そしてまた仕事は始まる

 結局その日は朝から晩まで、ジスランについて国やオダン領、三神教会に提出する書類の作成と必要な情報の聞き取りに終始した。

 アダンが村長を辞する経緯、副村長のジスランが持ち上がりで村長となる理由、役職者の変更に伴う諸請求先や連絡先の変更について。

 他にもいろいろな、細かな書類。それらが文字通り山のようにあり、それらにアダンがラファエレやこの屋敷の使用人にこれまでしてきたこと、僕にしたこと、しようとしたこと、その結果変えられた姿を、詳らかに記述しなくてはならなかったのだ。

 書記役に駆り出されていた使用人のアロルドと、途中から応援に入った使用人のヴィットーレ、ジスラン本人、そして僕の四人がかりで休みなくペンを走らせて、ようやく全ての書類が片付いたのが12の刻を半分も過ぎた頃合いだった。外はすっかり夜の帳が下りている。


「これで全部ですよね……? はー、疲れた……」

「お疲れ様です、使徒様。遅くまでお付き合いいただいてしまい、申し訳ありません。アロルドもヴィットーレもすまなかった。

 夜食を用意しましょう、しばしお待ちください」


 ぐっと身体を伸ばし、ソファーに座り込む僕に頭を下げて、ジスランは夜食調達のために執務室を出ていった。

 向かいのソファーでは狐人フォックスマンのアロルドと猫人キャットマンのヴィットーレが、揃ってその身をふかふかしたソファーに預けている。


『あー疲れた……でももう村長のダンナに付き合わされて宵っ張りしなくていいから楽だよな、なぁヴィットーレ?』

『アロルド……うん。いつ薬を盛られて盛ることになるか分からなかったから、皆全然気が休まらなかったもんね』


 ぐったりとしながらも安心したように、ベスティア語で言葉を交わすアロルドとヴィットーレ。その会話に耳を傾けていると、どうやらそのままアダンの夜事情の愚痴大会に移行しているらしい。


『だいたい村長のダンナ、オレたちのケツん中に容赦なくブチ込んで来やがって、おかげで何度腹痛に悩まされたかっていうんだ』

『ベッドにもがっちり縛り付けてくるしね……遅かれ早かれ神罰が下るとは思っていたよ、ボクも』


 ぐったりした姿勢はそのままにつらつらと二人して愚痴を垂れ流す様子に、げっそりとした表情でただ聞いているだけの僕だった。やれアダンとどうしただの、一夜のうちに何度しただの、もう恥ずかしくて書けないような話題のオンパレードである。

 今だけは、ベスティア語が分かる自分の耳と頭が恨めしい。

 と、そこでアロルドとヴィットーレの視線が揃って僕に向いた。しばしの間を置いた後、ルピア語による言葉が僕へと投げかけられる。


「んー、あー、そういえばエリク様もダンナの被害者でしたか。ヤられる前に神罰なされたって話でしたけど」

「お薬盛られるところまでは行ったんですよね、エリク様も……あれから大丈夫でした? ムラムラしてません?」

「……うん、大丈夫じゃない、全然……」


 二人の視線を受けた僕は、ソファの上で小さく身を縮こませるしかなかった。

 言えないではないか、アダンに食われるのをすんでのところで阻止したら、神獣であるアリーチェに食われて、朝まで意識を失い、結果知らぬ間に童貞を卒業したなどと。

 実際薬を盛られた影響というのは残っていて、どうにも今日一日、下半身がむずむずしてしょうがなかったのだ。書類作業のために人間に戻っていたから余計にである。

 僕の反応に二人が顔を見合わせていると、ちょうど執務室の扉を開けて、ジスランがサンドイッチと紅茶を載せた盆を手に入ってきた。


「お待たせしました……って、なんです使徒様も、二人も、そんな珍妙な顔をして。変な話を執務室でしないでくださいよ。

 これを召し上がったら、今日は解散です。明日から種蒔きですから、ゆっくりお休みください」

「はい、ありがとうございます」

「へーい」

「ありがとうございます、ジスラン様」


 そうして僕達は、焼いた丸パンにハムやチーズ、レタスを挟んだサンドイッチに手を伸ばす。

 空腹だったこともあって、それは本当に、胃に染み渡るように美味しかった。


 ちなみに食事の最中に何気なくアロルドに質問を投げたところ、どうやら二人は僕に先程の愚痴の一切を聞かれて、内容を把握されていることに気づいていなかったらしい。

 ひっくり返らんばかりに驚いていた。




 その日はざっとお風呂に入って汗を流し、すぐにベッドに入って眠りについて、翌朝。

 朝食を済ませた僕はアグネスカ、アリーチェ、ラファエレと共に作業着に着替えて帽子を被って農園に来ていた。

 今日は雲一つない良い天気。いよいよ、小麦の種蒔きだ。

 チボー村の村民たちが殆ど総出になった状態で、小麦の種を入れた革袋を手に整列している。

 普段の執務服から作業着に着替え、麦わら帽子から大きな立ち耳を覗かせて彼らの前に立ったジスランが、パンと手を打ち鳴らした。


「さあ皆さん、使徒様や神獣様にご助力いただいて整えた農園に、いよいよ種を蒔く日がやってきました!

 普段の種蒔きよりも念入りに、しっかりと! 気を配って作業するよう、よろしくお願いします!」

「「はいっ!!」」


 村民の返事と共に、僕もしっかりと声を上げた。

 アグネスカもラファエレも、アリーチェでさえも背筋を伸ばしてしっかと返事を返している。

 不真面目な彼女であっても、さすがに種蒔きの日となれば気合が入るのだろう。身体の中に残るアリーチオの記憶が、そうさせているのかもしれない。

 そうして僕達は、割り当てられた畝の前に一人ずつ並んで立つ。まずは一人に一本の畝、一本の畝が60メートル20メテロ、これがおよそ50本。

 その畝の列が五列、計250本あるわけだ。今からこの全てに小麦の種を蒔く。


「果てが見えないね……」

「村人総出でやらないと終わらないですよね、間違いなく」

「だいじょーぶだいじょーぶ、皆で一緒にやればすぐ終わりますってー。一人当たり畝三本ですからパッと行けますよ、パッと」

10センチメートル1/3メテごとに親指で穴を開けて、3粒入れて、ぱらぱらと土を被せる、の繰り返しです!簡単ですよ!』


 改めて農園の広さと作業量に圧倒される僕とアグネスカに対して、経験豊富なラファエレと知識だけは豊富なアリーチェは気楽に笑ってみせる。アリーチェは単に楽観的なようにも見えるが。

 しかし、10センチ間隔で穴を開け、種を蒔き、土を被せるの繰り返し。

 その工程が、何故か僕にはひどく懐かしいもののように感じた。


「(……あ、そうか、これって)」


 過去の記憶を総ざらいして、ようやく一つの記憶に行き当たった時。


「それでは、始めてください!!」


 ジスランの声が農園に響き渡る。すぐさまに身を屈めて畝に穴を開け、種を蒔いていく村人たちに、ラファエレ。アグネスカとアリーチェも早速仕事にかかっている。

 僕だけが遅れるわけにはいかない。さっと畝の前に屈みこんで、盛り上がった土の真ん中に親指を突っ込む。

 そうして開けた穴にパラパラと、米粒サイズな小麦の種を入れる僕は。


「(こんな感じの実習、小学校や中学校でもやったな……地球で)」


 前世で経験したという、言いようのない懐かしさに口元を綻ばせながら、さっと土を被せたのだった。



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