第3章 二学期
第34話 忍び寄る影。
新学期が始まった。
夏休みが終わってしまったということもあるだろうけれど、教室の空気はよくなかった。
先ほどからちらちらとこちらを伺う視線を感じる。
(まぁ、仕方ないよね)
夏休み中に一条家に届いたのと同じような脅迫状が、一年生全員の家に送られていたらしい。
どこの誰かは分からないけれど、嫌われたものである。
もとよりぼっち宣言していたことも加わって、私はクラスメイトにすっかり距離を取られてしまった。
それは別にいいというか、むしろ望むところなのだが、問題は――。
「あたしは別に気にしないもーん」
「障害がある方が燃えますわ」
「せっかくお近づきになれたんですし」
「脅しなんて無粋な真似をする奴、無視無視」
「佳代ちゃんの言う通り」
「わ、私も気にしません」
と言う女性陣六人と、
「オレを敵に回すとはいい度胸だ」
「売られた喧嘩は買うで。女の子絡み限定で」
「大将もナキも肝が太いね」
「まぁ、あんなものは姑息だな」
という男性陣四人である。
この計十人は写真を取られた十人でもあり、明確に『敵』からターゲットにされていると思われる。
夏休み中も、脅迫がいたずらかなにかだと確認できるまで、私に近づかないで欲しいと頼んだのだけれど、冬馬を筆頭に馬鹿らしいと言って誰も聞いてくれなかった。
一条くらい大きな家になると、年に何通かこういう手紙を送りつけられることはある。
有名税のようなものだ。
もちろん、その度に警察に通報するけれど、大体がただのいたずらで終わる。
ただ――。
(今回のは写真を撮られたくらいだから、ただの嫌がらせとは思えない)
誘拐事件のことや、お祖父様がわざわざ私に直接教えてきたこともあって、私は危機感を覚えていた。
「あの……。皆さん、やっぱり危険だと思います。もう少し慎重になった方が……」
「いつまでだ?」
「それは……。危険がないと確認できるまで――」
「和泉なら悪魔の証明って知ってるよな?」
それを言われると弱い。
私はしぶしぶ頷いた。
悪魔の証明とは「ある事象が全くない」というような、それを証明することが非常に困難な命題の証明のことである。
例えば「カラスの中には白いカラスがいる」ということを証明するには「白いカラス」を一匹でも捕まえてくればいい。
ところが「カラスの中に白いカラスはいない」ということを証明するにはすべてのカラスを調査しなければならないので、証明は非常に困難、事実上不可能であるということになる。
これを悪魔の証明という。
悪魔の証明の概念の起源は紀元前に遡るとも言われる。
また、厳密な定義はもっと複雑なので、あまり多用するのは好ましくないのだが、今回のケースには適応できる。
すなわち「危険がないこと」を証明するには、ありとあらゆる危険性がないことを調べ尽くさなければならないので、証明は事実上不可能ということだ。
もっとも、脅迫状の存在を以って「危険がある」と証明できるとも言えそうなのだが。
「誘拐事件以降、学園のセキュリティレベルは上がっているからな。学園内で不届きな真似をするのは難しいと思うぞ」
「それはそうかもしれませんが……」
「いずみんは心配症だねー」
いつねさんは危機感がなさすぎると思う。
「あたしは例え危険があったとしても、いずみんと離れるつもりはないからねー」
それは実に光栄なことだと思うけれど、みんなの安全のほうが重要だ。
誘拐事件の時――冬馬のようなことはもうまっぴらだから。
学園側にも相談した。
ただ、被害が出ていない今の状態で出来ることはそれほど多くないと言われてしまった。
やはり自衛しかないのだろうか。
◆◇◆◇◆
私の危惧をよそに、二学期の初めは何事もなく過ぎていった。
九月の後半に学園祭を控えた学園内は、少し浮足立っているようだった。
みんなだけでなく私の危機感も若干薄れ、やはりあれは悪質ないたずらだったのかと思い始めた矢先。
それは始まった。
最初は仁乃さんだった。
体育の授業を終えて教室に帰ってくると、着替えはなくなっており、机がめちゃくちゃに荒らされていた。
机には手紙が一通置かれていて、そこには先日と同じく『一条 和泉に近づく者には災厄が訪れる』という文面が。
仁乃さんは「これくらい平気ですわ」と笑っていたけれど、その顔は青ざめていた。
その次は遥さん。
寮に届いた遥さん宛ての手紙にカミソリが仕込まれていたのだ。
幸い指を切ることはなかったものの、危ないところだった。
手紙の文面はやはり同じだった。
さらに嬉一も。
一人で階段を下っている時、突然誰かに後ろから突き飛ばされ、下の階まで転げ落ちた。
幸い軽い打撲で済んだものの、頭でも打っていたら大事になるところだった。
事後、嬉一の元にも再び例の脅迫状が届いた。
この三件を初めとして、夏のバカンスに参加した十人を次々に不可思議な不幸が襲った。
一番危なかったのは実梨さんで、校舎の側を歩いている時に、上から植木鉢が落ちてきたのだ。
直撃していたら、どうなっていたか分からない。
最悪、命にかかわる事態になっていただろう。
私は確信した。
『敵』は本気だ。
本気でみんなを傷つけるつもりだ。
私はみんなに改めて距離を置いてもらうように頼んだ。
前と違って、今回は頭ごなしに拒否はされなかった。
みんなも身近に脅威が迫っていることを実感したからだろう。
「私のためと思って、どうかお願いします」
私は言葉を重ねた。
こうでも言わないと、お人好しのこの人達は離れてくれないと思ったのだ。
最初に折れてくれたのは実梨さんだった。
「あれから凄く怖くて。和泉様に何の罪もないことは分かっているのですけれど……」
「いいんです。実梨さんに万一のことがあったら大変ですから。佳代さん、幸さん。実梨さんをお願いします」
こういう言い方をすれば、二人も断れまい。
「……気に食わない。でも仕方ないわね」
「みのりんのことは任せて」
案の定。
これで三人組は大丈夫だろう。
「オレも一旦距離を置こう」
冬馬がそう言ったのは少し意外だった。
ずきんと胸が傷んだのはきっと気のせいだ。
「勘違いするなよ? オレの和泉に不愉快な思いをさせている奴をとっ捕まえるためだ」
「せやな。わいも協力するわ」
ナキも協力してくれるようだ。
犯人の目的も気になる。
私から人を遠ざけて得られるものとは一体何なのだろう。
「なら俺もそうするとしよう。俺は冬馬とは逆に、犯人を捕まえるのではなく、和泉の身辺をそれとなく警護することにする」
誠が身辺警護を買って出てくれた。
「ちょっ……。そっちをオレにやらせろよ」
「冬馬も腕っ節には自信があるのだろうが、誰かを守るというのは単純ではない。ここはこらえて俺に任せろ」
「ちっ……。絶対に守れよ?」
「無論だ」
冬馬がしぶしぶといった様子で同意すると、誠は静かに頷いた。
「女子寮内のことは私にお任せ下さい」
「そうだな。仁乃、頼む。ただ無茶はするな。素人の出来ることはたかがしれている。すぐに周りに協力を求めろ」
「分かりましたわ」
仁乃さんもそう言ってくれた。
「適度に距離をとって下さいね。危ないですから」
「ご安心なさいませ。お姉さまが自分より他人の安否を気にする方だというのは、重々承知しておりますわ」
いや、そんなに善人なつもりはないんだけどね。
「おれは何も出来そうもねーや。でも面倒事を増やすのは本意じゃねーし。俺も様子見かな」
「わ、私もお役に立てそうにありませんし……」
嬉一と遥さんも同意した。
ところが――。
「あたしは絶対離れないから」
いつねさんは聞き分けてくれなかった。
「いつねさん。本当に危険なんです。命に関わるかもしれないんですよ」
「それでもイヤ。いずみんを一人にするくらいなら、自分の体張る方がいい」
どう説得したものかと思案していると、
「俺も専門家じゃない。和泉はともかくいつねにまでは手が回らんぞ。自分の身は自分で守ってもらうことになるが、それも覚悟の上か?」
「もちろん」
警護役の誠がやや厳しめの言葉を向けたのだが、いつねさんにはなしのつぶて。
誠は身辺警護を買って出てくれたけれど、彼は別のクラスだ。
常に目を光らせていてくれる訳ではない。
可能性は低そうだけど、授業中を狙われればどうしようもないだろう。
いつねさんの安全を考えれば、ここは是が非でも距離を置いてもらうべきだ。
……仕方ない。
「本音を言いましょう。迷惑です」
ごめん、いつねさん。
「いつねさんがいて下さっても、私にとっては意味がありません。余計な心労が増すだけです」
「いずみん……」
いつねさんの傷ついたような顔を見るのが辛い。
でも、彼女を危険にさらすよりはずっとマシだ。
「入学式の日の、私の宣言を思い出して頂ければと思います。それでは失礼」
話を強引に終わらせて、私は席を立った。
いつねさんが何ごとか言おうとするのを、誠が説得しているようだったけれど、私は振り返らず、話の内容にも耳を貸さず、その場を後にしようとした。
すると冬馬が追ってきて、こう言った。
「犯人……。いや、実行犯は意外と身近にいるかもしれないぞ」
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