第55話~ミョウガの天ぷら~
~新宿・歌舞伎町~
~居酒屋「
陽羽南に全員で戻ってからは大急ぎで仕込みを済ませ、掃除も済ませ、何とか時間ギリギリになってお通しの準備が済んだところで、開店時間の17時。
早速やって来た松尾さんが、エレベーターの扉が開くや血相を変えて飛び込んできた。
「エティちゃん、車に撥ねられたって聞いたけど大丈夫!?」
「えっ、別に大丈夫ですけど、もうその情報伝わってるんですか?」
入店の応対に出たエティ本人が目を白黒させている。松尾さんは新宿区内にお勤めだと言っていたから、新宿区内での事件を知るチャンスは多いだろうが、それでもただの交通事故。そんなに早く情報が伝わるものだろうか。
ほっと胸を撫でおろした松尾さんが、汗を拭きつつ口を開く。
「うちの会社でも噂になっていたんだよね、大久保での交通事故のことは……
轢かれたのが小柄なウサギ獣人の女の子だって言われてたのもあるけれど、轢いた車の運転手がうちの取引先の部長さんだったもんで」
「なるほど……そういえばお相手の会社さんから謝罪のご連絡をいただきました」
得心の行ったエティが手を叩きつつ、松尾さんをE卓に送り出していると、続いてエレベーターから降りてきた御苑さんが、表情を変えないままにエティの身体をじっと見つめた。
この人は
「……ジスクールさん、腰と首に捻挫が見られます。左腕には広範囲に擦過傷。
大きな損傷がないことはいいことですが、無理をしてはいけません。今後のお仕事にも差し障ります」
「はい、でもあの、本当に大丈夫ですから……回復もしましたし」
申し訳なさそうに苦笑しながら店内に通していくエティ。その彼女に連れられて2人掛けのF卓に通される御苑さんの表情が、ほんの僅かに曇っていた。
その後もお客さんがやって来ては、次々にエティの容態を心配してくれていた。やはり歌舞伎町の周辺にも噂は流れているようで、エティの分かりやすい外見も手伝って情報が拡散しているらしい。
その度に明るく「大丈夫ですよー、ありがとうございます」と返しているエティも、さすがに苦笑が止まらない様子だ。
金曜日ということもあって今日は来店客が多い。どんどん店内が人で埋まっていく19時過ぎ、松尾さんを見送るためにエレベーター前に向かっていたパスティータが、厨房の入り口からひょこりと顔を覗かせた。
「ねえマウロ、何あれ」
「何って? ……ああ」
てんぷらの衣を混ぜていた手を休めてパスティータの呼ぶ方に向かうと、数日前にそうだったように、エレベーターの扉の向かい側に、壁に張ったポスターの画像が捩れて中心に吸い込まれたような、空間の捩れがそこにある。
そういえば
それにしても、
「
「サハテニさん? 誰、お客さん? ……って、この店に直接
「言いたい気持ちは分かるけど、サハテニさんは異世界から直接やってくるんだよ……」
そうぼやくように話している最中。何の前触れもないままに、マントのフードを目深にかぶった大柄な男性の姿が、店内に現れる。
予想通りと言えばいいか、グンボルトだ。しかし今日は一人ではない。彼の後ろに、パスティータ程度の背丈の若い男性を一人、連れている。
そしてちょうどそのタイミングで開いたエレベーターの扉。扉が開くや否や、巨人と相対する形になったレミが、「うわっ」と声を上げたのが厨房から見えた。
レミの方にちらと視線を向けたグンボルトだったが、すぐに店内に視界を戻しつつ、ぐるりと視線を巡らせる。どうやら、間近にいるパスティータの姿は視界に入っていないらしい。
「あ、あのー……いらっしゃいませ? 二名様ですか?」
動揺しながらもパスティータが声をかけると、ようやくグンボルトの視線が下に向く。おずおずと、自分に声をかけた店員の姿を認めて、彼はこくりと頷いた。
「うむ、二名だ。また世話になる」
「お邪魔しま~す」
グンボルトの後ろから顔を覗かせた小柄な男性がにこやかに笑いかける。自分と同じくらいに目線の低い男性に面食らいながらも、パスティータは店内に一歩踏み出して手を伸ばした。
「か、かしこまりました。お席にご案内いたします。D卓2名様でーす!」
「「いらっしゃいませー!」」
店内に響く、歓待の声。厨房であくせくと働く僕達や、フロア内を行ったり来たりする面々を、背の低い男性が興味深げに視線を送っているのが見えた。
そして店内の奥まったところ、2人掛けのD卓に着席したのを確認すると、パスティータが温かいおしぼりを二つ、トレイに載せて差し出していった。
「こちらおしぼりになります。お飲み物のご注文はお決まりですか?」
「ん……今日は
「かしこまりました。一ノ蔵大、お猪口2いただきましたー!」
「ありがとうございまーす!」
「あぁそれと、エルフの娘、すまん」
注文内容を声を張って伝え、席から離れよう、というパスティータのその背中に、グンボルトが声をかける。
すぐさま振り返ったパスティータが席に戻ると、グンボルトがくい、と親指を壁の方に向けた。
「注文を。今宵出る料理の中で、この時期のアースならでは、という食材をいただきたい」
「……? はい、かしこまりました。店長に伝えてまいります」
ざっくりとした注文内容に首を傾げるパスティータだが、それが注文内容だというのなら聞き返すのも野暮というものだ。
伝票に一ノ蔵を記入しただけの状態で、カウンター越しに僕の方へとやってくる。
「ねーマウロ、『この時期の地球ならでは』の料理って、なんだと思う?」
「んー……そうだな。今日のおすすめの中で言うと」
小さく鼻を膨らましながら、数瞬僕は思案を巡らせた。
地球ならでは、というとスケールが大きすぎるが、日本ならでは、ならだいぶ候補は絞られる。今は9月の中頃、秋野菜が美味しくなってくる時期だ。
僕はこくりと頷くと、お通しのクラリス風水餃子を入れた小鉢を二つカウンターの上に置きながら、パスティータに短く指示を飛ばす。
「ミョウガ、1つ付けといてくれ。今ちょうど準備中だから、併せて作る。それとこれ、D卓のお通し」
「オッケー」
そのまま、僕の視線はカウンターの下、冷蔵庫に向かう。今日仕入れたばかりの秋ミョウガ、まだまだ在庫は充分だ。
3個ほどを取り出し、手早く水洗い。ペーパータオルに挟んで水気を切ると、そのまま溶いた衣の中に投入、衣を絡ませた後はボウルを手にフライヤーに向かう。
そうして余分な衣を落としたミョウガを、高温に熱した油の中に投入した。じゅわぁっという軽やかな音と共に、ミョウガと衣に熱が通っていく。
仄かに色づいたところで、サッと油から引き上げてバットの上へ転がし、それをミョウガの分だけ繰り返していく。
「(ミョウガ、ピクルスにするか刻んで薬味にするかしか思いつかなかったけど、天ぷらも美味しいんだよな……この間食べた時、びっくりしたし)」
あの時、勉強がてら訪れたお店の味と食感を思い出しながら、僕は籐の籠を取り出してそこに紙を敷いた。天ぷらはこういう風に盛り付けると見栄えがする、と、以前に瀧さんから教わったことがある。
油の切れたミョウガの天ぷらをミョウガ3個分、6切れを見栄えがいいように盛りつけて、塩を盛れば完成だ。
今回の天ぷらはうまく揚げられた、と思いたい。何度か練習を重ねているのだが、天ぷらを揚げるのは難しい。なかなか思い通りの揚がり具合にならないのだ。
「よし……と。D卓様ミョウガどうぞー!」
崩さないように気を付けてカウンターの上に置きつつ、僕は声を張った。
近くにいた寅司が天ぷらの盛られた籠を盆ごと手に取り、グンボルト達の待つD卓まで運んでいく。
「お待たせしました! ミョウガの天ぷらです」
「おぉっ、天ぷら、いいですねぇ~!」
「ふむ……」
小柄な男性の喜ばしい声が聞こえるのと共に、グンボルトの低く短い声も耳に届く。
僕がひそかに緊張の面持ちでいる中、二人は同時に割り箸を持ち上げ、天ぷらをつまんで持ち上げ、ゆっくり口に含んだ。
シャクッという歯切れのいい音が、二人の口から聞こえる。
そのままミョウガを咀嚼して、一ノ蔵を注いだお猪口を持ち上げ、ぐっと飲み干した二人は。
「ほう……」
「はぁ~」
揃って、感嘆の声を漏らしたのだった。
どうやら、僕の作る天ぷらには満足してもらえたらしい。そっと胸を撫でおろしていると、グンボルトが何やら寅司を呼びつけて、二言三言話しをしている。
寅司はこくこくと頷くと、真っすぐにカウンター奥にいる僕のところまでやって来た。
「店長、あのお客さんから伝言です。
『今日もいい塩梅だった。ついては、しばし長いこと滞在する。店を閉めた後の頃に、店員も含めて時間を頂戴したい』……だそうです」
「閉店後……?」
伝えられた伝言に、僕は大きく首を傾げた。
突然告げられた、グンボルトからの謎の申し出。
訝しむ僕をよそに、グンボルトと同行者の男性は天ぷらをつまみながら、にこやかに酒杯を傾けているのだった。
~第56話へ~
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