自然神の加護の力でのんびり異世界生活
八百十三
プロローグ・世界の狭間で
暖かい。
現実とも夢幻とも、空とも海とも、どことも知れぬ空間で浮かびながら、僕が認識したのはその暖かさだった。
まるで陽光に照らされているような、洗い立ての毛布にくるまれているような、慈愛に満ちた暖かさだ。
瞼の裏にちらつく光に誘われ、ゆっくりと目を開けると、ぼんやりとした視界が一面光で溢れかえる。
色とりどりで、眩しい。眩しいが、不思議と目には痛くなかった。
「気が付いたようですね」
ふと、女性の声が耳に届いた。優しくて、母親のような声だ。
声がした方を――上を見るように目を動かすと、丈の長い亜麻色の布地が、ひらひらとはためいているのが見えた。
スカートか、それともワンピースだろうか?装飾のない簡素なその衣服から、すらりとした色の薄い脚が伸びる。靴は……履いていないようだ。
徐々に覚醒していく脳。そして僕はようやく、自分の身体が光で満たされた空間に横たわっていることを認識した。
「あなたは」
率直な疑問が口をついて出る。それを耳にした眼前の女性は、視界の端でふっと微笑んだように見えた。そしてその顔が、一気に僕の顔のそばまで近づいてくる。
「私はルピア三大神が一柱、自然を司るもの。名をカーン、と申します。
まずは初めまして、
僕の名前を目の前で呼ばれて、ようやく僕は女性――カーンが屈みこんだことに気が付いた。
しかし、ルピア三大神?自然を司るもの?カーン?聞き覚えのない単語に、思考が混乱する。僕はどうしてしまったのだろう?
「ここは一体……? 僕は確か、部活中に気分が悪くなって……」
「そうですね、その辺りも含めて、一つずつ説明しましょう。楽にしていてください」
カーンの指先が、僕の額を優しく撫でた。ほんのわずかにひんやりとした指が、僕の思考を落ち着かせていく。
あぁ、何だろう。こうしているとすごく安心する。
そしてカーンはゆっくりと、言い含めるようにしながら、語り始めた。
「まず最初に。ここは世界の外側、この世に数多ある世界と世界の、狭間に位置する領域です。
隙間という言い方が、きっと分かりやすいでしょうね。
元いた世界であなたは、猛暑で体調を崩し、意識を失った。その際にあなたの魂は、世界の壁をすり抜けてしまったのです」
世界と世界の隙間。
世界の壁をすり抜けた。
つまり僕は今、日本に、地球に、それが属する世界に、いないということなのか。
「そうです。世界の壁をすり抜けた魂を、元の器に戻すことは困難を極めます。
残念ですが、あなたの魂を元の世界に戻す前に、器となる肉体が失われてしまうでしょう。
本来なら魂も、世界の狭間をあてどなく流れ、摩耗して消滅していくはずだった。それを、私がこの空間に繋ぎ止めたのです」
カーンが僕の思考を見透かしたように告げながら、ほんのりとその蜂蜜色の目を細めた。
説明を受けたおかげで、だいぶ自分の置かれた状況が飲み込めてきた。つまるところ。
「僕の身体は死んで、僕は別の世界へと転生する。そういうことですか」
僕の問いかけに、カーンはゆっくりと頷いた。
異世界転生。ゲームや小説でこそおなじみの題材だが、こうして実際に体験することになるとは。
いざ自分がその状況に置かれてみると、現実も案外ベタな展開を踏んでくるんだなぁと、変なところで感心する。
ほんのりと頬が紅潮する僕をよそに、カーンが言葉を続ける。
「あなたの魂が別世界へと辿り着いた時、あなたはその世界の住人として生を受けます。
そしてその命を終えた時、再び世界の壁を超えるか、その世界の中に留まるか……それはまだ分かりません。
一つはっきりとしているのは、あなたがこれから辿り着く別世界は『既に決まっている』ということです」
「決まっている……カーン様の世界に、ですか?」
僕の言葉を受けて、カーンは再び頷く。
当然の結論だ。魂を拾い上げた本人のいる世界で取り込まないのは、無責任にも程がある。
「私達の世界……『ルピアクロワ』と呼称されます。
そこは魔法が栄え、魔物や精霊が息づき、人々が身を寄せ合って暮らす安らかな世界。
ルピア三大神、カーンの名の下に、あなたをルピアクロワへと招き入れます」
そう告げるとカーンは、僕の胸元にそっと触れた。途端に周囲の景色が一変する。
色とりどりに輝く光に満ちた空間から、青く澄んだ青空のような空間へ。世界に――ルピアクロワに、立ち入った瞬間だった。
そして気が付く。僕の身体が光を帯びていることに。カーンの指先から光が迸っていることに。
「この世界で生きていくにあたって、あなたには、私の加護を授けます。
ルピアクロワの大地に在る時、私はいつでもあなたの隣に。この世界の全ての自然があなたを愛し、この世界の全ての獣があなたを愛するでしょう。
願わくば、あなたの一生が力強く輝かんことを――」
身体が帯びる光がどんどんと大きくなっていく。
カーンの声が遠く小さくなっていくと共に、僕の身体は、視界は、真っ白な光に飲み込まれていった。
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