屋台巡り

「あの、本当によろしいのですか?」

「いいの。っていうかこの姿がいいの」


 紫の月20日、謝肉祭カルナバール二日目の6の刻。

 朝食を軽く済ませた僕は準備を済ませて、いざ謝肉祭カルナバールへ、というところで、フェルナンに止められていた。

 今の僕は、ウサギラパンの獣人姿。長い耳をぴょんと立てて、小柄な体をシャツとズボンに包んでいる。尻尾穴から出した丸い尻尾は、不満で小さく膨らんでいた。

 別に、ラパンウサギだから悪いという話ではない。獣人族アニムスの姿で謝肉祭カルナバールに参加することについて、フェルナンは言いたいことがある様子なのだ。


「ええ、はい、使徒様がどのお姿を取ろうとも我々は気にいたしませんが、その、獣人族アニムスの姿ではお客様方が」

「見つけてほしくないからこの姿がいいの。なんだったら謝肉祭カルナバールの最中ずっと、人間族ヒュムに戻りたくないくらいなの」


 ぷくーっと鼻を膨らませながら、僕はフェルナンにきっぱりと告げた。

 本当に、許されるなら謝肉祭カルナバールの最中、正確には使徒として人前に立つ場面以外での最中は、獣人族アニムスの姿でいたいくらいなのだ。ウサギラパンループ大イタチギガントウィーゼル、今のところ変身できる三種を使い分けてでも、人間族ヒュムの姿は取りたくない。

 だって、あんな大人数の前で開始の挨拶をしてしまったのだから。ラコルデール王国の使徒として、僕の名前と顔は大々的に世の中に知られているのだから。

 困った表情で僕を見つめるフェルナンの袖口を両手でつかみながら、僕は彼の顔を見上げた。フェルナンの茶色の瞳の中に、僕のウサギラパンの顔が映る。


「ねぇフェルナン、僕だってさ、謝肉祭カルナバールを楽しみたいんだよ、一日くらいは」

「はい、勿論でございます」


 訴えかける僕に、こくりと頷くフェルナン。やはりその点においては、彼も反論するつもりはないらしい。

 僕はさらに、フェルナンの袖口をぎゅっと握りしめた。


人間族ヒュムの姿でいたらさ、皆が僕と話したり、握手したりしに来たがるよね? 昨日のあれを見る限りではさ」

「え……いえ、それは、私には何とも」

「来ると思う。絶対来る」


 僕の言葉に何とも言えない、と言いたい様子のフェルナンだったが、構わず僕は言い切った。

 だってそうだろう、昨日の仮装行列のパレードが終わった後。僕もイヴァノエも身動きが取れないくらいに人に囲まれたのだ。

 今日は人目を引くような大きなイベントもない。精々、獣肉の品評会がある程度だ。参加客の多くが屋台巡りに精を出している中、王国の使徒である僕がふらふらと人間族ヒュムの姿で出歩いたら、絶対大変なことになるに決まっている。

 黒く大きな目でフェルナンを見上げながら、僕は僅かに目尻を下げた。


「だから今日くらいは、気楽に謝肉祭カルナバールを楽しませてよ。三日目の早食い競争が終わったら、その後からは楽しんでる余裕なんてないんだもの」


 懇願する僕に、フェルナンの表情がますます難しくなる。空いている方の手でもって、僕に掴まれている側の腕をそっとさすった。

 三日目の早食い競争が終わり、今年の加護を受け取る人が、即ち死告竜ドゥームドラゴンの器になる人が決まったら、その日の夜のうちに神術を行使することが既に決まっている。儀式を行い、新しい使徒が生まれたら、翌日と翌々日を使って使徒としての最低限の決まり事を教えることになっているのだ。

 指導の中心になるのはインゲの使徒であるマドレーヌだが、僕もダニエルも、なんなら三人の巫女も一緒になってあれこれ教えることになっているので、とてもじゃないが謝肉祭カルナバールどころじゃないのだ。

 そのことは簡単にだが、フェルナンたち下働きにも伝えられている。だから彼も、ゆっくりとだが頷いた。


「それは……はい、確かに。私共も子細は伝えられておりませんが、早食い競争の勝者があの死告竜ドゥームドラゴンの受け皿になることは、存じております故に」

「ね、そうでしょ?」


 僕がフェルナンの手と袖を離すと、彼は両の腕を抱きながらゆるゆると首を振った、諦めた、と言うようにため息をつく。


「……分かりました。守護者様には私からお伝えしておきます」

「ありがとう、フェルナン」


 僕が小さく頷いたところで、廊下の角からアグネスカが顔を出した。僕達の話が終わるまで、ずっと待ってくれていたのだろう。


「エリク、話の決着はつきましたか」

「あ、アグネスカ。ごめんね、待たせちゃった」


 振り向いてアグネスカの顔を見るや、僕の気持ちが一気に明るくなる。今日は数少ない謝肉祭カルナバールを楽しめる日、その楽しみがこれからまさに始まろうとしているのだから。

 すぐにフェルナンの傍を離れ、アグネスカの手を取る。足取り軽く、僕達は駆けだした。


「いいんです。それでは行きましょう」

「うん、楽しみだなぁ」

「あの、使徒様、その……」


 僕達の背中に何か言いたげなフェルナンの声がかかるが、彼が何を言うよりも早く僕達は屋敷を出ていく。伸ばされた右手が、むなしく空を掴んだ。


「あぁ、行ってしまわれた。使徒様がどのようなお姿でいらしても、巫女様とご一緒にいらっしゃるのでは、お姿に関係なく使徒様だと分かってしまうのでは、ないかなぁ……」


 そんなフェルナンの独白を、僕が耳にすることは無くて。

 彼の不安と懸念点は、誰もいない屋敷の入り口にぽつんと残されていた。





 ところ変わってヴァンドの市内、屋台が立ち並ぶ通りを僕とアグネスカは歩いていた。

 肉の品評会が予定されている日である故に、屋台の店主たちも気合が入っている。特に品評会に出展する予定のある屋台には、幟が立てられ人が群がっていた。


「毎年思うことだけど、謝肉祭カルナバールの屋台ってすごいよね。街中でいい匂いがするもの」


 ピンク色の鼻をヒクヒクさせながら、僕の視線は通りの左右を行ったり来たり。僕の腕に通されたごみ袋がわりの麻袋の中には、食べ終わった木の串や木の皮の皿が無造作に放り込まれている。

 いくつかの屋台を巡ってそこで出される料理を味わってからも、まだまだ僕の食欲は治まるところを知らない。

 何しろ、通りの両側にずらーっと屋台が並び、その屋台にたくさんの人が群がっていて、通りいっぱいに肉の焼けるいい匂いが広がっているのだ。

 僕が今ウサギラパンであることは置いておくとして、心が沸き立たないはずはない。そもそも獣人族アニムスは元の動物がどれであろうと雑食だ。獣種の魔物とは訳が違う。

 僕の隣を歩きながら、仔羊アンニョウの串焼きを頬張りつつアグネスカが笑った。


謝肉祭カルナバールの期間中は、実に三百を超える屋台が街路に軒を連ねますからね。

 ヴァーシュプレムトンシュヴァル鹿セーフオースソンクリエウサギラパンなどの獣肉。付け合わせの野菜や根菜も、パンも、ありとあらゆる肉に合わせるために消費されます。

 来たる豆の一週間アリコ・ウアスに入る前に、街に集まる全ての肉を食べつくす。それがこのお祭りの主軸ですから。皆さんに食べてもらうために、屋台も趣向を凝らすのですよ」


 串焼きの肉を全て腹の中に入れて、麻袋に串を放り込んだアグネスカ。そうして早速道端の屋台に目を向ける彼女の隣で僕も、次に寄る屋台を探して視線を巡らせる。


「ねー。毎年すごいもん、王国では食べられないような料理も食べれるし……あー、今年も食べられるかなぁ、メッテルニヒ王国風のコトレットサンドイッチ」

「昨年に爆発的に人気になりましたね、コトレット。今年は昨年の倍近く、メッテルニヒ風のコトレットを出す屋台が出ているそうですよ」

「ほんとに!?」


 アグネスカの言葉に、僕の瞳が輝いた。

 牛肉や羊肉を薄切りにして衣をつけ、油で揚げ焼きにしたコトレットは、大陸北部地域でよく食べられるメニューだ。昨年のヴァンドでの謝肉祭カルナバールでメッテルニヒ王国風の、ヴァーシュの赤身肉に魚醤を使ったタレを絡めるコトレットが、一大ブレイクを巻き起こしたことが記憶に新しい。

 確かに、昨年は二十店舗くらいしかコトレットを出す屋台が無かったのが、今年はそれが倍ほど出店していると、ボンデュー市長の話にもあった気がする。


「それじゃ、結構あちこちに屋台が……あっ」

「エリク? どうしました……あぁ」


 そんな話を聞きながら、コトレットを出す屋台がないか、と探している僕の目に、ある屋台が留まった。

 人だかりの出来ているその屋台の方に、アグネスカの手を放して駆け寄っていく僕。後から追いかけてくるアグネスカを待って人の列に並び、程なくして前の人たちが捌けて行ったのを確認した僕は、屋台の中で肉を焼く店主に声をかけた。


「ブリュノさん!」

「昨年ぶりです、今年はこちらに屋台を出されていたのですね」


 僕とアグネスカが満面の笑みを浮かべて、汗ばんだその顔を見上げる。

 「品評会出展店」の幟が風にはためくその屋根の下で、店主のブリュノ・ルセが僕達に笑いかけた。


「おぉ、誰かと思えばクリスチアンのところのお嬢ちゃんか。隣のウサギラパン獣人族アニムスは、友達かい?」


 ヴァンド領内、レノー村で羊飼いをしているブリュノは、僕の父クリスチアンとも親しい間柄だ。何度か家族同士で会ったこともあるため、僕ともアグネスカとも顔見知りである。

 品評会に出展するほどに優れたムトンを育てる人物なので、屋台の人気も結構なものだが、僕は謝肉祭カルナバールになると、決まってブリュノの屋台には顔を出していた。

 そんな彼でも、ウサギラパンの姿になった僕は僕だと見分けられなかったようで。その事実に思わず、笑みが零れてしまう。


「ふふっ」

「気付かれないのも無理はないところですね。こちらはクリスチアンの息子のエリクですよ」

「へぇっ」


 苦笑を浮かべながら、アグネスカがその事実を口にすると。ブリュノの肉を焼く手がピタリと止まった。

 驚きを露わにしながら、まじまじと僕の顔を見る。


「……誰かと思えば、かの使徒様か。昨日の挨拶の時は人間族ヒュムだったはずだよな。どういうこった?」

「使徒の任に就いたと同時に、融合士フュージョナーとしての訓練を積み始めたんです。人間族ヒュムだと、目立って仕方が無いから疲れちゃうんで」


 首をこてんと傾けながら話す僕に、ブリュノの顎がストンと落ちた。

 謝肉祭カルナバールで使徒は目立ってナンボと方々から言われているが、その流れに真っ向から反する僕の動きに、呆気に取られているようである。

 そんな表情のブリュノへと、アグネスカが視線を向けた。


「ブリュノさん、昨日の仮装行列はご覧にならなかったのですか。エリクはイタチウェッセルの獣人に変身して、パレードの先導役を担っていましたが」

「こっちはパレードのコースから外れているからなぁ。見に行きたかったが、手が空かなかったよ」


 肉を焼くためのターナーを持つ手をひらひらと動かしながら、ブリュノが答える。

 確かに今いる通りは、昨日のパレードで通るルートから大きく離れている。屋台の仕事に専念していたのでは、見ることは叶わなかっただろう。

 ようやく気を取り直したらしいブリュノが、再び鉄板に視線を落としながら感慨深げに口を開いた。


「それにしても、あのエリクが使徒様になるとはねぇ。世の中何が起こるか分からんもんだ」

「そういうブリュノさんだって、新しい品種のムトンの繁殖に成功したんでしょ。父さんから聞いたよ」


 ブリュノの言葉に返すように、僕は屋台に取り付けられた一本の幟を指さした。幟には「新品種」の文字がでかでかと染め抜きされている。

 謝肉祭カルナバールの品評会は国内どころか国外からも、最上級の肉が出展される。その中に食い込めているブリュノの肉が、ただの肉でないことは火を見るより明らかだ。

 実際、ヴァンド領内の羊飼いの中で、ブリュノ・ルセの偉業を知らない者はいない。昨年末に、クリスチアンが大喜びをしていたものだ。


「なんだ、もうそこまで話題になっているのか? 大陸初の、ヴァンド種と大角羊ビッグホーンシープの交配種。ようやく形になったぞ、肉質も安定してきた」

「すごいよね、大角羊ビッグホーンシープって全然数がいないんでしょ? その血を引いてるから肉も美味しいって」


 にやりと笑うブリュノは自慢げだ。褒め称える言葉をかけながら、僕もにっこり笑う。

 大角羊ビッグホーンシープはその名の通り、巨大な角が特徴の羊の魔物だ。その性格は温厚でのんびりや、体内に保有する魔力の影響でその肉は美味として知られている。

 肉が美味で、温厚な性格とあれば人間に飼育されていそうなものだが、大角羊ビッグホーンシープは繁殖力が低いことで有名だ。おまけに他の魔物に狙われやすいから、人の手で飼育するのが非常に難しい。

 それをブリュノは、ヴァンド領内で広く飼育されているムトンと交配させることで解決したのだ。三世代にわたって交配を行い、種として安定したことで、ラコルデール王国から新品種と認められたのである。

 ブリュノの持つターナーが、薄切りにされた羊肉を掬い上げた。それを木の皮製の皿に盛って、僕達に差し出してくる。


「おう、食ってみるか? 去年のやつよりも美味いぞ」

「わ、やったぁ!」

「あ、ブリュノさん、私にも下さい。二人分でおいくらですか?」


 喜ぶ僕の隣で、アグネスカが財布を取り出した。

 財布から銀貨を二枚取り出し、ブリュノへと手渡す。代わりに木の皮の皿と、木製のフォークを二本受け取って。

 ぺこりと頭を下げると、彼はにこやかに笑って手を振った。


「まいどありー。また来年も寄ってくれよー」

「はーい!」


 振り返って手を振りながら屋台の前を離れて歩き出す僕達。しかし次の瞬間にはもう、皿の上の羊肉に目が向いている。すぐに屋台の傍の道端で足を止める事態になった。

 フォークを手に取って肉を刺し、滴る油に気を付けながら口に含むと、柔らかな食感と共に弾けるような肉汁が口一杯に広がった。旨味も強いし、クセも程よい。とても美味しい。


「美味しいね」

「美味しいですね。さすがブリュノさんです」


 顔を見合わせて、僕達はにこりと笑う。

 これだけの美味しい肉を銀貨一枚で味わえるのも謝肉祭カルナバールならではだが、それにしたって美味しい。

 その肉を知り合いが作っているというのだから、誇らしくもなるというものだ。

 僕達の後ろでますます長くなっていく、ブリュノの屋台に並ぶ人の列。それに背を向けて再び肉にフォークを刺す僕達だ。


「今回の品評会で表彰間違いなしって言われてるもんね」

「そうです。功績賞の受賞は確実だろうと」


 そうこうするうちに皿の上の肉は全てなくなって、後にはてらてらと光る油が残るばかり。その皿とフォークを麻袋の中に入れて、再び僕達は歩き出した。

 あの羊肉の味の余韻を楽しんでいたい気持ちもあるが、時間は有限。食べたい肉はまだまだある。

 二人して歩いていく中で、僕が前方を指さした。


「あ、アグネスカ、見て見てあそこ。コトレットの屋台が並んでるよ」

「本当ですね、どちらのお店に行きますか?」

「いっそさ、二人で別々の屋台で買って、交換して食べ比べしてみない?」


 僕の提案に、アグネスカの表情もパッと明るくなった。

 折角二人いるんだから、両方楽しまないと損と言うものである。


「いいですね、そうしましょう」

「どっちも美味しいお店だといいね」


 にっこり笑い合って、僕達は再び駆け出していく。

 8の刻を過ぎてもまだまだ止まらない。僕達がお腹いっぱいになるまで、謝肉祭カルナバールの屋台巡りは続いたのである。



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