謝肉祭の始まり

 ヴァンドでの謝肉祭カルナバールは、毎年の紫の月19日から24日、と決まっている。

 その一週間1ウアスの間に肉を消費しきって、面白おかしく昼も夜もどんちゃん騒ぎを繰り広げるのが、この街の恒例行事だ。

 僕も謝肉祭カルナバールの時期は、普段は決して食べられないような上等な肉を食べられるので、毎年楽しみにしていた。

 それが今年からは、僕が皆を楽しませる側の立場なわけで。

 カーン神の使徒として、謝肉祭カルナバールの開会を宣言し、祭りのために集まった人々が楽しむ、その始まりを告げなければならない。

 責任重大だ。

 そしてついに、紫の月19日。謝肉祭カルナバール初日がやって来た。




 僕は屋敷に用意されていた服装の中でも一番豪華なダルマティに身を包んで、開会宣言を行うステージの裏手にいた。

 既に祭りの参加者がヴァンドに集まっており、開会宣言を今か今かと待ち構えている。その数、実に二万人以上。ヴァンドの謝肉祭カルナバールが大陸西側地域で最大規模の祭りであるにしても、今年は例年以上に多い。

 そんなたくさんの人々の前で、話をしないといけないのだ。緊張で倒れそうな僕である。


「うぅ、緊張する……」

「大丈夫ですよエリク、今朝に何度も練習したでしょう」


 震えが止まらない僕の手を、アグネスカがそっと握った。

 その手をぎゅっと握り返して、指先がうっすら白くなるのも構わずに力を籠める僕。もう緊張して緊張して気が変になりそうだった。

 何しろ、二万人以上の大観衆の前に立って話をするのだ。ルピアクロワの地に生を受けて十二年の間は無論のこと、地球で生きてきた十四年の間にも経験したことの無い、ものすごい人数の前に僕は立つ。ハッキリ言って、怖い。

 ルドウィグかリュシール、イヴァノエでも傍にいてくれたらまた安心感が違ったかもしれないが、二人とも裏方として今も奔走している。イヴァノエはパレードに備えて待機中だ。ここには来られない。


「でも、あんなにたくさんの人の前で話すなんて……初めてだよ、失敗したら嫌だなぁ……」

「大丈夫ですよー、何を話したって皆さん盛り上がりますから。失敗したって誰も気にしやしませんよ」


 僕の後ろに回ったアリーチェが、後ろからぎゅっと抱き締めてきた。豊満な胸に後頭部がふにっとうずまる。

 確かに、僕が何を話しても会場は盛り上がるだろう。間違いなく。何しろ祭りを行うヴァンドが、ラコルデール王国が自ら擁する使徒の話だ。盛り上がらないはずはない。

 僕の頭をその真っ白な手で優しく撫でながら、アリーチェは朗らかに、努めて明るく声をかけてくる。


「エリクさんエリクさん、ほらあれです、ポンメだと思えばいいんですよポンメ。箱に入ってポンメがずらっと並んでいるって思えば気も楽でしょう」

「ジャガイモにしたって多すぎだよ……どんな状況だよ……」

「ジャガ……?」


 思わずルピア語でなく日本語でジャガイモを話してしまうが、そこに気を回していられる状況ではなかった。アグネスカがぽかんとしているのも目に入っていない。

 思わず、宙を見上げる僕だ。ヴァンドの街中にたくさん張られた旗が、風に揺られてひらひらとはためいている。


「やっぱり、やり慣れてるダニエルさんにお願いしたほうがいいんじゃないかなぁ……来てるんでしょ、ダニエルさんもラシェルさんも」

「お気持ちは分かりますがダメですよ、エリク。さっきアルセン市長が段取りの確認に来たでしょう、エリクに挨拶をしてもらうと」


 今から数十分前、僕のところに挨拶をしに来たバタイユ共和国の使徒、ダニエル・バイルーとその巫女、ラシェル・バイルーのことを考えるが、それはアグネスカがピシャリと制止した。

 昨年までこの謝肉祭カルナバールの開会宣言を行っていたダニエルは、その役目を負うことのなくなった今年も、ヴァンドの謝肉祭カルナバールに参じていた。僕やアグネスカとは、大聖堂のオスニエル大司教を通じて既に知り合いだ。

 今回の開会宣言についてアドバイスはしてもらったものの、「初めてだと言えど、役目は果たさないといけませんぞ」と言われてしまった。取り付く島もない。

 ともあれ、時間は無情にも過ぎ去って。いよいよその時がやって来たようだ。ステージの表側に立っているであろうアルセンの大きな声が聞こえてくる。


「えー、それではお待たせいたしました。ただいまより、我らがラコルデール王国の有するカーン神の使徒、エリク・ダヴィド様による開会宣言を行います!」


 その声を受けて、爆音が聞こえてきた。それが参加者一同の歓声だと僕が認識するより早く、アグネスカが僕の手を引き、アリーチェが背中を押してくる。


「ほらほら、覚悟を決めてくださいエリクさん」

「行きましょう。私が先導しますから」

「う、わ」


 引かれて押されて、僕の足はどうしたって前へと進まざるを得ない。ステージの端から階段を登り、まずアグネスカが、次いで僕、そしてアリーチェという順番でステージの上へと姿を見せると、観客のボルテージはもう最高潮だ。

 冷や汗が垂れて、生唾をごくりと飲み込む僕。口の中がカラカラに乾いてしょうがない。

 そんな僕の緊張を知っているだろうに、アルセンがにっこり、満面の笑みを浮かべて、僕に拡声器を手渡してきた。アグネスカの手を放し、手の震えを抑えながら右手でそれを握ると、目をぱしぱしと瞬かせて気持ちを落ち着ける。

 もう、やるしかない。意を決して僕は口元に、魔力で動く拡声器を持って行った。


「え、えーと……はい、皆さん、その、ようこそヴァンドへ!

 カーン神の使徒の、エリクです。こんな子供で、なんか、その、すみません。

 これから一週間1ウアス謝肉祭カルナバールを目いっぱい楽しんでもらえたら、とても嬉しいです。

 えっと、それでは、ここに、ルピア暦2144年謝肉祭カルナバールの、開会を宣言しまひゅっ、っっ、しますっ!」

「「ワァァーーーーーッッ!!」」


 僕の開会宣言に、一気に会場が沸き立った。これを以て、正式に、ここに謝肉祭カルナバールがスタートしたわけだ。

 口をぽかんと開きながら拡声器をアルセンに返すと、彼も一つ、大きく頷いてきた。そのまま視線と左手が僕の後方に向けられる。ステージ上から退出して構わないらしい。


「エリク様、ありがとうございます。それでは続きまして、この後の催しのスケジュールを――」


 そのまま祭りの日程と、今日に行われる企画の説明に入るアルセンに背を向けて、またアグネスカに手を引かれるようにして僕はステージから降りていった。僕にくっつくようにしていたアリーチェが、反対側の腕を取ってくる。

 そうしてステージの裏手にやって来て、二人が僕の手を放した時。

 僕は地面に頽れるようにして、その場にうずくまった。


「はい、よく出来ました」

「噛んだ……死にたい……」

「大丈夫ですエリク、誰も気にしてません。多分聞こえてもいないでしょう」


 最後の最後、大事なところで盛大に噛んだ僕はもう本当に死にたい気分だった。観客も、アルセンも、気にする様子も何もなかったが、だとしても恥ずかしいのは一緒だ。本当に聞こえていないことを願うしかない。

 と、そこに。しゃらしゃらと金属のぶつかる音が聞こえてきた。音のする方に視線を向けると、インゲ神の使徒であるマドレーヌがこちらに歩いて来る。後ろには見覚えのある人間ヒュムの老人が一人。ダニエルだ。

 二人とも、にこやかな笑みを浮かべている。挨拶を噛んだ僕を嘲ろうという雰囲気ではない。


「大役お疲れ様、坊や」

「初めてにも拘らず、立派な開会宣言でしたぞ」


 二人が二人とも、僕にねぎらいの言葉をかけてきた。

 それに少しだけ気持ちが楽になるのを感じながら、僕はゆっくり立ち上がった。そのまま小さく、二人に向かって頭を下げる。


「マドレーヌさん、ダニエルさん……その、なんか……すみません」

「大丈夫大丈夫、最後噛んだくらいなら全く問題にもならないわ。ルピア暦の年を噛まずに言えただけでも上等よ」

「今年の謝肉祭カルナバール来場者数は、前年を大きく上回っているという話をアルセン市長から聞いておりますぞ。あれだけの人数を前にして、しっかり開会宣言を出来たのですから、胸をお張りなさい」


 自信を持て、と口々に話す二人だ。どうやら僕は、ちゃんと出来たらしい。

 その言葉に心底からホッとしながら、ようやく笑みを浮かべる僕だ。隣に立つアリーチェも、嬉しそうに尻尾を振りながら僕の腕を改めて抱いてくる。

 その様子を見たマドレーヌが、面白そうなものを見る目でアリーチェを見た。


「それにしても、使徒、巫女、守護者だけでなく神獣まで揃い踏みとはね。しかも二体。恵まれているじゃない、坊や?」

「抱える使徒が一年もたたずにここまで成長して、まさしくラコルデールは幸運ですなぁ。聞けば神獣様は新たな神を抱えておいでとか。実に素晴らしいですぞ」

「あら、私、アルドワンの使徒様とバタイユの使徒様に、自己紹介しましたっけ?」


 マドレーヌとダニエルの言葉に、アリーチェは不思議そうに首を傾げていた。

 僕とアグネスカは既に顔合わせが済んでいるが、アリーチェは二人とは初対面だ。

 それなのに二人とも、アリーチェのことをよく知っている様子で話しをしてくる。オスニエルあたりから情報が伝わっているのだろうか。

 しかしマドレーヌは何を今更、と言った様子で首を傾げながらアリーチェの手元に指を向けた。そこには月輪狼ハティの特徴である、白い毛皮に浮かぶ複雑な青い紋様がある。


「自己紹介も何も、月輪狼ハティでしょう貴女。それが使徒のすぐそばで腕を抱いているとあれば、ねぇ?」

「態度が雄弁に語っておりますな、随分と仲睦まじいようで羨ましいですぞ。巫女と交友を深めるのは容易ですが、神獣相手だとそうはいきませんからなぁ」


 使徒二人からの言葉に、アリーチェはふんと鼻を鳴らしながら自慢げに笑った。胸を大きく張って、満面の笑みで僕の腕をぎゅっと引き寄せる。


「そりゃそうですよ、私はエリクさんとアグネスカさんのお姉ちゃんですもん、ねー?」

「ねー、って、誰に同意を求めているんだよ」

「どの口でそれを言いますか、貴女は」


 にこにこしながら視線を向けてくるアリーチェに、僕とアグネスカが返すのはじとっとした批判的な目だ。

 事実、姉というには愛情表現が直接的すぎるし、彼女が内で育んでいる新しい神は僕との間に作った存在だし。死告竜ドゥームドラゴンの一件があるせいでなかなか生まれ出でてこないが、多分この問題が落ち着けば現界するだろう。

 その物言いに含みのある表情をしながら、マドレーヌはくるりとこちらに背を向けた。


「ふぅん? まぁいいわ、仲が良いことはいいことですもの。それじゃ、お祭りも始まったことだし私はこの辺で。ダニエル様も、また後程」

「うむ、ギー殿にもよろしくな、マドレーヌ殿」


 そのまま軽くダニエルへと挨拶すると、マドレーヌは来た時と同様、手足のアクセサリーをしゃらしゃら鳴らしながら立ち去って行った。

 その背中を見送りながら、僕はダニエルへと見開きっぱなしの目を向けた。


「各国の使徒の皆さんって、結構仲がいいんですね……初めて知りました」

「目覚めた時期や上につく神に違いはありますが、いずれも三大神の名代として動くことを許された存在ですからな。立場が同じだから、話も合うのですぞ」


 ほっそりした身体と対照的な、ボリュームのある髪に手をやりながら、老人はにこやかに笑った。

 僕が使徒として目覚めたことを、ダニエルには随分喜んでもらったものだ。今日の謝肉祭カルナバールのような催しの際に、老骨に鞭を打って大役を仰せつかる必要が無くなることもそうだが、年の若い後輩が出てきてくれたことを、使徒としての大先輩は非常に嬉しがっていたのだ。

 髪に当てていた手を僕の頭へと移し、そのまま僕の頭を撫でるようにしながらダニエルは優しく目を細めた。


「いや、それにしても昨年のパレードで仮装をしてにこにこしていた少年が、使徒となるとは……人生、何が起こるか分からないものですなぁ」

「そう……ですね。不思議な感じです」


 祖父が孫の頭を撫でるように、慈しむように頭を撫でてくれるダニエル。

 その手つきに何となく懐かしいものを感じながら、ヴァンドの街一帯を包み込む喧騒が大きくなるのを、僕はどこか遠くに聞いているのだった。



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