第45話 魔の手の正体。
最高の気分でセッションを終えた私たちだけど、やるべきことがまだ残っていた。
すなわち、楽器損壊の犯人探しである。
いつねさんたち演劇部の発表にはまだ時間があるということで、誠、ナキ、私は監視カメラの映像を見て犯人を特定した。
そして、犯人を軽音楽部の部室に呼び出した。
「どういうことか説明してもらおう」
「……」
詰問とまで言わなくとも、十二分に険しい声で誠が問い正した。
相手はお古の楽器に仕込まれていた監視カメラに写っていた、妨害の実行犯。
これまで私を周りから遠ざけ、近づくものに危害を加えていたその犯人である。
ナキと私はそれとなく出入口前に陣取り、逃げ道を塞ぐ。
彼女はきゅっと口を引き結ぶと、震える手で制服のスカートの裾を掴み、顔を伏せて沈黙している。
記録された映像とぴたり一致する、三つ編みおさげの真面目そうな顔。
それは紛れも無い、服部 遥さんのものだった。
「なぜ、こんな真似をしたんだ」
「……」
遥さんは何も言わず、ただ立ち尽くすだけ。
人違いだとか何かの間違いだとか、そういった弁解すらしていない。
もっとも、こちらには映像データがあるので、確固とした証拠がある訳だけれども。
思えば、脅迫状が届くようになった後、私の周辺で起こった異変にしても、彼女だけは怪我をすることなく寸前で回避していた。
『Change』の楽譜が消えた時も、生徒会室に行くように誘導したのは彼女だった。
すべての状況が、彼女が犯人であることを示している。
分からないのは動機だ。
こんなリスキーなことをする理由とは一体なんだろう。
内気でいつもおどおどしている彼女を凶行へと及ばせたものが何なのか、私はそれが知りたかった。
「遥さん。私はあなたが悪意をもってこんなことをしたとは思えません。理由を教えて頂けませんか」
「……」
極力怯えさせないように声を作ったつもりだ。
遥さんは伏せていた顔を上げてこちらにちらりと視線をよこした。
怯え、焦り、諦念。
そんなものが混ざり合った、負の視線だった。
「……」
彼女はまだ口を開かない。
これはもうひと押し必要だろうか。
「私たちがこのカメラの映像データを学園に引き渡せば、あなたは良くて退学、最悪、警察に引き渡されることだってありえます」
「そ、そんな……!」
憔悴した顔で言う遥さんだが、それくらいは当然だろう。
今回の楽器の件だけではなく、これまでの私の周囲への脅迫や危害も考え合わせれば、刑事罰だっておかしくはない。
彼女は未成年だけれどもう十六歳なので、少年法にもとづいて手続きが進められ、量刑は理論上の最悪では無期懲役まで課される可能性がある。
まぁ、たとえすべての脅迫の実行犯が遥さんだったとしても、重傷者や死者が出たわけでない以上、無期懲役はまずない。
それでも傷害罪となれば、執行猶予付き2年以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留もしくは科料くらいはあるかもしれない。
「私は本当のことが知りたいです。私の知る遥さんは、理由もなく罪を犯すような人ではありません。理由いかんでは、学園や警察に口添えすることも出来ます」
「! ……」
遥さんの顔が懊悩に揺れるのが見えた。
「ですから、正直に答えて下さい。これまで学園で起きた私の周りへの脅迫の実行犯はあなたですか、遥さん」
「……はい」
「なぜ、こんなことを?」
「そ、それは……」
また口ごもる遥さん。
「本当のことを仰って頂けなければ、私はあなたを助けられないのです。話して下さい。全部」
裏切られても、私はまだ遥さんのことを見限れなかった。
彼女との関係はまだ別にそれほど深いものではないけれど、共に学園で過ごし、一緒にバカンスにも出かけた仲だ。
他人、では少なくとも無い。
「……ち、父が借金を作ってしまったんです」
ようやく、遥さんはぽつぽつと話し始めた。
「う、うちは小さいながらも大手と取引のある部品加工メーカーをしています。で、でも、経理の人に魔が差したようで、会社のお金を持ち逃げされてしまって、だ、大事な取引に失敗して大きな借金が出来てしまったんです」
遥さんの父はそれでもどうにか会社を立て直そうと奔走したらしい、だけど――。
「い、一度、失った信頼を取り戻すのは並大抵のことではなくて、更に他の取引先も潮が引くように次々と取引をやめ始めました。に、にっちもさっちも行かなくなった父は、会社を畳んで有価証券の類もすべて売り払いました」
それでも、借金を返すには足りなかったのだという。
「ぎ、銀行は返ってくるあてのない貸付はしてくれません。も、もう首をくくるしか無い、という時になってあの人が現れたのです」
その男は四十代後半くらいに見えたという。
「だ、男性は一条
一条 景宗!?
それは……それは……。
「い、一条 和泉を破滅させたい。そ、それを手伝えと」
それは、和泉を捨てて逃げた父の名である。
誤解を招きそうなので説明しておくと、父は入婿である。
飽くまで戸籍の上では、であるけれど。
一条の血を引いているのは母の方。
素性の明らかでない父が一条を名乗っているのはそのせいである。
「ち、父は最初断りました。か、景宗さんは私に和泉様を脅かすような真似をするよう求めてきましたから、娘にそんな真似はさせられないと」
すると景宗は遥さんの家の状況をさらに悪い方向へと誘導し始めた。
「い、家の周りをガラの悪い連中がうろつくようになりました。げ、玄関の落書きは何度消しても上書きされます。わ、私たちの心が折れるのは時間の問題でした」
最初に景宗の申し入れを受け入れるように言ったのは、なんと遥さんらしい。
自分が汚れ役を引き受けることで家族が救われるなら、と景宗の計画に乗るよう父親を説得したのだ。
彼女には下に二人弟がいる。
母親は既に他界しており、父は自分のことで手一杯。
一家四人が路頭に迷わないためには、もうそれ以外選択肢が残っていなかった。
「か、景宗さんの申し入れを受けたのは、一学期の終わり頃でした。わ、私はまず和泉様ともっと親密になるように言われました」
一学期の学期末テストで遥さんが冬馬の案に乗ったのは、そんな背景もあったのだろう。
そうでなければ、あの時までそれほど付き合いのなかった彼女が、あんなしんどいことに加わるのは不自然だ。
「バ、バカンスの間もずっと心ここにあらずでした。お、お陰で水着は間違えるし、本当にさんざんでした」
あれもそういう理由があったのか。
家の財政が火の車で、後ろ暗いところのある男に操られているともなれば、確かにバカンスどころではないだろう。
「い、和泉様が少しずつ打ち解けてくれるような気がして、でも、それが本当に申し訳なくて……」
気持ちに耐え切れなかったのだろう。
遥さんはとうとう涙をこぼした。
私は彼女の隣に座ると、ハンカチを取り出して涙を拭った。
「に、二学期に入ってからはみなさんもご存知のとおりです。あ、あれも景宗さんの指示でした」
バレにくく巧妙な嫌がらせの数々を、いくつも遥さんに伝授したのだという。
「じ、自分が大変なことをしているということは分かっていました。み、実梨さんの頭上から植木鉢を落とした時は、もうそのままベランダから飛び降りようかというくらいの罪悪感でした」
それでも、自殺する訳にはいかない。
彼女の細い両肩には、家族の命運がかかっているのだ。
「わ、私は罪を犯しました。学園を去る覚悟はとっくに出来ています。で、でも、犯罪者として告発され、家族が後ろ指をさされるようになるのは……耐えられません」
遥さんの目から再び大粒の涙があふれだす。
彼女のように生真面目な性格の人間が、犯罪まがいの行為をさせられるなんて一体どんな拷問だろう。
私の父は一体何を考えているのか。
一条の破滅、と遥さんは聞いたというけれど、なぜそんなことを目論むのだろう。
「み、身勝手なお願いとは承知していますが、私を和泉様から遠ざけて頂けないでしょうか。も、もう……限界です」
遥さんは顔をくしゃくしゃにしながら頭を下げた。
これはもう、遥さん一人をどうこうすればいいという話ではない。
彼女の背後にいる父―― 一条 景宗をどうにかしなければ。
とはいえ、遥さんをこのままにもできない。
「分かりました。まだ口約束しかできませんが、遥さんを学園から遠ざけるよう、手配しましょう」
「和泉ちゃん。それはちと酷やないか? 遥ちゃんが用済みになったら、親御さんの借金で首まわらんなるで?」
もっともな意見をナキが言う。
「ことは一条家の汚点にも関わることです。祖父に話せば、遥さんたちのいいようにとりなしてくれるでしょう。借金の話もなんとかなるはずです」
「金の問題が片付けば、遥もこんなことをせずに済むものな」
誠は義憤の表情を浮かべている。
遥さんに負けず劣らず真面目な彼のことだ。
今の話を聞いて腹を立てずにはいられないだろう。
「ほんまに胸糞悪い話やな。なぁ、和泉ちゃん。六月の誘拐事件。あれもその景宗っちゅう男が絡んでるやない?」
「可能性はありますね」
とはいえ、今は可能性の話でしか無い。
景宗は戸籍上は私の父であり一条家の一族ではあるものの、もとより祖父の覚えが悪く、行方をくらましてもいるため、一条家の力は使えない。
つまり、景宗個人に社会的な力は大してないはずなのだ。
そんな男にあんな荒事に慣れた連中を御し、大掛かりな事件を起こすことなど出来るのだろうか。
疑問は尽きない。
「い、和泉様。ほ、本当にごめんなさい。ゆ、許されないって分かっています。で、でも、ずっと謝りたかった」
遥さんは頭を下げ続けている。
私は彼女の肩をつかんで強引に正面を向かせると、彼女の目を見て言った。
「遥さんに罪がないとはいいません。でもあなたも被害者です。辛かったですね。一人でよく頑張りましたね」
私の言葉を聞いた遥さんは、いよいよ涙腺が完全に決壊したらしく、咽び泣いた。
彼女の泣き声がやむには、長い長い時間が必要だった。
◆◇◆◇◆
誠とナキに遥さんを預け、私は第一体育館へとやってきた。
そろそろ演劇部の発表の時間だからだ。
遥さんのことや父のことが気にならないはずもないが、そこはそれ、これはこれ。
いつねさんの晴れ舞台なのだ。
気持ちを切り替えなければ。
館内には既に大勢の観客が座っており、上演を今か今かと待ちわびている。
開始5分前の放送の後、その情報はもたらされた。
「お客様に申し上げます。演劇部上演『サンドリヨン』のキャストに変更がございます。サンドリヨン役、五和 いつねが急病のため、代役として
え?
私は呆然としてしまい、その後の演劇部の劇はさっぱり頭に入ってこなかったのだった。
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