3. 農園編

火山の村での仕事

 サバイバル実習を終えてから1週間1ウアスの後。

 僕はリュシールと共に、王都ウジェのウジェ大聖堂に来ていた。目的は勿論、オスニエル大司教への報告の為である。

 と言っても、報告を担当するのは主にリュシールで、僕は彼女の隣で話を聞いているだけなのだけれど。


「……ということで、今現在ヴァンド森の聖域には、エリク様、アグネスカ様に加えて、神獣人のアリーチェ様が暮らしております。

 また、神獣たる日輪狼スコル様と月輪狼ハティ様が、聖域周辺の森に身を置いております。

 よって、現在私共の監督下には、使徒様、巫女様、神獣様、神獣から分かたれた神獣人様がいるわけです。ここまでは、ご理解いただけましたでしょうか?」

「はい、それはもう……」


 淡々と状況を報告し、顛末も伝えて、まとめに入ったリュシールに、オスニエルは頭を下げるばかりだった。

 何処までも理性的で感情を挟まない彼女の説明と、この1ヶ月1メスの間に起った事態の大きさに、圧倒されているようである。


「……その、リュシール殿?

 聖域の守護者の一人である貴女のことですから、よくよく状況を理解されていることとは思いますが……少々、カーン様のお力がヴァンド森に偏りすぎではないかと、そんな気はいたしませんか?

 大陸全土で見れば大きな影響がないにしても、ラコルデール王国内にもカーン様の聖域は数ヶ所ございますわけで、それぞれのパワーバランスというものが存在いたします。

 ルピア三神教の大司教の一人としましても、あまり力の偏りが継続して生じる状況を看過するわけには……」


 まさしくおずおずと、といった風に上目遣いでリュシールを見上げるオスニエル。

 実際、彼の言うとおりだ。カーン神の聖域はなにもヴァンド森だけにあるわけではない。僕がルドウィグとリュシールから聞いた話では、王国内に全部で4箇所存在するそうだ。

 それらの聖域の関係者が、僕のみならず、神獣人のアリーチェに日輪狼スコル月輪狼ハティが勢揃いしているヴァンド森を面白く思うはずもない。

 リュシールもそれはよく分かっていたようで、眼鏡をついと指先で押し上げながら口を開いた。


「もちろん、仰ることの意味はよく理解しております、大司教様。

 使徒たるエリク様が一ところにいらっしゃるだけでも力に大きな偏りは生じます。そこにアリーチェ様や日輪狼スコル様も加わるわけですから、現状を放置していれば遠からず交易都市ヴァンド、並びにヴァンド森の自然は過剰なほどに・・・・・・豊かになるでしょう。

 一つの神に愛された方々が一ヶ所に集うというのは、そういうことですから」

「でしたらもう少々ですね……」


 語気を強めるオスニエルに対し、リュシールは難しい表情を崩さなかった。

 これでは事態が進展しないし、リュシールが僕に対して過保護にも映るだろう。それはあんまり望ましい流れではない。

 僕は腕をさっと横に伸ばしてリュシールを制すると、オスニエルの顔をまっすぐ正面から見据えた。


「オスニエルさん、お気持ちは分かります。僕もこのままの状態でいいとは思っていません。

 だから、状況を教えてください。カーン神の加護が・・・・・・・・早急に必要な場所・・・・・・・・があれば、僕達はお手伝いに行きます」

「使徒様……」

「エリク様……よろしいのですか、まだ1週間1ウアスしか経過していないのですよ」


 ハッキリと継げる僕の隣から、リュシールが心配そうな視線を向けてくる。

 彼女の気持ちも分かる。僕はまだ12歳、使徒としての力に熟達しているとも言い難い。加えて先週に、大規模な神術の行使と厄呪の身体への移し替えを行ったばかりだ。

 しかし僕はゆっくり首を振った。


「リュシールが心配してくれる気持ちはありがたいけど、これは僕に課せられた仕事だ。休息ならこの1週間1ウアス、十分に取れたと思う」

「うぅっ、なんと献身的、なんとお優しい……当代の使徒様がこんなにお若いのに人格者でいらっしゃって、オスニエルは嬉しゅうございます……」

「えぇと……まぁその、父や母や、アグネスカの育て方がよかったので……」


 僕の性格を褒めつつ涙ぐむオスニエルを前にして、何とかごまかしたい僕は視線を逸らしつつ頭を掻くので精いっぱいだった。

 前世の中学生までの人生も付け加えると、精神的にはアラサーに突入するくらいにはなっているはずなので、ある程度精神的には成熟していると自分では思っているけれど、外見的にはやっぱり僕は12歳の少年だし、前世が異世界人でそれをしっかり記憶していることを大っぴらにするのは、とても怖い。

 なので両親やアグネスカを持ち上げつつ、僕は傍らのリュシールに視線を投げた。


「リュシール、改めて確認したいんだけど。

 僕と、アグネスカと、アリーチェが一緒にいるってことが、土地にカーン神の力を与えるにあたって重要なんだよな?」

「その通りです。

 エリク様の齎すカーン様の力を、アグネスカ様が増幅し、アリーチェ様が土地に対して放出する。日輪狼スコル様にも同行いただければ、土地を耕して放出された力を大地に浸透しやすくする、という行程も挟めます。

 エリク様がサバイバル実習を行われていた、ミオレーツ山がいい実例です。神術を行使した数日後には、かの沼の周辺は鬱蒼と木々が枝を伸ばし、沼はみるみる面積を広げ、さらには山全体の実りが豊かになって、動物の数も増えましたから」

「すごいよな……三人揃っていたのはほんの数日なのに、あんなに効果が出るなんて」


 そう、一度は焼け野原になったミオレーツ山のラッツォリ沼周辺は、以前の姿を取り戻すどころか以前よりも草木が生い茂り、湧き水は湧出量を増し、すっかり緑豊かな泉へと変貌したのだ。

 それどころかミオレーツ山全体が、僕が山に入った時よりも自然の実りが豊かになり、ウサギラパン鹿セーフの数も増えて、イタチウェッセルループの群れに取ってより過ごしやすい環境になっているのだそうだ。

 先日山の東側にお邪魔した際に、「作物の元気が目に見えて良くなった」と、ヴィルジールがほくほく顔で話していたことを思い出す。

 目の前のオスニエルが腕組みしながら、数度頷いてみせた。


「そうです。ミオレーツ山の場合は神術行使という形で、大地のエネルギーが引き出されたことも影響しておりますから、顕著に効果が出ておりますが……お三方が揃い踏みするだけでも、土地に良い影響を与えることが出来るのです。

 ということなので、使徒様に今回復旧・・をお願いしたい場所は……オダン領チボー、なのです」

「チボーって……確か半年前に、ドニエ火山が噴火した時に、溶岩流に呑まれかけた村ですよね?」


 ラコルデール王国の北部に位置するオダン領は山と森が多い土地だ。領内の村は山沿いの森を切り開いたり、山肌に隣接するようにして作られている。

 チボーは王国最大の火山であるドニエ火山の山裾に作られた村で、豊かな地熱と大地の栄養、山からの湧き水を元手に農業が盛んに行われる村、だったのだが。

 半年前にドニエ火山が噴火、溢れ出した溶岩が山裾まで達し、チボー村もその被害を受けたのだ。

 オスニエルが目を閉じつつゆっくりと頷く。


「そうです。既に周辺地域の火災は鎮火し、人々の暮らしは戻りつつあるのですが……土地にインゲ様の力が浸透しすぎて・・・・・・、作物がなかなか育たないのです」

「なるほど……チボーは確か小麦の名産地。カーン様の力がインゲ様によって覆われている現状では、正常な生育に支障があるでしょう」

「そういうことなのです。なので、使徒様や巫女様、神獣人様のお力でチボーに新たに農園を作り、使えなくなった古い畑は別の用途に使う……そういう形で進めたい、とチボーの村長からも話がありまして」


 そこまで言うと、オスニエルは言葉を切って僕に懇願するような視線を向けた。

 ここまで分かりやすくお願いされたら、僕としても断るわけにはいかない。もとより断るつもりなんてなかったのだけれど。


「分かりました。喜んで協力します」

「おお、ありがとうございます! 使徒様にカーン様の大いなるお力添えがございますことを……

 新しく開いた農園の扱いはお任せいたします、なんでしたら『ダヴィド農園』などと命名してくださっても」

「いやそれはさすがに……」


 何とも恥ずかしいことを臆面もなく言ってくるオスニエル大司教に、両手を前に突き出して全力で拒否の姿勢を取った僕だ。

 新しく造る農園が「ダヴィド農園」になることを阻止することの方が、僕達がヴァンド森の聖域にいることを認めてもらうよりも、何倍も大変だったのは此処だけの話。




 聖域に帰ってきた僕は早速、アグネスカとアリーチェに事の次第を説明したのだが、予想通りというか何と言うか、アリーチェがむくれっ面になった。


「えーっ、私も行かなきゃならないんですかー? まだ聖域での平和な暮らしも堪能してないんですけれど……」

「オダン領チボー……ヴァンドからかなり遠いところですね。一度転移陣を敷いてしまえば行き来は楽になりますが……

 あぁ、アリーチェが行きたくないというのならいいですよ、聖域の中でごろごろしていて。効率が下がるとはいえ私とエリクだけでもカーン神の神力増幅は出来ますから」

「ちょっ、もー、すぐそうやって私を除け者にしようとするんですからー! 行きます、私も行きますっ、置いてかないでくださいー!」


 ぶーたれるアリーチェだが、アグネスカがさらっと流して置いていこうとするので、すぐさま意見を翻して僕の腕にくっついてきた。

 広大で立派な屋敷でゴロゴロしたいアリーチェの本心が透けて見えたが、それ以上に僕に置いていかれるのは嫌だ、ということもよく分かっている。

 寂しがり屋で甘えん坊、心優しいがちょっと面倒くさがり、そして非常に素直で朗らか。僕とアグネスカの間で、アリーチェの性格評はこの通りで一致していた。

 自分では姉だと主張しているし、年齢を見てもかなり年上になるのだけれど、性格は妹というか、末っ子っぽい。というか対比するようにアグネスカがキリリとしていて長女っぽい。

 なんというか、出会ってまだ2週間2ウアスすら経っていないのに、昔からずっと一緒に行動していたような気がして不思議な気分だ。


 ともあれ、三人で一緒にチボーでの仕事に行くのは決定として、問題は他の人達だ。

 僕、アグネスカ、アリーチェの三人がいれば、土地にカーン神の神力を注ぎこんでバランスを取るのは出来るだろう。だが、その後の畑仕事を村の人達に全部丸投げ、というわけにもいかない。


「他の皆はどうしよう? 僕達だけじゃ一から畑を耕すのは大変だよな……」

「農園を作るという最終目的を考えると、アンセルムかフェルナンに同行してもらった方がよいかと思いますが」

「聖域の中の畑も、今広げている最中でしたよね? 狼人ウルフマンの三人も忙しいんじゃないですか?」

「うーん……そうだな、ルドウィグに相談に行こう」


 額を突き合わせて相談した結果、ルドウィグに相談しに行こう、と庭に出た僕達三人だ。三人寄れば文殊の知恵とは言うけれど、分からないものは何人集まったって分からない。

 庭ではルドウィグの監督の下、エクトルとミオレーツ山から移住してきたパトリス、アンセルム、フェルナンの狼人ウルフマン三人が、一緒になって庭の地面に鋤を入れていた。

 後々はピーノ、カスト、ボーナのウサギラパン三匹にも、獣人化アニマージ技能スキルを身に付けてもらって仕事をしてもらうつもりだとルドウィグは話していたが、一体どれ程時間をかける予定なのだろうか。

 自分では作業をしないことを決め込んでいてか、本来のティーグルの姿で草の上に伏せるルドウィグに後ろから声をかけると、彼は身を伏せたままでぐるりと顔をこちらに向けた。


「ほう? 溶岩流の被害を受けたチボーの土地の神力を整えて、新たに農園を作るとな。それは確かに、エリク殿たちだけでは難儀する仕事じゃろうのう」

「うん、僕達だけだと土地の力を整えるところまでは出来ても、農園を作るところが大変だと思うんだ。

 それで、パトリスか、アンセルムか、フェルナンの誰か一人でも手を貸してもらえればと思ってるんだけど……」


 僕の問いかけに、ルドウィグは難しい顔をして尻尾をぱたりと揺らした。

 頭を再び前方に向けて、せっせと鋤を地面に差し込んでは畝を作り上げている狼人ウルフマンたちに視線を向ける。

 そのスムーズな手つきは、さすがミオレーツ山の中で畑を作って来ただけのことはある、と思わせるに十分なものだ。手を借りられたら非常にありがたいのだけれど。

 しかし僕の僅かばかりの期待は、悲し気に尻尾を地面に下ろしたルドウィグの言葉によって打ち砕かれることになる。


「そうじゃなあ、聖域の畑を広げる仕事で、あの三人には毎日存分に働いてもらっておるからのう。見ての通り、エクトルにも手伝いを頼んでいる状況でな。

 他に、畑のことに詳しくて、エリク殿お三方のサポートが出来て、今動ける人員は……」


 しばし宙を見上げ、再び尻尾を立ててゆらゆらと揺らしながら、ルドウィグが思案を巡らせる。

 と、そのティーグルの頭が再びこちらを向いた。


「おぉ、そうじゃそうじゃ。エリク殿、ミオレーツ山のヴィルジール殿の力を借りればよかろう。

 彼のところになら畑の専門家がいくらでもいるし、荒れ地を開墾することにも慣れているじゃろうて」

「あ、なるほどー。確かにあちらでしたら人員は潤沢ですね、なんか学校から生徒を受け入れて農業研修もやってるとか」


 ルドウィグの言葉に、話を聞いていたアリーチェがポンと手を打った。

 確かに、ここに移住してきた三人と同等か、それ以上に知識も経験もある狼人ウルフマンが、ミオレーツ山の東側には何人もいるはずだ。

 こちらの仕事にあたり、協力してくれる者が一人はいるかもしれない。

 しかし、農業研修もやる程に農業に熟達していたのか、東の王様の村は。魔物が教える農業の授業というのも、ちょっと受けてみたい気持ちがある。


「僕も受けに行こうかな、その農業研修……」

「いやぁエリクさんはいいでしょう、これからみっちり実作業と共に教えてもらうんですから」

「そう言うアリーチェは、農業に関する記憶は持っていないのですか? アリーチオの記憶は引き継いでいるんでしょう」

「私はー、ほらー、あれですよ。知識や記憶だけあっても身体が覚えていなきゃしょうがないじゃないですかー?」


 しどろもどろになるアリーチェが指を合わせてくねくねと動かしながら冷や汗を垂らす様に、冷たい視線を向けるアグネスカを、僕とルドウィグは苦笑しながら見ていた。

 ちなみに後から白状したアリーチェ曰く、「確かに農業をやっていた記憶と知識はあるのだけれど、どこでどうそれらの記憶を使えばいいかが、こっきりさっぱり分からない」とのことだ。

 大人しく、現役で専門家の狼人ウルフマンに頼った方がよさそうだ。



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