解呪と移し替え

 僕と、アグネスカ、アリーチェの三人が、揃って神術円の内側に踏み込む。

 そこに伏せている死告竜ドゥームドラゴンは眠ったように動かない。しかしその目はしっかと開かれていて、傍まで寄った僕の顔を、ちら、と見上げてきた。

 今から、このドラゴンに巣食う厄呪を引きはがし、ブリュノに移し替えるのだ。それと同時に『器』が剥がれることも、今回ばかりはやむを得ない。

 緊張の面持ちを崩さない僕へと、神術円の外から使徒三人が声をかけてきた。


「神力循環良好、いつでもいけますぞ」

「先程お教えした通りに行えば大丈夫ですわ、焦らずに」

「何かあってもすぐに対応するから、思い切ってやりなさい、坊や」


 ダニエル、イルムヒルデ、マドレーヌの三人が、それぞれ笑顔を僕に向けてきた。

 三人とも、僕とは違う。解呪経験も、心構えも、きっと。

 これだけ経験豊富な人々が三人も、僕達の後ろについてくれているのに、肝心な僕が臆していては、きっとよくない、そう思って。

 僕は死告竜ドゥームドラゴンの傍に立つ、ブリュノに視線を投げる。


「ブリュノさん……準備、いいですか」

「おう、やってくれ」


 僕の問いかけに、彼は短く答えて頷いた。

 もう、ここまで来たら怖気づいている暇すら惜しい。こうしている間にも土地の神力はどんどん吸い上げられ、死告竜ドゥームドラゴンの身体を破って傷を生むのだ。

 ぐっと唇を結んだ僕の両手を、アグネスカとアリーチェがそれぞれ握る。


「エリク……」

「エリクさん……」


 短く、僕の名前を呼ぶ二人。それぞれの顔を見れば、にこやかな笑みを二人ともが浮かべていた。

 それを見て、少しだけ心の重石が軽くなる。こくりと頷いた。


「……よし。二人とも、行くよ」

「はい」

「いきましょう」


 言葉を交わし合って、お互いの手を放し。

 両手を前方、横たわる死告竜ドゥームドラゴンに向けて、僕は力強く声を張った。


大地神の羽衣ザヴェサ・ボガ・ゼムリ!!』


 刹那、僕の手から神力の網が放たれた。

 死告竜ドゥームドラゴンの身体にかかった網がぴたりと体表に貼りつくと、光を放って厄呪の呪印を包み込む。

 こうして神力の網で呪印を包み、肉体から切り離して無力化し、封じ込めるのが大地神の羽衣ザヴェサ・ボガ・ゼムリという神術だ。

 僕は両手に力を籠めて網を引き絞るが、なかなか肉体から厄呪を切り離せない。網で包み込めている感覚はあるが、接続が強すぎて引きはがせないのだ。


「ぬっ、く……!」

「さすがのサイズですね、一枚では剥がしきれないでしょうか」

「もう一枚入れましょう、エリクさん、そのまま!」


 僕のサポートに入り、状況を観察するアグネスカが眉間に皺を寄せれば、控えていたアリーチェが僕の隣から同様に網を投じた。

 二人がかりで厄呪を引っ張り上げて、ようやくビキビキ、と死告竜ドゥームドラゴンの身体から音がした。厄呪が身体から剥がれつつある音だ。

 もう少し。僕が一層力を籠めると、バツンっと派手な音を立てて鱗が何枚かはじけ飛んだ。それと同時に網が縮まり、僕達の手元に大暴れする厄呪がやってくる。


「よいしょ……! これを……」


 僕はすぐさま神力の網の目を細かく絞り、厄呪の抑え込みに入った。アリーチェとアグネスカも一緒になって神力を流し込み、じたばたと網の中でもがく呪いを閉じ込めている。

 僕達が奮闘する様子を神術円の外で見つめながら、マドレーヌがふっと息を吐いた。


「意外と順調じゃないですか? イルムヒルデ様」

「はい、さすがはダヴィド様です。神術を扱う素質は大したものですわ」


 イルムヒルデが僕を褒め称える声も聞こえてくる。嬉しいと言えば嬉しいが、正直喜びに心を躍らせているほど、今の僕には余裕がない。

 神術円を通して全体の調整に当たっていたダニエルが、高らかに僕へと呼びかけた。


「いいですぞ、厄呪の活性が徐々に落ちてきております。そのまま、ブリュノ殿に移し替えを!」

「はい……!」


 答えて、僕はぐっと構えるブリュノを見た。手元の厄呪は暴れるのをやめて落ち着いている。今なら押し込めるはずだ。

 ちらとアリーチェに視線を送る。彼女も僕を見て、こくりと頷いた。


「アリーチェ、いけそう?」

「いつでもオッケーですよ!」


 元気よく返してくるのを受けて、僕は手の中に収まった神力の塊を、ぐいとブリュノの胸元めがけて突きつけた。


「よし……行きます!!」


 ブリュノの胸元に、神力の球体が触れた瞬間。

 彼の聖印が眩い光を発した。


「ぬぅぅっ……!!」

「く……!!」


 視界を覆いつくす輝きに、僕とブリュノが揃ってうめき声を上げる。

 使徒への厄呪の封じ込めの際に、発生する光だ。外部から大量の神力が厄呪と一緒に押し込まれるため、体内の神力が反応して光を放つ。青の月に僕が夜闇の呪いテムナェ・ノーチを収めた時にも、同じことが起こったのだ。

 やがて、僕の手の中に生じていた圧力が溶けるように消えて。光が収まったそこには、死告竜ドゥームドラゴンに刻まれていたのと同じ、三角形と渦巻を組み合わせた印が、ブリュノの胸元に刻み込まれていた。

 そして、その皮膚の周辺。既に『器』が混ざりこんだことの影響は出ているようで、どんどんと灰色をした鱗が皮膚を破って突き出ていた。


「はっ……」

「ふー……入りましたね」

「これで神術行使は完了です。お疲れ様でした、エリク」


 僕が詰まっていた息を吐くと、アリーチェもアグネスカも安堵の息を吐いた。

 これで、神術は無事完了、結果は見事成功だ。

 神術円の外に控えていた三人が、和やかな笑みを浮かべながらこちらに歩み寄ってくる。


「お見事です、ダヴィド様」

「特段のトラブルも起こさず、見事にやり遂げましたな」

「『器』は……そうね、多少存在が希薄になっているけれど、この程度なら想定内ってところでしょ。よくやったわね」


 イルムヒルデも、ダニエルも、マドレーヌまでもが、僕を率直に褒め称えてくれた。僕のやり遂げたことを褒めてくれた。

 その正当な評価に、ようやく僕は喜びに表情を崩したのだった。


「よかった……」

「おう、お前はよくやったよ、エリク」


 胸の内から込み上げてくる喜びに、じわりと目元が熱くなる僕の肩を、ブリュノが優しく叩く。その手は既に爪がとがり、ごつごつとした鱗に覆われていた。すっかり、竜人族ドラコの腕だ。


「ブリュノさん……身体が……」

「ま、こうなるだろうな。俺は今日から人間族ヒュムじゃない、竜人族ドラコってことだ。それでも翼も尻尾も、もう元からあったもののように感じるが」


 そう話しながら、自分に生えたばかりの太い尻尾と黒々した翼を動かすブリュノだ。確かに、その動きに戸惑いは見られない。まるで生まれつき、備えていた器官であるかのようだ。

 そんな彼を不安げに見ながら、アリーチェが声をかける。


「それは、よかったですけれど……どうなんです? 人格の方は。もう、死告竜ドゥームドラゴンの記憶も人格も、入ってきているんでしょう?」


 彼女も『器』が混ざりこんで変質することを体験しているゆえ、不安な様子だ。

 そんなアリーチェの視線を受けて、ブリュノはゆるゆると竜のそれに変形した頭を振る。


「そうだな……今の俺は、レノー村の羊飼いのブリュノ・ルセでもあり、バリバール大陸から渡ってきた死告竜ドゥームドラゴンでもある。だがすぐにそれらは混ざり合って、どちらでもないものになるんだろう」


 そう話す言葉に、その場にいる全員が驚きに目を見張った。

 ルピアクロワには二つの大きな大陸があり、ラコルデール王国があるのはマリエール大陸と呼ばれている。ルフェーブル海からその先、大海洋を超えたさらに先にあるのが、竜種の地と呼ばれるバリバール大陸だ。

 マリエール大陸ほど人間種ユーマンは住んでおらず、主に暮らすのは竜種の魔物たち。しかし竜種の翼を以てしても、バリバール大陸からマリエール大陸に渡るには、4日4ティスは飛び続けないとならない。

 アリーチェがはーっと息を吐きながら、肩をすくめた。


「はー……バリバール大陸から来たんですか、あのドラゴン。随分遠くから渡ってきたんですねぇ」

「墜落した時は一匹だけでしたけれど、親とかはいなかったんでしょうか?」


 アグネスカが不思議そうな顔をして口を開くと、ブリュノが小さく首を振った。そのまま、彼は自らの口で死告竜ドゥームドラゴンが経験したことを説明し始める。


「マリエール大陸が見えるくらいの距離までは、母親が傍に付いていたはずだ。それが、だいたい……ルフェーブル海の上空を飛んでいる時だな、まるで何かに引き寄せられるように道を外れて、そのまま姿を消した」

「姿を、消した……?」


 彼の話した内容に、僕は首をかしげるほかなかった。

 墜落したでも、自分を先に行かせて離れ離れになったでもなく、道を外れて姿を消した。なんで、そんなことになったのか見当もつかない。

 僕達が揃って疑問符を頭に浮かべる中で、イルムヒルデとディートマルは少々様子が違った。


「……なるほど」

「やはり、最早放置できないくらいに力が高まっている様子ですね」


 何やら原因に心当たりがあるどころか、原因がハッキリと分かっている様子の二人に、視線が集まる。


「イルムヒルデさんも、ディートマルさんも、どういうことですか?」

「お二人とも、何か……あっ」


 僕が問いかけたのに続いてアリーチェが声をかけた、その瞬間だ。

 不意に言葉を途切れさせ、彼女がハッとした表情で自分の下腹部を抑える。今度はアリーチェに視線が集まる番だ。


「アリーチェ?」


 僕が怪訝な顔をして声をかけると、困惑したような笑みを浮かべて彼女が言う。


「すみません、あの、厄呪の影響が無くなったからか……生まれそう……」

「はぁっ!?」

「今ですか!?」


 そして告げられた言葉に、僕とアグネスカが揃って口をあんぐりと開けた。

 確かに、彼女の身体には新しい神が宿ってはいる。もうすぐ生まれ出でるという予測も立っていた。だが、まさか今この時になって生まれそうになるなどとは。

 俄かに慌てだす僕とアグネスカ、以下ヴァンド森の聖域の関係者を見ながら、イルムヒルデがくすくすと笑みを零した。


「まあ大変。すぐに誕神たんじんの支度をしなくては」

「やれやれ、慌ただしいったらないわね」


 その隣に立って、マドレーヌが深くため息をつく。

 本当に、本当に慌ただしいったらない。一難去ってまた一難とはこのことだった。

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