第22話~夏季休暇~

~新宿・歌舞伎町~

~居酒屋「陽羽南」~



「へー、それじゃそのまま、レミ君就職してったんだ?」


 レミを市役所に連れて行き、新宿区と僕達の世界の謎の繋がりを知らされた、その日の午後。

 僕はいつも通り出勤し、澄乃以下、本日共に仕事をする面々に事のあらましを話していた。


「はい、剣術と体術の技能スキルを高レベルで有していたのが大きかったようで。

 これから住居を見に行って、その足で会社の面接を受けに行くそうです」

「へー、スムーズに済んでよかったねぇ。ちなみにどんな会社?」


 床を掃除していたパスティータが嬉しそうな声を上げる。少しだけしか顔を合せなかったとはいえ似た境遇だ、思うところもあるのだろう。


「渋谷区にある警備会社だって。そこでビルの警備員とかすることになるそうだ」


 住居は新宿区。勤務先は渋谷区。恐らく、レミには電車通勤が発生することになるのだろう。

 この国の、特に東京の電車の混雑は世界一だとよく聞く。それはもう、地獄のような有り様だと。

 電車の乗り方のレクチャーも兼ねて、レミに電車を体験させた方がよさそうな、そんな気がしてくる。交通系ICカードも作った方が便利だし。


「まぁ、かくやすしむ・・・・・・のスマートフォンも契約して、連絡先を交換したことだし、何かあれば連絡が来るだろう……たぶん」


 さすがにこのご時世、スマートフォンが無いと連絡の取りようがないという事情もあり、諸般の手続きが終わって住居の内見をしに行くまでの間に、家電量販店に行ってスマートフォンを契約したのだ。

 僕達もこの世界に来てまずやったことは、スマートフォンの契約だったし(その際は政親がついてきて契約までやってくれた)。

 小さい物から大きなものまで色とりどりの画面を映すスマートフォンを目の前にして、文字通り目が点になっていたレミの様子を思うと、慣れるまで時間を要しそうだと思ったが、敢えて口には出さないでおく。

 ともあれ、レミもこうしてこの世界での生活の第一歩を踏み出したわけだ。

 8月初旬の夏真っ盛り、酷暑と言うべき暑い最中なのが、少々哀れに思うところだが。


 ――と、そこで僕はふと作業の手を止めた。

 8月?


「あ」

「……?マウロちゃん、どうした?」


 不意に動きを止めて声を漏らした僕に、澄乃が怪訝そうに問いかける。対して僕はそれに答えず、掃除を続けるパスティータに視線を投げかけた。


「パスティータ、20歳の誕生日、先週じゃなかったか?」

「えっ? そうだっけ?」

「そうだよ、先週の火曜日だろ、お前の誕生日」


 配達業者が運んできたサケの段ボールをカウンターの上に置きながら、アンバスが呆れたような声を出した。

 パスティータの誕生日は僕達の国シュマル王国の暦で波月28日。こちらの世界の暦に直すと7月28日。

 そして今は既に8月に入っているため、この世界に来る時に19歳だったパスティータは、20歳になっていたというわけなのだ。

 20歳になったということは、つまり。


「じゃあさ、じゃあさ、あたしもうお酒飲んでもいいってことだよね!?」


 やはりそうだ。その事実に思い至らなくて、パスティータが喜ばない訳はない。

 シュマル王国は16歳から、飲酒が認められる国だった。故にこちらの世界に来る前は、パスティータは僕達と共に平然と酒杯を傾けていたわけなのだ。

 それがこちらの世界に来てからというもの、一滴も酒を飲めずにいたため、それはそれは悶々としていたのである。


「二十歳のお誕生日ですか、成人ですね! おめでとうございます!」

「セイジン?」


 机を拭いていた寅司が発した耳慣れない言葉に、首を傾げるパスティータ。寅司は何度か頷いて「大人になったということですよ」と説明してみせた。

 それまで社会から子ども扱いされていた事実を言外に突きつけられ、その説明を聞いた後にちょっと憮然とした表情になったパスティータである。


「なんにせよ、酒が飲めるようになったならお祝いしないとな。今まで飲めなかった分、たんまりと飲みたいだろ?」

「あっ、じゃああたしあそこの店行きたい! あのほら、会社の傍にある鶏レバーが美味しいお店!

 あそこ日本酒がいっぱいで美味しそうだったけど、ビールもみんな飲んでて美味しそうだったし!」


 最早掃除のことなどすっかり頭から抜け落ちたパスティータが、腕をぶんぶんと振りながら口を動かす。

 リンクス株式会社の本社近くにある、鶏レバーが美味しいお店と言ったら、まぁあそこのことだろう。予測は簡単だ。

 会社の上層部も認めるほどのいい店である故に、そこでお酒を飲みたいというパスティータの気持ちも、よく分かる。

 だが、僕は腕組みをして唸った。


「だが……あの店は確か日曜日が休みだったはずだ。

 僕達は休みの日がバラバラだし、昼からお祝いをしたら後の仕事に差し支える。

 店を休みにするのも……」

「あるじゃないか、店が休みの日が」


 僕達全員が仕事を休みの日曜日が休みの店に、どうやって行き、どうやって仕事に差し障りのないように酒盛りをするか、頭を悩ませる僕に助け舟を出したのは澄乃だった。

 全員の目が一斉に厨房の澄乃に向く。腰に右手を当てて自信ありげな彼女の手には、今月のカレンダー。


「忘れたのかい、来週の月曜から水曜まで夏季休暇・・・・だから、お店は休みだよ」

「「カキキューカ?」」


 あぁ、と得心が行ったように手を打つ寅司を除いた四人の声が揃う。


「夏季休暇というのは、要するに夏休みのことです。皆さん、遠くに遊びに行ったり実家に帰られたりするんですよ」

「あー……つまりヴァカンスか」


 寅司の説明に、ようやくその場の全員が理解した。

 シュマル王国にも季節に伴う長期休暇ヴァカンスは存在した。その休暇は収穫祭に伴う晩秋の時期だったので、夏の時期にというのは予想していなかった。

 詳しく話を聞くと、この世界では夏に長期休暇を取るのは一般的なことだそうで、期間の長短こそあれど数日から十数日の休みを取って、羽を伸ばしたり里帰りしたりするのだそうだ。


「私たちは里帰りしようにも元の世界には帰れないし、旅行と言われてもこの東京だけで精一杯だからな」

「ま、その辺りは好きにすればいいと思うけどね。ともかく、そのタイミングでパスティータちゃんの誕生日祝いをするのも、悪くは無いんじゃない?」


 シフェールが顎に手をやりながらそう言って目線を宙に泳がせると、澄乃は苦笑しつつ人差し指を立てて見せた。

 確かに、僕達は遠方に足を伸ばして旅行をするにも新宿区の中だけで充分に満喫できてしまうし、里帰りはそもそも不可能だ。それなら変に遠出をせずに近場で休暇を完結させるのも、悪くはない。


「じゃ、後で日程とか決めようよ、時間とかも!」

「そうだな、今日はこれから店を開けなきゃならないし。準備も途中だからな」


 どうにかして軌道修正して開店準備を再開しないと、と思っていたら、意外にもパスティータ自身が方向転換した。そのチャンスを逃さず僕が皆に声をかける。

 僕の言葉をきっかけに皆が今やるべきことを思い出したらしい。少し慌てつつ掃除や料理の仕込みを再開した。


「(さて……日程が決まったら店の予約なんかもしないとな。まずは準備だ、準備)」


 僕は気持ちを切り替えつつ、コンロの火にかけた鍋をかき混ぜる。本日のお通しとして提供する、大豆とニンジンの煮物がくつくつといい音を立てていた。



~第23話へ~

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