Justice ~裁判員裁判~
二木瀬瑠
予章
1話 裁判所からのお便り
私宛に、その郵便物が届いたのは、11月中旬のこと。
クリーム色の外観でA5サイズほどのその封筒は、手に取るとずっしりと重く、表面には『〒102-8651 東京都千代田区隼町4-2 最高裁判所』と印刷されていました。
「何だ、これ?」
突然、国家最高権力から送り付けられた、まったく心当たりのない郵便物。
一瞬、自分が何か重大な犯罪に手を染めたのか、それとも、もしや新手の詐欺ではないかと、色んな思考が頭を過ったのですが、よくよく見ると、右下に『裁判員制度』の文字がありました。
とりあえず中を確認すると、封筒の小窓から見えていた宛先の下に『裁判員候補者名簿への記載のお知らせ』という文言があり、別紙の『最高裁判所長官からのごあいさつ』には、私が来年度の裁判員候補に選ばれた旨の内容が記載されていたのです。
「マジか~!」
一般市民が刑事事件に参加する『裁判員制度』のことや、それに選ばれる可能性があることは、メディアからの情報で知ってはいましたが、実際に自分がそうなることなど考えてもいなかった私。
プチパニック状態で、書類の内容が頭に入って来ず、それでも徐々にこれは現実なのだという実感が湧き始め、慌ててインターネット検索を始めるも、いったい何から検索すれば良いのかも分からない始末。
私の名前は、松武こうめ。とある新興住宅地に住む、専業主婦です。
我が家は夫婦ふたりだけの世帯で、日々、平凡な生活のルーティンを繰り返す私にとって、突然、最高裁判所から送り付けられた裁判員候補者名簿記載通知は、青天の霹靂でした。
とはいえ、どうやらまだこの段階では、裁判員に選ばれたというわけではないらしく、裁判所へ行く必要もないことが分かり、とりあえず一安心。そこで改めて、同封されていた書類に、じっくり目を通すことにしたのです。
まずは、『はじめにお読みください!』と書かれたパンフレットを読むと、『裁判員候補者名簿に登録された方々へ』というタイトルで、同封物についての説明書きと、裁判員選任までの簡単な流れの図解、さらには資料に目を通す順番まで丁寧に解説されていました。
パンフレットの指示通りに、最初に『最高裁判所長官からのごあいさつ』 に目を通すと、そこには、抽選で選ばれた旨や、制度についての説明、協力のお願いなどが、長官の顔写真と署名付きで印刷されています。
次に、『裁判員候補者名簿への記載のお知らせ』(名簿記載通知) 。1項目に、有効期限は翌年の1月1日から12月31日までであることや、実際の事件ごとに裁判員候補者を選んだ上で、その中から裁判員を選ぶ手続きを行い、その際は、裁判所へ行かなければならないといった内容が記載。
2項目は『調査票について 』の説明があり、3項目と4項目が『調査票』となっており、こちらは辞退を希望する方や、裁判員になることが出来ない職業の方が記入して提出するものです。
別紙『調査票の記入のしかた 』によると、辞退出来るのは、70歳以上の人や学生さん、裁判員や検察審査員をやった人、病気や怪我などで出頭が困難な人など。職業的にNGなのは、国会議員や国の行政機関の幹部職員、司法関係者、法律専門家、都道府県知事、市町村長、自衛官など。
それ以外にも、介護や育児、出産、冠婚葬祭、試験、仕事上の事情など、裁判員になることが難しい場合にも辞退を希望することが出来、その際、裏付けとなる資料に添付の『バーコードシール』を貼り、調査票と一緒に『返信用封筒』に入れて返送するよう指示がありました。
時間的な拘束や、責任の重さを考えると、出来ればやりたくないというのが本音。そこで、該当するものがないか念入りにチェックしたのですが、残念ながら私には当てはまるものはなく、その場合には返送不要とのこと。
少し落胆しながら、最後に残っていた『よくわかる!裁判員制度Q&A』という小冊子を開くと、裁判員制度についての疑問が、Q&A形式のまんがで分かり易く描かれ、一気に最後まで読んでしまいました。
添付されていたDVDには、実際に裁判員裁判に参加された方々のご意見やご感想も紹介されていており、郵便物が重かったのは、この冊子が原因でした。
大体のことを理解すると、今度は、この事実を誰かに打ち明けたくて仕方ありません。
基本的に、裁判員候補に選ばれたことを公表してはいけないことになっていましたが、SNSやブログなどで発表したりしない限り、家族や会社、近しい人に話す分にはOKということで、帰宅した夫に、早速手紙を見せた私。
手紙を見て、夫が放った言葉は、
「何これ!? まさか、こうめさん、罪を犯したの!?」
「してないから」
「分かった! これ、きっと何かの詐欺だよ! うん、そうに違いない!」
「だから、違うって」
夫婦で考えることが全く同じなことに、思わず笑ってしまいました。
事情を説明すると、概ね理解したものの、それでも不安そうな顔で尋ねる夫。
「ってことはさ、来年一年間、裁判員に選ばれる可能性があるわけでしょ?」
「まあね。だけど、一つの裁判で、抽選で何十人か呼び出されて、その中からさらに抽選で数人が選ばれるシステムみたい」
「そうなの?」
「うん。それにね、候補者全員が呼び出されるわけじゃないから、確率的には低いと思うの」
Q&AやHPなどでも、実際に『裁判員』や『補充裁判員』に選ばれるのは、1年間におよそ1万人で、確率としては0.01%程度とのこと。
夫も私も、それほどくじ運が強いほうではなく、ジャンボ宝くじの当選最高額は3千円。ビンゴゲームでさえ、全プレを除きゲットした回数は数えるほどで、いずれも末端商品ばかり。こうして候補者リストに選ばれただけでも、我が家にとっては奇跡的な出来事といえました。
勿論、どうせなら宝くじのほうが良かったのはいうまでもありませんが。
年が明け、年度が変わり、相変わらず平凡な日々が続き、そんなこともすっかり忘れていたある日。
~ピンポーン~ とインターホンが鳴り、
「松武こうめさん宛に、配達証明郵便です」
そう言って、郵便配達員さんから手渡されたA4サイズの茶封筒。そこには、『○○地方裁判所 裁判員係』と記載されていました。
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