闇夜の襲撃

 ウサギラパン達を伴って拠点に定めた崖の洞窟まで戻ってきた僕は、オランジュの皮を剥きつつウサギラパンから話を聞いていた。

 彼ら曰く、この山にも魔物が生息していて夜になると活発に活動し出すらしい。また、山の外から獲物を求めて魔物が入り込むこともあるとか。

 それ故山の動物たちも、夜は気の休まる時が無いのだそうだ。


『こないだも僕達の兄弟の一匹が、お山の西に住んでいる大イタチギガントウィーゼルに捕まっちゃったんだ』

『僕達、耳が良いし注意深いから外敵の接近には敏感なんだけど、遠くから一気に距離を詰められたらなすすべがないからねー』


 大イタチギガントウィーゼルはこの山に生息する魔物の一種。人間大ほどの巨体に見合わず身軽で俊敏で、木の上からミサイルのように飛び出して獲物に襲い掛かるのだそうな。

 その体験談に僕はぶるっと身震いした。

 姿が見えないほどの遠距離から、高速で接近する敵に対応するのは難しい。弓兵や魔法使いのように遠距離攻撃を撃ってくる場合と異なり、敵自らが突っ込んでくるので質量もあるし、何より敵自身が思考するからだ。

 突っ込んでくる途中で新たに攻撃を放ってくるかもしれないし、突っ込んでくるルートを変えて変則的に動いてくるかもしれない。


「うーん……夜、大丈夫かな」

『大丈夫だよエリク兄、この洞窟の中にいれば入り口にだけ注意していればいいもの。外も広くて戦いやすいよ』


 もふっとした自分の手を組みながら唸った僕に、ウサギラパンの一匹がピスピスと鼻を鳴らしながら答えた。

 何やら兄扱いされてしまっているが、早くも彼らと打ち解けたということでいいのだろうか。いいのだろう。

 ともあれまだ7の刻を過ぎたあたり、夜まではまだまだ時間がある。それまではウサギラパン達と遊びつつこの身体の使い方を覚えていくとしよう。




 ウサギラパン達と取っ組み合いをするようにしながら遊び、戯れている間に日はどんどんと傾いていった。

 どうやらウサギラパンと融合したこの身体は一撃離脱を基本とした接近戦と、索敵能力に向いているらしく、跳躍力と瞬発力には目を見張るものがあった。

 しかし攻撃方法が拳での打撃のみになってしまうだけでなく、爪も持っていないため防御面に不安が残るのがネックだろうか。

 既に僕が身に付けているループへの変身では爪も使えるし、うまく使い分けていく必要があるだろう。

 一通り身体の動かし方を身に付けた僕が洞窟の中で携帯食料をかじっていると、何やら不審な音がすることに気が付いた。

 かじるのを止めつつ目を細め、耳を四方八方に動かす。急に張りつめた空気を纏った僕に不穏なものを感じ取ったのか、ウサギラパンが一匹僕の傍に寄ってきた。確か名前はピーノと言ったか。


『エリク兄、どうしたの?』

「静かに……何かがこっちに近づいてきているみたいだ」


 僕の言葉に、ピーノも耳をピンと立ててあちこちに首を動かす。ピーノが気づかぬうちから僕が気が付いたということは、どうやら融合によって聴力が本来の動物より向上しているらしい。

 そうこうするうちにも不審な音はどんどんこちらに、ほぼ一直線にこちらに向かってくる。聞こえてくるのは、ばさりと葉が揺れる音と、木の枝がぎしっとしなる音。

 鳥が飛ぶにしては不自然な頻度、それにリズムだ。獣の移動によって発するものだ、と予想できる。


「ちょっと表に出る。皆は大人しくしていてくれ」

『エリク兄、危ないよ! これ……』


 洞窟の入り口に足を向けた僕の背中にかかるピーノの悲痛な声。その次の瞬間に。


『へへっ、獲物が固まっているとは都合がいいじゃねぇか』


 僕の耳に聞こえてくる、ウサギラパンのそれとは異なる粗野な声色。背後でピーノが引き攣った声を上げる。

 僕は足に力を籠めて洞窟から目の前の広場に飛び出した。草を踏ん張り急ブレーキ、頭を声の聞こえた方向、崖の右手方向へと向ける。

 視界に相手の姿はなく、ただ夜闇の中に木立が広がるばかりだ。だが、何か・・は確実にそこにいる。

 果たして、僕が睨みつけた木立の向こう側から先程の声が確かに僕の耳に届いた。


『なんだぁ? ウサギコリーニョにしては随分と変わった格好してるのがいるなぁ。

 だが俺の速度に付いて来れるものかよ!』


 謎の声が嘲笑う様に告げるや否や、ばさっと一際大きな葉擦れの音が鳴った。

 瞬間、僕の頭上を巨大な影が通り過ぎる。その影は僕の左後方、崖の上の方へと一直線に飛んでいった。

 そして枝のしなる音がしたと思えば、再び葉擦れの音。先程までとは比較にならない速度で葉が揺れる大きな音が、広場に立つ僕を中心として四方八方から鳴り響いていた。

 なるほど、相手はこうして縦横無尽に動き回り、聴覚情報で辺りを埋め尽くしてから一気に仕留めるつもりなのだ。聴覚と嗅覚を頼りに行動するウサギラパンを狩るには最適だろう。

 今は洞窟の中に彼らを匿っているからまだいいが、これが平地や林の中だったらどうなっていたか分からない。


 しかし僕はただのウサギラパンではない。緩く足を開いた構えのまま、片目をすっと閉じて念じる。


「(生命よ我が声に応えよアニマルエコー!)」


 生命探知のスキルをごく小規模な範囲で発動させる。

 僕の左前方、洞窟の中で固まっている複数の反応はピーノ達ウサギラパンたちのもの。それとは別に僕の周囲、半径20m7メテロほどを動き回る大きな反応が感じられた。

 そしてその反応が僕の真後ろにやって来た瞬間。


『そこだ、死ねっ!』


 そんな声と共に木立の中から、体長1m80cm6メテはあろうかという大イタチウェッセルが僕の後頭部目掛けて弾丸のように突っ込んできたのだ。

 だが僕はこれでも、カーン神の加護を持つ冒険者見習いだ。

 突っ込んできた大イタチギガントウィーゼルをしゃがみ込んでかわすと、ぐっと縮めた脚が伸びあがる力を利用しての、全力のアッパーを繰り出す。


「たぁっ!!」

『なっ、ぐぼぉっ!?』


 果たして僕の握られた拳は大イタチギガントウィーゼルの腹部を見事にとらえ、上方向のベクトルを加えられたその巨体が宙へと舞い上がっていく。

 数刻の後に殴り飛ばされた大イタチギガントウィーゼルの身体は重力に従って落下し、広場の草地にドスーンと地響きを立てて墜落した。


『おぉー、エリク兄すごーい』

『すごーい、かっこいいー』


 洞窟の中から一部始終を見ていたのだろう、ピーノを含めたウサギラパン達がやんややんやの喝采を送ってくる。器用に前脚で拍手もしているが、どこでそんなことを覚えたのだろう。

 そちらににこりと微笑みを投げると、僕は倒れ伏す大イタチギガントウィーゼルへと歩み寄っていった。

 うつ伏せになったその巨体の傍まで寄ると、相手はピクリと身じろぎした。結構な高度から落下しただろうに、それでも息があるとはなかなか頑丈だ。

 僕は大イタチギガントウィーゼルの上にまたがり腰からナイフを抜き放つと、その首筋にピタリと当てる。ちらりと僕の方に目線を向けると、彼は小さく息を吐いた。呼吸に伴う動きで僕の身体が小さく揺れる。


『分かってるよ……俺の負けだ。参ったよ。

 お前、冒険者だろ。融合士フュージョナーとか、そういうやつ。食らった拳はそれほどでもなかったけど、タイミングが抜群だぜ、畜生め』

「それはどうも。まだ見習いだけどね」


 褒められたような馬鹿にされたような、そんな軽口に言葉を返すと、大イタチギガントウィーゼルの頭がこちらに向けられた。信じられないものを見るかのような目で、僕を見てくる。


「なんだよ」

『お前……嘘だろう、ウサギコリーニョのくせにどうして俺の言葉が分かる!?』


 言われて僕はぱちくりと目を瞬かせた。そういえば確かに、僕はこの大イタチギガントウィーゼルと苦も無く会話を成立させている。

 先程まで声を聞いていたのに、今ようやく違和感に気が付いた。

 僕は首筋のナイフを動かさないままで、まっすぐ大イタチギガントウィーゼルの目を見つめたままで口を開いた。


「もしかして、僕がカーン様の使徒であることと何か関係があるのか?」

『カーン神の使徒……だと……!? 畜生め、とんでもないのに手を出しちまったな』


 僕の発言を受けて、大イタチギガントウィーゼルががくりと項垂れる。どうやら魔物の間でもカーン神の存在位置は大きいようだ。自然を司る神である故、魔物にも敬われているのだろう。

 項垂れた大イタチギガントウィーゼルが改めて僕に視線を投げかけてきた。今度は先程と違う、懇願するような視線だ。


『……ナイフをしまってくれよ、俺にお前を傷つける意思はない。自然の代弁者を傷つけられるものか』

「そうか、分かった。それならあの洞窟の中にいる、ウサギラパン達も傷つけないと約束するか?」

『あぁ、仕方がない』


 そこまで言ったことを確認して、僕はナイフを首筋からゆっくり離した。背中からも降りて、彼の正面に回る。

 こうして間近で目にすると、体躯こそ大きく鋭い目つきだが愛嬌のある顔をしているのが分かった。そっと彼の頬に右手を差し伸べる。


「僕はエリク。この山には冒険者になるための訓練で来ているんだ。よろしく」

『俺はイヴァノエだ。ミオレーツ山の西側を縄張りにしている。ま、よろしく頼むよ使徒サマ』


 大イタチギガントウィーゼル――イヴァノエはそう言うと僕の右手に軽く頬を擦り付けてきた。

 サバイバル生活一日目。僕は早速、強力な助っ人を得ることが出来たのだった。

 ちなみにイヴァノエにウサギラパン達が酷く怯えてしまったので、初日の寝床は彼らを抱きかかえながらの就寝となったことを、ここに記しておく。



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