第40話『Departure(逸脱)・1』

妹が憎たらしいのには訳がある・40

『Departure(逸脱)・1』    




 病室に入ると圧縮された十数年の時間が解凍され、インストールされるような間が空いた。


 ……………


 そして、ようやく言葉が出た。



「ねね……?」

「……ママ」


「ねねなのね……!?」

「うん、ねねだよ……本当にママなんだ!」

「こっちに来て、顔をよく見せて……」

 わたしは(俺の感覚はほとんど眠ってしまって、ねねちゃんそのものになっている)ベッドに近づき、ママが両手で顔を挟み、記憶をなぞるように、そして、それを慈しむように撫でるのに任せた。髪がクシャクシャになることさえ懐かしかった。ママは仕事にいく前に、いつもこんな風だった。

「意外と、胸が大きい」

「もう十六歳だよ」

「もう大人だね……」

 ママは、ベッドに横になったまま、わたしを抱きしめた。

「ちょっと苦しいよ、ママ」

「ごめん。ねねのことは……もう死んだと思っていた」

「わたしも、ママは死んだと思っていた」

「パパは、ねねのこと何も話してくれないもんだから」

「わたしにも話してくれなかった……さっき、この病院に行くように言われて、ひょっとしたらって気はしてたんだけど。パパの話って、いつも裏があって、ガックリしてばかり、こうやってママを見るまで……見るまでは……」


 あとは、言葉にはならなかった。


「昨日までは滅菌のICUにいたのよ。それが、今朝になって普通の病室。最終現状回復までしてくれた」

「最終……」

「最終原状回復。LLD……もう手の施しようのない末期患者に、治療を中断するかわりに、健康だった時の状態で終末を迎えさせてくれる。そういう処置。ママの場合、状態がひどいんで、立って歩くことはできないけど、こうやって、昔の姿を取り戻すことができた。甲殻機動隊の鬼中尉も、最後は女扱いしてくれたみたいね」

「ママは、もう少佐だよ」

「そんなお情けの特進なんか意味無いわ。わたしは、いつも現場にいたときのままの中尉よ」

「うん、なんかママらしい」

「カーテンを開けてくれる。せめてガラス越しでも、お日さまを浴びたいの」

「はい」


 わたしは部屋中のカーテンを開けた。


 ママは一瞬眩しそうな顔をしたけど、すぐに嬉しそうな顔になった。本当はいけないんだけど、窓を少し開けて外の空気を入れた。


「ありがとう、懐かしいわね、この雑菌だらけの空気」

「雑菌だなんて失礼よ。常在菌と言ってあげなきゃ」

「ハハ、そうだよね。ごめんね常在菌諸君。ねね、フェリペに入ったんだね」

「あ、フェリペって、ママ嫌いだったんだよね」

「ママ、一カ月で退学になったからね。でも、懐かしい、その制服。ねね、よく似合ってるよ」

 開けた窓から、初夏の風が流れ込んできた。それを敏感に感じ取って、ママは深呼吸をした。つぶった目から涙が一筋流れた。

「ママ……」

「ねねも義体なんだね……」

 ギクリとした。太一さんの心が邪魔をして、うまく表情をつくれない……どうしよう。

「お日さまに晒すと、義体の目は反射率が生体とは異なるの……ここに来て……」

 ママは、ベッドの側にわたしを呼んで、首筋に手を当てた。やばい、全てを読まれる……。

「かわいそうに、人質にとられたのね。パパは、それでも屈しなかった……で、ねねほとんど……」


 そう、パパの戦闘指揮に手を焼いたK国の秘密部隊が、わたしを人質に取った。情報は、ハニートラップにかかった政府の要人から筒抜けだった。


 パパは、わたしの脳の断片から、わたしの記憶や個性を情報として保存し、向こうの世界が提供してくれた義体に移し替えた。わたしをグノーシスのプラットホームにすることを条件に。

「義体だって卑下することはないのよ。ねねの感受性や個性は、ちゃんと生きて成長しているもの。あなたは、わたしのねねよ」

「ママ……」

 涙で滲むママが続けた。

「ほんとうは、ねねのこと生むはずじゃなかった」

「え……」

「こんな仕事していると、家庭や子どもは足かせになるだけ。でも、政府が勧めたの、極東世界の安定を印象づけるためにも、最前線の兵士も家庭を持つべきだって。で、バディーだったパパと結婚して、ねねが生まれたの。政府のプロパガンダに乗せられただけだけど、後悔はしていない。こうやってここに、ねねがいるんだもん」

「ママ……」

「でも、辛い思いばかりさせて、ごめんね。ママは、ねねのこと大好き……だ…………」


 ママがフリーズした。


 LLDの特徴だ。死の直前まで、元気な姿でいられるけど、その死は前触れもなく、あっと言う間にやってくる。フリーズしたら一秒で命の灯が消える。

 わたしは、その一秒で、ママの情報をコピーし、あとはずっとママを抱きしめていた。十数年ぶりで会ったのに、あまりにあっけないお別れだったから。


 パパに、すぐに来て欲しいとDMを送った。東海地方の亜空間のほころびが大きくなって、その手当のために行けないという返事が返ってきた。


 わたしは、Departureすることを決意した……。

 



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