振り返ればあの時ヤれたかも

相田 渚

第1話 この台詞10回目

あぁもう、うんざりだ。


めぐるは申し訳なさそうな表情を顔に貼り付けながらも、内心で深いため息をついた。


事の発端は、巡が教育担当となった新人の些細なミスだった。


彼女の勤めている会社は対企業用の商品販売を行っている。

しかし稀に個人顧客から電話やホームページを通じて注文をもらうことがある。

新人の彼が電話対応した先がその稀な個人顧客だったのだが、彼の対応不備がもとでクレームに発展したのだった。


社会に出て働く以上、クレームは避けられないものだ。

余程理不尽なクレームでない限り、大体は謝罪と解決策を提案すればまともな相手は納得する。話しているうちに激昂が鎮まり、冷静になった相手がすんなり許してくれることもままある。

今回の件も理不尽な相手ではないようなので、解決不可能なクレームではない。


クレーム対応自体も、誰かに押し付けられたものではなく自主的に名乗り出たものだ。教育担当である巡が代わりに謝罪に努めるのは自然なことだろう。


だから巡を不快な気持ちにさせているのは、クレームそのものに対してでも、まして新人なら仕方のないミスに対してでもない。


巡がうんざりしているのは、


「鈴木様、この度はご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした」


この台詞が10回目だということだ。


「ちょっと、本当に頼むよ。こっちも暇じゃないんだし、親切で言ってあげてるの。別にこれクレームとかじゃないから。今回みたいなことをうち以外にもしたら、信用なくしちゃうよ」


鈴木様のその台詞、10回目です。


「はい、ご心配をおかけして申し訳ございません。二度とないよう、精進します」


これも10回目。

その後鈴木様からのお返事はないまま、電話が切れる。


そう巡がシミュレートした後、電話相手の鈴木がブツッと電話を切った。


受話器を手放して、ギシッと椅子の背もたれに体重をかけ首をまわす。

約30分同じ姿勢で電話をしていたためか、それともデスクワークのせいか、いかつい音が体から聞こえる。

これ20代の女の子が発しちゃいけない音じゃないか。


「あのぉ、時枝ときえださん」


遠慮がちに巡に声をかけたのは、隣の席に座っている件の新人、新田にったであった。

基本的にへらへらと笑みを浮かべている彼にしては珍しく、申し訳なさそうに眉をさげている。


新入社員である彼は仕事中教育係である巡にくっついている。

出社から退社までほぼずっと巡と共にいるからか、それとも彼従来の新しいコミュニティにすんなり打ち解けられる人懐っこさや柔軟性を持った素直な性格からかはわからないが、しばしば遠慮のない発言をする神経の図太さを持っている後輩だ。


そんな彼がおずおずと声をかけるあたり、後ろめたさが色濃く滲み出ている。


「すみませんでした。あの人、おさまりました?」

「まぁ、こっちの不手際だったしね。謝罪と原因を話せば納得してくれたよ」

「ほんと、すいませんでした…」

「失敗は誰にでもあるから気にしないで。次に活かしてくれればそれでよしっ。それに、こういう時どんな対応するのかお手本見せるのも私の役目だし。あぁそれから、後で今回の件の報告書つくるから、新田君も目を通しておいてね」


巡の言葉に、新田が「了解です」とほっとした顔を見せた瞬間、視界にノイズが走る。

咄嗟に目を閉じ、視界のブレをシャットダウンした。

不快感は一瞬で、すぐに目を開くと巡の隣には、


「時枝さん、どうしましょう。鈴木様て人からクレーム入っちゃいました」


そう告げて、しゅんと肩を落とす新田がいた。


「…電話かわるわ。…お電話代わりました、時枝と申します。鈴木様、この度はご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした」


あぁ…11回目。


◆◆◆◆


鈴木様からのクレームに19回対応し、同じ内容の報告書を10回作成。

同じ顧客に7回アポイントの約束をして、顧客先へ持って行く資料を5回作成した巡は、やっと帰宅することができた。

「ただいま…」と家族に告げた挨拶は、我ながら地獄のそこから這い上がってきたゾンビのようなおどろおどろしい声音で、偶然玄関を通りかかった弟を「ひぇっ」と震えさせた。


「時間をぐるぐる繰り返してるやつめ…もう許せん…!」


部屋に入るなりベッドにうつぶせに倒れこんだ巡は、そのまま拳を打った。

ボコンッとマットレスが変な音をたてたが、巡の怒りはこんな拳ひとつで収まるものではない。


家の玄関をくぐるとともに、会社で被っている猫を全て脱ぎ捨てた巡は、呻き声を枕に吸収させながら腕を振りあげた。

ボコッ!ボコッ!ボコッ!と小さな子供が駄々をこねるようなポーズで、両手で拳を振るい続ける。

子供っぽいポーズとは裏腹に、拳の威力にマットレスが不穏な音をたてているが、興奮している彼女の耳には届いていない。


「はぁーっはぁーっ…疲れた…」


やがて息が乱れるまでベッドを殴り続けた巡は、気持ちは収まらないもののひとまず仰向けになってジンジン痺れる両手から力を抜いた。


「いや…本当に疲れた…。1日が48時間あればとか言ってたけど、24時間で充分だったわ」


同じ時間を繰り返している瞬間がある、と巡が気がついたのは2日前だ。

視界にノイズがはしったと思ったら数分から数十分前まで時間が巻き戻る。


あれ、これ漫画によくあるタイムリープって現象じゃない?


そう気付いたのは巡だけのようで、皆時間が戻ったこと等知らない様子で時間が戻る前と同じ言動を繰り返している。

しかも時間が巻き戻るのは1回ではなく、多いときは同じ数分間を何十回と繰り返している。

そんなタイムリープが日に何度もあるものだから、時計上は24時間しか進んでいなくとも巡の体感時間では48時間ぐらい過ごしている気分になるのだった。


1日に何度もタイムリープし、その現象に気付いているのが自分だけ。

気の弱い者なら発狂案件だ。

しかし、元来気の強い巡は全て怒りに変換されていた。


「このままタイムリープする日常が続いたんじゃ、身が持たないわ。絶対に犯人をつきとめて、やめさせなきゃ」


その時は、責任とってこの気持ちも受け止めてもらう。


巡は学生時代習っていたボクシングで鍛え上げた拳をぎゅっと握り、「よっしゃ!」と気合いを入れた声をあげた。

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