第6話 昴と舞依

 冷やしカレーそうめんオンザ唐揚げ盛りMAXというカロリー地獄の料理を平らげた二人は、洗い物を済ませ、それぞれ自由に過ごしていた。昴はソファに横たわりながら、冷凍庫からアイスを取り出す妹をじっと見つめる。


 「……なに? なんかキモいんだけど?」

 「キモくねぇわ。いや、実はさ。買い物の帰りに、変な事に巻き込まれちゃってさぁ――」


 兄に見つめられている事に気付いたのか、舞依はベストセラーになっている、コーヒー味の吸うアイスの袋を開けながら目を細めて悪態を吐く。

 猫のように気難しい性格の妹を往なしながら、昴はつい先ほど体験した不可解な出来事を語り始めた。

 最初は胡散臭そうに聞いていた舞依もやがて興味を引かれたらしく、食べ終えたアイスの棒をゴミ箱に投げ捨てると、麦茶の入った二人分グラスをテーブルに置いて昴の隣に腰かける。

 昴が全てを話し終える頃には、グラスの中に入った氷が全て溶けてしまっていた。


 「――っていう事があったんだよ。な? 不思議だろ?」

 「ふーん。ねえお兄ちゃん、病院行こ? ちゃんと検査、してもらお?」

 「行かねえし、検査もせんわ! つか、俺は至って平常だわ!」

 「チッ」

 「おい、今舌打ちしたろ」


 どうだ、と言わんばかりにどや顔をする昴に対する舞依の反応は、それはもう酷いものだった。舞依は昴が日頃からだらしない生活を送っていた所為か、とうとう頭までおかしくなってしまったようだと判断したらしい。両肩に手を置き、かわいそうなものを見る目で切実に病院に行くように勧めてくる。

 情け容赦のない言葉のボディーブローに昴は口を尖らせて真っ向から立ち向かう。これが、二人のいつも通りのコミュニケーション方法だった。

 しばしの間じゃれついた後、自室に戻ろうと立ち上がった昴は、昨日の夕方学校から帰って来た舞依が電話で友達と遊ぶ約束を交わしていたのを思い出し、腕時計を確認する。


 「……あ。舞依、時間大丈夫か?」

 「? あ、そうだった!」


 二本目のアイスを頬張っていてた舞依は、昴の指摘にテーブルの上に置いてある電波時計を確認すると、慌てて自室へと駆け上がっていく。かと思えば、あっという間に白のワンピースに薄い黄色のカーディガンという装いに着替えて戻ってきた。肩甲骨の辺りまで伸ばしている艶やかな黒髪はツーサイドアップに纏められ、薄くだが化粧までしている。

 普段のしょうもない私服を見ている昴は、普段とはかけ離れた装いに動揺する。


 「え……。なにお前、デートにでも行くの? 叔母さんは良いけど俺は許さんぞ? お前早く彼氏でも作れよ?」

 「言ってることが支離滅裂だよ、お兄ちゃん。昨日、茜ちゃんと遊ぶって約束したの! お兄ちゃんもリビングにいたんだから知ってるでしょ?」

 「あ、ああ。そうだった」


 妹の言う茜ちゃんは、本名を時折茜と言う。

舞依が東京に引っ越してきてから最初に出来た友達で、二人の付き合いは十年以上となる。塞ぎ込んでいた舞依の心を開くのは長い日数を要したが、小学校の高学年に上がる頃にはすっかり打ち解けていて、家に遊びに来たこともある。

当然、昴も何度か顔を合わせていた。

明らかに安堵した表情を見せる昴に、舞依はバッグの紐をぎゅっと握って寂しそうに笑った。


 「それに私、彼氏とかまだ興味ないから」

 「へっ? そうなのか?」

 「うん。なんか、どうしたら良いのか、分かんなくってさ」

 「どうしたら良いって、舞依の好きにすればいいんじゃないのか? 俺も、母さんや父さん、それに叔母さんだって、舞依が幸せなることを望んでる」

 「それは、そうなんだろうけどさ。……本当だったら、お母さんに相談とかしたのかなって、思っちゃって」


 小さな声でそんな事を言う舞依に、しかし昴はハッとして目を見開いた。

物心がついたと思ったら両親が他界し、それからずっと慣れない環境で生活してきたのだ。叔母が両親の代わりをしてくれているとはいえ、舞依も年頃の女子だ。色々と思う事もあるのだろう。


 「あー……、なんだ。その、やっぱり辛いか?」

 「ううん、もう慣れたし」


 昴が気を使って訊ねる。兄として一番傍で寄り添ってきたつもりだったが、実は傷ついた心を隠したままだったのではないかと危惧したのだ。が、舞依は首を振って否定する。

 舞依は明らかにホッとしている兄に微笑むと、真面目な顔でそれでも、と続けた。


 「でも、友達が親の話とかしてると、なんか輪に入れない。気を利かせてくれるんだけど、それも申し訳ないっていうかさ」

 「そうだな」

 「お母さんが、なんでお父さんと結婚したのかって聞きたいけど、もう居ないし。自分がこれからどうしたいのか、よく分かんなくって」

 「そっか。察してやれなくて、悪かったな」


 本来の舞依は昴と比べて人当たりも良く、性格も大らかで学校での友達も多い。何も問題はないと勝手に判断していたのだが、大きな間違いであったのだと、昴はたった今気付かされた。

 兄として守ってやれない事に、昴は素直に謝る。当然の事だが、昴も同じ思いをしてきた。小・中学校では揶揄われることも多かったが、昴は我慢して受け流したりして身を守ってきた。が、舞依も舞依で学校でも色々とあるのだろう。


 「別に気にしないで良いよ。私が勝手にセンチメンタルになってるだけだから」

 「そう、か」

 「だから、彼氏は当分無理かな」


 兄として何ができるかと考えていた昴の顔を覗き込みながら、舞依は最後にそう締めくくると、そこでキッパリと話を打ち切った。わざと明るく振る舞っている辺り、解消しきれないでいるのは間違いない。恐らく、今日友達と遊びに行くのも、そうしたストレスを解消する目的もあったりするのだろう。

 本音を言えば、昴は一緒に行って悩みを解消してあげたいところだったのだが、そんな事をすれば絶対に引かれる自信がある上に、嫌われること間違いなしだ。断腸の思いで諦めると、昴もわざと明るく振る舞う。


 「そ、そうだよな。お前みたいなお転婆には、早々彼氏なんかできない゛っ!!」

 「お兄ちゃんのバカ! アホ! どーてー野郎!」


 綺麗な笑顔でド失礼な事を宣った昴に、舞依は問答無用でバッグを振り下ろす。重さ三キロの革のバッグが脳天にクリーンヒットし、昴は痛みに転げまわった。断末魔のうめき声を上げる昴をゴミでも見るような目つきで睨みつけると、舞依は律儀に行ってきますとだけ口にして玄関から出ていった。

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