どうやら私、動くみたいです
Signet:β
第一章 ツクモノと轆轤首
捨てられた日の夜に
こんばんは、私は
今日は朝から雨が強く、網戸もそれに同調するかのようにガタガタと震えていました。
この小さな家の主であり、私の持ち主でもあるお婆ちゃんは、最近何処かへ出掛けたっきり帰って来ていません。日を数えると三日間、私を置いて一体何処に出掛けちゃったんでしょうか、いつもなら数時間程で帰って来る筈なのに。
そんな事を考えていた矢先、彼らは重い鉄のドアを開けて家の中に入って来ました。それは見覚えの無い、茶髪で派手な格好のおばさんと背の高いおじさん達でした。
彼らは
あの人達ってもしかして泥棒かな。この家の初めての来訪者と言う事もあり、私はドキドキしながら彼らの行動を見ちゃいました。
派手なおばさんはお婆ちゃんの指輪を引っ張り出してくる否や「これ高く売れるんじゃないの?」と背の高いおじさんに嬉しそうに話していました。
何言ってるの、それはお婆ちゃんがずっと大切にしてた指輪だよ。そう言いたくても私は市松人形、声を出す事は出来ません。ただただ無力な自分が悔しかったです。
その後も彼らはお金や何か手帳のようなものを見つけては、「こんだけかよ」などと不満気に話していました。
お婆ちゃん、この人達は一体何者なんでしょうか。
金目になりそうなものを粗方探し終えると、次に二人はお婆ちゃんが使っていたものを物色し始めました。
「やっぱゴミばっかり溜め込んでんなぁ、あの婆さんは」
背の高いおじさんはそう言いながら、お婆ちゃんがよく私に見せてくれていた手芸キット、お婆ちゃんが使っていた孫の手も、何やらビニールで出来た袋に詰め込んでいきます。
あれが俗に言うゴミ袋と言うやつなんでしょうか。今までお婆ちゃんが大切に使っていた道具達を、奴は次々に喰らい始めました。
毎晩何かを書き留めていたノートに広告を挟み過ぎてパンパンに膨れ上がったクリアファイル。お婆ちゃんがよく飴玉を入れていた巾着袋などなど、数え始めたらキリがありません。
ですがこんなに食べても、彼はまだ食べ足りないようです。どれだけ食い意地が張っているのやら、全くものにも限度ってものがありますよ。
そしていよいよ二人は棚の上に飾られた私に目を付けました。
私が入っているガラスケースを引きずり下ろし、その中でバランスが保てずフラつく私をものともせず、派手なおばさんが放った第一声は「気持ち悪い、あの人も変な趣味してるわね」でした。
酷い、私だけならまだしもお婆ちゃんの事まで侮辱するなんて許せません。そう思った所で結果は変わらず、私はなす術なく机の上でお婆ちゃんのものが無くなっていくのを見ていました。
せめて動く事が出来たなら彼らを止められたかも知れないのに。もしもの想いが、私の中で溢れました。
そうこうしている内にお婆ちゃんの小さな部屋は、あっという間に引き出しと、棚にテレビと殺風景なものへと変わってしまいました。
その端ではお婆ちゃんのものを殆ど飲み込んだゴミ袋が二つ、満足気に寝転がっています。ううっ、お婆ちゃんが大切にしていたものをいっぱい
「あとは隣の寝室にある布団を
背の高いおじさんが言いました。どうやらこの人達はお婆ちゃんが帰ってくる前に、この家のものを全部を処分しちゃうみたいです。この家でお婆ちゃんが積み上げてきたもの全てを、消し去っちゃうみたいです。
私もう泣きそうになりました。無論涙なんて出ませんけど。
壁に飾ってあった時計の長い針が一周程した頃。隣の部屋のものの整理が終わったのか、また二人はこの部屋に帰って来ました。
どうせなら帰って来なくてよかったのに。そう思ったのも束の間、彼らはとんでもない事を言い出しました。
「この日本人形どうする? 状態は綺麗だけど今時こんなの欲しい物好きなんて居ないでしょ」
「そうだな……このマンションの近くにあるゴミステーションにでも捨てるか」
なんとこの人達、私の事を捨てるって言い始めたんです。持ち主でもないのに、捨てるって言い始めたんですよ。これが納得いくと思いますか。
ですが私が納得いかなくても結果は同じでした。どうやら本気でこの人達は、私の事を捨てるようです。
早く帰って来てよお婆ちゃん。私にはそう願う事ぐらししか出来ませんでした。
外はさっきも言った通り、雨が降っていて風も強いです。それなのに背の高いおじさんは、私をガラスケースごと持ってそのまま家の外へと飛び出しました。
走って飛び出したところを見るに、おじさんは極力雨に濡れるのを避けたかったんでしょうか。何せ私を持っている分、ただでさえ傘が持てないんですからね。
それなら派手なあのおばさんに、傘を持ってもらって相合傘でもすればよかったのに。でもおじさん一人で行かされる様を見ると、二人の仲もあまりよくはなかったのも知れません。
家の外に出るのは初めてでした。私は気付いた時からお婆ちゃんの家の中で飾られていて、外に出る機会も全く無かったからです。
外の世界には狭い部屋では想像も出来ない程に、広々とした景色が広がっていました。言っても家にいる時よりも単に広いと言うだけで、印象としては何か建物がいっぱい建ち並ぶ、活気を感じさせない薄暗そうなものでしたけどね。
こんな陰気な建物の中で私も暮らしていたのかと思うと、少し残念な気もしました。もしかすれば家が明るく感じていたのは、お婆ちゃんが居たからなのかも知れません。
「よいしょ、重かったぁ」
目的地に着いたおじさんは、この有を感じさせない無機質な敷居の中に私を置きました。周りにはお婆ちゃんのものが入ったものとはまた違ったゴミ袋達が、自分達の運命を悟っているかのように佇んでいます。
彼らの仲間に私も入ってしまうんですね。どうしてお婆ちゃんは助けてくれないのでしょうか。
おじさんが去った後、私は考えました。
降り注ぐ雨の中、ガラスケースに雫が滴り落ちる、新鮮だけどつまらない景色。どうせならこんな景色じゃなくて、テレビ越しでしか見た事がなかった、あの晴れた青空が見たかったなぁって。
お婆ちゃんは私をとても大事にしてくれていた事もあり、私は日光を遮断された生活を送っていました。
勿論日光には着物の色が褪せたり、その色が私に移っちゃったりと、私にとっていい事がこれっぽっちもないぐらいわかっています。だけど一度だけ、一度だけでもいいから、私はお日様の顔を見てみたかったなぁ。
そして夜になりました。雨は既に止んでおり、この無機質な敷居にも人工的な光が灯されました。そのチカチカと鬱陶しいぐらいに点滅する光は、周囲の暗黒を私に見せしめるには十分でした。
怖い……。私はその時初めて恐怖心と言うものを抱きました。
いつもお婆ちゃんは寝る前に私に、「おやすみ」と言って隣の部屋へと向かっていたので、これまでこんな感覚は感じた事も無かったのです。本当の孤独って、こんなにも辛いものなんですか。
あまりの寂しさに、思わず私も
もう誰も助けに来ないんだ。絶望に飲まれて、私が感情を失いかけたその時でした。
私の頭上の上からまたしても聞き覚えの無い声が、背丈の高い靴を履いた足を私の視界いっぱいに映して聞こえてきたのです。
「おっ、珍しいな。今時市松人形がゴミステーションに捨てられてるなんて」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます