第31話~こでまり~

~神楽坂・神楽坂~

~海鮮居酒屋「こでまり」 神楽坂店~



 株式会社リンクスの展開する居酒屋は、何種類かのブランドに分かれている。

 個室居酒屋「れん」、海鮮居酒屋「こでまり」、串焼き居酒屋「鳥天地とりてんち」、そして異世界居酒屋「陽羽南ひばな」。

 いずれの店舗も新宿区を中心に展開しており、それぞれのカラーを出しながらお客さんを出迎えている。


 今回僕がヘルプを頼まれた「こでまり」神楽坂店は、東京メトロ東西線神楽坂駅から徒歩3分、早稲田通り沿いのビルの1階に位置する。

 海鮮居酒屋の名の通り、新鮮な魚介類と和の粋を凝らした料理が売りの店舗だ。その分、客単価は陽羽南や簾よりも高く設定されている。

 開店時間は17時。現在の時間が14時半だから、お店が開くまでは多少の時間があるとはいえ、早く準備するに越したことはない。

 僕はスマートフォンを取り出すと、政親から教えられていた「こでまり」店長の高清水たかしみずに連絡を取る。数度のコール音の後、スピーカーの向こうから声がした。


『高清水です。マウロ君?』

「はい、マウロです。お店の前に到着しました。もう入って大丈夫ですか?」

『早いね、有り難い。いいよ、ビルの裏手に回ってくれるかな、勝手口から入ってきて』


 電話口の高清水の声は溌溂として明るい感じだ。少しイメージしていた印象との違いを感じながら、僕は早稲田通りから一本奥に入った通りで、目的の勝手口を探す。

 程なくして「こでまり」とでかでかと扉に書かれた扉を発見すると、そうっと扉を手前に引いた。

 ら。


「来た来た。ようこそ「こでまり」へ」


 扉のすぐ向こうで待ち構えていた30代後半と思しき男性が、僕に笑顔を向けてきた。

 唐突な出迎えに僕の耳と尻尾がびくっと震える。気を持ち直して扉をくぐり、手を添えつつそっと閉めると、僕は出迎えてくれた男性に頭を下げた。


「「陽羽南」からヘルプで来ました、マウロ・カマンサックです。二日間、お世話になります」

「店長の高清水です、よろしく。他のメンバーにも紹介するよ。バックヤードに案内するからついてきて」


 男性――高清水が彼の後方へと指を向ける。僕はもう一度頭を下げると、歩き出す高清水の後をついていった。

 ビルの1階を使っているからか、神楽坂という立地のせいか、「こでまり」の店内は「陽羽南」の店内よりもスペースが広く余裕のある作りだ。

 案内されたバックヤードも広くスペースを取られており、なかなか快適そうな空間が出来ていた。

 そしてそのバックヤードに入ると、他のメンバーがそこに集まっていたのだろう、4人のメンバーが既にくつろいでいた。

 高清水がバックヤード中央のテーブルに腰掛ける、初老の男性に視線を投げる。


「全員揃って……いないか。山本やまもとさん、サレオス君は?」

「今トイレに行っています」


 男性――山本の返答を受けて、高清水は首を傾げつつ後頭部を掻いた。どうやらもう一人、人員がいるらしい。


「ん、まぁ、マウロ君の到着が予定より早かったし、仕方ないか。

 マウロ君、そこのロッカーの一番右端をつかっていいから、荷物先に入れちゃって。着替えも入っているから」

「あっ、はい……失礼します」


 バックヤードの中に立ち入り、既に入っていた他のメンバーに頭を下げる僕。

 獣人ビーストレイスである僕の姿を目にして二人ほどが小さく驚愕の声を上げたが、まぁ全く無反応であるよりは気が楽だ。

 肩にかけていた鞄をロッカーの中にしまうと、厨房仕事用のシャツに袖を通す。陽羽南で使っているものと違い、清潔感を重視した真っ白なシャツだ。

 着替え終わってロッカーを閉めても、残る一人のメンバーがバックヤードに姿を見せる様子はない。

 首を傾げる僕に、山本が声をかけてきた。


「マウロ君は、陽羽南から来たんだっけ?」

「はい、そうです」

「ちょっと手を見せてもらえるかな」


 山本が僕に右手を差し出してきた。促されるままその手の上に、僕も右手を出す。黒い肉球の備わった僕の手を、山本は愛おしそうに撫でた。


「……うん、長いこと包丁を握って来たのがよく分かる。経験を積んだ、いい料理人の手だ」


 僕の掌の肉球を撫でながら、山本の目が嬉しそうに細められる。まるで親が子の手を慈しむかのような手つきだが、料理人として褒められるのは悪い気はしない。

 と、山本と一緒にテーブル周辺の椅子に座った若い男性と女性のメンバーが、僕の手を覗き込んできた。そのままにやりと笑いつつ、山本を茶化しにかかる。


「とかいって山本さん、犬獣人のマウロさんの手を触りたかっただけじゃないんですかー?」

「言えてる、山本さん犬飼ってますもんね。でも、獣人の人にも手に肉球ってあるんですねぇ」

「ちっ、違う! 私は彼の料理人としての経験をだな……」


 若い男女にからかわれ、山本の頬が朱に染まる。その間僕はずっと山本に右手を握られているわけで、動けない。というか手をずっと見られていて、ちょっと恥ずかしい。

 どうしたものかと悩んでいると、バックヤードに駆けこんでくる人影があった。


「わわっ、すみませんすみません、皆さんもうお集まりだったんですか!?」


 駆けこんできたのは小柄な黒猫の獣人ビーストレイスだった。

 真っ黒な毛皮に一点だけぽつりとある、額の白い紋様が目立っている。体格は僕の半分程度とかなり背が低い。紫色の瞳は大きく、垂れ目なせいもあって酷く幼く見えた。

 高清水さんが猫の獣人ビーストレイスの頭をぽんと軽く叩く。


「やっと来たかサレオス君、待っていたよ。ということで全員揃ったし、紹介しようか。

 今そこで山本さんに手を握られてるのがマウロ君。大綱さんの代わりに「陽羽南」から派遣されてきたヘルプ要員だ。

 二日間という短い間だが、よろしく頼むよ」

「あっ……えーと、「陽羽南」から来ました、マウロ・カマンサックです。皆さんよろしくお願いします」


 高清水に紹介されて、僕は山本に手を握られたままで皆さんに向かって頭を下げた。

 初老の山本は料理長、山本をからかった男性の方が十文字じゅうもんじ、女性の方が平泉ひらいずみ、共にホールスタッフ。

 もう一人最初からバックヤードにいた女性が能代のしろ、こちらは厨房スタッフ。そしてトイレから駆け戻って来た猫獣人がホール/厨房兼務スタッフのサレオス。

 以上6名が海鮮居酒屋「こでまり」神楽坂店のメンバーだ。

 本来はここに厨房スタッフの大綱おおつなが入るのだが、その大綱が急性胃腸炎にかかったため、僕が呼ばれたというわけである。


 自己紹介をそれぞれ終えたところで、高清水がパンっと手を叩く。


「さ、自己紹介済んだことだし仕事するよ! 山本さんはマウロ君に店のレイアウトと冷蔵庫の場所を教えてあげて」

「はい。それじゃマウロ君、厨房を案内するからついてきて」

「はい、お願いします」


 山本が僕の手から手を離して、スッと椅子から立ち上がる。

 そのまま彼の後についてバックヤードを出ていく僕の背中を、じっと見つめるサレオスの姿に、僕は気付かない。

 やがて一人の姿もなくなったバックヤード、足音も静かにその場を立ち去るサレオス。


「彼が……異世界・・・からの、人ですか」


 ぽつりと呟いたサレオスの言葉を耳にしたものは、誰も居なかった。



~第32話へ~

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る