魔王城の幻影

奏音

第1話

「いよいよ、ここまで来たか…」

 薪が爆ぜる音が響く。見上げると、篝火の明かりに黒い影が浮かびあがっていた。 古い石造りの大きな館…城、と呼んだほうがいいかもしれない。長い年月を経て風化した石の表面は、光が当たってもそれを返すことはなく、まるで闇のように吸い込むばかりだ。

 目の前には、木製の大きな門。固く閉ざされた扉は、外から来るものを拒絶しているようにも、中により濃い闇を閉じ込め吐き出さぬようにしているようにも見える。その想像は、どちらもきっと正しい。


「準備はいいか?」

 先頭の男が振り返ってそう聞くと、二つの人影が小さく頷いた。

「雑魚はおまかせを。私が魔術で焼き払って見せましょう」

 そう言うのは、豪奢なローブをまとった《賢者》だった。知的な表情に鋭い視線。杖を軽く振るっただけで、周囲に焔が巻き上がり、下草を焼く。 

「全力でサポートします。勇者さまは迷わず突撃してください!」

 と、こちらは白い聖衣をまとった、金髪の《僧侶》。幼さを残す顔には、しかし揺るぎない決意が浮かんでいた。

「よろしく頼む!もう少しだ…奴を倒しさえすれば、平和が手に入る」

 見上げた先には黒く聳える城があるばかりで、誰の姿も見えない。だが間違いなく彼らの敵はここに潜んでいる。…いや、潜んでいるという言い方は正しくないだろう。なぜならその敵は自らの力を信じ、人間たちに自らの居場所を隠すことさえしていない。


 魔王城。絶海の孤島に立つこの古城は、人間からそう呼ばれている。もっとも、その様式は人間の王国にあるものとほとんど変わらない。当然だ、奴らはこの城を乗っ取っただけであって、自分で建てたわけではないからだ。

 魔王城と言うからにはここには魔王が居座っている。数年前突如として現れ、圧倒的な魔物の軍勢を引き連れ人類に宣戦布告を行った魔物の王。人類は全力を持ってこれに抗ったが、各国の軍が総力で戦っても膠着状態に持ち込むのが限界だった。

 そこで、王国は民間から遊撃部隊として働く冒険者を募集し、中でも優れた能力を持った者に《勇者》の称号を与えることになった。もちろん一人ではなく、何人か…その仲間を含めれば数十人かが、魔王討伐部隊として旅立っていった。無論、実際に魔王を倒してくれるだろうなどと、甘いことを考えていたわけではない。

 《勇者》たちとは要するに、魔王軍にゲリラ戦を仕掛け、その後方をかき乱すための存在だ。そして、《勇者》の存在を大げさに喧伝することで味方の士気を上げ、民衆の不安は減じるというアイドル的存在に過ぎなかった。事実、旅立った勇者パーティのほとんどは半年しないうちに全滅するか逃亡し、三年経った今では片手で数えるほどしか残っていない。

 …それでも、王たちは予想しなかったろう。望みながらも期待しなかったろう。こうして実際に魔王城まで攻め込む、《勇者》とその仲間が現れるとは。


「開けるぞ」

 《勇者》が扉に手を当てて言う。仲間たちは答えず、ただ短く頷いた。沈黙を肯定と取ったのだろう。《勇者》は腕に力を込め、観音開きの扉を押し広げていく…

「…ッ!」

 とたん、闇があふれ出した。濃密な獣の気配が場を満たしていく。

 先駆けは比較的小さな、どろりとした軟体の魔物。辺境に棲む青い原種と姿形は似ているが、その能力は段違いだ。体全体が強酸性を帯びており、触れたものは剣でも鎧でも一瞬でぼろぼろにし、人間の体ならあっという間に溶けてなくなる。だが《勇者》は、迷わず剣を振り抜いた。淡い燐光を放つ白銀の剣は、狙いたがわず魔物を両断し、その核を破壊する。なんでも腐食させる魔物は、逆に崩れてその形を失った。

 《勇者》の剣は高位の《僧侶》と《賢者》によって魔法付与された片手半剣。この程度の相手にどうにかされるようなものではない。同様に、鎧も盾も強酸になど溶かされることのない名品だ。だが、さすがに数が多い。《勇者》を取り囲む魔物の数はすでに十以上。これらが一斉に飛びかかれば、さすがに多勢に無勢、押し込まれるだろう。


 魔物が殺到する。《勇者》が退く。多少距離を取ったところで、この数相手では意味がない…。しかし次の瞬間、頭上から降り来た火球が魔物の群れの中心で炸裂し、半径数メートルを一瞬で焼き払った。今度は、残骸さえ残らない。魔物たちは炎上と言うより蒸発し、灰になることすら許されずにこの世から消滅する。無論、火球を放ったのは《賢者》に決まっている。《勇者》は呪文の詠唱時間を稼ぐために切り込み、《賢者》はまさに魔物が襲い掛かる瞬間、大火球の呪文を放ったのだ。

 特に示し合わせたわけではない。だが、この程度のコンビネーションが成立しないようでは、魔王城になどとても届かないのだ。

 敵は軟体の魔物だけではない。動く骸骨に石の巨人、小型の竜種、雲をまとった亜精霊。下級の魔族に果ては宝箱までが即死の呪文を引っ提げて襲い掛かってくる。だが、どれも《勇者》たちを止めるには力不足だった。《勇者》の剣はどんなに硬い鱗をも切り裂き、《賢者》の呪文は十体からの魔物を一瞬で吹き飛ばす。そして僅かに傷を与えたとしても、《僧侶》の祈りがすべて癒してしまう。古城には魔物たちの遺骸だけが累々と積み上がり、一行は大きな怪我も、そして大した薬の消費もなく魔王城のなかほどまでに進んだ。


「この扉、使えますね。施錠の呪文をかけておきましょう」

 食堂のような部屋に入ったところで、振り返った《賢者》が言った。肉体的には大した問題は起きていないのだが、さすがに連戦に次ぐ連戦だ。精神のほうはやや摩耗しているかもしれない。《賢者》が両側にある扉に施錠の魔法をかけ、《僧侶》が部屋全体に聖なる結界を張った。これで、大半の魔物は部屋に入ることすらできなくなるだろう。結界を破れるとすれば魔王くらいだが、わざわざ出向いてくれるというならそれはそれでいい。最上階を目指す手間が省ける。

「今のうちに、お弁当を食べませんか?勇者さま」

 食堂に十脚以上もある椅子の一つに腰かけ、《僧侶》が言った。《勇者》は《賢者》と一瞬目配せして、すぐに「そうだな」と同意した。各自、背嚢から弁当の包みを取り出し、机の上に広げる。中身は豪勢なランチバックで、サンドウィッチをはじめとしてぎっしりと料理が詰まっている。旅の空でこうした食事は珍しい。昨日、立ち寄った村の宿屋の女将が、出がけに渡してくれたのだ。《勇者》一行が魔王征伐に来たと聞いて、ひどく感激したらしい。普段は、携帯食料…野菜と肉を一緒くたに煮て、のちに乾燥させたもの…のような、栄養はともかく味もそっけもないものばかりなので、素直にありがたかった。

「いただきますっ」

 弾んだ声を上げて、《僧侶》がパンに齧りつく。《僧侶》としてはほぼ最高位にまで位を高めた彼女だが、こういう時は以前と変わらぬあどけなさを覗かせる。《勇者》と《賢者》はその光景を微笑ましく思いながらしばし見つめて、それから自分たちの食事にとりかかった。弁当は非常に美味しかった。結構な量だったが、戦いの後で空腹だったこともあり三人はぺろりとそれを平らげてしまう。《賢者》がポットの香茶を啜る向かいで、《僧侶》が満足そうに頷いていた。

 …変わらないところもあれば、変わったところもある。皆、こうして戦いの合間、ダンジョンの中でさえ穏やかに食事ができる。昔は、こうはいかなかった。自分たちの倒した魔物の血や内臓を見て食欲が減衰し、食べなければもたないからと無理して胃に詰め込んだ。そのくせ、戦闘になると緊張感に負けて、折角食べたものを戻したりしていたっけ。《勇者》は、そう回顧した。血なまぐさいものを見ても平気になるというのは、心がどこか壊れ始めている証なのかもしれないが、魔王との決戦を目前にした今はむしろ頼もしい。

 食事を終えても一行は、小一時間ほど食堂にとどまった。別に恐怖に駆られたわけでも、立ち去りがたかったわけでもない。魔王との決戦を控えているのだから、少しでも英気を養いたかったのだ。だいたい、食べてすぐに激しい運動をするのは得策ではないだろう。魔王に負けた理由が腹痛ではいくらなんでも恰好がつかない。十分に休んだと判断してから、三人は食堂を出る。


 食堂で休んだのは正解だったようだ。部屋を出て短い廊下を抜けるとすぐに、大きな螺旋階段が見つかった。どうやら城の上下の移動は、この尖塔が担っているらしい。狭い足場での戦闘は楽ではなかったが、それでも歩みを止めるには到らない。二階、三階と容易に突破し、ついに最上階へと到達する。厳密に言えば、尖塔の頂上が最上階なのだろうが、そちらは開放式の狭い鐘楼だ。魔王が座するにはあまりにもそぐわない。

 高い天井に巨大なステンドグラス。床に敷かれた赤い絨毯。魔物に人間の趣味が理解できるとも思わないが、主が変わっても城の装飾はそのまま残されていた。単に撤去する理由がなかっただけかもしれないが。

 決戦の場は、謁見の間のようだった。これは、実に具合がいい。画になるとかそういう話ではなく、広く戦いやすいからだ。もっとも、それは向こうも同じだろう。最後の階段を上ると、そこに、魔王が佇んでいた―――。

「魔王!」

「これはこれはニンゲンども。わざわざこんな辺境まで、ご足労なことだな。茶でも出すか?」

 嗄れた、低く聞き取りづらい声で、魔王はそう宣った。人間の言葉を話すのは得意ではないのかもしれない。その割には流暢だったが。

 翼をもつ赤銅色の圧倒的な巨体。ゆえに人間用の椅子には座れなかったようで、かつてそこにあったはずの玉座だけは取り外されていた。かわりに、玉座を戴く階段状の足場に、直接腰かけこちらを窺っている。完全にリラックスしているようで、片腕で頬杖をついていた。全身を覆う鎧のような筋肉。さらにその上に、金銀と宝石で飾られた鎧をまとっている。頭部には、王冠のような巨大な角。指から生えた鉤爪だけでも武器になりそうなのに、背後には明らかに人間用ではない巨大な剣が立てかけられていた。

 ―――これが魔王。人間の敵。

「巫山戯るのも大概にしてもらおう。俺たちはお前の首を獲りに来たんだ」

「冗談の一つも嗜めんとは、つまらん男だな。それとも、我の首を獲るというのが貴様の冗談なのか?」

「冗談のつもりはない」

 思っていたのとは、多少違う。ずいぶんと口数の多い魔物だ。高位の魔族の中には人語を解するものも少なくないが、こんな言い回しをする輩には、終ぞ出逢ったことがない。いや、油断するな。こちらを煙に巻く罠かもしれない。

 《勇者》は剣を抜くと、それを水平に頭の横で構えた。剣技の中でも、とかく敵陣に切り込むことを目的とした神速の突きだ。その速さは度々、獲物を狩る隼に例えられる。

「武器を取れ。戦う気がないならこのまま殺す」

 十分に殺意を込めて睨み付ける。問答無用で斬りかからなかったのは、別に騎士道精神を顕したわけではない。伏兵やトラップがある可能性を捨てきれないからだ。うかつに動ける相手ではない。敵は魔王、魔族の首魁だ。

 しかして、魔王は動かなかった。

「つまらん」

「なんだと?」

 頬杖の姿勢を崩さぬまま、魔王は呟くように言う。

「ニンゲン、貴様程度では我の敵には値せぬ。悪いことは言わぬ、出直してこい」

 呆れたような物言い。安い挑発ではなく、どうやら本気で言っているらしい。だからこそ、《勇者》の沸点を下げるには覿面だった。

「ほざけ!!」

 今度こそ、《勇者》は止まらなかった。魔王との間の彼我の距離、十メートルほどを瞬くほどの間に駆け抜け、閃光のような一撃を放つ。狙いは首…突き入れ、横に引き裂く致死の一撃だ。いままでこの技を使って、討てなかった魔物はいない。

 だが。

「児戯なら他所でやれ」

 魔王が防いだわけではない。切っ先は狙いたがわずその首へと当てられている。けれど、渾身の一撃をもってしても、魔王の皮膚を食い破ることすらできなかったのだ。剣を突き立てたはずの首には、傷一つついていない。

 《勇者》は思わず飛び退く。赤絨毯に着地して剣を構えなおしたが、依然として魔王は動かなかった。

「失せろ、ニンゲン」

「クッ…!」

 侮られている。攻め込んできた相手をわざわざ返すというのは、敵としてすら見られていないということだ。なんという屈辱だろう、魔王を討つこの日のために、何年も辛い道のりを歩んできたというのに!

「ここで退いて…たまるかッ!」

「落ち着いてください、勇者さん」

 横合いから声がかけられた。熱くなった《勇者》とは対照的な、凍土のように冷えた声。

「賢者!?」

「一人で無理をしないでください。私たちの存在を忘れてもらっては困ります」

「そうですよ!今までだって、ずっと一緒にやってきたじゃないですか、勇者さま!」

 《僧侶》も。そうだ、柄にもなく熱くなっていた。俺は一人でここまで来たわけじゃない。俺一人が強かったんじゃない、皆で力を合わせたから、魔王に挑めるほどに成長できたんだ。

「勇者さま、守備の祈りをかけます。全力で戦ってください」

「勇者さん、攻撃力倍加の呪文を唱えます。今度こそ、奴を」

「…わかった」

 頭の芯がすっと冷えていく。けれど、闘志が消えることはない。剣を、今度は正眼に構える。《勇者》にのみ与えられる究極の剣技。あらゆる困難を打ち砕く究極の一撃。まして、仲間二人の想いまで載っている。これで、破れぬ敵などいまい!

「魔王、お前を討つ」

「退かぬか、ニンゲン」

「ああ」

 はじめて…魔王は、僅かに体を動かした。ぴくりと眉を動かし、それから空いているほうの腕を上げた。人差し指をこちらに向ける。何かの攻撃の準備だろうか?

「残念だよ、ニンゲン」

 何の攻撃かは解らない。だが、素直に受けてやる義理はないだろう。撃たれる前に、討つ!

 《勇者》は駆けだした。赤絨毯を巻き上げ、疾る!僅かに一秒の距離。

 剣は…届かなかった。

「なん…だと…!?」

 急に、全身の力が抜ける。視界が歪み、意識が朦朧とする。剣を取り落しそうになるのを必死でこらえ、杖のようにして倒れるのを防ぐ。なんらかの術を使われたのか?こういう状態異常の治療には、《僧侶》の祈りが最適だ。力を振り絞って、助けを求めるように振り返るが、後ろの二人も同じように朦朧としているようだ。なにをされたのかはわからないが、広範囲に効果を及ぼす術だったのだろう。

 詠唱や祈りには集中力を要求される。こんな状態ではとても使えないだろう。あとは道具くらいしか頼れるものはない。背嚢の中には万能薬が入っている。今にも千切れ飛びそうな意識をつなげ、《勇者》は背嚢に手を伸ばし―――そこで力尽きた。

「く……そ……」

 どさり、と自分の倒れる音だけが、やけに大きく響く。瞼がまるで石のように重い。

 薄れゆく意識の中で、魔王がなにか呟くのが聞こえた気がした。


「良い夢を」

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