1-01『こんな魔術は嫌だ1』

 父の葬儀から、この日までに三か月の時間が経っていた。

 前触れなく届けられた訃報。死に目を見るどころか遺体と再会すらできず、ただ葬儀を執り行うことだけが日下くさか代介だいすけに許された唯一の別れの儀式だった。

 涙すら今日まで流せていない。


 とはいえ、もともとあまり折り合いがよくなかった。というより父と交わした会話など数えるほどしか思い出せない。

 肉親とはいえ、悲しむほどの記憶がなければこんなもの。


「だから、そんなに気を遣わなくて別にいいんだぜ――緒時」


 代介はそう言った。


 いっしょに買い物に行こう、なんて珍しく誘ってきた高校の後輩――砂流すながれ緒時おときに告げた言葉である。

 なにせいっしょにいた時間も、いっしょにいる時間も長い相手だ。自覚しないところで心配をかけていたのかもしれない、と思って言った代介に、緒時は柔らかな笑みで。


「え、何がっすか?」

「……俺を心配して誘ってくれたんじゃないのか?」

「いや単に荷物持ちが欲しかっただけっすけど」


 あっけらかんと言われてしまっては、勘違いを恥ずかしがるところにも届かなかった。


「珍しいと思ったら……」

「そっすかね? いつも季節ごとに頼んでる気がしますけど……いやあ、そろそろ夏物を揃えておきたいと思ったんっすよねー。ここは頼れるおにいちゃんに頼みたいなーって」


 代介の自室だった。

 にへらと笑う緒時に、悪びれた様子は一切ない。からかっているわけですらなく、このくらいなら甘えてもいいと当たり前に捉えているだけのこと。

 代介も溜息はつくけれど、特に嫌な気分になるわけではなかった。とはいえ多少の文句くらいは、彼からも当たり前に言わせてほしいところ。


「こういうときだけ都合よく兄扱いか?」

「実際、ほんとーに兄になったじゃないっすかー。少なくとも法律上は」


 日下代介に両親はいない。

 母は物心つくより前に亡くなっており、唯一の肉親だった父も三か月前に喪った。そのことに寂しさを覚えていないのは、世界を飛び回り滅多に帰らない父の代わりに、砂流の一家が代介の面倒を見ていてくれたからだ。

 認識の上では、ほとんど家族にも等しい。

 そして今は、緒時の両親が法律上の後見人になってくれている。

 養子に入った代介にとって、確かに緒時は妹と呼んで間違いではない存在なのだ。


「……さすがに、お前を妹と思ったことはないんだけどなあ」

「えー。それ喜ぶべきか悲しむべきかかなり微妙っすけど、どう受け取るべきっす?」

「好きにしてくれりゃいいよ」


 と告げた代介に対して、じゃあ好きにするっすー、と適当に答える緒時。

 今いる日下の家から、砂流の家まで百メートルも離れていない。家にほとんど寄りつかなかった父のこともあって、幼い頃から砂流家で時間を過ごすことも多かったが、やはり基本的には実家のほうで暮らしていた。砂流の家に、あまり迷惑をかけたくなかった。

 だから緒時に対する印象としては、やはり近所の幼馴染み、同じ高校でひとつ下の後輩というものが強い。

 基本的には崩した敬語、というか下っ端口調っぽい緒時には、ただの友人より近く、けれど家族というには明確に線引きのある相手と認識している。

 とはいえ今は、本当に家族になっているのだが。

 三か月では、むしろそちらに慣れない気分だ。


「ただまあ実際に心配ではあるんすよ? いや別にだいにいが落ち込みすぎて危ないとまでは思ってないっすけど。これ、緒時ちゃんなりの気遣いっす」

「それだけ聞くと、親が死んでも悲しめない冷血野郎みたいだけど……まあ、そうだな」

「……そうは言わないっすけど」

「わかってる。悪いな、あれから砂流の家のほう行ってなくて」


 親密だからこそ言える台詞。言葉通り、本当に気遣ってくれてはいるようだった。

 ただ、ショックが大きくないことも本当ではあった。

 険悪ではなかったけれど、実の父にもかかわらず接点が少なかったことも事実で、なんだか実感がない。いなくなったのもいなかったのも、大した違いはないと思ってしまうような。

 それより、今は生きている緒時に、妙な気を遣わせてしまうことのほうを避けたい。


「片づけとかもあったけど、親父の書斎……ようやく入れるようになったからな」


 代介は言った。

 この三か月ほど、学校以外はほとんど出かけず、砂流家にも寄りつかなかったのは事実だが、その理由は緒時が心配するような深刻なものではなかったのだ。


「……まさか、代兄」

「親父の書斎の本、ようやく読み切れそうなんだよ。……いや、三か月もかかるとはな」

「本読んでただけなんすか!?」


 目を見開き、ひょえー、と手を上げる緒時。オーバーなリアクションだったが、確かにちょっと悪いと思う代介だ。

 開かずの書斎。父が生きている間はついに一度も入らなかった、本に溢れた部屋を整理していたのだ。これまでは入るなと言われていたが、その約束も終わりになった。


「ひえー、びっくらびっくら。……これ、緒時ちゃんなりの驚きの表現っす」

「実はあんま驚いてないだろ、お前」

「や、驚きましたよ。ただ代兄らしいなあ、とも思うだけで」

「それはどうなんだ……や、悪かったよ。すまん」


 じとっと睨まれてしまった辺り、ばつの悪い代介だ。

 肉親の死から三か月、そんな風に家に閉じこもっていた理由が読書と知られては、さすがに申し訳ない気分にもなる。


「何読んでたんすか、代兄? 読書好きとは知ってたっすけど、そこまで面白い本があるなら、あたしもちょっと気になるかもっす」

「……いや、まあ、それはな」


 興味からくる緒時の問いに、代介は言葉を濁した。

 彼には誰にも告げていないひとつの趣味があったのだ。父から受けた、数少ない影響のひとつだと言っていい――あまり他人には知られたくない趣味が。

 代介が何か隠したと、付き合いの長い緒時は即座に察した。にやりと愉快そうに笑みを浮かべて、幼馴染みの少年へとしなだれかかる。


「なーんなんすかー? ははーん、さては本を読んでたってのは嘘で、新しく使えるようになった書斎にエロ本でも隠してたんじゃないっすか? 三か月は長いっすもーん」

「……エロ本隠すのだって三か月もかけねえだろ普通。もうそういうことでもいいけど」

「隠すっすねー。……ま、無理に聞くのはやめとくっすけど」


 多くは突っついてこない緒時に、代介もほっとひと息をついた。

 別に恥ずかしいわけではない。ただなんとなく、この話はしたくなかった。少なくとも共通の趣味があるでもない相手に、代介がそれを告げたことがない。


「ま、それはそれとして買い物行こうっすー。お礼にコーヒーくらいなら奢るっすから」


 ここで緒時は話を戻した。

 買い物がしたい、というのも別に方便ではないらしい。だから代介は首を振って。


「すまんが今日は出かける用事があるんだ」

「嘘乙」

「いや初手からリアクションがおかしいだろオイ」


 失礼な少女を睨みつける代介。

 だが緒時のほうも、負けじと代介を細く見据えながら言う。


「だって代兄が休日にいっしょに出かけるような友達とか持ってるはずないですし。かといって外出がいる趣味もない。それならあたしといっしょでもいいはずっすよ! どーせ大した用事じゃないんでしょー? これ、緒時ちゃんなりの名推理っす」

「失礼すぎるだろ、こいつ……悪いが今日は無理だ。これから人に会う予定があるんだ」

「ヒトニアウ? ヒトニアウってなんすか? どこだか語で暇って意味っすか?」

「だから失礼すぎるだろうがよ!」


 代介の右手が緒時の額に伸びる。

 指の一撃デコピンを察した緒時は、にゃにおー! と叫びつつ代介の手首を引っ掴み、


「う、嘘っす! 嘘に決まってるっす! 代兄が休日に誰かと会うわけないっす! あ、あれっすか、なんか役所の職員に会いに行くとかっすか!? そうだと言うべきっすー!!」


 もはや代介に友人がいては都合が悪いとでも言わんばかりの緒時だった。

 これには代介も、さすがに反論せざるを得ない。


「それを人に会うと表現するほど落ちぶれてねえよ俺は! なんだ、俺が誰かと会う予定があったらそんなにおかしいか! 俺にだって友達のひとりやふたりくらいいるわ!」

「はいダウトー! ダウトっすあり得ないっす! 代兄の言う《友達》は学校にいるときそこそこ話すくらいの相手で、休日にいっしょに遊びに行くような相手じゃないっす!」

「お、おまっ、おま……そ、おま――」

「……や、そこで言葉に詰まられるとあたしが悲しくなってくるんすけど」

「自分で言っといて!?」


 付き合いの長さを、相手を傷つけるための武器として振るわないでほしかった。

 学校の友人と会うわけではないことは、確かに事実だが。


「とにかく喧しい。予定があるもんは仕方ないだろ、あるんだから。埋め合わせなら今度してやるから、今日のところは諦めろ」

「……そこまで頑なとは。むむむ、本当に用事があるみたいっすね」

「どんだけ疑われてるの俺?」

「まさかとは思うっすけど……コレっすか?」


 未だに疑わしいという表情で、緒時は小指を立ててそんな風に訊いてくる。

 なんかもう中年の親父じみたジェスチャーの意味するところを悟って、代介は斜めに首を振った。

 一瞬で否定されると、確信した上で訊いていた緒時は、これに混乱した。


「え。なんすか、その否定とも肯定とも取れない微妙な首振りは。なんで斜め?」

「……えー、と……」

「え、ちょっと待ってほしいっす。や、そんな……まさか本当に女!? 嘘っすあり得ないっす驚天動地っす! 代兄があたしの知らないところで彼女を作るなんて不可能っす!」

「別に、彼女じゃねえよ。ねえけどやっぱ反応が釈然としねえ」

「ならはっきり答えてほしいんすけど」

「……いや、知らねえんだよ。初対面だから、性別はちょっとわからねえ」

「は――はあ?」


 さらに混乱する緒時。

 三か月も読書に没頭することがあり得るくらいには、代介がマイペースであると彼女は知っている。よくも悪くも我が強く、一度これと決めたことは滅多に譲らない少年だ。

 そんな彼が、これから初対面の人間と個人的に会う、という事実は違和感だらけ。

 その意を知ってか知らずしてか、代介は少し考え込んでからこう言った。


「ふたりと会うんだけど……片方は男だって自称してたな。たぶん嘘じゃない。もう片方からは性別を聞いたことがねえんだけど、あっちはちょっと女っぽいんだよな……」

「そ、それどういう繋がりなんすか? 何しに行くんすか代兄は。なんか怪しげな空気がしてきたんすけど、それ本当にだいじょぶなんすか? これ緒時ちゃんなりの心配っす」

「話自体は長いことしてきたんだ、大丈夫だよ」

「で……誰なんすか?」


 ずっとぼかしてきた代介だったが、こうまでしつこいとなってはもう隠せない。

 仕方ない、と彼は悟る。どうせ緒時のことだ、これを聞いたらまたうるさくなるに違いないと確信しながら、代介は言った。


「……ネット上の知り合いだ。いわゆるオフ会ってのに出てくるんだよ、今日は」

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