まった聴衆皆が拍手をしていた。


「やるじゃん、ヤンキー君!」

「いいもの見せてもらったぞ!」

「アイツ、前からうざかったんだよねー」

「すかっとした!」


 上級生の脅しに屈さず、言うべきことを言い、譲れるところは譲り、でも安易な妥協はしない。

 一時はどうなることかと思ったけれど、みんな、嬉一の頑張りをちゃんと見ていてくれたのだ。


「ヤンキー君は勘弁っすよ!」


 嬉一はバツが悪そうに頭をかいていたが、その顔は清々しい物だった。


「ふーん……やるじゃないですの」

「仁乃さんも後でお礼を言うべきです。助けてもらったんですから」

「あ、あれは!」

「仁乃さんのその潔癖なところは嫌いじゃないですけれど、自分が女性だということを忘れないで下さい。女性である以上、やっぱりどうしたって男性の暴力には勝てないのですから」

「……以後、気を付けますわ……」


 仁乃さんは少ししゅんとしてしまった。

 でも、彼女に怪我がなくて本当によかった。


 今日3度目のため息をつくと、ふと嬉一と目があった。


 嬉一がサムズアップして合図してきたので、私も親指をそっと立てて健闘を讃えた。

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