加護の力

 種蒔きを終えてから2日2ティス後の午後、僕達は農園の畑に来ていた。

 ジスランに案内されながら歩く畑の畝からは、既に小さく緑色の芽が伸び始めている。まだ2日2ティスしか経っていないというのにだ。


「すごい……もう芽が出ているなんて」

「使徒様に巫女様、神獣様が土地に神力を授けて下さったおかげですよ。もうあと1週間1ウアスもすれば、最初の麦踏みの頃合いになることでしょう」

「こんなに顕著に効果が出るなら、来る日も来る日も村を散歩した甲斐があるってもんですねー。小麦粉の出来上がりが今から楽しみです」


 驚きを露にする僕の隣で、ジスランが満足げににこにこと笑っている。しゃがみ込んで小麦の芽を撫でるアリーチェも、努力が報われたのが嬉しい様子だ。

 現在、チボー村の土壌に広がる神力は、カーン神の神力とインゲ神の神力が高いレベルでバランスが取れている状態にある。シューラ神の神力は二神の神力と比べて低い状態なので、どうしても土地が渇きやすい状態にはなるだろうが、これは元々の土壌からして水はけがいいから、仕方のないところだろう。

 作物が水をぐんぐん吸い上げて、通常よりも早い速度でめきめき育つ。これが僕達がカーン神の神力を土地に注ぎ、バランスを整えた結果だ。

 アリーチェの隣でしゃがみこんで小麦の芽を見つめていたアグネスカが、ジスランの顔を見上げて口を開く。


「ここで育った小麦を挽いた小麦粉を二袋、聖域にご寄進下さると伺っています。

 有難いお話ですが……よろしいのですか? チボー村の皆さんはこうした小麦を販売することで生計を立てていらっしゃるのでは」


 申し訳なさそうに眉を下げるアグネスカの隣で、アリーチェも僕も頷いた。

 今回僕達が開設に協力した農園で採れる予定の、初めての小麦を挽いた小麦粉は、初物として王都ウジェに送られ、一部が王宮や大聖堂の祭事や行事に使われ、残りは市場に出回るそうだが、それをヴァンド森の聖域にも小麦粉二袋分、無償で譲ってくれるとの話が持ち上がったのだ。

 早い話が聖域への寄進である。


 僕達の暮らすヴァンド森の聖域に限らず、三大神の聖域として定められた場所の食糧や生活必需品は、大半が寄進という形で地域や聖堂からの寄付で賄っている。

 勿論聖域の中に畑は作られており、野菜や果実は自家栽培しているが、日々の主食であるパンを作るための小麦は、寄進に頼る部分が大きい。

 聖域の畑も広げている最中ではあるが、こちらは野菜を育てるのに使う予定の場所だ。

 結局、小麦はいくら寄進されても困るものではない。だが、先に話した通り寄進されようとしているのは、農園を興して最初に収穫される初物だ。

 新たにある程度の規模以上の農地を開拓し、最初に収穫される初物小麦はその品質如何に関わらず、記念品として高値で取引される。しかも今回はカーン神の使徒エリク自らが開設に関わり、種蒔きまで行った農園の初物小麦である。価値が違う。

 それが市場に出回れば大きな利益を生み、その分だけチボー村の財政は潤うだろう。先のドニエ火山の噴火の被害を修復した際に資金流出もあっただろうから、お金は喉から手が出るほど欲しいはずだ。

 寄進したらその分だけ懐に入る資金が減るだろうに、しかしジスランは柔らかく微笑んで首を振った。


「使徒様方が関わった初物小麦だからこそ寄進させていただくのです。

 私も農業に携わる喜びはよく存じております。自らの手で地面を耕し、種を蒔き、病や害虫を跳ねのけて育てた作物をいただく喜びは、何物にも代えがたい。

 使徒様方のおかげで、この土地はまた小麦を育てられる土地になりました。その御礼を、小麦粉の寄進という形で私達はお返ししたい。

 村の財政の面についてもご心配くださりありがとうございます。しかしオダン領の領主様にもご助力いただいていますので、差し迫った問題は無いのですよ」

「あぁ、なるほど……」


 ジスランの言葉に、ようやくその事実に思い至った僕は声を漏らした。

 確かに、自分が手をかけて育てた食材を食べるという喜びは格別だ。苦労した作業が報われる一番の瞬間とは、そういう時である。

 ならば僕達が関わって栽培した小麦を使った小麦を、僕達の住む聖域に贈ろうというジスランら村民の心の動きは、何らおかしな点はない。

 それに確か、半年前のドニエ火山噴火の報が出た際に、義捐金を募る動きがあったと記憶している。領主からの援助もあるなら、資金面は問題ないだろう。要らぬ心配だった。

 僕達が納得した表情を浮かべていると、逆にジスランの側が申し訳なさそうに眉尻を下げていた。


「それより、こちらこそよろしかったのですか? ラファエレ殿の件は……ご本人が残ることを望まれたとはいえ」


 その言葉に、僕は小さく肩をすくめるので精いっぱいだった。

 ラファエレ・シモンはチボーに残ることを選択した。故郷であるミオレーツ山の村とは比較にならない畑の広さ、難しいからこそ工夫が出来る土壌、ベスティア語しか話せない自分でも快く受け入れてくれる村民や屋敷の使用人たち、このまま故郷に帰るよりは、何倍も魅力的な生活が出来ると思ったそうだ。

 彼からその意向を聞いた僕は、慌てて持参していた転移陣を刻んだスープ皿に水を満たしてミオレーツ山のヴィルジールに報告に行ったのだが、彼も優秀な生徒の巣立ちを喜んで歓迎していた。

 何やら、屋敷の使用人たちによる、ラファエレへのルピア語の個人授業も始まっているとのこと。寝起きする家も既に確保してあるらしい。手早いことだ。

 時たま恥ずかしそうに俯いては尻尾を股座の間に挟んでいる様子を見ると、少々不安が頭をよぎるが、こればかりはどうしようもない。手籠めにしようとしたアダンが悪い。


「ラファエレが望んだことですし、彼が所属する村の村長からも許可を貰っています。既に村にすっかり溶け込んでいますし、大丈夫だと思いますよ。

 ルピア語の授業は、お手数をかけて申し訳ないと思っていますが……」

「なに、使用人たちも張り切っていましてね。弟が出来たみたいで嬉しそうですよ」


 笑みを零しつつジスランが目を細める。それにつられて僕も、アグネスカも、アリーチェもいつの間にやら笑顔になっていた。

 温かな風がさぁっと、僕達の合間を縫うように駆けていく。その風に髪と尻尾をなびかせながら、ジスランが小さく鼻を鳴らした。目尻を拭うようにしてから、大きく頭を下げる。


「ありがとうございます、使徒様。巫女様も、神獣様も。

 皆様のおかげで、チボーの農業は本来の姿を取り戻しました。お力を賜り、村民を代表して、深く御礼申し上げます。

 収穫の時にはご連絡差し上げます、是非ともお楽しみに、お待ちくださいませ」

「こちらこそありがとうございます、ジスランさん。

 何から何までお世話になりました。農園の世話、よろしくお願いします」


 礼の言葉を述べるジスランに、僕も頭を下げることで答えた。

 二人して同時に姿勢を正した後、僕達は揃って笑顔になる。晴れやかな気持ちだ。

 ところで。


「そういえばこの農園の名前って、昨日の村会議で相談したんですよね?」

「そうなんですが、なかなか難航していましてね。

 多数派は使徒様のご家名を頂戴して『エリク・ダヴィド農園』なのですが、『カーン神の加護農園』や『チボー大農園』など、様々な案が挙がっておりまして……」

「えぇ……僕の名前を付けるのはやめてくださいよ、恥ずかしいじゃないですか……」

「使徒として名を残すことは大事ですよ、エリク。光栄なことではありませんか」


 そのまま始まる、僕を説得する言葉のシャワー。

 12歳という年齢にして名前を建物に付けられるという、名誉は名誉なんだが過大すぎる評価に縮こまる僕は、その夜を頭を抱えたままで過ごしたのであった。




 後日、ラコルデール王国の国営新聞に、チボーに大規模な小麦農場が新たに作られた旨の記事が掲載された。

 農場の名は、「エリク・ダヴィド農園」。

 農場の開設に大きく貢献した、うら若き当代のカーン神の使徒の名前を冠した農園では、のびのびと葉を伸ばす小麦が風に揺れていた。

 年齢も性別も様々な村民が農作業に当たる中、茶色の毛並みをした年若い狼人ウルフマンの青年がキビキビと作業していることを知っているのは、チボーに住む村民の他にはごく一部である。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る