それが彼との出会い

 *


 青々とした木々のすぐ下にはあたかも、どなたかが手を加えた事を疑ってしまう程に、見事な岩肌が見受けられました。更にその渓谷には、見ているだけで心が洗い流されそうなくらいの水の流れも出来ています。

 長い年月を掛けて大自然が作り出した渓谷が、私達が生まれる前からずっとここに存在していた事を考えると、何だか私達妖怪と言う存在も案外ちっぽけなものなんだと錯覚してしまいますよ。


「はぁ……なんていい景色なんでしょう」


 実はさっきから私はこの風景ばかりを見て大歩危の土地を堪能していました。

 当然その姿を人間に見られてはいけませんので、轆轤首さんも私の入ったリュックサックを前掛けしたまま渓谷の景色を眺めています。いいえ、正確に言えば彼女はスマートフォンで次の行き先を考えている、と言った方がよろしいのかも知れません。

 つまりどう言う事なのかと言いますと、簡単な話轆轤首さんの旅行計画が大雑把過ぎたんです。


 妖怪屋敷から出てくる際には普通の方であればもう、次の目的地経路ぐらい定めているだろうに轆轤首さんときたら、「どうやって行こうか」なんて言い出したんですよ。あまりの無計画さに思わず耳を疑っちゃいました、本気でそれを言っているのかってね。

 ならばいっその事、あのまま石の博物館へ行った方がよっぽど有意義な時間を過ごせましたよ。まぁその後の行き先が定まらない事に変わりはありませんけどね。


 元より轆轤首さんは計画を立てる事が苦手な方でした。「今日この書類を完成させるぞ!」なんて言っても、計画的に実行せずに結局、行き当たりばったりになってしまう事なんてザラにありましたから。なので今回もその例に漏れず、彼女は行きの電車やバスの時刻表だけしか考えていなかったようです。

 あり得なくないですか。あんなに高いお金を出して旅行する場所だったら、誰しもが目的地への経路ぐらい予め決めておくでしょうに。


 でもまぁ無計画は過ぎるのも問題ですけど、そんな彼女をサポートし切れなかった私も悪いです。何せ前々から、轆轤首さんがそのような感じの人だって事ぐらいわかっていましたからね。もう何をやっているのやら、轆轤首さんばかりを責めても仕方がないです。

 行ってみたかった“祖谷のかずら橋”の交通経路ぐらい調べておけばよかったなと、後悔の念だけが私に牙を剥きました。


 しかしこれらの問題は、私達が思っていた以上に早く解消されました。

 それはおそらく轆轤首さんがまだスマートフォンの画面と睨めっこしていた時の事だと思います。だって私は前を向いたまま、向きを渓谷の方へ固定されていましたので、彼の姿を見る事は出来ませんでしたし。彼女が一体何をやっていたのかなんて当然、私の視界には映ってなかったのでわかりません。


「お困りのようですがどうかなされましたか?」


 彼の声は突然轆轤首さんに呼び掛けてきました。無論私には聞き覚えの無い声でしたから、轆轤首さんが後ろを振り向いた時にそっと穴から彼の姿を覗き込みましたよ。

 性別は声質でもわかるように男性で、薄めの金色をした髪は少し艶を帯びており、耳たぶぐらいまでの髪の長さがまた彼の好青年さを引き立てていました。因みに目は私よりもずっと細くて、言っちゃあ悪いですけど空いているのか閉じているのかがよくわからなかったです。


「いやぁな、アタシってばここに旅行へ来たのはいいんだがよぉ。何の計画も無しに来たもんだから行く場所に困っちゃってんだ」

「なるほどそう言う事ですか」


 隠す必要が無いのもありますけど何より、話す以外で先へと進む方法も無い事から轆轤首さんはすぐに口を開きました。今思えば初めからこうやって、道の駅の方に直接名所とか聞けば良かったんじゃないのかと更に追加の後悔です。

 何だか時間を無駄にした気分です。いいや、絶対してますね。ただでさえここでの滞在時間も限られてると言うのにーー。するとお兄さん、さらっととんでもない事を言い出しました。


「よろしければ僕が車で案内致しましょうか? 僕自身山城町の事は結構詳しいので」

「えっ、マジで? いいのか兄ちゃん」


 本気で言っているんですか、お兄さんーー。もしそれが本当であればこれ程嬉しい事はありません。何てったってこの地に詳しいとおっしゃる方が、土地勘ゼロの私達を案内して下さるなんて思ってもみませんでしたから。

 まさに地獄で仏に会ったかのような出来事ですよ。


 しかし同時に、なんでこの人はいきなり轆轤首さんに話し掛けてきたのかと言う疑問も浮かび上がってきます。過去に私は、初めて出会った人に挨拶をするといいなんて事を言いましたが、困っている人を何の躊躇も無く助ける事などそうそう出来るものでもありません。勿論私には出来ませんよ、例え私が普通の人間だったとしてもね。


 それに彼が話し掛けてきたタイミングもグッドタイミング過ぎます、まるでタイミングを見計らっていたみたいに。私の脳内には、予定調和と言う言葉がチラつきました。


「はい! 山城町に興味を持っていただいた方がいて、僕も嬉しいですし」


 ですが彼へと向けていた疑いの芽は、一瞬にして摘まれました。だって今のこの人の表情は、純粋に喜んでいるそれでしたから。

 自分の町をもっと知りたいと言われて嬉しい事はまぁわかりますよ。でもそれだけには留まらず、その発言をした人を無償で案内して下さるなんておっしゃったんです。どれだけこのお兄さんは山城町の事が好きなのでしょうか。


 と、ここまで頭の中が自分でもよく理解出来る程にお花畑になっていた私でしたが、続く彼の発言にすぐさま現実へと引き戻されました。


「あ、でもガソリン代は少しばかりかかっちゃうので出してもらえると助かります」


 案外ちゃっかりとしてるなぁーー。いえいえそれが悪いとは言ってませんよ、お金が掛かるものは掛かると伝えてくれた方がこっちとしても気が楽ですから。

 けど経済能力の無い私にはお金を払う術は無いんですけどね、言うなれば全部轆轤首さん任せです。とにかく勝手に無償だと思ってしまった自分が恥ずかしいです。


「それぐらいはアタシも出すさ。じゃあお願い出来るか?」

「はい、喜んでご案内させてもらいますね!」


 細い目は相変わらず閉じたままのように見えましたが、口のすぐ横にえくぼを作りながらお兄さんは笑みを浮かべました。爽やかな人には爽やかな笑顔は付き物なようです。


 そんなこんなで私達の旅行には、地元の方らしきガイドさんが付く事となりました。土地勘のある人に名所案内してもらえるなんて私達はどれ程ついているのでしょうか。

 お兄さん曰く車を止めている所まで来てくれとの事なので、また移動の方頼みますね轆轤首さん。


 お兄さんの車に乗り込んだ轆轤首さんはスーツケースを車の後ろに詰め込むと、急にベルトのような物を私をカバン越しに押し付けてきました。

 轆轤首さんは車の免許は持っていないので私自身、一般の方が運転する車には乗った事がありません。ですから私には、この体を締め付けてくる紐状の物の正体がわかりませんでした。だってバスに乗ってる時にもこんなものされませんでしたし。

 それにしたって窮屈極まりないーー。もしかして目的地までずっとこのままなのかも知れません。

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